内容要旨 | | 哺乳動物の未成熟卵は卵核胞(germinal vesicle)と呼ばれる大型の核を持ち,第一減数分裂前期で分裂を停止している.下垂体からの性腺刺激ホルモンの刺激により卵は減数分裂を再開始する.細胞周期のG2/M期移行に相当する減数分裂の再開始は核膜の消失すなわち卵核胞崩壊(germinal vesicle breakdown:GVBD)に始まり,その後第一極体を放出して第一減数分裂中期(metahpase l:M1)へ移行し,さらに第二減数分裂中期(metaphase ll:M2)に至り,再び分裂を停止する.このGVBDからM2に至る過程を卵成熟(oocyte maturation)という. 卵成熟を誘起する卵細胞外からのシグナルは卵細胞内の何らかのカスケードを経て成熟促進因子(maturation-promoting factor:MPF)の活性化を誘導しGVBDに始まる卵成熟を開始させる.このカスケードについて研究されている哺乳動物はマウスに限られているが,マウスと他の哺乳動物とでは卵成熟を開始させる機構が異なっている可能性がある.すなわちマウスではGVBD誘起に蛋白質合成が必要ではなく.培養開始後わずか1時間でGVBDを誘起する.しかし,ウシ,ヒツジなどでは6〜8時間,ブタでは20時間以上GV期が続き,この間にGVBDに必要な蛋白質を合成する.このようなことからマウスでの実験のみから哺乳動物全般における卵成熟制御機構を解明することは困難であると考えられる.本研究は屠場材料として大量の未成熟卵の入手が可能であり,卵成熟誘起にかかる時間が長いためその詳細な解析に適しているブタを材料とし,卵の外からの刺激を細胞内で仲介してMPFの活性化そしてGVBDを誘導するカスケードを明らかにすることを目的としたものである. 【第1章】卵成熟過程を制御する因子を検索する 本研究では体外成熟培地として1lU/mlのPMSGを含むブタ卵胞液(porcine follicular fluid:pFF)(pFF-PMSG)を用いた.既報によるとpFF-PMSGでの卵成熟は成熟率,タイムコースともに生理的条件に近く,成熟に伴うヒストンH1キナーゼ活性(in vitroにおいてMPFの活性を反映する)の上昇が見られるが,まず同培地を用いることにより生理的条件に近い卵成熟過程が再現されるかどうか確認した.また,蛋白質合成阻害処理による卵成熟の阻害がどのように引き起こされるのか,この処理がMPF活性ならびにM期紡錘体の形態にどのように影響するかについて検討した. 卵巣から採取直後〜培養後10時間の卵は全てGVを有する未成熟卵であった.成熟開始の指標となるGVBDは培養後25時間頃から起こり,培養後30時間になると,過半数の卵がM1に達し,この時期にはヒストンH1キナーゼ活性も有意に上昇していた.さらに培養後50時間には71.2%の卵が第二減数分裂中期M2に達した.以上よりpFF-PMSGを用いた本実験系は成熟のタイムコース,成熟率ともに正常であり,さらに成熟に伴なうMPFの活性化も正常に起こることが確認できた. 蛋白質合成阻害剤cycloheximide(CHX)添加培地で培養した卵は培養30ならびに45時間後もGV期のままであった.CHX処理の時期を変化させて卵成熟とキナーゼ活性に与える影響を調べたところGV期(培養0〜20時間)でCHX処理を開始すると,50時間培養しても80%以上の卵でGVBDは起こらず,H1キナーゼ活性も低かった.M1期でCHX処理を開始すると卵はM2に入らず,M1で停止した.このとき紡錘体の形態は異常で,H1キナーゼ活性は低かった.以上より成熟の開始とそれにともなうMPFの活性化,M1/M2移行に伴う正常な紡錘体の形成・維持には新しく合成される蛋白質が必要であり,卵成熟過程を制御する機構に細胞周期に伴なう微小管の変化を制御する因子が関与する可能性が示唆された.このことから,様々な細胞で微小管を間期型からM期型に転換する能力を発揮するMAP(mitogen-activated protein)キナーゼが卵成熟の開始においても機能しているのではないかと考え,第2章へ実験を進めた. 【第2章】ブタ卵の成熟過程ではMAPキナーゼが活性化する MAPキナーゼは直接の上流に位置するMAPキナーゼキナーゼ(MAPKK)とともにMAPキナーゼカスケードを構成しており,種々の細胞で細胞周期のG2/M期のみならず,G0/G1期ならびにS期においても多様な機能を発揮することが知られている.マウスの卵成熟誘起過程においては必ずしも必要ではないと言われているがその詳細は不明である.そこで第一段階としてブタ卵においてmyelin basic protein(MBP)を基質としたMAPキナーゼアッセイ系を確立し,活性の変動を明らかにした.また,ウエスタンブロッティングならびにゲル内リン酸化法により,MAPキナーゼ蛋白質の量的変化について検討した.さらに第1章で確認された蛋白質合成阻害処理による卵成熟阻害の際にMAPキナーゼ活性が受ける影響について調べた. MAPキナーゼ活性はGV卵で低く,GVBDに伴なって上昇し始め,M1以降M2まで有意に高い活性を保っていた.MBPはMAPキナーゼ以外の酵素の基質になり得るがゲル内リン酸化法による解析の結果,MBPはMAPキナーゼの分子量に一致する42および44kDの位置でリン酸化されていたことから,本実験のアッセイ結果はMAPキナーゼ活性のみを反映していることが確認できた.またウエスタンブロッティングの結果よりMAPキナーゼならびにMAPKKはどちらもGV卵に既に存在しておりM2卵までその蛋白質量は一定であることが示された.このことから今回得られたMAPキナーゼカスケードの活性上昇は量の増加ではなく,リン酸化によるということが確認できた.また,GV期に蛋白質合成阻害処理を施しGVBDを阻害した卵ではMAPキナーゼの活性化は起こらず,M1期で処理すると活性化していたMAPキナーゼおよびMAPKKは脱リン酸化されて活性が低下することが明らかとなった.以上より,ブタ卵においてMAPKKおよびMAPキナーゼが存在し,卵成熟開始に伴なって活性化することから,MAPキナーゼカスケードが卵成熟過程において何らかの機能を発揮することが示唆された. 【第3章】MAPキナーゼは卵成熟開始前に核内へ移行し,GVBDを誘導する MAPキナーゼのブタ卵における顕著な活性上昇はGVBD後のM1卵で検出された.しかしながらこの活性が卵成熟開始を誘導する機能をもつかどうかは明らかではない.体細胞では不活性なMAPキナーゼは細胞質に局在し,活性化すると核内へ移行するということが知られている.本章ではまず抗MAPキナーゼ抗体を用いた免疫蛍光染色法ならびに分離したGVを用いたウエスタンブロッティングにより成熟過程におけるMAPキナーゼの核内への移行ならびに移行したMAPキナーゼの活性化状態を明らかにすることを目的とした.さらにMAPキナーゼ活性が上昇する前のGV卵にMAPキナーゼをインジェクションし,人為的に活性を上昇させた場合に成熟過程が誘導されるかどうかを調べ,MAPキナーゼによる直接的な卵成熟誘起の可能性を検討した. 免疫蛍光染色の結果,MAPキナーゼに対する陽性反応は培養開始前のGV卵では細胞質に,そしてGVBD直前になると核内に検出された.ウエスタンブロッティングの結果,培養0時間の卵から分離したGVではMAPキナーゼのバンドは検出されなかった.ところが,GVBD直前の培養後25時間の卵から分離したGVではMAPキナーゼのバンドが検出され,しかも活性化状態を示す移動度の減少が見られた.以上より,培養0時間の未成熟卵において不活性なMAPキナーゼはGV内には存在せず細胞質に局在しているが,GVBD直前になると少なくとも一部のMAPキナーゼは核内へ移行し,しかも核内に移行したMAPキナーゼは活性化状態であることが明らかとなった. このMAPキナーゼの活性がGVBDを誘導することができるかどうか明らかにするためにヒトデ成熟卵より精製した活性化MAPキナーゼを培養0時間の未成熟卵の細胞質ヘインジェクションした.予想に反して,GVBDは早まることはなく,培養後10ならびに20時間でGVBDを起こした卵は皆無であった.また,インジェクション後有意なMAPキナーゼ活性の上昇は見られなかった.以上より,未成熟卵の細胞質中にはMAPキナーゼを急激に不活性化する何らかの機構が存在することが示唆された.しかしながら,GV内にインジェクションすると,培養5〜10時間後という短時間で約20%の卵がGVBDを誘起した.このことから,MAPキナーゼはGV内でその活性を維持し,卵成熟を誘導し得ることが示された. 以上,本研究の結果から,MAPキナーゼカスケードがブタ卵において成熟開始のシグナルを核内へ伝達するカスケードとして機能していることが明らかとなり,さらにMAPキナーゼ自身が卵成熟の開始,すなわちGVBDを誘起する因子としても機能し得ることが示唆された.マウスでは卵成熟開始にMAPキナーゼカスケードは関与しないことから,本研究の結果は哺乳動物におけるマウスとは異なる卵成熟開始機構のモデルを示したことになる. |