赤血球内寄生原虫であるバベシア原虫のうち、Babesia microti(BM)およびBabesia rodhaini(BR)は齧歯類に感染する主要な二種である。この両原虫は同じバベシア属に分類され形態的にも極めて良く似ているが、様々な相違点も認められている。このうち最も明らかな相違はその感染経過であり、BMに感染したマウスは一過性の虫血症(parasitemia)を示しながらも必ず耐過するのに対し、BRに感染した場合は急性の経過をたどりマウスは斃死する。 原虫の代謝特性を解析することは、原虫の分類あるいは予防および治療法を考える上で最も重要である。バベシア原虫症は世界中で家畜生産や伴侶動物に深刻な被害をもたらす畜産学・獣医上きわめて重要な疾病であり、また特にBMは近年増加しつつあるヒトのバベシア症の原因種でもあることから、BMおよびBRは哺乳類バベシア症を考える上で有用な研究対象である。しかしながら、この両原虫の代謝特性についての系統だった研究はこれまでほとんど成されていない。一般に偏性細胞内寄生原虫は宿主細胞の代謝系に適応して発育すると考えられるため、ブドウ糖が唯一のエネルギー源である赤血球に寄生するバベシア原虫においては、その糖代謝を解析することが重要と思われる。そこで本研究では、両原虫の糖代謝特性について比較検討を行った。 まず第2章では、両原虫の感染マウスより得た血液から単離した虫体について、pentose-phosphate shuntの代表的酵素としてglucose-6-phosphate dehydrogenase(G6PD)、Embden-Meyerhoff pathwayの酵素としてlactate dehydrogenase(LDH)、およびTCA cycleの酵素としてmalate dehydrogenase(MDH)の活性を測定した。その結果、BMのG6PDおよびLDH活性はBRに比較して低かったのに対し、MDH活性はBRの3倍以上の高値を示した。またMDH/LDHの活性比もBMではBRに比較して約5倍高い値を示した。このことからBMではその糖代謝において、TCA cycleの解糖系に対する相対的利用度がBRに比較して大きい可能性が考えられた。また、これらの酵素についてアイソザイムパターンを分析したところ、G6PDおよびMDHについては両原虫ともに、コントロールとした宿主血球から調製した試料とほぼ同じ移動度を有する単一のバンドが認められた。一方、LDHにおいてはBMは単一の、またBRでは少なくとも5つのバンドが認められ、このうちBMのバンドおよびBRの2つのバンドは宿主血球のそれと異なる移動度を持つものであった。LDHのサブユニット構成は異なる遺伝子に支配されることが知られていることから、両原虫は遺伝子レベルで異なり、他の酵素のアイソザイム分析との併用によっては本LDHアイソザイム解析がバベシア原虫の分類に利用できる可能性が示された。 次に第3章ではTCA cycleの活性についてさらに検討するために、MDH以外の酵素、すなわちpyruvate dehydrogenase(PDH)、citrate synthase(CS)、isocitrate dehydrogenase(ICDH)、-ketoglutarate dehydrogenase(KGDH)およびsuccinate dehydrogenase(SDH)活性を併せて測定した。原虫の糖代謝は発育ステージによってその酵素活性やアイソザイムの発現などが変化することが知られているため、BMおよびBRにおいてもこの点を考慮し、それぞれの感染後のparasitemiaの異なる3つの時期に虫体を採取して酵素活性の変動を観察した。この結果、BMではparasitemiaの上昇にともなってLDHおよびG6PD活性が低下したが、逆にTCA cycleの酵素、とくにMDHおよびCS活性は著明に増加した。一方BRでは最も高いparasitemiaが見られた時期にLDH活性が大きく上昇し、またMDHおよびCS活性も上昇したもののその程度はBMに比較して軽度であり、かつそれ以外のTCA cycle酵素活性に変化は認められなかった。また併せて感染血球内の乳酸およびピルビン酸濃度を定量したところ、BM感染マウスでは最も高いparasitemiaを示した時期でも感染血球の乳酸濃度は非感染血球に比べて変化を示さなかったのに対し、BR感染血球ではparasitemiaの上昇にともなって非感染血球に比べて有意な乳酸濃度の上昇が見られた。また、BM感染血球の乳酸/ピルビン酸比はBRの場合に比べて低い傾向を示した。以上のように、BMおよびBRにおいて虫体の増殖にともなってそれぞれTCA cycleおよび解糖系の酵素活性に上昇が見られたことは、両原虫がそれぞれ主として好気的および嫌気的な糖代謝を行っているという前章での考察を支持するものであった。またBMはB.equiと共にバベシア属のなかでは例外的に、タイレリア属の特徴であるダニの経発育期感染で伝播することなどから、バベシア属としての分類に疑問も持たれている。BMの好気的糖代謝の可能性を示唆した本研究結果は、BMがリンパ球内でscizogonyのステージを持つという他研究者の報告とも合致しうるものであり、従ってBMの分類に再検討の余地を示唆するものでもある。 原虫の代謝特性を知るにはin vitroでの虫体培養系を用いた解析が必要であり。同じ赤血球内寄生原虫であるマラリア原虫では1976年に培養系が確立されて以来、代謝機構をはじめ原虫の侵入機序やワクチン抗原の産生などあらゆる点で研究が飛躍的に進歩した。バベシア原虫でも種によっては長期間の培養系が確立されているが、BMおよびBRでは全く行われていない。そこで第4章では両原虫のin vitro培養の至適条件を、主として血清およびガス分圧を中心に検討した。その結果、RPMI1640(pH7.3)に非働化していない牛胎仔血清(FBS)を30%加え、ガス分圧をCO23%-O28%-N289%に設定して感染血球を培養した場合に最も良好な寄生赤血球率(PPE)の増加がみられた。非働化したFBSを用いた場合にはいずれのガス分圧下でも両原虫ともにPPEの増加は見られなかった。上記の至適条件下でBMのPPEは72時間後に約2倍に、またBRのPPEは48時間後に約4倍に増加し、とくにBMでは、このバベシア種に特徴的なin vivoにおける虫体分裂像が血球内外で散見された。また培養後の虫体はマウスに対する感染性を保持していた。従ってこの条件下では両原虫のin vitro培養が短期間ではあるが可能であり、とくにBMでは虫体分裂機序の解明にも役立つと思われた。しかしながら、FBSのロットより培養結果が大きく影響されることが判明したため、適切なFBSロットを選択することによりさらに良好な両原虫の培養が可能になると思われた。 従来、マラリア原虫やバベシア原虫の赤内型ステージにおける糖代謝は、宿主赤血球と同様にEmbden-Meyerhoff pathwayを介した嫌気的な解糖に依存するという認識がなされてきた。しかし一方で、これらの原虫においてミトコンドリア機能の存在を示唆する根拠も報告されつつある。本研究でも第2、3章からBMとBRではTCA cycleの活性が異なることが示されたことから、第5章では、両原虫のミトコンドリア機能を解析し比較検討した。まずバベシア原虫がhypoxanthineなどの細胞外プリン塩基を取り込んでプリン合成を行うことを利用して、in vitroでの[3H]-hypoxanthineの取り込みを虫体のviabilityの指標とする評価系の確立を試みた。前章で得られたin vitro培養の至適条件をもとに種々のparasitemiaの感染血球を培養したところ、PPEと取り込み量には相関が認められ、また少なくとも培養24時間後までは取り込みが継続していたことから、[3H]-hypoxanthineの取り込みは虫体の代謝活性を反映しているものと考えられた。そこで様々なミトコンドリア阻害剤がこの取り込みに及ぼす影響を観察したところ、ほぼ全ての阻害剤が用量依存性に阻害作用を示したことから、両原虫のミトコンドリアは哺乳類細胞と同様に呼吸鎖(Complex I,II,III,IV,ユビキノン)およびリン酸化経路(ATP synthetase,ATP/ADP tr ansl ocator)を有し、且つこれが虫体の生存に必要であることが示唆された。しかしながら、BMでは幾つかの呼吸鎖の阻害剤に対してBRよりも感受性が高い傾向が認められたこと、また併せて行った単離虫体より得た粗ミトコンドリア分画を用いた酵素活性の測定から、BMの-glycerophosphate-およびsuccinate-cytochrome Creductase活性がそれぞれBRの約10倍および45倍と著しく高い値を示したことから、BMではそのエネルギー産生におけるミトコンドリアの相対的役割がBRに比較して大きいことが推察された。 本研究におけるBMおよびBRの比較検討から、バベシア原虫は必ずしも従来考えられていたように嫌気的解糖系のみに依存したエネルギー産生を行っているものではなく、ミトコンドリアにおける好気的代謝も利用していること、およびその依存度は種によって異なることが明らかとなった。 |