学位論文要旨



No 112759
著者(漢字) 髙橋,祐司
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ユウジ
標題(和) マウスにおける卵子細胞膜精子受容体の解析
標題(洋) Analysis of a Sperm Receptor on the Egg Plasma Membrane in the Mouse
報告番号 112759
報告番号 甲12759
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1822号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐藤,英明
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 舘,鄰
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
内容要旨 はじめに

 精子卵子の細胞膜における相互認識機構の解析は、特に海産無脊椎動物や水棲脊椎動物を用いて行われてきた。特にウニを用いた研究が最もよく進展しており、精子側のリガンドとしてbindinが、卵子側の受容体としてheat shock protein70と相同性を示す細胞外ドメインを有する糖タンパク質が同定されている。一方哺乳類では、免疫学的手法を用いた研究から精子側のリガンドタンパク質としていくつかの候補が挙げられている。これらのうち最も研究されているfertilinの解析から、細胞接着分子が卵子側の受容体として機能することが示唆されてきた。しかしながら、卵子を大量に調製することが困難であるという不利な条件から、卵子側の精子受容体を決定する十分な証拠は得られていない。本論文は、精子受容体として機能する物質を明らかにするため、最も融合能の高い卵子を得る条件を確立し、このような卵子を用いて精子受容体として機能する可能性を持つ物質を同定し、さらに細胞接着分子の一つであるインテグリン61が精子受容体として機能することを明らかにしたものである。

第1章透明帯除去卵子の精子融合能回復に及ぼす培養の影響

 透明帯除去卵子の受精能は透明帯除去の方法に強く依存する。蛋白質分解酵素を用いた場合その種類により影響は異なるが、マウスではプロナーゼ処理を行うと著しく受精能が損なわれることが報告されてきた。本章では、均一かつ十分な融合能を持つ透明帯除去卵子を得ることを目的として、酸性タイロード溶液、プロナーゼ処理およびキモトリプシンーピペッティング処理により作製した透明帯除去卵子の融合能について比較検討した。透明帯除去直後の卵子の融合能は透明帯除去の方法に依存し、キモトリプシンーピペッティング処理卵子では比較的高い精子侵入率を維持しているのに対して、酸性溶液あるいはプロナーゼ処理卵子の融合能は著しく減少した。特にプロナーゼ処理卵子では融合能が完全に損なわれることを確認した。一方、酸性溶液またはキモトリプシンーピペッティング処理卵子を培養すると培養時間に依存して精子侵入率が上昇し、3時間培養した卵子ではほぼすべての卵子が媒精後10分で精子と融合した。これらの結果から、3時間培養した透明帯除去卵子の融合能は、透明帯除去直後と比較して改善されていることが明らかとなった。さらに、より高い精子濃度で媒精したところ、媒精後3〜5分でほぼすべての卵子に精子が侵入した。したがって、透明帯除去卵子は3時間の培養により十分な融合能を獲得し、しかも実験に用いた卵子の融合能がほぼ均一であることが明らかとなった。これらの結果から、卵子細胞膜の精子受容体がタンパク質であり、透明帯除去の際に部分的にあるいは全体的に損傷を受け、卵子を培養することによりその機能を回復することが強く示唆された。

第2章135kDa卵子膜タンパク質の精子受容体としての可能性

 第1章で示したように、透明帯除去直後には融合能が低下するが、卵子を3時間培養することにより融合能は回復する。これは、透明帯除去の際透明帯のみならず精子受容体を含む卵子表面タンパク質が損傷を受けるために受精能が低下し、培養により卵子表面タンパク質が回復すると同時に受精能も回復するものと考えられる。本章では、この現象に着目し、酸性溶液、プロナーゼおよびキモトリプシンーピペッティング処理により得られた卵子を用いて培養前後の卵子表面タンパク質の発現パターンの違いを明らかにした。それぞれの透明帯除去処理区において、培養前後の卵子表面のタンパク質の発現に変化が認められ、特にプロナーゼ処理の場合多くの卵子表面タンパク質が損傷を受けていることが明らかとなった。すべての処理区で培養前後で顕著に変化しているタンパク質は150、135、90、70kDaの4種類であった。一方、精子受容体の条件として精子と親和性を持つことが挙げられる。膜表面を標識した卵子の細胞抽出物を精子懸濁液中に添加し免疫蛍光法により解析したところ、精子に卵子表面タンパク質が結合していることを確認した。この実験系を用いて精子と結合する卵子タンパク質を同定したところ、非常に強く結合する135kDaタンパク質の存在を確認した。この物質は透明帯除去後の卵子の培養前後において変化するタンパク質の1つであり、精子受容体として機能する可能性が考えられる。さらに、135kDaタンパク質を含む卵子抽出物と前培養した精子を体外受精に用いた場合、精子との結合に用いた卵子抽出物量に依存して受精阻害が起こることを確認した。これらの結果から、精子と強く結合する135kDa卵子膜タンパク質が、精子受容体として機能している可能性が示唆された。

第3章インテグリン61の精子卵子膜融合における役割

 最近、インテグリン61がマウス卵子の精子受容体として機能している可能性が報告された。これは、卵子に61が強く発現していること、インテグリン6の機能阻害抗体が精子卵子の結合を著しく阻害し、さらにインテグリン6を過剰発現するF9細胞に精子が接着性を示すなどの証拠によるものである。しかしながら、卵子のインテグリン61が直接精子と結合するかどうか、精子卵子の融合のどの過程に関与しているかなど不明な点が多い。本章では、第2章で同定した135kDaタンパク質が61であるか否かを明らかにするとともに、インテグリン61の精子受容体としての役割について解析した。インテグリン6および1抗体を用いたインテグリン61の免疫除去と精子による精子親和性物質の沈降を組み合わせた結果、135kDaタンパク質は免疫除去に用いた抗体の濃度に依存して減少した。このことから135kDaタンパク質がインテグリン6および1であり、卵子のインテグリン61が精子と直接しかも最も強く結合していることが示された。さらに、インテグリン61の卵子における発現量が透明帯除去直後と卵子培養後に変化が認められるかどうかについて、プロナーゼ、酸性溶液で透明帯除去した卵子で調べたところ、いずれの方法でも透明帯除去直後には非常に発現レベルが低く、卵子培養後、酸性溶液処理区では発現量が増加しているのに対して、プロナーゼ処理区では発現量にほとんど変化が認められなかった。これらの結果は、透明帯除去卵子の受精能の培養前後における変化とよく一致しており、インテグリン61が精子卵子の融合に重要な役割を果たしている可能性が支持された。次に、インテグリンは機能部位に局在することが知られているので、インテグリン61の受精前後における局在性の変化について検討した。インテグリン6および1は精子結合部位にクラスターを形成したが、この集合は一時的なものであり精子が卵子内に侵入した後にはその周囲から消失することが確認された。一方、機能的なインテグリンと局在性を共にすることが知られている細胞骨格タンパク質のビンキュリンの局在性もインテグリン6および1とよく一致したことから、インテグリン61は精子卵子の接着融合に機能的であることが示された。このような受精初期の反応は、エタノール処理により活性化した卵子およびインテグリン6および1に対する抗体をコートしたビーズと結合した卵子では観察されず、精子との結合により引き起こされている現象であると考えられた。これらの結果から、インテグリン61は精子受容体として機能していることが明らかとなった。

おわりに

 本論文では、精子卵子の膜融合において細胞接着因子の一つであるインテグリン61が精子受容体として機能することを示した。すなわち卵子のインテグリン61が直接精子と結合することを示すとともに、インテグリン61の精子結合部位への集合および細胞骨格タンパク質の凝集が誘導されることを明らかにした。これらの結果は、インテグリン61が精子受容体として機能し精子卵子の接着から融合に至る過程を制御していることを示している。

審査要旨

 哺乳類の精子と卵子の細胞膜における相互認識に関わる物質の解析は、受精の機構を明らかにする上で重要であるが、卵子を大量に調製することが困難であることから、卵子側の精子受容体に関する情報は極めて少ないのが現状である。本研究はマウスを用い、精子受容体として機能する物質を同定することを目的として、まず最も精子融合能の高い卵子を得る条件を確立し、このような卵子を用いて精子受容体として機能する可能性を持つ物質を検索し、さらに細胞接着分子の一つであるインテグリン61が精子受容体として機能することを明らかにしたものである。論文は3章より構成されている。

 第1章では、高い精子融合能を持つ透明帯除去卵子を得ることを目的として、酸性タイロード溶液処理、プロナーゼ処理およびキモトリプシン・ピペッティング処理により作製した透明帯除去卵子の精子融合能について比較検討している。透明帯除去卵子の精子融合能は透明帯除去の方法に依存し、また培養により精子融合能が上昇することから、卵子細胞膜の精子受容体がタンパク質であり、透明帯除去の際に損傷を受け、卵子を培養することによりその機能が回復することを示している。

 第2章では、透明帯除去直後には精子融合能が低下し、卵子を培養することにより精子融合能が十分に回復する現象に着目し、酸性タイロード溶液、プロナーゼおよびキモトリプシン・ピペッティング処理により得られた卵子を用いて培養前後の卵子表面タンパク質の発現パターンの違いを検討し、70、90、135、150kDaの4種類のタンパク質が培養前後で顕著に変化していることを明らかにした。また一方、精子受容体の条件として精子と親和性を持つことが挙げられるが、この4種類の中で135kDaタンパク質のみが精子に強く結合することを示した。さらに、135kDaタンパク質を含む卵子抽出物で処理した精子を受精に用いた場合、卵子抽出物量に依存して受精阻害が起こることを確認した。これらの結果から、精子と強く結合する135kDa卵子膜タンパク質が、精子受容体の候補である可能性が非常に高いと述べている。

 第3章では、第2章で同定した135kDaタンパク質がインテグリン61であるか否かを明らかにするとともに、インテグリン61が精子受容体として機能するかどうか解析している。135kDaタンパク質はインテグリン6および1抗体により沈降することから、本タンパク質がインテグリン61であることを確認した。また、プロナーゼ、酸性タイロード溶液で透明帯除去した卵子におけるインテグリン61の発現を調べたところ、いずれの方法でも透明帯除去直後には非常に発現レベルが低く、卵子培養後、酸性タイロード溶液で処理した卵子で発現量が顕著に増加するのが認められた。次に、インテグリンは機能部位に局在することが知られているので、インテグリン61の受精前後における局在性の変化について検討したところ、インテグリン6および1は精子の結合部位でクラスターを形成したが、このクラスター形成は一時的なものであり精子が卵子に侵入した後にはその部位から消失した。一方、機能的なインテグリンと局在性を共にすることが知られている細胞骨格タンパク質のビンキュリンの局在部位もインテグリン6および1のクラスター形成部位とよく一致した。また、インテグリン61とビンキュリンのクラスター形成率は精子融合率とよく一致したことから、クラスターは精子侵入部位に形成されており、インテグリン61が精子卵子の接着融合に機能的であることが示された。また、インテグリン6および1のクラスター形成はエタノール処理により活性化した卵子、およびインテグリン6および1に対する抗体をコートしたビーズと結合した卵子では観察されず、精子との結合により引き起こされる現象であることが示された。これらの結果から、インテグリン61は精子受容体として機能する可能性が極めて高いと考察している。

 以上のように、卵子から精子受容体としての条件を満たす135kDaのタンパク質を分離し、インテグリン61であることを明らかにした。また、インテグリン61が精子結合部位でクラスターを形成し、精子受容体として機能する可能性が極めて高いことを明らかにした。よって審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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