腸内菌叢が宿主に及ぼす影響についてはすでに多くの研究がなされており、なかでも大腸における発癌と腸内菌との関係については、疫学的にも実験的にも大腸発癌に腸内細菌が関係していることを強く示唆する報告が多くある。しかしin vitroで得られた結果と実際の生体内で起こる現象は必ずしも一致せず、また発癌にはその他の多くの要因も複雑に関係するため、直接の腸内菌の作用を示すことは難しい。また腸内細菌叢の働きを考える上では、菌叢を構成する各々の菌の分類学的、生態学的背景が確立していることが必要となる。腸内細菌の働きを検索する一つの手段として、無菌(GF)の実験動物に、関与すると予想される菌や菌叢を投与してノトバイオート(GB)あるいはヒトフローラ動物などを作出し、腸内菌以外の要因をできるだけ排除して検索する方法がある。そこで本研究では腸内菌叢と発癌の関係を検討する上で必要な基礎的な研究を行なった。 第1章では嫌気性菌の中でも特に発癌に関与している可能性が高いと考えられているClostridiumに着目し、母集団としてS字状結腸癌の外科的切除後にadenomaあるいはmetaplastic polypが認められた患者13名及び内視鏡検査所見で結腸に異常が認められなかった14名をそれぞれHigh risk群とControl群と設定し、これら27名の糞便から、Clostridiumのヒト腸内での生態を明らかにするため、今までにほとんど検討されていなかった高度な嫌気条件を要求する菌を含めたClostridium800株を分離した。これらの菌について、従来の生物・生化学性状検査に準じて検索を行なった結果、ヒトの糞便中でスチールウール法のレベルでは培養不可能なExtremely Oxygen SensitiveなClostridium(EOS-Clost.)は全Clostridiumのおよそ半数を占め、またスチールウール法で培養可能な菌(non-EOS-Clost.)の約半数が既知の菌種として同定されないことが明らかとなった。今回の結果からはEOS-Clost.、non-EOS-Clost.いずれにおいてもHigh risk群とControl群の菌群間には差を見いだすことができなかった。宿主に及ぼす嫌気性菌の影響を考える上で、少なくともClostridiumについては改めてその分類学的背景を明確にする必要が示され、そのためには従来の生物・生化学性状を指標にした方法のみでは的確な分類には限度があり、今後遺伝子レベルでの解析を含めた新しい視点からのClostridiumの分類学的背景の再検討の必要性が示唆された。また、発癌などの生体に与える影響を考える上では個々の菌の代謝活性などを検索するとともに菌の集団としての働きも考慮すべきであることが示唆された。 第2章ではヒトの発癌のメカニズムを知るのに有力な手段となるトランスジェニック(Tg)マウスを用いて腸内菌叢の大腸発癌に与える影響について検索した。ヒトプロト型c-Ha-ras遺伝子を導入したマウスを無菌化し、これにマウスの様々な腸内菌叢の分画を投与してノトバイオートTgマウスを作出した。これらのTgマウスに化学発癌誘発剤DMHを投与して大腸癌を誘発させた結果、腸内菌叢の違いによって発癌率に大きく差が現われ、大腸癌の発生に腸内菌叢が確実に影響を与えうることを明らかにした。更にGFマウスにおいてはTg、non-Tgにかかわらず高い腫瘍の発生率であったが、SPFのTgマウスにおいては高い腫瘍の発生率が認められたのに対し、non-Tgのマウスでは腫瘍の発生が著しく低かった。non-TgのSPFマウスにおけるこの腫瘍の抑制傾向は、投与した菌群の持つ腸管のnormalization作用と相応していることが示唆された。 第3章では大腸発癌促進作用を持つと考えられている二次胆汁酸について、腸内細菌による胆汁酸の生体内での代謝を調べる前段階として、in vitroで胆汁酸変換能が認められる菌を明らかにした。これらの菌をGFに投与したGBマウスの盲腸内容物中には実際に二次胆汁酸が認められることを確認した。しかし、GFマウスにおいては腸内細菌が存在しないために腸管内で遊離型胆汁酸も二次胆汁酸も産生されなかった。in vitroで胆汁酸の脱抱合能を持たず一次から二次胆汁酸への7-dehydroxylation活性のみを有するEubacterium lentum-like c-25株と、タウリン抱合型胆汁酸の脱抱合は行なうが7-dehydroxylation活性は認められないClostridium ramosum R-18株のそれぞれの単独投与では、腸内で二次胆汁酸であるデオキシコール酸(DCA)は産生されないが、2菌株の組合せ投与ではじめてDCAが実際に産生されることが示された。しかしこれら2菌株の投与では産生される遊離型胆汁酸の割合も二次胆汁酸の割合も低く、通常マウスと同レベルの二次胆汁酸をGBマウスで産生させるためには生体側の要因が必要である可能性が示唆された。 第4章では第2章で作出したノトバイオートTgマウス各群の-glucuronidase活性、及び盲腸内胆汁酸組成を検索し、これらGBマウスにおけるDMH誘発大腸癌と腸内菌の持つ酵素活性との関係を検討した。また、ヒト糞便由来の菌についても二次胆汁酸の産生能に着目し、胆汁酸の脱抱合能及び一次から二次への変換能の有無から菌を組合せて投与したノトバイオートについて、同様の検索を行なった。その結果マウス腸管由来の菌叢のうち生理的正常化作用を有するClostridiumを投与したGB群、及びヒト糞便を投与したヒトフローラマウス群では、盲腸内の細菌性-glucuronidase活性が高く、またDCAも総胆汁酸の10%程度認められたが、DMH誘発大腸腫瘍の発生率との間には直接の関係が認められなかった。これらのことから腸内細菌は確かに大腸発癌に影響を及ぼしているが、その作用は直接的ではなく、生体を通しての作用であることが強く示唆された。 第5章では、これまでの結果から、通常マウスと同程度の二次胆汁酸を生成するGBマウスを作出することを目的とし、その一つの手段としてヒトの糞便菌叢の様々な分画をGFマウスに投与してex-GFマウスを作出し、それらの腸内胆汁酸組成を調べた。ヒトの糞便を10-6まで希釈した液、及びその中でスチールウール法で培養可能な菌を腸内に定着させたex-GFマウスでは高い遊離型の二次胆汁酸が盲腸内容物中に認められ、この中に胆汁酸変換能を持つ菌が存在することが示された。更に第1章と同様にクロロホルム処理を施した糞便希釈液の投与では腸内胆汁酸の脱抱合の割合は低かったが、一次胆汁酸から二次胆汁酸への高い変換が認められ、生体内での二次胆汁酸の産生にClostridiumが重要な役割を持っている可能性が示唆された。しかしこれらのex-GFマウスの腸内優勢菌を投与したGBマウスでは二次胆汁酸は盲腸内容物中から検出されなかった。これは脱抱合を担う菌が少ないために遊離型の一次胆汁酸濃度が低く、結果として二次胆汁酸が生成されないか、元のヒト糞便中に低い菌数で存在していた胆汁酸変換能を有する菌が除かれているため、あるいは腸管の生理的条件が単純化した菌群の投与だけでは正常にならず、二次胆汁酸が産生される環境が失われたためと考えられ、実際の腸管内では胆汁酸の変換に寄与する菌の存在と、腸管の生理条件の両方が必要であると考察された。 以上の結果より、大腸癌の発生には腸内菌叢が影響を与えること、二次胆汁酸の生体内での産生は個々の菌の胆汁酸の変換能によるものではあるが、ある程度腸管の生理状態がnormalizeされなければその能力は十分には発揮されないことが明らかとなった。また同時にヒトの大腸発癌との関係を考える上では各々の菌の持つ代謝活性の検討とともに、集合体として現われる代謝活性についての検索も必要であることが示された。更にヒト腸内に棲息するClostridiumについては、今回の結果から二次胆汁酸の産生をはじめとしてこれらの菌の代謝活性が宿主の発癌に深く関連していることが予想され、より詳細な検索が必要であると思われるが、従来の手法で同定不能な菌が非常に多く存在し、これらの分類学的な背景の再検討が必要であることが示された。遺伝子レベルでの検索法などを取り入れ、今までは検討されてこなかった腸内菌叢の部分についての検索が早急に進められるべきであると考えられる。また今後、本研究で得られた結果をもとに、二次胆汁酸を高濃度で産生する、より菌叢構成の単純化したGBマウスを作出することができれば大腸癌との関係を調べる良い手段となるであろう。 |