内容要旨 | | 1987年にLeungらはヒトおよびウサギの成長ホルモン受容体(GHR)のcDNAをクローニングして,両者とも18個のアミノ酸のシグナルペプチドを含む638個のアミノ酸からなる単鎖のペプチドで,細胞膜を1回貫通することを明らかにした.その結果,GHRはプロラクチン,エリスロポイエチン,LIF,IL-2,IL-7などを含むサイトカイン受容体スーパーファミリーに属することが示され,またGHRの機能は,リガンドの成長ホルモン(GH)の結合によりGHRが2量体になることから開始し,これによって細胞内ドメインのチロシンキナーゼのJAK2が活性化され,これがさまざまな細胞質あるいは核蛋白質をリン酸化することで発揮されていると信じられているが,詳細は今後の研究に待たれる.GHRの機能解析は,主に株化細胞にGHRを強制発現させた系で行われてきたが,GHRのcDNAのクローニングが必ずしも容易でないために,現在でも少数の研究室がこのような研究を進めている. 成長ホルモンは動物の成長を最も直接的に調節するホルモンであり,かつて実用的な見地からトランスジェニック(TG)動物の作出が試みられた際には,この遺伝子の導入が最初に試みられた.ちなみにこのような試みは実用的には成功をおさめているとは言い難く,GHの作用,或いはGHRの機能に関しての基礎研究の必要性を改めて浮き彫りにした.一方ヒトの医学,獣医学では,GH作用が明かに介在していると想定される肥満,インスリン非依存性糖尿病などの対策が求められており,現在行われているGHあるいはGHRの研究に対する大き動機となっている. 従来マウスを用いて作出された様々なTG動物は,この手段が個体レベルにおける当該遺伝子機能の解析手段に有用であることを如実に示している.本論文では,主にヒトの肝mRNAを用い,1)アミノ酸をコードする全長をクローニングし,2)クローニングしたcDNA遺伝子の細胞内での発現とその機能の検討し,さらに3)肝での発現を誘導するとされるmetallothioneinプロモーターと構築したコンストラクトを用いてラットに導入して,hGHRを発現するTGラットの系統を確立した.作出には新しい方法を用い,別にクローニングしたマウスob遺伝子も用いて方法論の確立も同時に図った.当教室では既にヒトGHを発現するTGラットの系統が確立しているので,将来このhGHR TGラットと組み合わせてGHとGHRの相互作用を個体レベルで解析するために導入動物にはラットを選んだ.なおラットのGH(rGH)はヒトには効果を持たないと言われている.つまり,hGHRを導入したTGラットは,rGH由来の生物作用を示さないことが予想される.従って,クローニングしたhGHR遺伝子を細胞に強制発現させることが可能か否か,さらに強制発現させた細胞が実際に機能を持つか否かの検討をあらかじめ十分に行なうことにした. 第1章ではhGHR cDNAのクローニングについて記載した.既報のhGHR cDNAは塩基数4,621bpで,638個のアミノ酸をコードしている.まず,ヒト肝mRNAを鋳型とし,RT-PCR(Reverse Transcriptase-Polymerase Chain Reaction)法を用い,約950bpのprobeを得た.続いてこのプローブを利用して,ヒト肝cDNAライブラリーからスクリーニングを行った結果,6個のクローンを得た.そのうちの1つが3.8kbpで一番長くpoly(A)シグナルが存在した.しかし,シークエンシングの結果,開始コドン(ATG)より329番塩基までの欠損が判明した.欠損部分はヒト乳癌細胞から得られたmRNAを鋳型にしてRT-PCRで得られた-22から955番塩基の配列を,955番塩基(ClaI部位)で連結して補った.なお得られた成長ホルモン受容体cDNA全長は,623番塩基にAからGへのサイレントな変異を含む. 第2章では第1章で得られたhGHR cDNAを細胞株に安定発現させ,発現した遺伝子が実際に機能するかどうかの検討を行った.クローニングしたヒト成長ホルモン受容体をニワトリ-アクチンプロモーターと連結したPCXN2発現ベクターに組み込みハムスター卵巣細胞由来の株化細胞CHO-KIにトランスフェクトした.なおCHO-KI細胞はGH受容体を発現していないことが確かめられている.125I-GHに対する結合能の高いhGHR安定発現細胞株X-A5を樹立して,以下の実験に用いた. Scatchard解析の結果,解離定数は0.42ng,1細胞当り24,000分子が存在すると計算された.また,抗ラットGHRモノクローナル抗体の交差反応を利用してX-A5に反応させ,蛍光ラベルした第2抗体で標識後,フローサイトメトリーを行いX-A5細胞表面にhGHRが発現していることを確認した. さらに,X-A5細胞に発現するhGHRの情報伝達活性を解析した.すなわち,ラットセリンプロテアーゼインヒビター2.1(Spi2.1)のプロモーター部分をPCR増幅により得て,ルシフェラーゼ遺伝子を組み込んだpGL-Basicプラスミドに組み込み,これをX-A5細胞にトランスフェクトすると共に,-ガラクトシダーゼを組み込んだpCH110レポータープラスミドをさらにトランスフェクトした.後者は後にルシフェラーゼ活性でSpi2.1のプロモーター活性を評価する際の標準値(分母)として用いた.その結果,Spi2.1プロモーターは250nMのデキサメサゾン存在下で20nMまで濃度依存的に活性化された.Spi2.1遺伝子は,GHが受容体に結合後2量体化され,JAK-STAT関連蛋白の経路で転写活性が促進されること,IGF-1では活性化されないこと,細胞内ドメインを一定の長さに短縮すると活性化されなくなることなどが知られており,GHによるSpi2.1プロモーター活性化の評価系は,hGHRの機能を評価する現在得られる最も優れた方法と考えられる.本章の結果は,第1章でクローニングしたhGHR cDNAがCHO細胞でhGHと結合し,複雑なシグナル伝達経路を通じて機能していることを示している. これまでの成績から,第1章でクローニングしたhGHR cDNAは機能を持ったかたちで発現することが確かめられたので,第3章ではTGラットの作出を行うことにした.TG動物が遺伝子の発現様式や機能を個体レベルで解析する手法として,あるいは家畜の機能開発を図る手法として極めて有用なものであることはいうまでもない.しかし,従来の受精卵前核への導入遺伝子の顕微注入法は効率が著しく低く,特に家畜においては胚のドナーレとシピエントが非現実的な数となることなど,依然として問題点が山積している.このような観点から本章では,尾川らが提唱している新しいTG動物の作出法の確立を同時に試みることにした.そのために,hGHR cDNAに加えて,新たにマウスob遺伝子(ob肥満マウス責任遺伝子として最近同定された遺伝子)cDNAのクローニングを行い,これら2つの遺伝子を用いてTGラットの作出を試みた. 2つの遺伝子はそれぞれ,計25gをリポソーム複合体の形で前者は1頭,後者は3頭の成熟雄ラットの両側の精巣実質内に投与し,4日後それぞれ1頭の正常雌と交配させた.出産個体仔のサザンブロッティングの結果,ヒト成長ホルモン受容体遺伝子の場合,得られた1腹仔の3/17匹(17.6%),マウスob遺伝子の場合,得られた3腹仔のうち2腹仔のそれぞれ1/10匹,1/12(5.5%)が陽性反応を示した.さらにhGHRの陽性仔1頭(F0世代)でノーザンブロッティングを行ったところ,肝でのmRNAの発現が確認された.hGHRについてはF2世代までサザンブロッティング陽性の個体が得られ,hGHR TGラットの系統化に成功したと考えられた.なお,これらのTGラットは成長曲線の正常からの乖離,性早熟の発現など,既にhGH TGラットで解析されているGH作用発現異常に伴う表現型は予期どおり示さなかった. 本研究のTG動物作出法は精巣内遺伝子導入法とも呼ぶべきものであるが,遺伝子を伝達している担体は精子以外には考えられず,いわゆる精子ベクター法の範疇に含まれるものである.期待されながらも精子ベクター法でTG動物を作出する方法は今だ確立していないが,従来はインビトロで精子にDNAを取り込ませようとする試みが主流であり,この方法の成功の原因は精巣内環境を利用したことにあるのかも知れない.精巣内遺伝子注入から4日後に射出された精子によりTG動物が作出されたことから,注入されたDNAは精子のゲノムに組み込まれているとは考えられず,本章の実験でも約20日を経過しないと組み込みは証明されなかった.従って,現段階では注入DNAは何らかのかたちで精子に運ばれているとしか言えない. 本研究により,ヒト成長ホルモン受容体のさまざまな機能の解明に有用なモデル動物になりうるhGHR TGラットが得られた.一方,精巣内遺伝子導入法は従来の手法とは全く異なる,極めて簡便な形質転換動物作出法であり,しかもメカニズムの解明に併せて大幅な効率の上昇が期待されので,家畜に対する適用を含めて形質転換動物作出にブレイクスルーをもたらすものと考えられた. |