学位論文要旨



No 112768
著者(漢字) 柳,美貞
著者(英字)
著者(カナ) ユ,ミズン
標題(和) 性腺刺激ホルモン放出ホルモンパルス発生機構に対する腫瘍壊死因子-の抑制効果の解析
標題(洋) Analyses of the suppressive effect of tumor necrosis factor- on gonadotropin-releasing hormone pulse generator activity
報告番号 112768
報告番号 甲12768
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1831号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 森,裕司
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨

 哺乳動物の視床下部には性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)パルスジェネレーターとよばれる神経機構が存在して、GnRHニューロンから下垂体門脈血中への間欠的なGnRHの放出を制御している。そのパルスパターン、特にパルス頻度はGnRHのパルス状の分泌、さらに下垂体からの性腺刺激ホルモンのパルス状の分泌を誘起することで性腺刺激ホルモンレベルの基底値を決定するので、性腺の活性を決定する第一義的な制御機構となっている。感染、低栄養、過激な運動などのストレッサーは生殖機能を抑制することが知られているが、このような生殖機能の抑制情報は、最終的にこのGnRHパルスジェネレーターヘと集約され、その興奮性の低下によりパルス頻度が減少し、生殖機能が低下すると考えられる。

 サイトカインは活性化されたマクロフアージあるいは中枢のアストロサイト、ミクログリアなどから放出され、免疫系細胞の活性化、炎症反応、発熱、徐波睡眠誘発、食欲低下などの様々な生体防御のための反応を誘起することが知られている。近年、サイトカインが視床下部-下垂体-副腎皮質系を賦活することが明らかとなり、神経内分泌系と免疫系の間には密接なクロストークがあることが示唆されてる。しかし、このような中枢作用を持つにもかかわらず、サイトカインは血液脳関門を通過できないと考えられており、その中枢作用の発現機序は未解明の問題となっている。

 感染や腫瘍形成は生殖機能を抑制する代表的なストレッサーであるが、そのような末梢の変化を中枢へ伝える内因性のメディエーターとして、インターロイキン(IL)-1、IL-6、腫瘍懐死因子(TNF)-、などのサイトカインが重要な役割を果たしていると考えられている。本研究は、これらの中で、感染初期相に血中と脳脊液に特に大量に放出されるTNF-に着目し、感染時の生殖機能の抑制におけるTNF-の意義を明かにしようとしたものである。まず第1章において、ラットを用いて視床下部GnRHパルスジェネレーターの電気活動を記録するシステムを確立し、この電気活動に対するグラム陰性菌の膜構成成分であるリポ多糖(LPS)の効果を検討した。さらに、LPSと同時に抗TNF-抗体を投与して、その効果発現におけるTNF-の関与について調べるとともに、末梢や中枢のTNF-がGnRHパルスジェネレーターの電気活動に対していかなる効果を持つかについても調べた。第2章においては、TNF-の中枢作用の機序を解明するために、プロスタグランジンの合成阻害薬であるインドメタシン、および副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)の受容体阻害薬である-helical CRHが、GnRHパルスジェネレーターの電気活動に対するTNF-の作用にどのような効果を持つかを検討した。

 第1章においては、まず卵巣摘除ラットの視床下部弓状核・正中降起部に慢性的に記録用電極を留置し、無麻酔無拘束状態で多ニュロン発射活動(MUA)を連続的に記録するとともに6分毎に採血を行い、血清中の黄体形成ホルモン(LH)レベルの変化を測定し、15-25分間隔で出現するパルス状LH分泌と同期して、MUAの周期的上昇(MUA volley)を示す動物を得た。このような動物にLPS(1g)を静脈内投与した結果、約1時間の潜時の後、数時間にわたってMUA volleyおよびそれと同期するLHパルスが抑制されることが明らかとなった。LPSによりマクロファージやグリア細胞にTNF-が誘導されることや、LPSによる急性期反応にTNF-が深く関与していることが知られていることから、次にこのLPSのGnRHパルスジェネレターの電気活動に対する抑制効果に内因性TNF-が関与しているかどうかについて検討した。LPSの静脈内投与と同時にTNF-に特異的な中和抗体(50ng)を側脳室内に投与した結果、LPSによるパルスジェネレター抑制効果は有意に阻止された。さらに、TNF-を静脈内(0.4-2.0g)あるいは側悩室内(50-250ng)に投与したところ、いずれの場合にも用量依存性にMUA volleyとLHパルスの頻度を抑制した。また、TNF-投与から抑制効果発現までの潜時は側脳室へ高用量を投与した場合は事実上消失した。サイトカインは一般に免疫系細胞を刺激してさらにサイトカイン産生を促すという機構をもつことから、末梢に投与したTNF-は血液脳関門を欠く脳室周囲器官近傍に存在するグリア細胞に作用して、脳内でのTNF-の放出を誘起して効果を表わしているものと考えられた。

 LPSの効果がTNF-によって中枢へと伝達され、視床下部GnRHパルスジェネレーターの興奮性が抑制されることが示されたので、第2章では、TNF-の中枢作用の発現機序について検討した。サイトカインによる発熱、睡眠誘発などの中枢作用の少なくとも一部はグリア細胞から放出されるプロスタグランジンを介して発現することが示唆されているので、TNF-のGnRHパルスジェネレーターに対する抑制作用にもプロスタグランジンが関与するかどうかを調べた。TNF-の静脈内あるいは側脳室内投与の10分前にプロスタグランジンの合成阻害剤であるインドメタシン(1mg/100gBW)を静脈内に投与した結果、インドメタシンはTNF-のMUA volleyおよびそれと同期するLHパルスに対する抑制効果を阻止することが明らかとなった。なおインドメタシンの単独投与には効果が見られなかった。これらの結果は、TNF-のGnRHパルスジェネレーターに対する作用にはプロスタグランジン合成系の関与が必要であることを示している。

 末梢へのTNF-の投与は下垂体からの副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の分泌を促進させるが、この作用はCRHの受容体阻害薬の前投与で阻止されることが知られている。さらにTNF-によるACTH放出効果はインドメタシンの前投与によっても阻止されることが報告されていることから、TNF-のACTH分泌促進作用には、プロスタグランジンの作用を介するCRHの合成と分泌の促進が必須のステップであると考えられる。一方、CRHはGnRHパルスジェネレーターの興奮性を強く抑制することが、報告されていることから、TNF-のGnRHパルスジェネレーターに対する抑制作用発現にもCRHが関与している可能性が十分考えられた。そこで、この可能性を検討するために、TNF-の静脈内投与の10分前にCRH受容体阻害薬の-helical CRHを脳室内投与した。その結果、TNF-のMUA volleyに対する抑制効果は阻止されず、むしろTNF-単独投与のときと比べ抑制効果が増強された。なお、-helical CRHの単独投与はMUA volleyに影響を与えなかった。この結果は、CRHが関与しなくてもTNF-のGnRHパルスジェネレーターに対する抑制効果が発現可能であることを示している。TNF-を含む幾つかのサイトカインは視床下部-下垂体-副腎系を賦活してグルココルチコイド分泌を促進するが、グルココルチコイドにはサイトカイン産生抑制などを含む広範な免疫系抑制作用があることが知られている。-helical CRHの投与によりTNF-のMUA volleyに対する抑制効果がかえって増強されたという本研究の結果は、TNF-がパルスジェネレーターを抑制するような制御機構の中では、CRH-ACTH-グルココルチコイド系はむしろTNF-によるパルスジェネレーター抑制を軽減する機能、すなわちTNF-による免疫系の過剰な活性化を抑制していると解釈されるような機能を果たしていることが示唆された。

 1、2章の結果より、TNF-は微生物や抗原の侵入を中枢へと伝達する情報伝達物質として機能し、視床下部のGnRHパルスジェネレーターの興奮性を抑制し、性腺刺激ホルモンのパルス頻度を低下させることにより生殖機能を抑制することが示された。さらに、このようなTNF-の作用の発現にはプロスタグランジン合成系が関与していること、この抑制系の成立にはCRHの介在は必要がないことが示唆された。すなわち、中枢は感染をはじめとする様々なストレッサーをモニターして直接的に生殖活動を抑制する機能があることが示された。従来、感染などによってもたらされる生殖活動の低下は、様々な病変が慢性的に累積した結果間接的にもたらされるとの理解も有力であったが、本研究が示すように、生殖活動の低下をもたらす方向への中枢制御機構の変化は、直接的かつ即時的に引き起こされている。

審査要旨

 哺乳動物の視床下部には性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)パルスジェネレーター(GnRH/PG)とよばれる神経機構が存在して、GnRHニューロンから下垂体門脈血中への間欠的なGnRH放出を制御している。そのパルス頻度はGnRHのパルス状の分泌、さらに下垂体からの性腺刺激ホルモンのパルス状分泌を誘起することで性腺刺激ホルモンの基底レベルを決定するので、性腺の活性を決定する第一義的な制御機構となっている。近年、サイトカインが視床下部-下垂体-副腎皮質系を賦活することが明らかとなり、神経内分泌系と免疫系の間には密接なクロストークがあることが示されている。感染は生殖機能を制御する代表的なストレッサーであるが、そのような末梢の変化を中枢へ伝える内因性のメディエーターとして、本研究は、感染初期相に血中と脳脊液に特に大量に放出されるTNF-に着目して、感染時の生殖機能の制御におけるTNF-の意義を明らかにしようとしたものである。

 1章においては、無麻酔無拘束状態のラットからGnRH/PG活動を電気的に記録するシステムの確立を図っている。すなわち、卵巣摘除ラットの視床下部弓状核・正中降起部に慢性的に記録用電極を留置し、多ニューロン発射活動(MUA)を連続的に記録するとともに6分毎に採血を行い、血清中の黄体形成ホルモン(LH)レベルの変化を測定し、15-25分間隔で出現するパルス状LH分泌と同期して、MUAの周期的上昇(MUA volley)を示す動物を得ている。そして、このような動物にグラム陰性菌の膜構成成分であるLPSを静脈内投与すると、数時間にわたってMUA volleyおよびそれと同期するLHパルスが抑制されることを見い出した。

 一般にLPSによる急性期反応にTNF-が深く関与していることが知られていることから、LPSのGnRH/PG活動に対する抑制効果発現に対する内因性TNF-の関与を検討している。TNF-を静脈内、あるいは側脳室内に投与すると、いずれの場合にも用量依存性にMUA volleyとLHパルスの頻度を抑制すること、さらにLPSの末梢投与と同時に抗TNF-抗体を側脳室内に投与すると、LPSの抑制効果が有意に阻止されることから、LPSのGnRH/PG抑制効果は中枢性のTNF-を仲介者としていると結論付けている。また、末梢に投与したTNF-は血液脳関門を欠く脳室周囲器官近傍に存在するグリア細胞に作用して、脳内でのTNF-の放出を誘起して効果を表していると推論している。

 2章では、TNF-の中枢作用の発現機序について検討している。TNF-の静脈内あるいは側脳室内投与の10分前にプロスタグランジンの合成阻害剤であるインドメタシンを静脈内こ投与した結果、TNF-のMUA volleyおよびそれと同期するLHパルスに対する抑制効果を阻止することを明らかにし、TNF-のGnRH/PGに対する作用にはプロスタグランジン合成系の関与が必要であることを明らかにした。

 一方、CRHはGnRH/PGの興奮性を強く抑制することが知られていることから、TNF-のGnRH/PG抑制作用発現にもCRHが関与している可能性を考え、TNF-の静脈内投与の10分前にCRH容体阻害薬の-helical CRHを脳室内投与する実験を行っている。その結果、TNF-のMUA volleyに対する抑制効果は阻止されず、むしろTNF-単独投与よりも抑制効果が増強されたことから、TNF-のGnRH/PG抑制作用発現にはCRHの関与は必ずしも必要がないことが示されている。そして、TNF-のGnRH/PG抑制作用が発現するような場面では、CRH-ACTH-グルココルチコイド系は、分泌されるグルココルチコイドを介してTNF-による免疫系の過剰な活性化を抑制し、むしろTNF-のGnRH/PG抑制効果を軽減するような機能を果たしているという興味ある推論を行っている。

 以上の結果は、「微生物や抗原の侵入を受けた個体はその生殖機会を低下させる」という経験的に理解されてきた適応的対応の少なくとも一部が、TNF-を介するGnRH/PGの抑制により達成されていることを実証的に明らかにしたものであって、従来、感染などによってもたらされる生殖活動の低下は、様々な病変が慢性的に累積した結果間接的にもたらされるとの理解も有力であったことを考えれば、生殖生理学或いは神経内分泌学的に大きな成果であると評価される。困難な実験技術をよく駆使してこれらの成果を得たことを勘案して、審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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