猫における上部呼吸器感染症は主に猫ヘルペスウイルス1型(FHV-1)及び猫カリシウイルス(FCV)によって引き起こされる。FHV-1感染症は猫ウイルス性鼻気管炎(Feline viral rhinotracheitis:FVR)と呼ばれ、一般にFCV感染症よりも重度であり、またFCVに感染した猫はしばしば口内炎を呈するのが特徴である。本研究は、これら両ウイルス感染症に対する組換え多価ワクチンの開発を目的とし、4章より構成されている。 第1章では、病原性に関与していると考えられるチミジンキナーゼ(TK)遺伝子を欠損させた組換えFHV-1を作出し、in vitroでの増殖性状を検討した。 まず、FHV-1分離継代株C7301株のTK遺伝子の塩基配列(1029bp)を決定した。そして、そのTK遺伝子内の450bpを欠損させたトランスファーベクター(pfTK-SB△SE)を作製して、常法に従ってTK遺伝子を欠損させた組換えFHV-1(C7301dlTK)を作出した。CRFK細胞におけるC7301dlTKの増殖能は、親株C7301のそれと同じであった。しかし、C7301dlTKのプラークの大きさはC7301のそれより有意に小さかった。 第2章では、C7301dlTKの猫における病原性並びにワクチンとしての効果を評価するために、自然宿主である猫を用いて感染実験を行った。 約3カ月齢の猫4匹2群にそれぞれC7301dlTKもしくは親株C7301を眼窩内、鼻内及び口内に接種した。その結果、親株C7301を接種した群はすべて発熱や結膜炎を伴う典型的なFVR症状を呈したのに対して、C7301dlTKを接種した群は軽度なくしゃみや鼻汁、流涙を数匹の検体で観察したのみであった。C7301dlTKを接種した群からの分離ウイルス量はC7301接種群よりやや少ないものの一定期間高濃度で分離された。さらに現行のワクチン接種法に従ってC7301dlTKを猫に接種したところ、後の強毒株C7301の攻撃に対して十分に発症を防御した。以上の結果から、人為的な欠損により野外株と区別できる有用な遺伝子マーカーを持つ新たな弱毒生ワクチンの作出に成功した。 第3章では、猫においてFCVに対する中和抗体を誘導する組換えFHV-1の作出を試みた。 pfTK-SB△SEの独特なSmaI siteに、FCV分離継代株F4株の感染防御に関与するカプシド蛋白をコードする遺伝子を挿入したトランスファーベクターを作製し、常法に従ってFCVに対する免疫原を発現する組換えFHV-1(C7301dlTK-Cap)を作出した。間接蛍光抗体法及びイムノブロット解析により本組換えウイルスはFCVに対する免疫原を発現していることが確認された。さらにC7301dlTK-CapをSPF猫に強制感染させた結果、FCVに対する中和抗体が誘導された。今回の結果より、猫においてFCVに対する中和抗体を誘導できる組換えFHV-1の作出に成功した。 第4章では、C7301dlTK-Capの猫におけるワクチンの効果を検討するため、ワクチン接種猫が、後のFCV及びFHV-1の強毒株の攻撃に対してどの程度防御効果を示すかを調べた。 感染実験は、約12週齢のSPF猫を各群5匹に分け、ワクチンとしてC7301dlTK-CapもしくはC7301dlTKを接種する群とワクチン未接種群の計3群でおこなった。ワクチンウイルスは眼窩内、鼻内及び口内に3週間間隔で2回接種し、その後4週間目にFCVの強毒F4株を、続いて8週間目にFHV-1の強毒C7301株を用いて同じ感染経路より攻撃した。 その結果、FCV攻撃後C7301dlTK接種群及びワクチン未接種群の猫は口内炎や鼻端部潰瘍を含む典型的なFCV感染の症状を呈したのに対して、C7301dlTK-Cap接種群の猫は2匹において口腔内に軽度のびらんもしくは発赤をそれぞれ観察したのみであった。さらにFHV-1を攻撃した結果、ワクチン未接種群の猫はすべて発熱や結膜炎を伴う典型的なFVR症状を呈したのに対して、C7301dlTK-Cap接種群及びC7301dlTK接種群の猫は軽度なくしゃみや流涙を数匹の検体で観察したのみであった。以上の結果により、組換えウイルスC7301dlTK-CapはFCV及びFHV-1感染による発症を有意に防御できることが明らかになった。 これらの結果は、FHV-1及びFCV感染症に対する新たな組換えワクチンの開発に有用な知見を与えると思われ、今後更なる発展が期待される。よって、審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値があるものと認めた。 |