学位論文要旨



No 112776
著者(漢字) 安富,大祐
著者(英字)
著者(カナ) ヤストミ,ダイスケ
標題(和) 男性生殖器におけるイノシトール3リン酸受容体とカルシウム動態
標題(洋)
報告番号 112776
報告番号 甲12776
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1146号
研究科 医学系研究科
専攻 第二基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 助教授 河西,春郎
内容要旨

 細胞は細胞外からの情報を細胞膜上の様々な受容体を使って受け取っている。その受容体を介して受け取られた情報は、細胞内情報伝達系によって細胞内へと伝えられてゆく。その細胞内情報伝達には様々なものが存在するが、その一つにカルシウムイオンがある。通常、細胞質のカルシウムイオン濃度は細胞外に比べて非常に低く制御されているが、情報を伝達する時には細胞質のカルシウムイオン濃度が上昇し、セカンドメッセンジャーとして機能することがわかっている。細胞質内のカルシウム濃度を上昇させる経路としては、細胞外からのカルシウム流入と、細胞内カルシウム貯蔵庫からのカルシウム放出のどちらか、もしくは、両方の経路がある。細胞内カルシウム貯蔵庫からカルシウムを放出することに働くチャンネルに、イノシトール3リン酸受容体(InsP3R)がある。そのInsP3Rの作用機序は以下のとおりである。細胞外からの刺激を細胞膜上の受容体で受け取り、それにより活性化されたフォスフォリパーゼC(PLC)がフォスファチジル・イノシトール2リン酸(PIP2)を水解して、ジアシルグリセロール(DAG)とイノシトール3リン酸(InsP3)を産生する。そうして産生されたInsP3が細胞質を拡散して、InsP3Rに結合するとチャネルが開口して、細胞内カルシウム貯蔵庫である小胞体より細胞質へとカルシウムが放出されて細胞質内のカルシウム濃度を上昇する。この様にして、InsP3Rは細胞内情報伝達系のInsP3/Ca伝達系の中心的役割を担っている。

 これまでに、InsP3Rには、異なる遺伝子にもとづく3種類のサブタイプが存在しており、それらが4量体を形成することで、チャネルとして機能していることがわかっている。その3種類のサブタイプは、リガンドの親和性、リン酸化など他の細胞内情報伝達系の分子による修飾が異なるという特徴を有している。その各サブタイプが有する独自の特徴はInsP3/Ca情報伝達系に多様性をもたらすものとして、細胞が独自の機能を発揮するのに、大きく寄与すると考えられている。そうしたことから3種類のサブタイプの細胞局在やどのような組み合わせで4量体を形成するかということは重要であると考えられる。一方、精巣及びその付属器からなる男性生殖器はホルモンによる巧妙な制御を受けている臓器であることは良く知られている。しかし、ホルモンによる刺激を細胞内に伝える細胞内情報伝達系、特にその中でもカルシウムによる細胞内情報伝達系の研究が、いまだ十分になされていなかった。そこで、男性生殖器を対象として、カルシウムによる細胞内情報伝達系の解析を行う目的で、InsP3Rサブタイプの局在、3種類のサブタイプがどのような組み合わせで受容体を形成しているかを検討し、精巣を形成する細胞の一つであるセルトリ細胞でのカルシウム動態を初代培養細胞をもちいて観察することとした。

 免疫組織化学にて精巣におけるInsP3Rサブタイプの局在について検討したところ、生殖細胞、特にパキテン精母細胞でInsP3Rタイプ2(InsP3R2)が、体細胞のセルトリ細胞ではInsP3Rタイプ1(InsP3R1)とInsP3R2、筋様細胞には、InsP3Rタイプ3(InsP3R3)が発現していた。そこで、精巣の可溶化マイクロソーム画分蛋白質を各サブタイプの特異抗体で免疫沈降させることにより、InsP3R1とInsP3R2のヘテロ多量体の存在を確認した。また、InsP3R1に特異的に反応する抗体で可溶化したマイクロソーム画分を繰返し免疫沈降させることにより、InsP3R1を含むInsP3Rを出来る限り除くと、ウエスタン・ブロットによりInsP3R2のシグナルだけが確認され、InsP3R1のシグナルは確認されなかった。このことは精巣にはInsP3R2だけでInsP3Rの4量体を形成する受容体が存在することを示唆している。免疫組織の結果を併せて考えると、生殖細胞、特にパキテン精母細胞にInsP3R2ホモ4量体があると推測される。また、精巣上体、精管、精嚢、前立腺でも、同様に、免疫組織、免疫沈降の実験を行った。その結果、精巣上体では主細胞にInsP3R1、明細胞にInsP3R2、主細胞繊毛にInsP3R3が、精管では内皮細胞にInsP3R1、2、3が発現していた。精嚢は主細胞にInsP3R1、3が基底細胞でInsP3R2が発現しており、前立腺ではInsP3R1は基底細胞にInsP3R2はクロム親和性細胞に発現していることが判明した。以上のことから、組織全体でみると、3種類がいずれの臓器にも大差なく発現しているようでも、細胞の種類により優位に発現しているサブタイプが異なることが示された。

 次に初代培養セルトリ細胞におけるカルシウム動態にどの様なものがあるかを、カルシウム指示薬Fura-2をもちいて単一セルトリ細胞で測定した。すると、ATP、UTP、ADPによる刺激で細胞内カルシウム上昇が周期的に変化するCalcium oscillationsが誘発されることが観察された。そのCalcium oscillationsはP2受容体の競合阻害薬suraminとPLCの阻害薬であるU73122により抑制され、P2X/Y型受容体の阻害薬PPADSで抑制されないことから、その誘発は、P2U型プリン受容体を介して細胞内に伝えられ、InsP3R感受性ストアからのカルシウムにより誘発されると考えられた。またこのCalcium oscillationsはcaffeine(5mM)によっても抑制されることも観察できた。これは、caffeineによるInsP3の産生抑制、または、InsP3Rそのものに対する阻害効果によるものと想像される。また、細胞外カルシウムを除いた条件下では、細胞内カルシウム上昇が2回もしくは3回観察されたのみで、Calcium oscillationsは維持されなかった。このことから細胞外カルシウムがCalcium oscillationsの維持には必要であることと考えられた。

 また、単層になっている初代培養セルトリ細胞をガラスピペットで機械的に単一細胞を刺激すると、刺激した細胞から近傍の細胞へと同心円状に細胞内カルシウム上昇の伝播が観察された。この伝播は、刺激後約10秒で170-190mの範囲までの細胞での細胞内カルシウム上昇を引き起こすものであった。細胞内カルシウム上昇を示す領域は細胞外液の流れに影響され、流れに沿って大きく偏った。また、この時に流れに逆らって細胞内カルシウム上昇が拡散することも同時に観察されることから、ギャップジャンクションを経て、伝播される成分も存在すると考えられた。この伝播はATP水解酵素apyraseやプリン受容体阻害薬suraminが細胞外液に存在する場合には、細胞内カルシウム上昇の伝播が大きく抑制されるという特徴も持っていた。このことから、細胞内カルシウム上昇の伝播は、主として、ATPにより媒介されP2型プリン受容体を介して周囲の細胞においてInsP3R感受性ストアからカルシウムが放出した結果であり、ギャップジャンクションを経る成分も含まれることが分かった。

 精巣は柱状構造をした精細管から構成されている。セルトリ細胞は、その精細管の外周に細胞体を持ち、突起を管の内側に向けてのばしている。そのセルトリ細胞を取り囲むように筋様細胞は存在し、精子の前駆細胞である生殖細胞はセルトリ細胞に包まれるように存在している。また、精細管は筋様細胞の収縮で蠕動運動することが知られている。こうしたことから、セルトリ細胞での機械的刺激による細胞内カルシウム上昇の細胞間伝播が生体内での意義は以下のように考察できる。精細管は筋様細胞の収縮で蠕動運動することが知られており、その時にセルトリ細胞が圧迫され機械的に刺激されると考えられる。それにより一度に複数のセルトリ細胞からATPが放出され精細管内にある濃度存在する状態が出来るであろうと予測される。するとその周りのセルトリ細胞は放出されたATPに反応してInsP3をかいした細胞内カルシウム上昇をおこし、Calcium oscillationsも誘発されると予想される。また、放出されたATPはセルトリ細胞のみでなく生殖細胞や筋様細胞にも作用することが想像できる。こうしたことからInsP3Rは放出されたATPによる局所の同種または異種の細胞間連絡における細胞内での情報伝達にも関与していることが示唆された。

 以上のことから、男性生殖器におけるInsP3Rは細胞の種類により優位に局在するサブタイプが異なり、細胞内情報伝達系に多様性を与えるであろう様々な組み合わせが存在することを示した。また、精巣セルトリ細胞において実際にInsP3Rのカルシウム放出が機能しており、ATPによるCalcium oscillationsや、細胞間の細胞内カルシウム上昇の伝播に関与していることが示唆された。

審査要旨

 男性生殖器における細胞内情報伝達系に重要な役割を果たすと考えられるイノシトール3リン酸受容体の働きとそれを介するカルシウム動態を明らかにするため、精巣および付属器におけるイノシトール3リン酸受容体の3種類のサブタイプ別の細胞局在、チャネル構成、および、セルトリ細胞におけるカルシウム動態の解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1、免疫組織化学にて精巣におけるInsP3Rサブタイプの局在について検討したところ、生殖細胞、特にパキテン精母細胞でInsP3Rタイプ2(InsP3R2)が、セルトリ細胞ではInsP3Rタイプ1(InsP3R1)とInsP3R2、筋様細胞には、InsP3Rタイプ3(InsP3R3)が発現しており、精巣上体では主細胞にInsP3R1、明細胞にInsP3R2、主細胞繊毛にInsP3R3が、精管では内皮細胞にInsP3R1、2、3が発現していた。精嚢は主細胞にInsP3R1、3が基底細胞でInsP3R2が発現しており、前立腺ではInsP3R1は基底細胞にInsP3R2はクロム親和性細胞に発現していた。以上、細胞ごとに発現するInsP3Rのサブタイプが異なることが示された。

 2、可溶化マイクロソーム画分蛋白質を各サブタイプの特異抗体で免疫沈降させることにより、精巣にはInsP3R1とInsP3R2のヘテロ多量体の存在することが示された。また、InsP3R1に特異的に反応する抗体で精巣の可溶化マイクロソーム画分を繰返し免疫沈降させて、InsP3R1を含むInsP3Rを出来る限り除くと、ウエスタン・ブロットによりInsP3R2のシグナルだけが確認され、InsP3R1のシグナルは確認されなかった。このことから、精巣にはInsP3R2だけでInsP3Rの4量体を形成するチャネルが存在することが示された。

 3、初代培養セルトリ細胞におけるカルシウム動態をカルシウム指示薬Fura-2をもちいて測定した。その結果、ATP、UTP、ADPによる刺激で細胞内カルシウム上昇が周期的に変化するCalcium oscillationsが誘発されることが観察され、そのCa oscillationsはP2受容体の競合阻害薬suraminとphospholipaseC阻害薬U73122により抑制され、P2X/Y型受容体阻害薬PPADSでは抑制されないことから、その誘発はP2U型プリン受容体を介して伝えられ、InsP3R感受性ストアからのカルシウムにより起こるが示された。また、ATPによるCa oscillationsはcaffeine(5mM)によっても抑制されることと、細胞外カルシウムを除いた条件下では、Ca oscillationsは維持されないことも同時に示された。

 4、単層になっている初代培養セルトリ細胞に対して、ガラスピペットで機械的に単一細胞を刺激すると、刺激した細胞から近傍の細胞へと同心円状に細胞内カルシウム上昇の伝播が観察された。細胞内カルシウム上昇を示す領域は細胞外液の流れに影響され、流れに沿って大きく偏り、また、この時に流れに逆らって細胞内カルシウム上昇が拡散することも同時に観察されることから、液性因子により伝わるものと、ギャップジャンクションを経て伝わるものが存在することが示された。この伝播はATP水解酵素apyraseやプリン受容体阻害薬suraminが細胞外液に存在する場合には、細胞内カルシウム上昇の伝播が大きく抑制されるという特徴も持っていることから、液性因子はATPであることが示された。

 以上、本論文は、男性生殖器において、イノシトール3リン酸受容体の局在、チャネル構成を明らかにすると共に、初代培養セルトリ細胞での細胞内Ca oscillations、細胞間カルシウム上昇の伝播の存在、機構を明らかにした。本研究は、これまで解析されることのなかった、男性生殖器での細胞内カルシウム情報伝達機構に関する解析に多くの貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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