ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV-1)はCD4陽性のTリンパ球に感染し、悪性の成人T細胞白血病(ATL)や脊髄に炎症を生じる脊髄痙性麻痺症(HTLV-1 associated myelopathy/tropical spastic paraparesis:HAM/TSP)を引き起こす。このウイルスの因子Taxはウイルスの遺伝子だけでなく、細胞の増殖因子やその受容体、核内がん遺伝子c-fos,c-junなどの宿主細胞の遺伝子を活性化し、さらには細胞周期の進行を制御するp16INK4aと結合してその機能を阻害して細胞の異常増殖を引き起こす。しかしながら、その白血病の発病機構は明らかになっていない。HTLV-1のトランス作用をもつ制御因子Taxがその白血病の発症に重要な役割を果たすことは示唆されているが、長い潜伏期間があることと、白血病細胞がウイルス遺伝子をほとんど発現していないことから、ATLの発症をTaxのみによって説明し得るか否かについては疑問が残されている。ATLでは高頻度に染色体異常が観察されるものの、共通した染色体異常は見い出されないことから、ゲノムDNAの異常を構造的に解析することによって、ATLに共通した遺伝子の異常を解析することは困難であると予想される。本研究ではATLの発症に関与すると思われる遺伝子の検索を目的に、ATLもしくはHTLV-1感染状態における遺伝子発現の抑制に着目し、ATL患者白血病細胞、もしくはHTLV-1感染細胞株において発現の抑制される遺伝子の分離、追及を行った。 正常人末梢血CD4陽性T細胞からpME18VPプラスミドベクターを用いてOkayama-Berg法によりcDNAライブラリーを作製し、1kb以上のインサートを持つサブライブラリーを作成した。mRNAのコピー数の多いハウスキーパーに属するcDNAを減らす目的で、このライブラリーより休止期のCD4陽性T細胞に優先的に発現するもの選択した。即ち、ヒトB細胞株のcDNAプローブとハイブリダイズしないクローンのスクリーニングを行って1.4X104クローンを分離し、RTC(resting T-cell clones)ライブラリーとした。このRTCライブラリーから、ATL患者の末梢血白血病細胞において発現が抑制されているクローンのスクリーニングを行った結果、13クローンを分離した。 ATL白血病細胞において発現が抑制されていた13クローンについて、さらにATL白血病細胞より調製したcDNAプローブを用いたプラスミドDNAのSouthern blot解析によるスクリーニングを行って、#96、#99、#101、#117の4クローンを分離した。塩基配列の解析からクローン#96は白血病表面抗原CD7、クローン#99は細胞周期制御因子サイクリンD2、クローン#101は活性酸素除去酵素Mn依存性スーパーオキシドジスムターゼ(Mn-SOD)、クローン#117は細胞骨格タンパク質ビメンチンと同定された。これら4クローンについて、ATL患者の末梢血細胞の遺伝子発見をNorthern blot法を用いて確認した結果、クローン#96の表面抗原CD7は4症例中2例で、またクローン#99のサイクリンD2も4症例中2例でATL患者細胞で発現が抑制されていた。クローン#117のビメンチンについては4症例中1例のみで発現が抑制されているだけであった。しかしながら、クローン#101の活性酸素除去酵素Mn-SODはATL患者4症例のすべてにおいて遺伝子の発現が抑制されていた。これらの遺伝子発現の抑制の機構やその意義については今後の課題であるが、少なくともMn-SODの発現低下による細胞内の過酸化ストレスの蓄積によって異常な活性化が起きているが予想される。 一方で、ATL患者細胞でのスクリーニングとは別に、HTLV-1感染状態において抑制される遺伝子もATL発症の初期には重要であることから、HTLV-1感染細胞株MT-2において発現が抑制されるクローンのスクリーニングを行った。そのなかで発現が最も顕著に抑制されていたものに、クローン#9、RTC9を見い出した。RTC9の発現はHTLV-1に感染していない多く細胞株や組織では発現が認められるが、HTLV-1感染細胞株においてはその発現は著しく抑制されていることを見い出した。このことはHTLV-1感染とRTC9のmRNA発現抑制との間に強い相関性があることを示している。このRTC9のcDNAの塩基配列を決定し、データベースと照合した結果、既知のbrain-expressed HHCPA78 homologと同一で、構造こそ報告があるものの、その機能や生理的意義については全く報告されていない。そこでHTLV-1感染とRTC9のmRNA発現抑制の関係に着目し、さらに研究を進めた。 RTC9は休止期のT細胞で発現し、HTLV-1感染細胞ではその発現は著しく抑制されることから、実際のヒト末梢血CD4+T細胞において、休止期と活性化状態での発現を解析した結果、休止期では極めて高い発現を示すが、活性化された細胞ではその発現が顕著に抑制された。さらにNIH3T3細胞を血清飢餓状態にしてG0/G1期に同調した細胞ではRTC9の発現は高い発現を示すが、血清刺激後、S期にある細胞ではその発現が著しく抑制された。このことから、RTC9は休止状態の細胞で機能することが予想された。 そこでRTC9の細胞増殖に対する効果を、ネオマイシン耐性遺伝子とともにRTC9のcDNAをNIH3T3細胞にトランスフエクションしてネオマイシン耐性コロニーの数を計測することによって検討した結果、RTC9を含まないコントロールを100%としたときRTC9を含む場合はコントロールの20%にまで減少し、RTC9が細胞増殖に対して抑制的な効果を持つことが示唆された。さらにRTC9を発現する組み換えレトロウイルスをNIH3T3細胞に感染させて、細胞周期の解析を行ったところ、RTC9が細胞周期をG1期に誘導することが示された。このことからRTC9は細胞増殖をG1期に停止させ、細胞増殖を抑制すると結論される。 RTC9は、HTLV-1感染細胞株においてmRNAの発現が抑制されていたが、この発現抑制がゲノムDNAの構造異常による不活性化である可能性が考えられたが、ゲノムDNAのSouthern blot解析ではRTC9のゲノムDNAには大きな構造異常は観察されなかった。ところで、HTLV-1のトランス作用因子Taxが細胞遺伝子の発現を活性化し、あるいは抑制することが知られている。そこでRTC9の発現抑制がTaxの作用によるものかどうかを知る目的で、ヒト骨肉腫由来の細胞株HOSにHTLV-1のトランス作用因子Tax、もしくはRexをそれぞれ持続的に発現する細胞株についてRTC9の遺伝子発現をNorthern blot法によって解析した結果、Taxの持続発現細胞株にのみRTC9の発現が抑制されていた。一方、Rexあるいはコントロールのネオマイシン耐性遺伝子のみの持続発現細胞株ではRTC9の発現の低下は観察されなかった。このことから、HTLV-1遺伝子産物TaxによってRTC9の発現が抑制されることが示された。 さらに、この効果はトランジェントな発現系でも確認された。即ち、Taxを発現する組み換えアデノウイルスを細胞に感染させ、一過性にTaxを発現させてRTC9のmRNAの発現を解析した結果、Taxを発現した細胞ではRTC9の発現が20%にまで低下した。一方、LacZを発現する組み換えウイルスを感染させた細胞やウイルスを感染させなかった細胞ではRTC9の発現の低下は観察されなかった。このことから、HTLV-1遺伝子産物TaxによるRTC9の遺伝子発現が転写レベルで抑制されることが示唆された。 以上のことから、HTLV-1の因子Taxによる細胞増殖抑制因子RTC9の遺伝子発現の抑制を介して細胞の増殖抑制が解除され、Taxの他の機能と相まって、ATL発症の初期段階に寄与することが考えられる。 |