学位論文要旨



No 112783
著者(漢字) 森田,貴雄
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,タカオ
標題(和) ゼブラフィッシュの前脳特異的ホメオ蛋白の構造と発現
標題(洋)
報告番号 112783
報告番号 甲12783
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1153号
研究科 医学系研究科
専攻 第二基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 助教授 竹島,浩
 東京大学 講師 原田,彰宏
 東京大学 講師 小山,文隆
内容要旨 序論

 脊椎動物の中で、最も基本的な脳の構造を持つと考えられるゼブラフィッシュを材料とし、脳の形成に重要な役割を果たす分子の解析を試みた。ゼブラフィッシュは体長3-4cmの小型熱帯魚である。その初期発生は速く、約2日間で孵化する。中枢神経系の初期発生も速く、受精後24時間で終脳、間脳、中脳、小脳、菱脳といった脳の基本構造ができあがる。少なくとも受精後24時間までは胚が透明で、中枢神経系の発生過程を外部から実体顕微鏡を使って観察することができる。このような特徴により、ゼブラフィッシュは特に神経系の形成機構を研究するのに適している。

 脳の形成に重要な役割を果たす分子を系統的に単離する一つの方法として、ゼブラフィッシュ受精卵にcDNAから転写したアンチセンスRNAを注入し、脳の発生異常を引き起こす分子を同定するという、新しいクローニング法(in vivo発現クローニング)の開発を試みた。まず、アンチセンスRNAによりゼブラフィッシュの脳神経系の初期発生が特異的影響を受けるかを確かめるために、脳の形成に影響を与えると思われるホメオボックス遺伝子をモデルとして、脳の形成への特異的影響を調べることにした。

 脳の形成に重要な役割を果たす分子の候補として、前脳に特異的に発現するホメオボックス遺伝子のEmxに注目した。ショウジョウバエの頭部欠損の原因遺伝子としてempty spiracles(ems)とorthodenticle(otd)が単離された。また、対応する哺乳類の遺伝子として、最近Emx1、Emx2、Otx1、Otx2が報告された。

 本研究はゼブラフィッシュemxのcDNAクローニングを行い、その構造や発現パターンを解析した。そして、その発現パターンをもとに、Macdonaldらの唱える前脳の放射状の境界と比較した。さらに、脳の形成に関して提唱されているcolumnarモデルおよびprosomericモデルとの比較を行った。

 また、in vivo発現クローニングのモデル実験として、ゼブラフィッシュemx1 mRNAに対するアンチセンスRNAを合成し、これをゼブラフィッシュ受精卵に注入してその発生に対する影響を観察した。

結果

 ゼブラフィッシュ12時間および24時間胚から作成されたcDNAライブラリーに対して、マウスEmxのホメオボックス内部に保存されているアミノ酸配列から推測されるオリゴヌクレオチドを合成し、これをプライマーとしてPCRを行い、3種類のEmx様PCRフラグメントを単離して、これらをemx1、emx2、emx3と名付けた。

 これらのフラグメントをプローブとしてゼブラフィッシュ12時間および24時間胚cDNAライブラリーをスクリーニングし、ゼブラフィッシュemx1、emx2ホメオ蛋白の全アミノ酸配列をコードするcDNAを単離した。これらのcDNAの核酸配列を決定し、そこから推定されるアミノ酸配列を解析した。

 ゼブラフィッシュemx1、emx2ホメオ蛋白はそれぞれ233、247個のアミノ酸から構成されている。互いのアミノ酸配列の相同性は58%であった。また、部分アミノ酸配列のみ報告されているヒトEMX1、EMX2ホメオ蛋白のアミノ酸配列と比較したところ、アミノ酸の相同性はゼブラフィッシュemx1ホメオ蛋白とはそれぞれ72%、71%であり、ゼブラフィッシュemx2ホメオ蛋白とはそれぞれ68%、97%であった。

 これら2種類のゼブラフィッシュemx mRNAの胚発生に伴う経時的発現パターンをノーザンブロットハイブリダイゼーションで解析した。ゼブラフィッシュemx1、emx2 mRNAは共に、まだ脳が管状で領域化が起こっていない受精後12時間から発現が見られ、終脳、間脳、中脳、小脳、菱脳といった脳の基本的な構造ができる受精後24時間でシグナルが最も強く観察された。

 また、これらゼブラフィッシュemx mRNAの空間的発現パターンをwhole mount in situハイブリダイゼーションで解析した。ゼブラフィッシュemx1 mRNAは、受精後12時間で神経管の背側部に発現し、24時間では終脳背側部に局在する。一方ゼブラフィッシュemx2 mRNAは、受精後12時間では、神経管の前後軸に対して垂直に横断するような発現パターンを示した。24時間では、終脳背側部の一部、間脳の一部に発現が見られ、特に視床下部で強く発現が見られた。また、耳胞にも発現が観察された。

 次に、ゼブラフィッシュemx1のアンチセンスRNAをゼブラフィッシュ受精卵に注入し、脳の初期発生への影響を観察した。コントロールとして、センスRNAを受精卵に注入し、同様に発生を観察した。

 emx1アンチセンスRNAに特異的な脳の発生異常は観察されなかった。また、emx1センスRNAを注入したものでも、特異的な影響は観察されなかった。さらには、注入量が多量だと死亡率が大きくなり、体の変形などの異常形態もかなり多く見られた。反対に、注入量が少量だと、死亡数および異常な形態の胚も少なくなった。この現象は、センスRNAの注入でも同様であった。

まとめと考察

 本研究において、脊椎動物のemxホメオ蛋白の全アミノ酸配列をコードするcDNAが初めてクローニングされた。また、ゼブラフィッシュゲノムDNA中にはemx様配列を含む遺伝子が3種類存在することが示唆された。

 ゼブラフィッシュemx1およびemx2 mRNAの終脳における発現パターンを解析し、ゼブラフィッシュの終脳においても、領域化がなされていることが示唆された。また、ゼブラフィッシュの脳の吻部背側領域にはMacdonaldらが提唱している放射状の境界と直行する新たな境界があることが示唆された。

 脊椎動物の脳形成に関して、columnarモデルとprosomericモデルに代表される2つの考え方が提唱されている。columnarモデルでは、脳が発生していくときに、神経管の前方に向かって中脳、間脳、終脳の順に領域が規定されるというものである。一方prosomericモデルでは、神経管の前後軸に対して平行な境界により、中脳領域の前方の背側に終脳、腹側に間脳の領域が規定される。さらにこのモデルでは、前脳は、終脳と間脳の両方を含み、神経管の前後軸に垂直な境界により構成されるいくつかのprosomereよりなっていると考えられている。ゼブラフィッシュemx mRNAは終脳の一部と間脳の一部に前後軸に垂直な一つの領域を形成して発現していることから、その発現領域はprosomericモデルが想定するprosomereに対応している可能性が示唆された。

 ゼブラフィッシュemx1 mRNAに対するアンチセンスRNAをゼブラフィッシュ受精卵に注入してその後の発生を観察したところ、アンチセンス特異的な形態異常は認められなかった。また、多量に注入すると死亡、変異の割合が急激に増加し、反対に少量では変化があまり見られなかった。また、コントロールとしてのセンスRNAの注入でも同様の結果を示した。この結果から、アンチセンスRNAの有効濃度は非常に限られている可能性があり、in vivo発現クローニングの開発はとりあえず中止することにした。現在は、作成された変異体からその変異原因遺伝子を単離する方法を開発中である。

審査要旨

 本研究は、脊椎動物の脳の形成に関与する分子の系統的単離を目的として、ゼブラフィッシュを用いて、前脳特異的に発現するemxホメオ蛋白をモデルとして新しいクローニング法の開発を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1. 哺乳類Emxホメオ蛋白に保存されているアミノ酸配列をもとに縮重オリゴヌクレオチドを作成し、これをプライマーとしてゼブラフィッシュ脳形成時のcDNAライブラリーから、PCR法により3種類のEmx様配列をもつフラグメントを得、それぞれemx1、emx2、emx3と名付けた。

 2. これら3種類のemx PCRフラグメントをプローブとして、ゼブラフィッシュ脳形成時のcDNAライブラリーをスクリーニングし、emx1、emx2の全アミノ酸配列を含むcDNAクローンを単離した。

 3. ゼブラフィッシュemx1、emx2 mRNAの胚発生に伴う経時的発現パターンをノーザンブロットハイブリダイゼーションで解析したところ、これら2種のemx mRNAはともに、まだ脳が管状で領域化が起こっていない受精後12時間から発現が見られ、終脳、間脳、中脳、小脳、菱脳といった脳の基本的な構造ができる受精後24時間でシグナルが最も強く観察された。

 4. ゼブラフィッシュemx mRNAの空間的発現パターンを解析するために、whole mount in situハイブリダイゼーションを行った。ゼブラフィッシュemx1 mRNAは受精後12時間で神経管の背側部に発現し、24時間では終脳背側部に局在することが観察された。一方、ゼブラフィッシュemx2 mRNAは、受精後12時間では、神経管の前後軸に対して垂直に横断するような発現パターンを示した。24時間では、終脳背側部の一部、間脳の一部に発現が見られ、特に視床下部で強く発現が見られた。また、耳胞にも発現が観察された。

 5. 脊椎動物の脳形成に関して、columnarモデルとprosomericモデルに代表される2つの考え方が提唱されている。columnarモデルでは、脳が発生していくときに、神経管の前方に向かって中脳、間脳、終脳の順に領域が規定されていくというものである。一方prosomericモデルでは、神経管の前後軸に対して平行な境界により、中脳領域の前方の背側に終脳、腹側に間脳の領域が規定される。さらにこのモデルでは、前脳は終脳と間脳の両方を含み、神経管の前後軸に垂直な境界により構成されるいくつかのprosomereよりなっていると考えられている。ゼブラフィッシュemx mRNAは終脳の一部と間脳の一部に、前後軸に垂直な一つの領域を形成して発現していることから、その発現領域はProsomericモデルが想定するprosomereに対応している可能性が示唆された。

 6. アンチセンスRNAを用いた新しいクローニング法のモデルとして、emx1に対するアンチセンスRNAをゼブラフィッシュ受精卵に注入し、その発生に対する影響を観察したが、アンチセンス特異的な影響は見られなかった。また、RNAを多量に注入すると死亡や非特異的な形態異常が多く見られ、一方、少量の注入では影響があまり見られなかった。このことから、アンチセンスRNAの有効濃度は非常に狭い可能性が考えられた。

 以上、2種のゼブラフィッシュemx cDNAをクローニングし、そのmRNAの発現パターンを解析した結果、その発現領域は、脳形成のモデルの一つであるprosomericモデルが想定するprosomereに対応している可能性が示唆された。本研究は脊椎動物の脳形成の分子メカニズムの解明に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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