学位論文要旨



No 112784
著者(漢字) 山,如嬌
著者(英字)
著者(カナ) サン,ルジョ
標題(和) 1.血清成分中からの癌原遺伝子産物c-ErbB-2蛋白質に対するリガンド活性の検出2.新規蛋白質Grpのクローニングと細胞増殖制御能の解析
標題(洋) 1.Detection of the ligand activity of the c-ErbB-2 protein in calf serum2.Molecular cloning and characterization of the cDNA for a novel protein Grp which up-regulates cell proliferation
報告番号 112784
報告番号 甲12784
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1154号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 教授 石川,隆俊
 東京大学 教授 中畑,龍俊
 東京大学 教授 新井,賢一
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
内容要旨

 高等動物の細胞が発生、分化、分裂、増殖を正しく進めるためには、増殖因子、分化因子及びホルモンの作用が必要である。このような細胞外情報は細胞に作用して分裂、増殖、分化、癌化等の多様な生理的或いは病理的な効果をもたらすことが示されている。最近の研究により、細胞分裂、増殖及び癌化に関するシグナル伝達の多くの場合、チロシンキナーゼが重要な役割を果たしていることが明らかにされている。

 細胞外のシグナルを受容したチロシンキナーゼ受容体分子は二量体化して活性化され基質或いは自己をチロシンリン酸化する。更に下流の基質蛋白質をリン酸化してシグナルを細胞内に伝えていく作用についての研究が現在の分子生物学、基礎医学において最も重要な課題である。何故なら、細胞内の情報伝達系の異常が癌化や免疫異常など難治性疾患の発症と深く関わっていることが明確になってきたからである。

 現在のところまで見出された癌遺伝子の中でチロシンキナーゼ活性を有する蛋白質をコードしているものは多くある。チロシンキナーゼは細胞の増殖や分化の情報を伝達する分子であるが、その異常な発現が癌化に繋がるのであると理解されてきた。チロシンキナーゼはその構造から受容体型と非受容体型に分類される。c-ErbB-2蛋白質は受容体型チロシンキナーゼのひとつであり、EGFレセプターファミリーに属している。

 c-erbB-2遺伝子は分子量約185KDaのチロシンキナーゼ活性を持つレセプター蛋白質をコードしている。この蛋白質は細胞外側に露出しているリガンドと結合するドメイン、それに続く疎水性のアミノ酸の並んだ細胞膜通過ドメイン、チロシンキナーゼ活性を持つドメイン、カルボキシ末端のドメインからなっている。

 c-erbB-2遺伝子は構造上癌遺伝子v-erbBと相同性のある遺伝子であり、その産物が成長因子の受容体と考えられている。ヒトの乳癌、胃癌、腎臓癌、卵巣癌などでc-erbB-2遺伝子の増幅や過剰発現が見出された。又この遺伝子はヒトの癌の発症やその進展と予後の関連においても、もっとも解析が進んでいる遺伝子の一つである。このような状況下においてc-ErbB-2を介する情報伝達系を解明することは極めて重大な意義があると思われる。私はc-ErbB-2を介する情報伝達に関連する研究をした。

1.血清成分中からの癌原遺伝子産物c-ErbB-2蛋白質に対するリガンド活性の検出

 本研究は血清成分中からのc-ErbB-2蛋白質に対するリガンド活性を検出するために活性型と野性型c-ErbB-2蛋白質を発現するNIH3T3細胞を低血清濃度を含む培地で培養する実験系を用いてc-ErbB-2蛋白質に対するリガンド活性の検出を試みたものである。

 まず三種類の細胞株(RC細胞、A4細胞、NIH3T3細胞株)を用いた。RC細胞はwildc-erbB-2遺伝子をNIH3T3マウス繊維芽細胞にトランスフェクトした細胞である。A4細胞は膜貫通ドメインにおいてpoint mutation(Val-Glu 659)を持つc-erbB-2遺伝子をNIH3T3細胞にトランスフェクトした細胞である。NIH3T3細胞は正常なマウス繊維芽細胞である。これらの三種類の細胞を用いてそれぞれ低い小牛血清濃度(0.25%、0.5%、1.0%)を含んでいる培地で培養して、細胞の生長、増殖と形態を調べた。

 膜貫通ドメインにおいてpoint mutation(Val-Glu 659)を持つ活性型c-erbB-2遺伝子をNIH3T3マウス繊維芽細胞にトランスフェクトして得られたA4細胞は0.25%の低血清条件下でもトランスフォームした形態をしていた。又A4細胞はこの条件下にも野生型NIH3T3細胞に比べ高い増殖能を示した。A4細胞にあるmutant c-ErbB-2蛋白質の活性をin vitroリン酸化実験で調べたところ、mutant c-ErbB-2蛋白質のチロシンキナーぜ活性は血清濃度に依存せず、常に活性化されていることが示された。

 野生型c-erbB-2遺伝子をNIH3T3マウス繊維芽細胞にトランスフェクトしたRC細胞はランスフォームした形態を示さなかった。しかしながらRC細胞の増殖は正常のNIH3T3マウス繊維芽細胞より速くしかも血清濃度と正の相関性を示していた。RC細胞が発現する野性型c-ErbB-2蛋白質のチロシンキナーぜ活性をin vitroリン酸化実験で調べた結果、その活性は血清濃度に依存していることが示された。これはRC細胞の増殖能が血清濃度に依存していることと一致している。野性型c-ErbB-2蛋白質による細胞増殖促進活性はそのc-ErbB-2キナーゼ活性と相関していることが分かった。

 A4細胞が発現する活性型c-ErbB-2蛋白質とRC細胞が発現する野生型c-ErbB-2蛋白質の発現量と血清濃度の関係を調べたところ、両細胞株においてc-ErbB-2蛋白質の発現量は血清濃度の変化により有意な差が認められなかった。

 以上の実験から子牛血清成分中にc-ErbB-2蛋白質に対するリガンド活性を示す分子が存在していることが示唆された。

2.新規蛋白質Grpのクローニングと細胞増殖制御能の解析

 c-ErbB-2蛋白質の細胞内情報伝達系を明らかにするために細胞内基質及びその関連分子を同定する必要がある。TobはWEST-WESTERN法で同定されたc-ErbB-2蛋白質と結合する分子の一つである。

 ノーザンブロットで解析したところ、ヒト正常組織のtob mRNAは2.4kbにのみバンドが見られ、多量に発現していたのに対し、癌組織のtob mRNAは発現しないことが多く、発現したとしても発現レベルは低かった。又2.4kbの他に約3kbのバンドも認められる例があった。

 この3kbのバンドはtobとホモロジーがあるか何らかの異常を持つtob mRNAに相当すると推測されたため、RT-PCRと5’RACE法により、遺伝子クローニング解析を進めた。

 まずこの3kbmRNAを持つヒト悪性T、B細胞リンパ腫の細胞からmRNAを抽出して、tob cDNA5’ENDのPRIMERを用いてRT-PCRと5’RACEPCRを行った。

 その結果、tobプローブと結合する約500bpのPCR断片を見い出した。シーケンスの分析によりtob cDNA 5’END上流にほかの遺伝子が存在していることが分かったため、この5’RACE PCR実験から得た500bp断片をprobeとしてヒトT細胞リンパ腫cDNAライブラリーをスクリーニングした。

 三回のスクリーニングを経て陽性クローン4個を得た。そのうちの一つのcDNAクローンは長いオープンリーデイングフレームを有しておりこのオープンリーデイングフレームに相当する遺伝子をgrpと命名した。シーケンス解析により、このgrp cDNAは2545bpであり、tobとホモロジーはないことが分かった。grp mRNAの癌細胞での発現をノーザンブロット実験で調べた結果、grp mRNAは血液癌のほかに腺癌、上皮癌にも発現していることが分かったので、Grp蛋白質の機能解析を試みた。grp cDNAを用いてウサギのポリクローナル抗体を作製した。又、Grp蛋白質を安定に発現する細胞株(NG)を樹立した。これらを用いて、grp遺伝子産物の分子、細胞及びヒト組織レベルの発現を調べた。その結果、grp遺伝子産物はウェスタンブロット実験により分子量85.000であることが示された。NG細胞株を用いて、細胞増殖を調べた結果、Grp蛋白質は細胞の増殖を促進していることが示唆された。Grp蛋白質の細胞増殖促進機能を明かにするために、Grpの発現の細胞周期依存性を調べた。Grp蛋白質は細胞周期のG1期に高く発現しており、細胞増殖のG1制御に関わる可能性が考えられた。又、grp遺伝子はRHMAPPING法により染色体一番DIS305と442の間に位置することが示された。

 以上の実験からgrp遺伝子産物は細胞増殖促進に関わる新しい蛋白質であることが示唆される。

審査要旨 1.血清成分中からの癌原遺伝子産物c-ErbB-2蛋白質に対するリガンド活性の検出

 c-erbB-2遺伝子は構造上癌遺伝子v-erbBと相同性のある遺伝子であり、その産物が受容体型チロシンキナーゼである。ヒトの乳癌、胃癌、腎臓癌、卵巣癌などでc-erbB-2遺伝子の増幅や過剰発現が見出された。又この遺伝子はヒトの癌の発症やその進展と予後の関連においても、もっとも解析が進んでいる遺伝子の一つである。このような状況下においてc-ErbB-2のリガンドについての研究は極めて重大な意義があると思われる。

 本研究は血清成分中からのc-ErbB-2蛋白質に対するリガンド活性の検出をするために活性型と野性型c-ErbB-2蛋白質を発現するNIH3T3細胞を低血清濃度を含む培地で培養する実験系を用いてc-ErbB-2蛋白質に対するリガンド活性の検出を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1)膜貫通ドメインにおいてpoint mutation(Val-Glu659)を持つ活性型c-erbB-2遺伝子をNIH3T3マウス繊維芽細胞にトランスフェクトして得られたA4細胞は0.25%の低血清条件下でもトランスフォームした形態をしていた。又A4細胞はこの条件下にも野性型NIH3T3細胞に比べ高い増殖能を示した。A4細胞にあるmutant c-ErbB-2蛋白質の活性をin vitroリン酸化実験で調べたところ、mutant c-ErbB-2蛋白質のチロシンキナーぜ活性は血清濃度に依存せず、常に活性化されていることが示された。

 2)野生型c-erbB-2遺伝子をNIH3T3マウス繊維芽細胞にトランスフェクトしたRC細胞はランスフォームした形態を示さなかった。しかしながらRC細胞の増殖は野性型NIH3T3マウス繊維芽細胞より速くしかも血清濃度と正の相関性を示していた。RC細胞が発現する野性型c-ErbB-2蛋白質のチロシンキナーぜ活性をin vitroリン酸化実験で調べた結果、その活性は血清濃度に依存していることが示された。これはRC細胞の増殖能が血清濃度に依存していることと一致している。野性型c-ErbB-2蛋白質による細胞増殖促進活性はそのc-ErbB-2キナーゼ活性と相関していることが分かった。

 3)A4細胞が発現する活性型c-ErbB-2蛋白質とRC細胞が発現する野生型c-ErbB-2蛋白質の発現量と血清濃度の関係を調べたところ、両細胞株においてc-ErbB-2蛋白質の発現量は血清濃度の変化により有意な差が認められなかった。

 以上の実験から、血清成分中にc-ErbB-2蛋白質に対するリガンド活性を示す分子が存在していることが示唆された。

2.新規蛋白質Grpのクローニングと細胞増殖制御能の解析

 TobはWEST-WESTERN法で同定されたc-ErbB-2蛋白質と結合する分子の一つである。ノーザンブロットで解析したところ、ヒト正常組織のtob mRNAは2.4kbにのみバンドが見られ、多量に発現していたのに対し、癌組織のtob mRNAは発現しないことが多く、発現したとしても発現レベルは低かった。又2.4kbの他に約3kbのバンドも認められる例があった。

 この3kbのバンドはtobとホモロジーがあるか何らかの異常を持つtob mRNAに相当すると推測されたため、RT-PCRと5’RACE法により、遺伝子クローニング解析を試み、下記の結果を得ている。

 1)三回のスクリーニングを経て陽性クローン4個を得た。そのうちの一つのcDNAクローンは長いオープンリーデイングフレームを有しておりこのオープンリーデイングフレームに相当する遺伝子をgrpと命名した。シーケンス解析により、このgrp cDNAは2545bpであり、tobとホモロジーはないことが分かった。

 2)grp mRNAの癌細胞での発現をノーザンブロット実験で調べた結果、grp mRNAは血液癌のほかに腺癌、上皮癌にも発現していることが分かったので、grp遺伝子産物の分子生物学的ならびに細胞生物学的解析を進めた。

 3)grp遺伝子産物はウェスタンブロット実験により分子量85.000であることが示された。NG細胞株の細胞増殖能を調べ、Grp蛋白質が細胞増殖を促進していることを示唆する結果を得た。

 4)Grp蛋白質の細胞増殖促進機能を明かにするために、Grpの発現の細胞周期依存性を調べた。Grp蛋白質は細胞周期のG1期に高く発現しており、細胞増殖のGl制御に関わる可能性が考えられた。

 5)grp遺伝子はRH MAPPING法により染色体一番DIS305と442の間に位置することが示された。

 これらの実験からgrp遺伝子産物は細胞増殖促進に関わる新しい蛋白質であることが示唆される。

 以上一番目の研究は受容体型チロシンキナーゼの一つであるErbB-2のリガンドについて生物学的、生化学的角度から分析しており適切な結論を示している。この研究は癌治療に深く関わるため、重要な意味を持っている。

 二番目の研究で新しく見い出したGrpの解析を行い、Grpが細胞周期制御に関わる可能性を示唆している。Grpは細胞周期と細胞増殖及び細胞癌化のメカニズムの解明に意味のある新しい分子であり、興味深い。

 この二つの研究は分子レベルで細胞増殖と癌化のメカニズムを解明することに価値のある研究結果を得ており、学位の授与に値すると認める。

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