成人T細胞性白血病(ATL)はヒトレトロウイルスであるHTLV-1の感染で発症する。本疾患は日本、特に九州、沖縄地方に多く、国内の100万人以上ともいわれるHTLV-1感染者のうち、毎年約1000人が白血病化している。また、各種の化学療法に抵抗性のため、その予後は極めて不良であり、その病態解明と治療法の確立は急務といえる。ウイルス遺伝子産物の機能に関する分子生物学的解析の結果、Taxが、細胞因子を介して感染細胞の増殖や形質転換に関与していることが報告されている。すなわち、Taxは様々な転写因子と相互作用し自身のプロモーターを活性化する他、宿主細胞の遺伝子の発現を活性化する。さらに、細胞周期にも影響を与えることなどが明らかにされている。TaxはRasとのcotransfectionすることによってラット繊維芽細胞を形質転換させること、単独でも細胞を不死化し得ることなどから、がん遺伝子の1種であると考えられている。しかし、新鮮ATL細胞ではTaxを含めウイルス遺伝子の発現が検出されないこと、約60%のATL患者でHTLV-1ウイルスゲノムの5’領域に欠失が認められることなどから、発症の後期過程にはウイルス側の因子に依存しない宿主細胞側の分子機構が関与していることが推測される。またHTLV-1プロウイルスの染色体組み込み部位が患者ごとに異なることが確認されていることから、プロウイルスの挿入による、特定の細胞性がん遺伝子の活性化あるいはがん抑制遺伝子の不活性化の機構は関与していないと考えられる。さらに、ATL細胞では多彩な染色体異常が認められるが、これまでのところ、特異的な染色体の異常は明らかになっていない。以上のようにウイルス側及び宿主細胞側からのこれまでの知見では、ATL発症機構の全体像を理解できないと考えられる。一方、感染から発症には約50年を要すること、疫学調査の結果からATLの発症機構には5つのleukemogenic eventsが関与すると報告されていることから、ATLの発症は多段階発がんモデルに適合すると考えられる。従って、ATL発症機構の解明には、腫瘍化の過程で生じ腫瘍細胞に蓄積された遺伝子異常を手掛かりに多段階発がんに関与するがん遺伝子あるいはがん抑制遺伝子を明らかにすることが必要である。このためには、始めにATL細胞に蓄積された遺伝子異常の全体像を明らかにすることが、腫瘍化に関与する遺伝子異常の実体を明らかにする上で有効である。ATLでは、発症過程の初期段階にTaxによる宿主細胞の遺伝子の活性化が起きることから、まず発現量の変化する遺伝子に焦点を絞り、蛍光differential display法を用いて正常活性化T細胞と比較し、ATL細胞で発現の亢進または欠損しているcDNA断片のパネルを作製しこれらの遺伝子群の発現様式を解析することを試みた。 その結果、ATL細胞で発現量が変化している18種類のcDNA断片が得られた。このうちATL細胞で発現量が上昇していたのが14種類、発現量が低下していたのが4種類であった。ホモロジー検索の結果、10種類の断片がデータベースに登録されている遺伝子と相同性があり、このうち6種類は機能が明らかになっているものであった。機能が明らかになっている6つの遺伝子はそれぞれmitochondrial DNA、Proteoglycan-M/vercican、Osteopontin、Ferritin heavy chain、L-セレクチン、CD4であった。L-セレクチンはATL細胞における構成的な過剰発現が既に報告されている。また、CD4陽性リンパ球はPHA刺激では増殖が誘導されないため、CD4を表面抗原にもつATL細胞と比較した際に、異なった発現量を示すことは妥当であると推測される。それ以外の遺伝子については、これまでATL細胞で発現量が変化していることが報告されておらず、腫瘍との関わりは不明である。ただし、Osteopontinは細胞外マトリクスを形成する糖タンパク質で、特に骨吸収に関係しているため、ATLに伴っておきる高カルシウム血症への関与が推測される。さらに、固形腫瘍の転移にosteopontinが関与していることが示唆されている。従って、ATL細胞の臓器浸潤にも関与している可能性があると推測される。また、proteoglycanは細胞外マトリクスを構成する物質の一つであるが、固形腫瘍において転移との関係が報告されており、ATL細胞の臓器浸潤との関係は重要な検討課題である。 単離されたcDNA断片のうち6種類が未知の遺伝子断片であった。このうちATL細胞で高発現していたcDNA断片の一つについて全長のcDNAを単離し、その塩基配列を決定した。この遺伝子は1952bpの長さで303アミノ酸残基をコードするORFを持っており、ATL細胞を始めとし、T-ALL細胞やT細胞由来の細胞株で強く発現していた。これに対し、B細胞系の細胞株やB-ALL細胞および骨髄球系細胞株での発現は低いレベルであった。これらの結果はこの遺伝子が不死化あるいは形質転換したT細胞で強く発現することを示唆している。さらに、ATL患者検体での発現を調べた結果、この遺伝子はいずれのATL患者でも強く発現していたが特に急性型ATLやリンパ型ATLで特に強い発現がみられる一方、慢性型ATLではやや弱い発現を示しており、病態との関連性が示唆された。ゲノムササンブロットハイブリダイゼーションで解析した結果、ATL細胞で遺伝子構造に変化はなく発現量の変化には転座や欠失、変異などの構造異常は関与していないと推測された。また、正常組織ではいずれの組織でも非常に弱い発現が認められたが、組織特異性は無かった。予測されたアミノ酸配列に対するデータベース検索の結果、C.elegansのT06D8.9タンパク質に対して全体で30%以上の相同性が認められた。 FDDによる解析により、ATL細胞で発現量の変化している複数の遺伝子を単離した。この様に発現レベルの変化している遺伝子を更に集めることにより、ATL発症機構を理解するための手がかりとすることが出来ると考えられる。 |