学位論文要旨



No 112799
著者(漢字) 西住,裕文
著者(英字)
著者(カナ) ニシズミ,ヒロフミ
標題(和) 免疫系における非受容体型チロシンキナーゼLynの機能解析
標題(洋)
報告番号 112799
報告番号 甲12799
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1169号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 教授 高津,聖志
 東京大学 教授 横田,崇
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 助教授 丸,義朗
内容要旨

 リンパ球は、外来の異物に対する防御反応において重要な役割を果している。異物を抗原として認識し、抗原受容体からシグナルが伝えられると、個々のリンパ球は活性化、増殖、分化、不応化、あるいはアポトーシスなど状況に応じて異なる反応を示す。その結果、免疫系の形成(初期分化、陽性選択など)、抗体産生・細胞障害などの免疫反応とその抑制、あるいは自己反応性細胞の除去(陰性選択)が起こる。これまでに、主としてin vitroの培養細胞系を用いた研究から、抗原受容体を介したシグナルに伴うリンパ球の反応は、細胞の分化成熟度あるいは細胞周期といったリンパ球自身の状態や、受容体架橋の強さ、周囲の細胞の様々な膜分子や可溶性因子の作用などによって決定されると考えられている。しかし実際に、生体内においてこの決定機構を担っているものが何なのか、またそれがどの様な機序で働くのかについて明確な答えは得られていない。これを解決するためには、抗原受容体から核内の標的遺伝子に至るまでのシグナル伝達系路を明らかにして行く必要がある。そのなかで、抗原受容体刺激後の細胞内シグナル伝達系に非受容体型チロシンキナーゼ、およびその基質などが深く関与していると考えられるようになってきた。

 Srcファミリー非受容体型チロシンキナーゼは、キナーゼ活性を持たない様々な受容体と会合し、細胞内情報伝達において重要な役割を担っていると考えられている。Srcファミリーの一つであるチロシンキナーゼLynは当研究室でクローニングされたもので、主に血球系および神経系において高い発現が確認されている。これまで共沈実験などにより、LynはB細胞抗原受容体(BCR:B-cell antigen receptor)、CD40、LPS(lipopolysaccharide)受容体、高親和性IgE受容体(FcRI)、G-CSF(granurocyte colony-stimulating factor)受容体といった多くの受容体と物理的・機能的に会合していることが報告されている(図1)。Lynキナーゼの生理的な機能を解明する目的で、Lyn欠損マウスの作製を試みた。

図1 B細胞抗原受容体複合体(a)、高親和性IgE受容体(b)を介したシグナル伝達機能的lyn遺伝子の同定とLyn欠損マウスの樹立

 マウスlyn遺伝子の単離を試みたところ、lyn遺伝子が少なくとも2コピー存在することを、両者のイントロンと予想される領域に対するPCR法によって確認した。両コピーは調べた限りエクソン-イントロン構造が互いに同一であり、イントロンと予想される領域を含め、塩基配列上95%以上の相同性を示した。hnRNA(heterogeneous nuclear RNA)に対するRT-PCR法、および各エクソンの塩基配列とlyn遺伝子のcDNA塩基配列との比較により、転写活性を有する機能的lyn遺伝子を同定した。

 機能的lyn遺伝子エクソン4の中途にneo遺伝子を組み込んだターゲティングベクターを構築し、3×107個のES細胞に遺伝子導入した。薬剤耐性を指標に792個のクローンを得、さらにPCR法およびサザンブロッティング法を用いて、相同組み替えによりlyn遺伝子に適切な欠損を持つES細胞を2系統樹立することに成功した。

 定法に従い、ES細胞を胚盤胞に注入し、キメラマウスを18匹得た。その中から生殖細胞にlyn遺伝子欠損を持つ個体を掛け合わせにより選別した。さらに、lyn遺伝子欠損をヘテロに持つマウス間の交配により、lyn遺伝子欠損をホモに持つマウスを作製した。サザンブロッティング法により、対立遺伝子が両者とも正しく相同組み替えにより破壊されていることを、また、RT-PCR法およびウエスタンブロッティング法により、Lyn蛋白質が発現していないことを確認した。Lyn欠損マウスは、正常に誕生・成長・繁殖し、外見上および行動に異常は見出されなかった。

Lyn欠損マウスの解析

 FACS解析等により、リンパ球における異常を調べた。発現の低いT細胞では、その分化や細胞数に異常は見出されなかった。また、骨髄でのB細胞の分化も、種々の細胞表面抗原で染色して調べたが、異常は見出されなかった。しかし、末梢リンパ組織でB細胞数は約半減していた。脾臓より末梢B細胞を調精し、種々の刺激物質(抗IgM抗体、LPS、CD40リガンドなど)に対する増殖反応性を調べた結果、いずれに対しても反応性が低下していた。通常、抗IgM抗体の架橋で生じる一過性の細胞内蛋白質のチロシンリン酸化も、著しく減弱し、種々の基質はチロシンリン酸化されにくくなっていた。この結果から、B細胞は、外来からの刺激を細胞内に充分に伝えられないために増殖しにくくなっており、それ故に細胞数が減少したものと考えられる。

 そこでマウスに抗原を免疫しても、抗原に対する抗体を速やかに産生できないだろうと予想し、免疫実験を行った。ところがLyn欠損マウスは、T細胞依存性4非依存性の抗原に対して速やかに反応し、抗体を産生した。そこで無免疫マウスの血清中の抗体量をELISA法で測定したところ、Lyn欠損マウスの方が野生型のマウスに比べて、抗体量が全体的にやや高く、特にIgMで数十倍、IgAで約5倍であった(図2(a))。末梢血、あるいは骨髄中の白血球の内訳を調べたところ、野生型のマウスでは殆ど見られない抗体産生細胞が、Lyn欠損マウスでは数%観察された。さらにLyn欠損マウスの脾臓は、4ヶ月ほどで肥大化し、脾臓の白脾髄部分でMacl陽性のリンパ芽球様細胞が異常増殖していた。B細胞数が少ない原因は、B細胞が増殖しにくいほか、抗体産生細胞あるいはMacl陽性の異常なリンパ芽球様細胞への分化が速やかに行われることに起因すると考えられる。つまり、外来抗原刺激によってLyn欠損B細胞は増殖出来ないものの、抗体産生細胞へ分化することが出来るのであろう。しかもLyn欠損マウスではB細胞が死ににくくなっており、分化した抗体産生細胞は長らく抗体を作り続けることが出来ると考えられる。

 一方、Lyn欠損マウスにおいて増加している抗体が何に対する抗体なのかを解析した。自己免疫疾患マウスなどで血清中のIgM量が高いことから、Lyn欠損マウスにおいて増加している抗体も自己に対する抗体ではないかと予想し調べた。その結果、抗DNA抗体が確認された(図2(b))。また、Lyn欠損マウスは生後10ヶ月程すると、死に易い傾向が見られた。死因を詳細に解析したところ、尿中に多量の蛋白が検出され、病理学的な解析から、糸球体腎炎の発症を確認した。また中には、激しい貧血のマウスも確認され、抗赤血球抗体を含め多種の自己抗体が産生されていると考えられる。

 このようなLyn欠損マウスから得られた知見は、Lynが抗原刺激に伴うB細胞の増殖に極めて重要であると共に、自己抗原を認識したB細胞の除去にも重要であることを個体レベルで明らかにした。

図2 Lyn欠損マウスにおける抗体産生異常(a)無免疫マウスにおける血中抗体濃度 ●野生型マウス ○Lyn欠損マウス (b)Lyn欠損マウスにおける抗DNA抗体の産生 ●MRL/lprマウス 野生型マウス ○Lyn欠損マウス
骨髄由来マスト細胞(BMMCs:Bone marrow derived mast cells)におけるLynの機能解析

 Lyn欠損マウスおよび野生型マウスの骨髄細胞を、IL-3存在下で3-4週間培養し、BMMCsを得た。マスト細胞への分化やBMMCsの増殖速度・IL-3依存性に関してLyn欠損の影響は見られなかった。

 Fc,RI受容体からの情報伝達において、Lynが機能していることが既に示唆されている。そこで、このBMMCs上のFcRIを抗原抗体反応によって刺激し、誘導される種々の反応におけるLyn欠損の影響を調べた。

 FcRI架橋によって生じる一過性の細胞内蛋白質のチロシンリン酸化や細胞内Ca2+濃度の上昇は、Lyn欠損によって著しく阻害されていた。Cbl、HSl、Vav、Shcといった基質の他、Fak、Btk、Sykといった非受容体型チロシンキナーゼもチロシンリン酸化されにくくなっており、FcRIからのシグナルにおいてはLynが主要で、しかも上流に位置することが確認された。

 ところが、シグナルが阻害されているにもかかわらず、活性化されたマスト細胞が引き起こす脱顆粒、細胞接着、あるいはサイトカイン産生などの生理的な反応は正常であった。またI型アレルギー反応であるアナフィラキシー反応も、Lyn欠損マウスで正常に観察された。そこで詳細な生化学的解析を加えたところ、BMMCsに存在する他のSrcファミリーキナーゼ(c-Srcやc-Yes)が、微弱ながらもLynの機能を代替していることが明らかとなった。

審査要旨

 本研究は、キナーゼ活性を持たない様々な受容体と会合し、細胞内情報伝達において重要な役割を担っていると考えられている、Srcファミリー非受容体型チロシンキナーゼLynの生理的な機能を解明する目的で、Lyn欠損マウスを樹立し、マウス個体および脾臓B細胞や骨髄由来マスト細胞を用いた様々な免疫応答反応について解析を加え、下記の結果を得ている。

 1.マウスlyn遺伝子の単離を行い、lyn遺伝子に対応する領域として塩基配列上極めて相同性の高い二つの領域を見出した。そこでhnRNA(heterogeneous nuclear RNA)に対するRT-PCR法、および各エクソンの塩基配列とlyn遺伝子のcDNA塩基配列との比較により、転写活性を有する機能的lyn遺伝子を同定した。

 2.機能的lyn遺伝子をターゲティングし、Lyn欠損マウスの樹立に成功した。Lyn欠損マウスは、正常に誕生・成長・繁殖し、外見上および行動に異常は見出されなかった。

 3.FACS解析により、Lyn欠損B細胞の分化は正常に起こるが、末梢でその数が半減していることが判明した。Lyn欠損脾臓B細胞では、抗原受容体架橋によるチロシンリン酸化の減弱が観察され、抗IgM・CD40L・LPS等に対する細胞増殖能も著しく低下していた。Lyn欠損B細胞は分化過程においても外来刺激に対する反応性が低く、結果的に末梢で細胞数が減少したと考えられた。

 4.無免疫Lyn欠損マウス血清中の抗体量は、全タイプ、特にIgM、IgAで高くなっており、抗DNA抗体も検出された。さらにLyn欠損マウスは加齢に伴い、脾臓やリンパ節の肥大が観察され、糸球体腎炎といった自己免疫疾患様の症状を呈した。この結果から、Lynキナーゼは、自己抗原反応性B細胞の除去において、重要な情報伝達分子であることが示唆された。

 5.高親和性IgE受容体(FcRI)下流でのLynの機能を探るため、骨髄由来のマスト細胞を用いて種々の解析を行った。その結果、FcRIの刺激後の細胞内蛋白質のチロシンリン酸化が著しく阻害され、Cb1、HS1、Vav、Shcといった基質の他、Fak、Btk、Sykといった非受容体型チロシンキナーゼもチロシンリン酸化されにくくなっており、FcRIからのシグナルにおいてはLynが主要で、しかも上流に位置することが確認された。また、細胞内Ca2+動員に異常が見られた。ところが、シグナルが阻害されているにもかかわらず、活性化されたマスト細胞が引き起こす脱顆粒、細胞接着、あるいはサイトカイン産生などの生理的な反応は正常であった。またI型アレルギー反応であるアナフィラキシー反応も、Lyn欠損マウスで正常に観察された。詳細な生化学的解析の結果、BMMCsに存在する他のSrcファミリーキナーゼ(c-Srcやc-Yes)が、微弱ながらもLynの機能を代替していることを明らかにした。

 以上、本論文は、Lyn欠損マウスを樹立し、その解析からLynが抗原抗体刺激に伴うB細胞やマスト細胞の活性化に極めて重要であると共に、自己抗原を認識したB細胞の除去にも必須であることを個体レベルで初めて明らかにした。本研究はこれまで未知であったLynの生理的な機能解析をLyn欠損マウスにより可能とし、自己免疫といった免疫疾患の分子レベルでの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位を授与するに値するものと考えられる。

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