内容要旨 | | 序 ヒトサイトメガロウイルス(HCMV)は,ヘルペスウイルス科に属するウイルスで,ほとんどの成人に潜伏感染している.臓器移植後の免疫不全状態やAIDSなどの免疫機能低下を伴う疾患では,潜伏状態のウイルスが再活性化して致死的肺炎,肝炎,腎炎,網膜炎など引き起こす.HCMVの潜伏感染再活性化を制御するためには,その機構の解明が必要である.潜伏感染からの活性化とは,停止あるいは極度の抑制状態にあるウイルスDNAの複製が開始されることである.本研究は,HCMVゲノムDNA複製開始機構の解明を最終目的として,まずHCMVゲノムに存在するDNA複製開始領域を分子生物学的に解析することを目標とした. 材料と方法1.細胞とウイルス. ヒト胎児肺線維芽細胞(HEL細胞)を10%仔ウシ血清を含むイーグル最小必須培地で培養した.この細胞でHCMV Towne株を増殖させた. 2.プラスミド作製. Towne株oriLyt4.6kb断片の両端からそれぞれ欠失変異体を作製した.さらに,189bp繰り返し配列に関して,部分欠失,完全欠失,および置換による変異体を作製した. 3.塩基配列の決定. 作製した欠失変異体から,Towne株oriLytを含むDNA断片の塩基配列を自動蛍光シークエンサーを用いて決定した. 4.サザンブロット解析. ウイルス感染細胞からDNAを抽出し,精製した.そのDNAを制限酵素XhoIあるいはRsrIIで消化し,アガロース電気泳動の後,ナイロン膜にアルカリトランスファーした.この膜をoriLytのXhoI DNA断片をプローブとしてハイブリダイズした. 5.DNA複製検出系. 変異oriLytを含むプラスミドをHEL細胞にエレクトロポレーションで導入後,HCMVを超感染し,プラスミドDNAを抽出した.このプラスミドDNAをDpnI/MboI感受性に基づくDNA複製検出系で解析した. 6.Towne株クローンの分離. 96穴プレートを用いた限界希釈法でTowne株のクローンを分離した. 7.Towne株クローンの複製効率の検討. 分離したTowne株クローンを同一moiで感染させ、24時間ごとに感染細胞DNAを抽出した.そのDNAをドットブロットの後,ウイルスDNAをプローブとしてハイブリダイズさせた. 結果と考察1.HCMV Towne株oriLytの塩基配列の決定と比較. HCMV Towne株とAD169株のゲノム間では,塩基配列レベルで95%の相同性がある.塩基配列そのものが重要な機能を果たしている場合(例えばorigin-binding proteinが特異的に結合する塩基配列など)には,異なった株間でその塩基配列が保存されている可能性がある.そこで,HCMV oriLyt中の機能的に重要なエレメントを同定する目的で塩基配列の株間比較解析を試みた.まず,Towne株oriLytを含む約4.6-kbDNA断片の塩基配列を決定した.決定した塩基配列をAD169株の配列と比較したところ,両株のAatII-SacI領域のAatII端から2.2kb領域は98.8%の相同性を示した.SacI端から0.9kb領域は97.9%の相同性を示した.10%程度の変異が中央部の300bp領域に集中していた.さらにこの変異に富む領域の右側に189bpからなる同一の塩基配列が3回繰り返して存在していた.この配列はAD169株では一個のみ存在する.これらの結果はTowne株とAD169株の間でoriLyt領域において2つの違いが存在することを示している.すなわち1つはTowne株では189bpの繰り返し配列が3回に対しAD169株で1回という構造上の大きな違いであり,もう一つは塩基レベルでの置換挿入欠失など小さな変化による違いである. 2.Towne株ウイルスゲノムのサザンブロット解析. 実際にTowne株ウイルスゲノム中にも189bpの塩基配列が3回繰り返して存在するかどうかを確認するため,Towne株ウイルスゲノムDNAを,189bp配列を含むoriLytのDNA断片をプローブとしてサザンブロット解析した.その結果,Towne株ゲノムのoriLyt領域は,繰り返し配列2個分AD169株より長くなっていることが判明した. 3.DNA複製検出系の改良. HCMV DNA複製を定量的かつ効率よく検出するために,以前に報告されているDNA複製検出系を改良した.この系では,oriLytおよびアンピシリン耐性遺伝子を含むプラスミドをDNA複製のレポーターとして,また,トランスフェクションと複製効率判定のコントロールとしてテトラサイクリン耐性遺伝子を含むプラスミドを用いた.この2種類のプラスミドをHEL細胞にエレクトーポレーションで導入後HCMVを超感染し,DNAを回収した.回収したDNAを,プラスミドを1箇所のみ認識する制限酵素(HindIII)による消化後,自己ライゲーションさせた.複製および非複製DNAを区別するため,自己ライゲーション産物を3等分し,DpnI,MboI消化および制限酵素無処理とした.この3種類のサンプルを,大腸菌に導入し,選択プレート上のコロニー数をカウントした.DPnI,MboIあるいは,無処理サンプルより得た,アンピシリン耐性コロニー数は,それぞれ複製,非複製(もともとHEL細胞に導入されたプラスミド),あるいは,その両者の合計した量を示す.一方,テトラサイクリン耐性コロニー数は,DpnI消化サンプルでは,DpnIで切れ残ったコントロールプラスミドの量を示し,MboIおよび無処理サンプルでは,もともと細胞に導入された量を示す. 4.HCMV Towne株oriLytの最小領域の決定. 塩基配列決定用に作製した欠失変異体を用いて,前述の改良したDNA複製検出系で,Towne oriLytの最小領域を決定した.oriLytのAatII-SacI断片右側において,SacI端から383bpおよび689bp欠失したプラスミドは効率的に複製した.しかし,SacI端から896bp欠失したプラスミドの複製は検出できなかった.一方,AatII-SacI断片のAatII端から933bp欠失したプラスミドの複製効率は欠失前と変化なく,1160bp欠失したプラスミドの複製効率は低下していた.また1486bp欠失したプラスミドの複製は検出できなかった.以上の結果は,oriLyt断片右側の複製最小領域の境界はSacI端から689bpと896bpの間に存在し,左側の最小領域の境界は,AatII端から1160bpと1486bpの間に存在することを示す.株間でコピー数に差のあった189bp繰り返し配列は,この最小領域中に含まれていた. 5.189bp繰り返し配列の解析. 株間でコピー数に差のあった189bp繰り返し配列の機能を調べるために,種々の変異プラスミドを作製して複製能をアッセイした.まず,189bp繰り返し配列の中央部分を欠失したプラスミドを作製し,その複製活性を調べたところ,複製能に変化はなかった.またこの中央部分を逆方向をつなぎかえても複製能に変化はなかった。次に,189bpを1コピーのみ,および2コピーのみ含む欠失変異プラスミドを作製してアッセイしたところ,複製活性は3コピー含む野性型とほとんど同じであった。さらに,189bp繰り返し配列が単なるスペーサーとして存在するのか,あるいは必須な配列なのかを調べるため,189bp領域中央部の複製に不必要な領域を651bpあるいは2392bpのラムダDNAと置換して長くしたもの,および長さを変えていないラムダDNAと置換したプラスミドを作製してアッセイしたところ,これらすべての複製活性は消失した.さらに,189bp配列を完全に欠失するプラスミドでアッセイしたところ,複製活性は消失した。以上の結果は,189bpの繰り返し配列は単なるスペーサーではなく,HCMV DNA複製に必須な領域をその両端近くに含むことを示している.さらに,この繰り返し配列の両端に存在する必須領域を他のDNA配列(長さは等しい)で隔てると活性を失ったことから,繰り返し配列の中央部分の領域もoriLyt活性に関与する機能を持つと考える. 6.HCMV Towne株クローンの分離. 株間で存在した189bp配列のコピー数変異が、同一株の中の変異としても存在するかどうかを検証するために,Towne株のクローンを分離した.ウイルスゲノムを189bp配列を含むoriLytのDNA断片をプローブとしてサザンブロット解析および塩基配列の決定をしたところ,繰り返し配列を4コピーおよび2コピーもつTowne株の変異クローンを見い出した.この結果は,189bp配列のコピー数変化は,株間だけでなく同一株中でもわずかに起きていることを示している. 7.Towne株クローンの複製効率の検討. 分離したTowne株クローンの中で189bp配列を4コピーおよび2コピーもつクローンの感染細胞中での複製効率をドットブロットで解析した.両クローンのウイルスDNA量は,感染経過とともに同様な効率で増加した.この結果は,HCMVゲノム中に存在する189bp配列のコピー数の変異とウイルスDNA複製効率の間に相関がないことを示唆する. 結語 本研究で,HCMV Towne株のoriLytの塩基配列を決定し,Towne株とAD169株間の塩基配列の差異を明らかにした.この差異は、ヌクレオチドの置換に加えて,189bpを単位とする繰り返し配列のコピー数変化によるものであった.また,改良を加えたHCMV DNA複製アッセイ系を用いて,HCMV oriLytの最小必須領域を決定し,189bp配列を挟んで最小領域の境界が存在することも明らかにした.さらに,189bp配列そのものが必須なエレメントと補助的(ただし他のDNA配列で置き換えることができない)エレメントをもつことを明らかにした.これらの知見は,HCMV DNA合成開始に必須なエレメントの構造と機能のさらなる解析に役立つと考える。 |
審査要旨 | | 本研究は,ヒトサイトメガロウイルス(HCMV)Towne株のDNA複製開始領域oriLytの塩基配列を決定し,AD169株との比較により189bpからなる繰り返し配列のコピー数の株間変異を見い出し,この変異をもとにしてHCMV oriLytの分子生物学的解析を行ったものである. 1.HCMV Towne株oriLytの塩基配列の決定と比較. HCMV oriLyt中の機能的に重要なエレメントを同定する目的で塩基配列の株間比較解析を試みた.まず,Towne株oriLytを含む約4.6-kbDNA断片の塩基配列を決定した.決定した塩基配列をAD169株の配列と比較したところ,両株のAatII-SacI領域のAatII端から2.2kb領域は98.8%の相同性を示した。SacI端から0.9kb領域は97.9%の相同性を示した.10%程度の変異が中央部の300bp領域に集中していた.さらにこの変異に富む領域の右側に189bpからなる同一の塩基配列が3回繰り返して存在していた.この配列はAD169株では一個のみ存在する.これらの結果はTowne株とAD169株の間でoriLyt領域において2つの違いが存在することを示している.すなわち1つはTowne株では189bpの繰り返し配列が3回に対しAD169株で1回という構造上の大きな違いであり,もう一つは塩基レベルでの置換挿入欠失など小さな変化による違いである. 2.Towne 株ウイルスゲノムのサザンブロット解析. 実際にTowne 株ウイルスゲノム中にも189bpの塩基配列が3回繰り返して存在するかどうかを確認するため,Towne株ウイルスゲノムDNAを,189bp配列を含むoriLytのDNA断片をプローブとしてサザンブロット解析した.その結果,Towne 株ゲノムのoriLyt領域は,繰り返し配列2個分AD169株より長くなっていることが判明した. 3.DNA複製検出系の改良. HCMV DNA複製を定量的かつ効率よく検出するために,以前に報告されているDNA複製検出系を改良した.この系では,ori Lytおよびアンピシリン耐性遺伝子を含むプラスミドをDNA複製のレポーターとして,また,トランスフェクションと複製効率判定のコントロールとしてテトラサイクリン耐性遺伝子を含むプラスミドを用いた.この2種類のプラスミドをHEL細胞にエレクトーポレーションで導入後HCMVを超感染し,DNAを回収した.回収したDNAを,プラスミドを1箇所のみ認識する制限酵素(HindIII)による消化後,自己ライゲーションさせた.複製および非複製DNAを区別するため,自己ライゲーション産物を3等分し,DpnI,MboI消化および制限酵素無処理とした.この3種類のサンプルを,大腸菌に導入し,選択プレート上のコロニー数をカウントした.DpnI,MboIあるいは,無処理サンプルより得た,アンピシリン耐性コロニー数は,それぞれ複製,非複製(もともとHEL細胞に導入されたプラスミド),あるいは,その両者の合計した量を示す。一方,テトラサイクリン耐性コロニー数は,DpnI消化サンプルでは,DpnIで切れ残ったコントロールプラスミドの量を示し,MboIおよび無処理サンプルでは,もともと細胞に導入された量を示す. 4.HCMV Towne 株 oriLytの最小領域の決定. 塩基配列決定用に作製した欠失変異体を用いて,前述の改良したDNA複製検出系で,Towne oriLytの最小領域を決定した.oriLyt のAatII-SacI断片右側において,SacI端から383bpおよび689bp欠失したプラスミドは効率的に複製した.しかし,SacI端から896bp欠失したプラスミドの複製は検出できなめかった.一方,AatII-SacI断片のAatII端から933bp欠失したプラスミドの複製効率は欠失前と変化なく,1160bp欠失したプラスミドの複製効率は低下していた.また1486bp欠失したプラスミドの複製は検出できなかった.以上の結果は,oriLyt断片右側の複製最小領域の境界はSacI端から689bpと896bpの間に存在し,左側の最小領域の境界は,AatII端から1160bpと1486bpの間に存在することを示す.株間でコピー数に差のあった189bp繰り返し配列は,この最小領域中に含まれていた. 5.189bp繰り返し配列の解析. 株間でコピー数に差のあった189bp繰り返し配列の機能を調べるために,種々の変異ラスミドを作製して複製能をアッセイした.まず,189bp繰り返し配列の中央部分を欠失したプラスミドを作製し,その複製活性を調べたところ,複製能に変化はなかった.またこの中央部分を逆方向をつなぎかえても複製能に変化はなかった.次に,189bpを1コピーのみ,および2コピーのみ含む欠失変異プラスミドを作製してアッセイしたところ,複製活性は3コピー含む野性型とほとんど同じであった.さらに,189bp繰り返し配列が単なるスペーサーとして存在するのか,あるいは必須な配列なのかを調べるため,189bp領域中央部の複製に不必要な領域を651bpあるいは2392bpのラムダDNAと置換して長くしたもの,および長さを変えていないラムダDNAと置換したプラスミドを作製してアッセイしたところ,これらすべての複製活性は消失した.さらに,189bp配列を完全に欠失するプラスミドでアッセイしたところ,複製活性は消失した.以上の結果は,189bpの繰り返し配列は単なるスペーサーではなく,HCMV DNA複製に必須な領域をその両端近くに含むことを示している.さらに,この繰り返し配列の両端に存在する必須領域を他のDNA配列(長さは等しい)で隔てると活性を失ったことから,繰り返し配列の中央部分の領域もoriLyt活性に関与する機能を持つと考える. 6.HCMV Towne株クローンの分離. 株間で存在した189bp配列のコピー数変異が、同一株の中の変異としても存在するかどうかを検証するために,Towne株のクローンを分離した.ウイルスゲノムを189bp配列を含むoriLytのDNA断片をプローブとしてサザンブロット解析および塩基配列の決定をしたところ,繰り返し配列を4コピーおよび2コピーもつTowne株の変異クローンを見い出した.この結果は,189bp配列のコピー数変化は,株間だけでなく同一株中でもわずかに起きていることを示している. 7.Towne株クローンの複製効率の検討. 分離したTowne株クローンの中で189bp配列を4コピーおよび2コピーもつクローンの感染細胞中での複製効率をドットブロットで解析した.両クローンのウイルスDNA量は,感染経過とともに同様な効率で増加した. この結果は,HCMVゲノム中に存在する189bp配列のコピー数の変異とウイルスDNA複製効率の間には相関がないことを示唆する. 本研究は,HCMV oriLyt中に存在する繰り返し配列がori活性に必須であることを見い出したもので,この領域の解析からHCMV oriLytの構造と機能さらにHCMVの複製機構の解明につながることが期待できるため学位の授与に値するものと判定した. |