血管新生は個体発生などの生理的状況や、創傷治癒、悪性腫瘍の進展、糖尿病性網膜症などの病的状況において必須の事象である。この現象は正常個体においては、正と負の厳密なコントロールを受けていると考えられている。古くから血管新生を誘導する物質は多く知られているが、その中でVEGF(Vascular Endothelial Growth Factor)は、主に血管内皮細胞特異的に作用し、内皮細胞の増殖と血管の透過性亢進を促進することが報告されている。VEGFは二量体からなる、分子量約46kDa のポリペプチドで、シグナルペプチドを持つため細胞外に分泌される。また、正常組織のみならず、多くの腫瘍細胞で発現が報告され、低酸素状態で発現が誘導されることが特徴である。一方、VEGFの受容体としてFlt-1,KDR/Flk-1が報告されており、いずれもVEGFと高親和性に結合する。両者とも細胞外に7つの免疫グロブリン様ループを持ち、細胞内のキナーゼドメインに挿入部を持つ細胞膜貫通型のチロシンキナーゼで、もう一つの類縁遺伝子flt-4とともに、遺伝子ファミリーを形成している。このVEGF-Flt系は、特に腫瘍血管の形成などの多くの病態に関与することが明らかにされ、臨床的にもその重要性が指摘されている。しかし、その受容体や情報伝達に関する報告はまだ非常に少ないため、本研究ではこの点について分子生物学的検討を行い、以下の知見を得ることができた。 1.肝類洞壁内皮細胞とVEGF受容体の同定 ラット肝臓を、門脈よりEGTA溶液、続いてコラーゲン溶液で灌流した後、段階的な低速遠心を数回繰り返すことにより、非実質細胞画分を得た。VEGFによる細胞の形態変化とacctyl-LDLの取り込みにより、この分画内の約90%は肝類洞壁内皮細胞であることを確認した。この細胞群はVEGF依存性に増殖し、紡錘状の細胞形態を示した。現在までのところ継代培養できる条件が得られていないため、以下の実験は初代培養の細胞を用いた。 VEGFはいくつかの血管内皮細胞あるいは受容体を高発現させた培養細胞において、その細胞膜上の受容体と高親和性に結合することが知られているが、今回上記のように採取した肝類洞壁内皮細胞において125I-VEGFによる結合実験を行った。125I-VEGFは、精製されたVEGFをIodogen(R)によりヨードラベルし、3.1×105cpm/ngの放射活性を得た。コントロールのラット由来の3Y1細胞に比べ、肝類洞壁内皮細胞は125I-VEGFと強く結合し、過剰量の非放射性VEGFを加えることにより、その結合が阻害されたため、VEGF特異的な結合であることが示された。さらに、VEGFは実際にそのVEGF受容体の両者と結合しているかどうかについて検討した。125I-VEGFを細胞上の受容体に結合させ、架橋剤で受容体と複合体を形成させた後、抗Flt-1抗体あるは抗KDR/Flk-1抗体にて免疫沈降した。免疫沈降物の分子量は各々230kDa,280kDaで、VEGFはどちらの受容体にも結合していることが明らかとなった。そこでKDR/Flk-1の生化学的性質及びこれを介する情報伝達機構を解析する目的でhuman KDR/Flk-1をNIH3T3細胞に導入し(NIH3T3-KDR)、肝類洞壁内皮細胞と比較した。 2.KDR/Flk-1のプロセッシング NIH3T3-KDRのcell lysateに対して抗KDR/Flk-1抗体を用いたWestern blottingを行うと、分子量230kDa及び200kDaの2本のbandが検出された。この2つのKDR/Flk-1が糖鎖の違いによるものかどうかを調べるために、N-glycosylationの修飾を阻害する薬剤tunicamycinで細胞を処理したところ、2本のKDR/Flk-1のbandは約180kDaの1本のbandに移動した。肝類洞壁内皮細胞のKDR/Flk-1では240kDaと190kDaと分子量はやや異なるものの、tunicamycinで処理するとNIH3T3-KDRと同様番に、約180kDaのbandに移動した。従って、NIH3T3-KDR,肝類洞壁内皮細胞における2つのKDR/Flk-1はN-glycosylationの差によることが明らかになった。そこで2つのKDR/Flk-1のうちどちらが細胞膜上に表出しているか特定するために、N-sulpho-biotinにて細胞表面を標識し、抗KDR/Flk-1抗体で免疫沈降すると、2つのKDR/Flk-1のうち、230kDaのKDR/Flk-1のみが標識されていた。さらに35S-methionineでmetabolic labelし、pulse-chase analysisを行った結果、まず最初にコア蛋白質である150kDaのKDR/Flk-1が合成され、N-glycosylationその他の修飾をうけて中間体である200kDaのKDR/Flk-1となり、さらにN-glycosylationが付加された後成熟した230kDaのKDR/Flk-1として細胞膜上に表出されることが明らかとなった。200kDaから230kDaのKDR/Flk-1の移行は比較的遅く、律速段階となっていた。このようなKDR/Flk-1のプロセッシングは、細胞外に5つの免疫グロブリン様ループを持つCSF-1受容体(Fms)で報告されているものとほぼ同様であった。 3.VEGF刺激によるNIH3T3-KDR細胞の増殖 次にNIH3T3-KDRが、VEGF刺激により増殖活性を示すかどうかを検討した。NIH3T3-KDRをコラーゲンコートされたプレート上に播き、1g/ml insulin. 10g/ml transferrinを添加した無血清Dulbbeco’s modified Eagle’s medium中で、4日間培養し、細胞数を算定した。VEGFで刺激したものは10%ウシ血清で刺激したものに比較し、1/7-1/8の極めて弱い活性しか見いだせなかった。また、[3H]thymidineのDNAへの取り込みを調べたところVEGFで刺激した場合は、10%ウシ血清で刺激した場合の約1/8の取り込みを示すのみであった。 4.NIH3T3-KDRにおけるVEGFからの細胞内情報伝達機構 そこでNIH3T3-KDR細胞内にどのような変化が生じているのかをみるために、VEGF刺激後の経時的変化を抗ホスホチロシン抗体によるWestern blottingで検討した。VEGF刺激後5分をピークにして230kDaと150kDaのbandが、20分をピークにして40kDaのbandが認められた。VEGF刺激前後のcell lysateを抗KDR/Flk-1抗体で免疫沈降し、抗ホスホチロシン抗体でブロットすることにより、230kDaのチロシンリン酸化蛋白はKDR/Flk-1の自己リン酸化であり、2つのKDR/Flk-1のうち細胞膜上に表出している230kDaのKDR/Flk-1のみがリン酸化されていることが確認された。150kDaのチロシンリン酸化蛋白は、分子量からPhospholipase C-(PLC-)であることが類推された。そこで、抗PLC-抗体で免疫沈降し、抗ホスホチロシン抗体でブロットしたところ、VEGF依存性にPLC-にリン酸化が入っていることが確認された。さらにVEGF刺激後のcell lysateから抗体を用いてPLC-を吸収すると、150kDaのチロシンリン酸化bandが消失したことより、このbandの主なものはPLC-であることが明らかとなった。またPLC-は活性化されたKDR/Flk-1に会合していることも明らかとなった。一方、40kDaの蛋白ついては、myeline basic proteinを基質とするin gel kinase assayを行ったところ、VEGF依存性に活性が認められたことから、MAP kinaseであることが示唆された。このMAP kinaseの活性化の経時的変化を調べたところ、持続的で20分をピークとしており、10%ウシ血清で刺激した場合、あるいは肝類洞壁内皮細胞をVEGFで刺激した場合に比較し、かなり遅延していた。この差は内皮細胞と線維芽細胞におけるVEGF受容体からの情報伝達の違いを反映している可能性が示唆された。更に、このMAP kinaseの経時的変化によりProtein kinase C(PKC)の関与が類推されたため200nMの12-0-tetradecanoylphorbol-13-acetate(TPA)で24時間細胞を処理することによりPKCをdownregulationさせたところ、VEGF依存性のMAP kinaseの活性化はほとんど消失した。TPA処理によるKDR/Flk-1の自己リン酸化、PLC-のリン酸化、MAP kinaseの活性化能自体に変化はなかった。従って、少なくとも線維芽細胞を背景とした場合、KDR/Flk-1→PLC-→PKC→MAP Kinaseへの経路が明らかとなった。一方、肝類洞壁内皮細胞ではVEGF刺激により、KDR/Flk-1,PLC-r,MAP kinase以外に、約120kDa,70kDa,30kDaなど複数のチロシンリン酸化蛋白が認められている。このことから、肝類洞壁内皮細胞における内皮細胞特異的情報伝達経路の存在が示唆されるが、その実体については未だ不明である。 5.in vitro kinase assay、ホスホアミノ酸分析、ホスホペプチドマッピング VEGF刺激前後のcell lysateから抗KDR/Flk-1抗体によって得た免疫沈降物について、[32P]--ATPの存在下in vitro kinase assayを行った。この反応はVEGF依存性で、多くのチロシンキナーゼと同様にMn2+,Mg2+存在下で最も強い活性が認められた。得られたリン酸化KDR/Flk-1についてホスホアミノ酸分析を行うと、チロシン残基のみがリン酸化されていた。また、リン酸化KDR/Flk-1をトリプシン消化し、ホスホペプチドマッピングを行うと、5-6個のスポットが検出された。このことより、少なくともin vitroにおいてはKDR/Flk-1における自己リン酸化部位は約5個であることが明らかになった。 本研究ではKDR/Flk-1を中心に、主に線維芽細胞を背景にした場合の情報伝達系について解析し、KDR/Flk-1’→PLC-→PKC→MAP kinaseへの経路を明らかにしたが、内皮細胞に比較し、VEGFによる増殖活性が極めて弱いこと、MAP kinaseの活性化が遅延していることなどの結果から内皮細胞特異的情報伝達系の存在が強く示唆された。 |