学位論文要旨



No 112810
著者(漢字) 絹川,弘一郎
著者(英字)
著者(カナ) キヌガワ,コウイチロウ
標題(和) 心筋細胞における誘導型NO合成酵素の発現調節とその機能的意義
標題(洋)
報告番号 112810
報告番号 甲12810
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1180号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 古瀬,彰
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 講師 竹中,克
内容要旨

 この研究の前半部において誘導型NO合成酵素(iNOS)を心筋細胞に誘導し,その産生するNOの心筋における直接作用を細胞収縮と細胞内Ca2+濃度の同時測定により検討した.新生仔および成ラットの心筋細胞において、interleukin(IL)-6とtumornecrosis factor(TNF)の同時投与またはlipopolysaccharide(LPS)投与により、iNOSがmRNAおよび蛋白レベルで時間依存的に誘導された.免疫染色によると、新生仔および成ラットの心線維芽細胞におけるLPSによるiNOSの誘導はごくわずかであった.また、iNOSの誘導により、培養上清中のNO産生と心筋細胞内cGMP含量が有意に増加した.誘導されたNOS活性はCa2+非依存性であり、これまで報告されているiNOSの特徴に合致した.LPS投与により、心筋細胞のviabilityは有意な変化を受けなかった.NG-monomethyl-L-arginine前投与によるNOS抑制下にiNOSを発現させた新生仔ラット心筋細胞において、過剰量のL-arginineを投与すると、陰性変力作用、陰性変時作用、細胞内Ca2+濃度減少作用、拡張期細胞位置の下方移動を生じた.即ち、cytokineやLPSはiNOSの誘導を介して心筋抑制作用を呈する可能性が示唆された.さらにこのiNOSの誘導された心筋細胞においてcAMPの変化はなく、上記の心筋抑制作用はcGMP依存性protein kinaseの阻害薬であるKT5823により有意に抑制された.したがって、このiNOSの産生するNOによる心筋抑制作用はphosphodiesteraseの活性化および抑制による機序よりもcGMP依存性protein kinaseの活性化によるものが大きいと考えられた.

 われわれは以前にcytokineの1つであるIL-6がニワトリ胚培養心筋細胞において急性に心筋収縮抑制作用を有することを報告した.また、その細胞内機序はIL-6による構成型NO合成酵素の活性化による一過性のNO-cGMP産生の増加によると考えられた.このことと上記のiNOSの誘導とを考え併せると、cytokineは急性的にも慢性的にも心筋収縮能に対して抑制的に働き、心筋細胞内のCa2+handlingを変化させ、さらには収縮蛋白のCa2+感受性の低下をもたらす可能性のあることが示唆された.近年、拡張型心筋症や移植後拒絶心などの病的心におけるiNOSの発現が報告されている.すなわち、一般の心不全その他の心筋収縮力が低下した低下している病態にiNOSの関与が考えられる.さらにiNOSをknock outされたマウスにおいて、LPS challengeによるshock responseが消失しており、いわゆるseptic shockの原因がiNOSであることを強く示唆する.このshockから死に至る経過において全身の血管抵抗の低下による血圧の低下が重要なfactorであるとされてきたが、この研究によれば、心筋自体の収縮力低下によるpump failureの要素も十分考えられる.また、septic shockの治療の点ではiNOSをtargetにしたNG-monomethyl-L-arginineの投与も有用であると思われる.

 後半部においてはiNOS発現に関わる細胞内情報伝達経路の検討を行った.LPSによるiNOSのmRNAレベルでの発現にはIL-6、TNF、forskolin、受容体刺激薬は促進的に、dexamethasone、cAMP依存性protein kinase阻害薬(H89)、tyrosine kinase阻害薬、free radical scavenger(pyrrolidine dithiocarbamate[PDTC])は抑制的に作用した.NO産生の程度もiNOS蛋白の発現もiNOSのmRNAレベルと平行して変化した.これらの複雑な転写調節機構を説明する手がかりとしてラットiNOSの5’上流領域のcloningをまず行った.ラットiNOSの5’上流領域を1111塩基対cloningし、その塩基配列を同定したところ、すでにcloningされていたマウスの5’上流領域と相同性の高い領域に転写因子結合部位が存在すると考えられた.iNOS遺伝子の5’上流領域1-kbにはNF-B結合部位、interferon regulatory factor(IRF)結合部位、CAAT配列、-interferon activation site(GAS)が存在する.このcloningされた5’上流領域を使用してchloramphenicol acetyltransferaseをreporter geneとして施行した転写活性の測定によれば、GASおよびIRF結合部位の存在するenhancer領域(-1045〜-893)とNF-B結合部位およびCAAT配列を含むpromoter領域(-345〜-80)がiNOSの転写には重要であることが示唆された.また、DNaseI foot printing assayによれば上記の部分にLPSにより誘導されるDNA結合蛋白の存在を認めた.Electrophoretic mobility shift assayにより、LPSまたはTNF投与後、NF-B認識配列に対する結合能の増加を認めた.このNF-Bの活性化はtyrosine kinase阻害薬、dexamethasone、PDTCにより抑制された.LPSまたはIL-6の投与後、IRF認識配列およびGASに対する新たな結合能の出現を認めた.IRF認識配列に対する新たな結合能の誘導はIRF-1によるものと考えられ、これはherbimycinまたはdexamethasoneにより抑制された.GASに対する結合能の増加はsignal transducer and activator of transcription(STAT)の活性化によると考えられた.LPSまたはforskolinの投与により出現するCAAT配列に結合する新たな結合能は、CAAT box/enhancer-binding proteinとcycilc AMP responsive element-binding proteinとのheterodimerからなると考えられた.cAMP依存性protein kinaseの活性化によるによるiNOS発現の促進はこのheterodimerによる転写活性化の機序が考えられた.このようにiNOSの誘導には複数の転写因子が必要であると考えられた.また、今までに報告されてきたさまざまな細胞内情報伝達経路がその転写促進機構に関与していることが示された.さらに主として血液系のcell lineを対象として検討されてきたそれらのシグナル伝達経路が心筋細胞においてもほぼ同じように働いていることが示唆された.またさまざまな転写因子の活性化においてtyrosineリン酸化が非常に大きな役割を果たしていると考えられ、iNOS発現におけるtyrosine kinase活性化の重要性が示唆される.このtyrosine kinaseにはSTATを活性化するJanus kinaseやmitogen-activated protein kinaseをリン酸化するMEKなどが含まれると考えられる.

 心不全治療においては、cathecholamineやphosphodiesterase阻害剤の投与は長期予後の改善にはつながらないと考えられている.このことはcAMPによるiNOS発現の促進作用もその機序の一部となっている可能性がある.iNOSの誘導にはfree radicalを介する経路も存在し、虚血再潅流傷害などの病態においてもiNOSが関与している可能性が考えられる.

審査要旨

 本研究は心筋細胞に誘導されたNO合成酵素(iNOS)の機能的意義とその発現調節につき検討したものであり、主として新生仔ラットの培養心筋細胞において、下記の結果を得ている.

 1.新生仔ラットの培養心筋細胞において、interleukin(IL)-6とtumor necrosis factor(TNF)の同時投与またはlipopolysaccharide(LPS)投与により、iNOSがmRNAおよび蛋白レベルで時間依存的に誘導された.免疫染色によると、LPSによるiNOSの誘導はほぼ心筋細胞に限局していた.誘導されたNOS活性はCa2+非依存性であり、これまで報告されているiNOSの特徴に合致した.

 2.NG-monomethyl-L-arginine前投与によるNOS抑制下にiNOSを発現させた新生仔ラット心筋細胞において、過剰量のL-arginineを投与すると、陰性変力作用、陰性変時作用、細胞内Ca2+濃度減少作用、拡張期細胞位置の下方移動を生じた.即ち、cytokineやLPSはiNOSの誘導を介して心筋抑制作用を呈する可能性が示唆された.さらに上記の心筋抑制作用はcGMP依存性protein kinaseの阻害薬であるKT5823により有意に抑制され、このiNOSの産生するNOによる心筋抑制作用はcGMP依存性protein kinaseの活性化によるものが大きいと考えられた。

 3.LPSによるiNOSのmRNAレベルでの発現にはIL-6、TNF、forskolin、受容体刺激薬は促進的に、dexamethasone、cyclic AMP依存性protein kinase阻害薬、tyrosine kinase阻害薬、pyrrolidine dithiocarbamate(PDTC)は抑制的に作用した。

 4.これらの複雑な転写調節機構を説明する手がかりとしてラットiNOSの5’上流領域を1111塩基対cloningした.iNOS遺伝子の5’上流領域1-kbにはNF-B-結合部位、interferon regulatory factor(IBF)結合部位、CAAT配列、-interferon activation site(GAS)が存在した.

 5.このcloningされた5’上流領域を使用してchloramphenicol acetyltransferaseをreporter geneとして施行した転写活性の測定によれば、GASおよびIRF結合部位の存在するenhancer領域(-1045〜-893)とNF-B結合部位およびCAAT配列を含むpromote領域(-345〜-80)がiNOSの転写には重要であることが示唆された.

 6.DNase I foot printing assayによれば上記の部分にLPSにより誘導されるDNA結合蛋白の存在を認めた.Electrophoretic mobility shift assayにより、LPSまたはTNF投与後、NF-B認識配列に対する結合能の増加を認めた.このNF-Bの活性化はtyrosine kinase阻害薬、dexamethasone、PDTCにより抑制された.LPSまたはIL-6の投与後、IRF認識配列およびGASに対する新たな結合能の出現を認めた.IRF認識配列に対する新たな結合能の誘導はIRF-1によるものと考えられ、GASに対する結合能の増加はsignal transducers and activators of transcriptionの活性化によると考えられた.LPSまたはforskolinの投与により出現するCAAT配列に結合する新たな結合能は、CAAT box/enhancer-binding proteinとcycilc AMP responsive element-binding proteinとのheterodimerからなると考えられた.cAMP依存性protein kinaseの活性化によるによるiNOS発現の促進はこのheterodimerによる転写活性化の機序が考えられた.

 以上、本論文は心筋細胞におけるiNOSの機能的意義とその発現調節について明らかにした.本研究はiNOSの心筋細胞の機能に及ぼす影響を細胞内Ca動態を含めて検討した最初のものである.また、これまで指摘されてきた複雑なiNOSの転写調節機構に関して重要な示唆を与える知見を含んでおり、あわせて学位の授与に値するものと考えられる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54589