学位論文要旨



No 112813
著者(漢字) 犬飼,真生
著者(英字)
著者(カナ) イヌカイ,マサオ
標題(和) イノシトール三リン酸受容体発現の経時変化 : ラット頚動脈内膜剥離モデルを用いた増殖期血管平滑筋細胞の検討
標題(洋)
報告番号 112813
報告番号 甲12813
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1183号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 安藤,讓二
 東京大学 助教授 渡辺,毅
内容要旨 【背景と目的】

 (1)イノシトール1,4,5-三リン酸(IP3)は、形質膜上でホスホリパーゼC(PLC)によりホスファチジルイノシトールニリン酸から合成され、小胞体上のIP3受容体(IP3R)と結合して、小胞体からCa2+を放出させ(IP3誘導Ca2+放出)、細胞内Ca2+(Ca2+i)濃度を調節する重要な細胞内情報伝達物質の一つである。現在1型から3型まで三種類がクローニングされている。1型IP3R(IP3R1)は特に小脳のプルキンエ細胞で豊富に見られるが、他の多くの臓器でも発現していることが知られており、大動脈平滑筋での発現も確かめられている。(2)IP3誘導Ca2+放出は多彩な細胞機能を制御している。平滑筋細胞では、アンジオテンシンII(AII)、エンドセリンなどの血管作動物質に対し、Ca2+iの上昇を介して筋収縮が生じる。また、強力な平滑筋増殖因子である血小板由来増殖因子(PDGF)もPLCを介してIP3誘導Ca2+放出を生じさせる。(3)一方、正常動脈の中膜血管平滑筋細胞は外来刺激に対して形質転換し、内膜に遊走、増殖して結合組織を合成、分泌し、血管壁の肥厚を生じて動脈硬化病変を形成する。また、平滑筋増殖は経皮的冠動脈形成術後の再狭窄の主な原因とも考えられている。実験動物の動脈内膜をバルーンカテーテルで損傷剥離すると、平滑筋増殖と細胞外マトリックス(ECM)の増加に起因する著明な新生内膜の形成が見られ、平滑筋増殖の生体モデルとして使われる。(4)以前、当教室の申らは培養血管平滑筋細胞がAIIに対して不均一なCa2+i応答を示し(Shin et al.,Circ Res.1991)、この不均一性が細胞増殖に依存することを報告した(Masuo et al.,Circ Res.1991)。増殖により形質転換した血管平滑筋において、IP3Rに代表されるCa2+チャンネル蛋白の発現、機能に何らかの変化が生じていることが考えられる。(5)このようにIP3Rは短期的には平滑筋の収縮、長期的には増殖と関連すると考えられるが、血管平滑筋増殖とIP3Rの発現については全く研究がなされていない。ここではラット頚動脈内膜剥離モデルを用い、in vivoの増殖期血管平滑筋で、IP3R1の発現が量的に、また空間的にどのように変化するか検討する。

【方法】

 (1)cDNAクローニングで決定した塩基配列から演繹したラット脳IP3R1の2736-2747アミノ酸残基配列を基に合成ペプチドを作成した(GHPPHMNVNPQQC、但しC末にシステインを加えた)。この合成ペプチドをリンペットヘモシアニンと共有結合させ、ニュージーランド白兎を免疫し、血清を得た。血清より免疫グロブリンを50%硫安で分画し、更にアフィニティ精製した。(2)精製抗IP3R抗体の特異性を確かめるために、ラット小脳膜分画と大動脈ホールホモジェネートを用いてイムノブロッティングを行った。(3)既報に従い、10-15週齢のオスSprague-Dawleyラットの頚動脈内膜を剥離した。同一ラットの操作を加えていない右総頚動脈を正常コントロール血管として用いた。(4)内膜剥離4、7、14、28、56日後(n=4-8)に環流固定後、頚動脈組織を採取した。6m厚の凍結切片とし、ヘマトキシリンーエオジン染色を行った。また、planimetryで新生内膜と中膜の面積及び内膜/中膜の面積比を求めた。(5)精製抗IP3R抗体、抗proliferationg cell nuclear antigen(PCNA)抗体、抗平滑筋アクチン抗体(SMA)による免疫組織化学染色を行った。(6)各組織をカラー撮影後、免疫染色の相対的強度をデンシトメトリーを用いて計測した。バックグラウンドの強度を0、頚動脈外膜に存在する小動脈平滑筋の免疫組織反応の強度を100とした。(7)電子顕微鏡観察、及び精製抗IP3R抗体による免疫電子顕微鏡観察を行った。(8)データは平均±標準誤差で示した。デンシトメトリーによる染色強度の比較はDuncanの多重検定を行い、P<0.05を有意差有りとした。

【結果】

 (1)アフィニティー精製した抗IP3Rウサギポリクローナル抗体はラット小脳膜分画、大動脈ホールホモジェネートともに260kDの単一バンドで反応し、この抗体が特異的に260kDのIP3Rと反応することが示された。(2)バルーン傷害後、左総頚動脈は全長に亙りエバンスブルーで青染し、内膜は完全に剥離された。内膜剥離56日後には、総頚動脈両端から4分の1程度まで青染せず、同所に傷害部両端の非傷害部から内皮細胞の再生が見られた。(3)内膜剥離4日後には新生内膜に細胞は殆ど見られなかったが、7日後には全周性に新生内膜が形成され、14〜28日後に内膜肥厚はほぼピークに達した。(4)IP3Rは、内膜剥離7、14日後には、新生内膜の血管平滑筋で発現が強く、特に管腔に面した平滑筋で最も強い発現が見られた。一方、この時点の中膜平滑筋では発現が低下していた。28日後には、新生内膜管腔側でやや強い発現が見られたが、56日後には、新生内膜、中膜全層に亙ってほぼ均質で、発現の強さは正常コントロール血管の中膜とほぼ等しかった。(5)PCNA陽性細胞は内膜剥離7、14日後の新生内膜に多く見られ、特に管腔に面した細胞の殆どがPCNA陽性であった。即ち、PCNA陽性の増殖期血管平滑筋細胞とIP3Rを強く発現する細胞の分布が一致していた。(6)SMAは全時期を通して、新生内膜、中膜ともにほぼ均質な発現を認めた。(7)エバンスブルーで青染する内皮非再生部では内皮細胞は見られず、青染しない内皮再生部では新生内膜の管腔側に内皮細胞が見られた。(8)電子顕微鏡では、内膜剥離14日後に、新生内膜の管腔に面した血管平滑筋で、発達した粗面小胞体が見られた。(9)免疫電子顕微鏡では、内膜剥離14日後には、新生内膜管腔側に細胞質が網目状に濃染される血管平滑筋が観察された。これは透過型電子顕微鏡で観察された細胞内に網目状に発達した粗面小胞体の分布に一致していた。この時点では、中膜平滑筋は殆どIP3Rで染色されなかった。正常コントロール血管で、内皮細胞の血管腔に面した細胞膜直下に強い発現が見られたが、中膜平滑筋には殆ど免疫産物はみられなかった。

【考察】

 (1)血管平滑筋は増殖に伴って形質転換する。形態的には、筋フィラメントに富む収縮型と、フィラメントが少なく、ミトコンドリアや粗面小胞体に富む合成型の二つの表現型がある。また、増殖に伴い、アクチン、ミオシンなどの収縮蛋白や細胞骨格蛋白、ECM、PDGFとその受容体、トロンビン受容体、組織因子、NO合成酵素など様々な蛋白の発現が変化する。(2)IP3RはCa2+i濃度調節を通して血管平滑筋の収縮を制御する重要な因子であるが、平滑筋増殖とIP3Rの発現の変化に関しては従来全く報告されていない。今回の結果では、内膜剥離7、14日後の新生内膜管腔側のPCNA陽性細胞でIP3Rの発現が強く、IP3Rの発現が増殖と密接に関係することが示された。(3)IP3R1は現在までに血管平滑筋で発現していることが確認されている唯一のIP3Rサブタイプであり、今回はIP3R1に特異的な抗体を用いた。但し、中膜平滑筋でのIP3R1の発現が一旦低下しており、他のサブタイプへの変換を検討する必要があると思われる。(4)本研究のデンシトメトリーによる蛋白定量は、免疫産物が実際の抗原量と直線的な関係にある保証がない。しかし、in vivoで蛋白発現の局在と、定量性に優れた方法を組み合わせることは非常に困難であり、このような方法を取らざるを得なかった。また、切片間に染色強度差が生じるため、内膜剥離操作の影響を受けにくい外膜に存在する小動脈平滑筋を内部コントロールとして用いた。しかし、外膜小動脈でのIP3Rの発現が変化することも否定できない。このように問題はあるが、以上のように求めた半定量の結果は肉眼所見とよく一致した。(5)正常中膜平滑筋細胞では、光学顕微鏡ではIP3Rの発現が認められたのに、電子顕微鏡では免疫産物は乏しかった。これは、電子顕微鏡では免疫産物が巨大となるABC法はではなく二段階法を用いたので感度が低下したことが考えられる。また抗体の浸透性が低くて偽陰性となった可能性もある。一方、新生内膜管腔側の平滑筋は抗IP3R抗体で粗面小胞体の分布に一致して細胞質が網目状に染色された。小脳プルキンエ細胞で扁平な滑面小胞体に多く、粗面小胞体に少ないとされているのと対照的であった。(6)増殖期平滑筋がIP3Rを強く発現するという今回の結果は、増殖期にAIIに対するCa2+i応答反応が低下するという以前の培養細胞の結果と一見矛盾する。この理由としては、AII受容体の発現が低下している、IP3に対するIP3Rの感受性が低下している等の可能性が考えられる。(7)新生内膜管腔側でIP3Rの発現が高度であったのと対照的に、内膜剥離後早期の中膜では発現がむしろ低下していた。従来、血管平滑筋細胞は収縮型と合成型の二つのタイプに分類されてきたが、IP3Rの発現様式を見ると、正常コントロール血管や、内膜剥離後後期に見られるIP3Rを中等度発現しているもの、内膜剥離早期の新生内膜管腔側に存在するIP3Rを高度に発現するもの、剥離後早期の中膜に見られる殆どIP3Rを発現しないものの少なくとも3型が存在し、合成型平滑筋には更に細かい表現型の違いがあると思われる。(8)以上のように、in vivoの増殖期平滑筋細胞において、IP3Rの発現は、一旦増加した後著しく減少し、再び刺激前に戻るという特異な変化を見せており、IP3Rの発現が増殖にも直接関与する可能性が考えられる。(9)平滑筋増殖を来した病変血管において、IP3Rの発現が変化するということは、動脈硬化病変血管で攣縮が生じ易いという臨床上重要な知見との関与も考えられる。

【結論】

 in vivoの血管平滑筋細胞で、重要な細胞内Ca2+動員機構であるIP3R蛋白の発現は、新生内膜、中膜で一様ではなく、この非均質性は平滑筋増殖に依存して変化した。これは病変血管での平滑筋収縮異常や平滑筋増殖そのものと関係する可能性がある。

審査要旨

 本研究は、ラット頚動脈内膜剥離モデルを用い、in vivoの増殖期血管平滑筋で、平滑筋収縮において重要な役割を演じていると考えられるイノシトール1,4,5・三リン酸受容体(IP3R)の発現を免疫組織化学染色によって解析したものであり、下記の結果を得ている。

 1.内膜剥離後早期(7、14日後)には、新生内膜の血管平滑筋で、IP3Rの発現が強く、特に管腔に面した平滑筋で最も強い発現が見られた。一方、この時点の中膜平滑筋では発現が低下していた。28日後には新生内膜管腔側でやや強い発現が見られたが、56日後には新生内膜、中膜全層に亙って均質で、正常対照血管の中膜とほぼ等しかった。

 2.Proliferating cell nuclear antigen(PCNA)陽性の増殖細胞は内膜剥離7、14日後の新生内膜に多く見られ、特に管腔に面した細胞の殆どがPCNA陽性であった。即ち、PCNA陽性の増殖期血管平滑筋細胞とIP3Rを強く発現する細胞の分布が一致していた。以上より、IP3Rの発現が平滑筋増殖と密接に関係することが示された。

 3.新生内膜管腔側でIP3Rの発現が高度であったのと対照的に、内膜剥離後早期の中膜では発現がむしろ低下していたが、これらの細胞は電子顕微鏡による形態観察ではいずれも合成型平滑筋であった。合成型平滑筋には更に細かい表現型の違いがあることがIP3Rの発現からも示された。

 3.-平滑筋アクチンは全時期を通して、新生内膜、中膜ともにほぼ均質な発現を認め、IP3Rの発現と著しい違いを認めた。

 4.免疫電子顕微鏡では、内膜剥離14日後の新生内膜管腔側に、細胞質が網目状に濃染される血管平滑筋が観察された。これは透過型電子顕微鏡で観察された細胞内に網目状に発達した粗面小胞体の分布に一致していた。増殖期血管平滑筋におけるIP3Rの細胞内分布は、扁平な滑面小胞体に多いと報告されている小脳プルキンエ細胞における分布とは対照的に、粗面小胞体に多いことが示された。

 以上、本論文はin vivoのラット頚動脈血管平滑筋において、平滑筋収縮において重要な役割を演じていると考えられるIP3Rの発現が、平滑筋増殖に依存して変化することを明らかにした。本研究は、動脈硬化病変部や血管形成術後の平滑筋増殖や平滑筋収縮異常の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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