学位論文要旨



No 112818
著者(漢字) 中元,哲也
著者(英字)
著者(カナ) ナカモト,テツヤ
標題(和) p130Casの結合ドメイン解析
標題(洋) Analysis of the binding domains of p130Cas
報告番号 112818
報告番号 甲12818
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1188号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 助教授 野島,美久
 東京大学 講師 林,泰秀
内容要旨 1.背景

 細胞の分化・増殖において、SH2/SH3(Src Homology 2/Src Homology 3)領域を介した蛋白質間の結合の重要性が認識されている。SH2は、リン酸化チロシン残基に結合し、SH3は、プロリン豊富領域に結合するとされており、これらの領域は細胞内のシグナル伝達や細胞骨格系の構築などに関与している。細胞癌化に伴い、細胞内蛋白質のチロシンリン酸化レベルが著明に上昇し、SH2/SH3を介した蛋白質間結合が多く認められるようになる。

 癌遺伝子産物v-Crkは、ウイルスのgag蛋白質と各1つのSH2およびSH3領域から構成される蛋白質で、自身は、チロシンキナーゼ活性を持たない。それにも関わらず、v-Crkを発現させると細胞内のいくつかの蛋白質のチロシンリン酸化を来すため、SH2・SH3領域のキナーゼの制御装置としての重要性が脚光を浴びるきっかけとなった。v-Crk発現に伴いチロシンリン酸化を来す蛋白質の一つであるp130は、免疫沈降によりv-Crkと共沈され、v-Crk蛋白質の直接の信号媒介分子と考えられていた。そこで、われわれのグループはこのp130をクローニングし、p130Cas(Crk-associated substrate:Cas)と命名した。Casは、v-Srcや活性型Srcで形質転換した細胞においても著明にチロシンリン酸化を受けており、v-Srcと結合していることが示されている。

 Casは、N末付近にSrc homology 3(SH3)領域とそれに続いて15個のSH2結合部位の集積する領域(Substrate domain:基質領域)、C末側には、プロリン豊富領域といくつかのチロシン残基を持つ(図1)新規の信号伝達分子である。そこで、私は、まず、Casと結合することが知られているv-Crkと活性型SrcとCasとの結合様式の解析を行った。

 線維芽細胞などの細胞は、フィブロネクチン、ビトロネクチン、コラーゲンなどの細胞間基質に接着斑を介して接着している。接着斑には、細胞間基質へのレセプターであるインテグリンが存在する。その他にも、多くの細胞骨格蛋白質やシグナル分子が集積しており、アクチンファイバーの起点ともなっている。インテグリンをフィブロネクチンなどの細胞間基質で刺激すると、FAK,パキシリン、テンシンなど多くの蛋白質がチロシンリン酸化されるが、Casもチロシンリン酸化を受けることが報告されている。Casは接着斑に局在し、そこでのシグナル伝達に関与していると考えられるため、私は、Casの接着斑への局在の必要条件についての解析を行った。

2.Casとv-Crk,活性型Srcとの結合様式の解析

 私は、まず、Srcおよびv-CrkのSH2、SH3領域のGST融合蛋白質と、Casとのin vitroでの結合を調べた。SH2は両者ともにCasのチロシンリン酸化した形のものとのみ結合した。v-CrkのSH3とCasとの結合は認めなかったが、SrcのSH3はCasとチロシンリン酸化の有無に関わらず結合することが判明した。

 そこで、COS細胞にCasの変異体(図1)を発現させ、SrcのSH3領域との結合をin vitroで調べた。その結果、SrcのSH3領域は、Casの733アミノ酸残基付近のプロリン豊富領域に結合することがわかった。

 次に、COS細胞にCasの変異体と活性型Srcを共発現させ、その結合の有無を見たところ、SrcSH3の結合部位であるプロリン豊富領域の変異では、活性型Srcとの結合はほとんど見られなくなった。また、そのややC末側にあるチロシン762をフェニルアラニンに変異させたものでは、活性型Srcとの結合が3分の1以下に減少し、このチロシンがSrcのSH2領域の結合部位であることが示唆された。

 SrcSH3が結合するプロリン豊富領域の配列RPLPSPPは、SH3結合配列のClass1のコンセンサスを満たしており、SrcSH2が結合すると考えられるチロシン762付近の配列YDYVはSrcSH2結合配列のコンセンサスに近い配列である。これまでに、SrcとSH2,SH3の両者で結合する蛋白質は、AFAP-110、Sam68、GAP関連p62などが知られている。SH3はチロシンリ酸化に依存しない結合であるため、Srcはまず、SH3でこれらの基質に結合し、SH2結合部位がチロシンリン酸化されれば、その結合がさらに強くなるものと考えられている。Casの場合も同様に、両者を介した強い結合によって、基質領域のチロシンリン酸化が有効に行われると考えられる。

 次に、Casの変異体とv-CrkをCOS細胞に共発現させることにより、YXXPという15個の相類似するSH2結合配列が集積する領域つまり「基質領域」の欠失でv-Crkとの結合が認められなくなることが判明し、この領域がv-Crkとの結合部位であると考えられた。また、v-Crkで形質転換した細胞に、Casの変異体を発現させ、in vitro kinase反応を行うことにより、v-Crkで形質転換した細胞において、Casに結合したキナーゼ活性の大部分は、活性型Srcの結合部位(Src結合ドメイン)と同一の部位に存在することがわかった。

 v-Crkによる形質転換の際にCasをチロシンリン酸化するチロシンキナーゼは不明である。基質領域に結合しているv-CrkにAblが結合し、AblがCasをチロシンリン酸化するというin vitroでの報告もあったが、上述の結果では、v-Crkで形質転換した細胞において、CasのSrc結合領域にキナーゼ活性が結合していることを示している。このキナーゼがin vivoでも、Casをチロシンリン酸化しているのかどうかの解明が今後の課題である。

3.Casの接着斑局在の必要条件

 NIH3T3細胞および活性型Srcで形質転換した3T3細胞(3T3-aSrc)におけるCasの細胞内局在を免疫蛍光染色法により調べた。NIH3T3細胞においては、Casは大部分が細胞質に局在し、一部が接着斑に存在したのに対して、3T3-aSrc細胞では、Casは大部分が接着斑に局在した。活性型SrcつまりY527を欠損したSrcであれば、キナーゼ活性のないSrcの発現によっても、Casの接着斑への移動が認められた。

 Casの接着斑分布に必要なドメインを検索するため、Casの変異体(図1)にHAのタグをつけたものを作成した。Casの接着斑への分布が多い3T3-aSrcに発現させたところ、CasのSH3およびSrc結合ドメインがCasの接着斑への分布に必要であった。一方、COS細胞では、フィブロネクチン刺激を行った状態では、3T3-aSrcと同様にSH3とSrc結合ドメインを必要としたが、刺激を行わない状態では、SH3のみを必要とし、Src結合ドメインは欠失しても接着斑への分布は損なわれなかった。これらのことから、Casの接着斑への局在には、通常は、SH3を介しているが、3T3-aSrc細胞やフィブロネクチン刺激後のように、Srcが活性化している条件下では、SH3のほかに、Src結合ドメインも局在に関与していることが判明した。

 Casに関与しているキナーゼには、SH3を介してFAK、基質領域を介してAbl、Src結合領域を介してSrc、Fynがこれまでに報告されている。そこで、これらのキナーゼ欠損細胞内でのCasの接着斑への分布を調べた。FAK、Abl、Fynの欠損細胞では、Casはキナーゼを欠損しない細胞と同様にその一部が接着斑へ分布したが、Srcの欠損細胞では、Casの接着斑への分布が認められなかった。

 以上の結果より、Casの接着斑への局在には、CasのSH3、Srcの存在が必要であり、Srcの活性化、CasのSrc結合ドメインの存在により、Casの接着斑への局在が増大することがわかる。一方で、Srcのキナーゼ活性やCasの基質領域のチロシンリン酸化などはCasの接着斑への局在には必要なかった。つまり、SrcはCasの接着斑への局在に関しては、キナーゼとしてよりも、一種のアダプター分子として働いているものと思われる。一方、CasのSH3の結合蛋白質としては、FAKがこれまでに知られているが、FAK欠損細胞でもCasが接着斑に分布したことから、FAK以外のCasSH3結合蛋白質が存在し、その蛋白質がCasを接着斑に導きうるものと考えられる。

図表
審査要旨

 本研究は,細胞の癌化および細胞接着において,重要な役割を演じていると考えられるアダプター分子p130Cas(Cas)の結合ドメインの解析および細胞内局在に必要なドメインの解析を行ったものであり,下記の結果を得ている。

 1.Casは,v-Src,活性型Src,v-Crkと結合することが知られていたので,その結合様式についてSrcおよびCrkのSH2領域,SH3領域のGST融合蛋白質を用いて解析した。Srcは,SH2,SH3の両者ともCasと結合したが,CrkはSH2のみがCasと結合し,CrkSH3とCasとの結合は認められなかった。SH2は,両者ともCasのチロシンリン酸化に依存性の結合であったが,SrcSH3との結合は,チロシンリン酸化に依存していなかった。

 2.SrcSH3とのCasの結合部位を明らかにするため,COS細胞にて発現させた一連のCasの変異体と,GST-SrcSH3との結合を調べた。SrcSH3は,CasのC末に近いプロリン豊富領域に結合することが判明した。また,その領域のGST融合蛋白質との結合も確認され,この結合が直接のものであることもわかった。また,COS細胞にCasの変異体と活性型Srcとを共発現させることにより,Casの762番のチロシンの変異でCasとSrcの結合が3分の1位に減少することがわかり,SrcSH2の結合部位であることと考えられた。このSrcのSH3とSH2が結合する領域をSrc結合領域と名付けた。

 3.COS細胞や,v-Crkで形質転換した細胞に,Casの変異体を発現させることにより,v-CrkはCasとは,基質領域で結合するが,v-Crkによる形質転換の際にもCasに結合したキナーゼ活性はSrc結合領域にあることが判明した。

 4.NIH3T3および活性型Srcにより形質転換した3T3において,Casの細胞内局在を免疫蛍光染色法により調べたところ,Casは,NIH3T3細胞においては,主に細胞質に存在し,一部が接着斑に局在するのに対して,活性型Srcによる形質転換に伴い,おもに接着斑に局在するようになった。

 5.活性型Srcにより形質転換した細胞において,Casの変異体を発現させることにより,この細胞においては,Casの接着斑への局在にはCasのSH3とSrc結合領域の両者が必要であることが判明した。また,キナーゼ欠損型のSrcによってもCasの大部分が接着斑に局在し,Srcのキナーゼ活性は必要ないこともわかった。

 6.COS細胞において,Casの変異体を発現させたところ,COS細胞においては,Casの接着斑への局在には,CasのSH3は必要だが,Src結合領域は必要ないことが判明した。しかし,Srcの活性化刺激の一つであるフィブロネクチン刺激を行った場合は,Src結合領域もCasの接着斑への局在に必要となった。

 7.さまざまなチロシンキナーゼ欠損細胞において,Casの細胞内局在を調べたところ,Fyn,FAK,Ablの欠損細胞においては,NIH3T3細胞と同様に,Casは大部分細胞質で,一部接着斑に存在したが,Src欠損細胞では,接着斑への局在を認めなかった。FAKはCasのSH3結合蛋白質として知られるが,FAK欠損細胞においても,CasのSH3の欠失変異体は接着斑に局在しなかったので,CasSH3の接着斑局在作用を媒介している蛋白質はFAK以外に存在すると考えられる。

 以上,本論文は,アダプター分子p130Casについて,そのそれぞれのドメインが,Src,Crkとの結合や細胞内局在においてどのような役割を果たしているかを明らかにした。本研究はこれまでにない新しいタイプのアダプター分子であり,細胞接着に伴うシグナル伝達に関与しているとされるCasの機能を解析する上で重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる。

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