学位論文要旨



No 112821
著者(漢字) 水野,健彦
著者(英字)
著者(カナ) ミズノ,タケヒコ
標題(和) 胚性幹細胞(ES細胞)を用いた心筋細胞分化の分子機構の解析
標題(洋)
報告番号 112821
報告番号 甲12821
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1191号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 石川,隆俊
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 安藤,譲二
内容要旨

 近年、循環器病の臨床は目覚ましい進歩を遂げている.しかし,一方で心筋障害に対する根本的治療が存在しないため難治性の心不全の治療に関しては限界に直面している。心筋細胞分化の分子機構を明らかにすることにより、分化誘導療法などの全く新しい治療の可能性を拓くことが期待される。したがって、心筋細胞分化の分子機構の解析は生物学的関心に留まらず、臨床的にも強い関心が持たれる。心筋細胞の分化誘導という分化の極めて早期の現象を解析するためには適切なin vitroの系が必要である。多分化能を有するマウス胚内部細胞塊由来の胚性幹細胞(ES細胞)は浮遊培養により、高率に心筋細胞に分化する心筋分化の優れた系である。ES細胞の系で心筋細胞の分化に重要な組織特異的な転写因子であるCsx,GATA-4,NEF-2(A-D)の発現を検討したところ、心筋分化の早期に急激な発現を示し、in vivoの分化とよく一致していた。そこでこの系を用いて以下の検討をおこなった。

I)心筋細胞の分化過程におけるCSX promoterのcis-elementのmapping

 組織分化の分子機構を解明する上で組織特異的な遺伝子の発現調節機構を検討することは極めて有用な手段である。tinmanは心臓のないDrodophila変異株から単離されたホメオボックス遺伝子である。Csxはtinmanのmouse homologとしてクローニングされたマウスホメオボックス遺伝子であり、心筋分化の最早期から、cardiac lateral mesodermに高度に限局した発現パターンを示す。またそのknock out mouseは心臓の発生の極めて早期にあたるlooping stageの異常により胎生8.25から8.5日で死亡する。これらのことからCsxは心臓の分化に必須の転写因子といえる。最近、私たちの研究室の塩島らによりCsxのhuman homolog(CSX)がクローニングされた。マウスCsxとヒトCSXはアミノ酸レベルで100%、核酸レベルで93%と極めて高い相同性を示す。心筋細胞分化の分子機構、特に心筋分化誘導といった最早期の現象を解明する上で、CSX promoterの解析により極めて有用な知見を得られることが期待される。

 ES細胞を用いた検討で、-700bpから-672bpの領域と-120bpから-100bpの領域とに重要なcis-elementが存在することが明らかになった。前者は心筋細胞分化の早期においてのみ重要であり、分化誘導に関わるcis-elementであることが示唆された。この-700bpから-672bp領域の検討で中胚葉形成の際に最も早期に発現する転写因子Brachyuryのbinding consensus sequenceのcore elementを含む配列およびE boxが存在した。gel shift assayではこの領域の配列に特異的に結合するタンパクの存在が示された。E box motif中の核酸配列のmutationでこのタンパクに対するbinding affinityが著しく低下するのでE boxが重要である可能性が疑われたが、これがE boxであるのか、あるいは未知のmotifであるのかさらに検討を要する。

 この結合タンパクは心筋分化早期に出現し、その後消失するという非常に興味深い発現パターンを示したことから心筋細胞分化誘導に重要な役割を果たしている可能性が考えられた。心臓において重要なbasic helix-loop-helix(bHLH)typeの転写因子の候補としてtwist、dHAND,eHANDが挙げられるが、発時期、発現パターンなどからこれらがこの結合タンパクである可能性は否定的であり、新しい因子の可能性が考えられる。今後、様々なE boxのmotifを用いた競合実験などを行い、この結合タンパクの性質をさらに明らかにする予定である。

 本研究では心筋細胞の分化過程におけるCSXの上流1kbのpromoterのcis elementのmappingを行い、重要な結合タンパクを明らかにした。現在、CSX promoter LacZを導入したtransgenic mouseを作成中であり、in vivoでも解析を進めることにより、さらに理解が進むことを期待している。

II)心筋細胞分化におけるMAPKカスケードの役割

 Xenopusにおいては中胚葉誘導はFGFに依存し、MAP kinase cascadeが重要であることが報告されている。心臓も中胚葉から早期に発生する臓器であり、その発生・分化にMAP kinase cascadeが関与している可能性があると考えられる。また最近、ショウジョウバエにおいてFGF receptor homologであるheartlessのmutantがcardiac mesoderm,viseral mesoderm.dorsal somatic muscleの異常によりembryonic lethalであることが報告された。このことからも心臓の発生におけるMAP kinase cascadeの役割は重要な検討課題である。

 本研究ではES細胞分化の系を用い心筋細胞分化におけるMAP kinase cascadeの役割を検討した。MAP kinase phoshatase CL100を過剰発現させたES細胞では、心筋細胞への分化は著しく阻害され、自発拍動を示すEBを認めなかった。またMF20による染色ではmyosinの発現をほとんどに認めなかった。この様に、心筋細胞分化においてMAP kinase cascadeが必須のシグナルであることが示唆された。dominant negativeあるいはconstitutive active formのras,raf1,MEKK,MAP kinaseを用いCSX promoterの活性を検討した実験ではdominant negative formでCSX promoterの活性が抑制され、またconstitutive active formでCSX promoterの活性を亢進させた。また、CL100を過剰発現させたES細胞では分化に伴いCSX promoterの活性がほとんど上昇しなかった。これらの結果から、MAP kinase cascadeがCSX promoterの活性化に関与していることが考えられた。一方、GATA-4,MEF2-Cの発現量をNorthern blotで検討したところ、wild typeとCL100を過剰発現細胞で差を認めなかった。

 in vitroの系を用いた本研究の結果から心筋細胞分化にMAP kinase cascadeが必要であり、CSX promoterの活性化に関与している可能性が示唆された。MAP kinase cascadeがどのような機序でCSX promoterの活性化など心筋細胞分化に関わっているのか検討を要する。

審査要旨

 本研究はin vitroで心筋細胞に分化するマウス胚性幹細胞(ES細胞)分化の系を用い、心筋細胞分化に関わる転写調節機構と細胞内シグナルに関して解析したものであり、下記の結果を得ている。

I)心筋細胞の分化過程におけるCSX promoterのcis-elementのmapping

 CSXは心臓特異的ホメオボックス遺伝子である。そこで心筋細胞分化の分子機構の早期の現象を解明する上で、CSX promoterの解析により極めて有用な知見を得られることが期待される。

 1)deletion constructsを用いた検討で、CSX promoterの-700bpから-672bpの領域と-120bpから-100bpの領域とに重要なcis-elementが存在することが明らかになった。前者は心筋細胞分化の早期においてのみ重要であり、分化誘導に関わるcis-elementであることが示唆された。

 2)-700bpから-672bpの領域に関しgel shift assayによる検討を行ったところ、心筋細胞分化早期に一過性に発現が増加する結合因子の存在が確認され、その結合におけるE boxの重要性が示唆された。

II)心筋細胞分化におけるMAPKカスケードの役割

 3)MAP kinase phoshatase CL100を過剰発現させたES細胞を分化させたところ、心筋細胞への分化は著しく阻害され、自発拍動を示すEBを認めなかった。またMF20による染色ではmyosinの発現をほとんどに認めなかった。このことから心筋細胞分化においてMAP kinase cascadeが必須のシグナルであることが示唆された。

 4)dominant negativeあるいはconstitutive active formのras,raf1,MEKK,MAP kinaseを用いCSX promoterの活性を検討した実験ではdominant negative formでCSX promoterの活性が抑制され、またconstitutive active formでCSX promoterの活性を亢進させた。また、CL100を過剰発現させたES細胞では分化に伴いCSX promoterの活性がほとんど上昇しなかった。これらの結果から、MAP kinase cascadeがCSX promoterの活性化に関与していることが考えられた。

 5)GATA-4,MEF2-Cの発現量をNorthern blotで検討したところ、wild typeとCL100の過剰発現細胞で差を認めなかった。

 以上、本論文はマウス胚性幹細胞(ES細胞)分化の系を用い、心筋細胞の分化過程でのCSX promoterのcis-elementのmappingを行い、心筋細胞分化早期に重要なcis-elementとそこに結合する因子の存在を証明した。また、MAP kinase cascadeが心筋細胞の分化にも関与していることを示した。これらは心筋細胞分化機構の解明に重要な貢献をなす知見と考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53962