内容要旨 | | [緒言] シスプラチン(cDDP)は現在,婦人科癌を含む固形癌に対して最も使用されている抗癌剤のひとつであるが,初回治療時からcDDPが効かない症例や治療中に効かなくなる症例は臨床上しばしば経験される.cDDP耐性の機序およびその克服に関する研究は婦人科癌治療の大きな課題といえる.cDDP耐性機序のなかでも,細胞内還元物質であるグルタチオンの関与については多数報告されている.チオレドキシン(TRX)はredox-activeなSH基をもつ分子量13,000の蛋白質で,活性酸素種消去作用や変性した蛋白質のrefolding作用を有しており,グルタチオンと同様に細胞内で酸化ストレスからの防御に寄与していると考えられている.実際,過酸化水素・tumor necrosis factor(TNF)あるいは虚血再環流による細胞傷害に対してTRXが防御作用を示すことはすでに報告されている.私は,グルタチオンと同様の作用を持つTRXがcDDPによる細胞毒性に対する防御作用すなわちcDDP耐性に関与しているとの仮説をたて,cDDP耐性細胞におけるTRXの発現およびTRX高発現細胞におけるcDDP耐性度を検討した. [材料と方法]1)cDDP耐性細胞におけるTRXの発現の検討. ヒト胃癌細胞株St-4,ヒト大腸癌細胞株HT-29をin vitroでcDDP存在下に継代培養することによってcDDP耐性細胞株St/DDP,HT/DDPを樹立した.さらにSt/DDPをcDDP非存在下に6か月および12か月継代培養することで復帰変異株St/R6,St/R12を樹立した.これらの細胞について,cDDP感受性をMTT assayで,TRXの発現をヒトTRXに対するモノクローナル抗体を用いたウェスタンブロット(WB)法により調べた.つぎにin vitroではcDDP処理をしていない11種類の卵巣癌細胞株について,cDDP感受性をコールターカウンターを用いたgrowth inhibition assayにより,TRXの発現をWB法により調べた. 2)TRX高発現細胞におけるcDDP耐性度の検討. ヒト卵巣癌A2780および大腸癌HT-29の2種の細胞株にヒトTRX発現ベクターを導入し,TRX高発現細胞を樹立した.A2780に対してはTRX発現ベクターpcDSRADFとブラストサイジンS(BCS)耐性遺伝子発現ベクターpSV2bsrを電気穿孔法でcotransfectionした.この細胞をBCS存在下に3週間培養し,得られたBCS耐性クローンのTRX発現をWB法で確認した.このようにしてTRX高発現クローンA/TRX12とA/TRX19が得られた.コントロールとしてはA2780細胞にpSV2bsrのみを導入して得られたクローンA/01,A/07を用いた.HT-29細胞への遺伝子導入には,TRXとネオマイシン耐性遺伝子を両方発現するベクターpOPSRTRXを新たに作成して用いた.HT-29をクローン化したHT-29T9細胞にpOPSRTRXを電気穿孔法で導入し,G418存在下に3週間培養した.得られたG418耐性クローンのTRX発現をWB法で確認し,TRX高発現クローンHT/TRX25,HT/TRX28を得た.コントロールとしてはTRXcDNAをアンチセンスに組み込んだpOPSRASTRXをHT-29T9細胞に導入して得られたクローンHT/AS11,HT/AS13を用いた. これらの細胞において,TRXの酵素活性をinsulin reduction assayで,ベクター由来のTRX遺伝子のゲノムへの組み込みをサザンブロット法で,mRNAの発現をノーザンブロット法で確認した.こうして得られたTRX高発現細胞についてcDDPの耐性度を72時間持続曝露によるMTT assayおよび1時間曝露によるコロニー形成法で検討した.さらに過酸化水素,アドリアマイシン,カンプトテシン,マイトマイシンCに対する感受性をMTT assayで調べた. [結果] 1)cDDP耐性細胞St/DDP,HT/DDPは親株St-4,HT-29と比較してそれぞれ7倍,5倍cDDPに耐性を示した.復帰変異株St/R6,St/R12は親株に比べ3.4倍,1.6倍耐性であった.これらの細胞のTRX発現量はcDDP耐性度に比例して増加していた(図1). また11種類の卵巣癌細胞株においてcDDP耐性度とTRX発現量との間の強い正の相関を認めた.(図2). 図1.cDDP耐性細胞のTRX発現1,St-4;2,St/DDP,3,St/R6;4,St/R12;5,HT-29;6,HT/DDP図2.卵巣癌細胞におけるcDDP耐性とTRX発現の相関 2)図3に示すようにA2780,HT-29に由来するTRX高発現細胞が得られた. 図3.TRXトランスフェクタントのTRX発現A;A2780由来細胞1,A/01;2,A/07;3,A/TRX12;4,A/TRX19B;HT-29由来細胞1,HT-29T9;2,HT/AS11;3,HT/AS13;4,HT/TRX10;5,HT/TRX25;6,HT/TRX28;7,HT/TRX34;8,HT/TRX62;9,HT/DDP これらの細胞ではTRXの酵素活性も発現量に比例して上昇しており,A/TRX12,A/TRX19では親株の1.8倍,HT/TRX25では親株の2.1倍,HT/TRX28では2.9倍の活性を示した.HT/TRX28ではHT/DDPよりも高いTRXの発現量・酵素活性を示した.さらにこれらの細胞でベクター由来のTRX遺伝子の組み込み・mRNA発現も確認できた. これらのTRX高発現細胞は2種類の感受性試験のいずれにおいてもcDDPに耐性を示さなかった(図4,5).A2780由来のTRX高発現細胞は過酸化水素に耐性を示したが,アドリアマイシン,カンプトテシン,マイトマイシンCには耐性にならなかった.またHT-29由来のTRX高発現細胞は過酸化水素にも3種の抗癌剤にも耐性を示さなかった. 図4.MTT assayによるTRXトランスフェクタントのcDDP感受性(A)A2780由来細胞□,A/01;○,A/07;■,A/TRX12;●,A/TRX19(B)HT-29由来細胞△,HT-29T9;□,HT/AS11;○,HT/AS13;■,HT/TRX25;●,HT/TRX28;▲,HT/DDP.図5.コロニー形成法によるTRXトランスフェクタントのcDDP感受性(A)A2780由来細胞□,A/01;■,A/TRX12;●,A/TRX19(B)HT-29由来細胞□,HT/AS11;■,HT/TRX25;●,HT/TRX28[考察] 本研究においてin vitroで樹立した2種類のcDDP耐性細胞でTRXの発現の亢進を認めた.Yokomizoらも3種類のcDDP耐性細胞でTRXの過剰発現を報告している.また本研究ではin vitroでcDDP処理をしていない細胞株においてもcDDP耐性とTRXの発現量との間に正の相関を認めた.このことはTRXの過剰発現がcDDP処理により生じたのではなく,cDDP耐性形質そのものに伴っていることを示している.さらにYokomizoらはTRXのアンチセンスベクターを導入してTRX発現を下げたヒト膀胱癌T24細胞でcDDP感受性化を報告し,最近ではSasadaらがヒトTRX遺伝子を導入したマウス線維肉腫L929細胞でcDDP耐性化を報告している.これらの事実はTRXがcDDP耐性に関与していることを強く示唆している. それに対し,本研究で樹立した2種類のTRX高発現細胞はcDDPに耐性とならなかった.これはTRXが単独でcDDP耐性を誘導したSasadaらの研究結果と相反しており興味深い.いずれの研究でもTRXの発現は親株の2〜3倍であることから,結果の違いはTRXを導入した細胞の違いによるものと考えられる. cDDPが細胞内で活性酸素種を発生させること,cDDP毒性が抗酸化薬で抑制されることから,活性酸素種がcDDPの細胞毒性の一部を担っていると考えられる.活性酸素種はアポトーシスのメディエーターのひとつであるので,抗酸化薬はアポトーシスを抑制することでcDDP毒性を抑えている可能性がある.Sasadaらの研究で用いられたL929細胞はTNFや抗癌剤によりアポトーシスを起こし,抗酸化剤によりアポトーシスが抑制されることが報告されている.そのような細胞で活性酸素種消去作用をもつTRXがcDDP耐性を誘導しており,アポトーシス抑制作用を介したcDDP耐性機序が想定される.しかし活性酸素種の毒性やアポトーシスによる細胞死の機序のみでcDDPの細胞毒性を説明しつくせるものではない.本研究で用いたA2780,HT-29細胞は抗癌剤によるアポトーシスを起こしにくい細胞であり,研究で用いた濃度のcDDPで細胞死は起こすが,アポトーシスに特徴的な変化は認められない.従ってTRXが活性酸素種を消去し,アポトーシスを抑制したとしても,それ以外の機序で細胞死が起こるためにcDDP耐性が認められなかったと説明できる.このような細胞のアポトーシスの起こしやすさの違いがTRXによるcDDP耐性の誘導の違いに影響していると考えられる. TRXは上述のように活性酸素種消去作用やアポトーシス抑制作用を介してcDDP耐性に関与している可能性のほかに,転写因子のredox-regulationによる遺伝子発現調節作用,DNA修復酵素など薬剤耐性の直接の原因となる蛋白質の安定化作用により耐性に寄与している可能性も考えられる. |
審査要旨 | | 本研究は,細胞内還元環境の維持に貢献している蛋白質チオレドキシンの抗癌剤シスプラチンに対する耐性現象への関与を明らかにするため,培養癌細胞を用いたin vitroの薬剤感受性試験をもとに,チオレドキシン発現とシスプラチン耐性の相関を検討したものであり,下記の結果を得ている. 1.ヒト胃癌細胞株St-4,ヒト大腸癌細胞株HT-29からin vitroで樹立したシスプラチン耐性細胞St/DDP,HT/DDPのチオレドキシン発現をウェスタンブロット法で調べたところ,シスプラチン耐性細胞でチオレドキシンの発現が亢進していた.St/DDPの復帰変異細胞St/R6,St/R12ではシスプラチン耐性度の低下に従ってチオレドキシンの発現も低下していた.二種のシスプラチン獲得耐性細胞においてシスプラチン耐性度とチオレドキシン発現との間に強い相関があることが示された. 2.in vitroではシスプラチン処理をしていない11種類の卵巣癌細胞株についてシスプラチン耐性度とチオレドキシン発現を検討したところ,両者の間に強い正の相関(r=0.76,P=0.007)が認められた.このことからチオレドキシン発現量はシスプラチン獲得耐性だけでなく自然耐性にも相関することが示された. 3.ヒト卵巣癌細胞株A2780およびヒト大腸癌細胞株HT-29にヒトチオレドキシン発現ベクターをトランスフェクションしてチオレドキシン高発現細胞を樹立した.この細胞を用いてシスプラチン耐性度を検討したところ,チオレドキシンを高発現している細胞とmock transfectantとではシスプラチン耐性度に差がなく,チオレドキシンが単独ではシスプラチン耐性を誘導しないことが示された. 以上、本論文は培養ヒト癌細胞およびそのチオレドキシントランスフェクタントを用いた解析から、シスプラチン耐性細胞でチオレドキシンの発現が高いことおよびチオレドキシンが単独ではシスプラチン耐性を誘導しないことを明らかにした.本研究は,臨床上問題になっているシスプラチン耐性現象の予知・克服に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる. |