学位論文要旨



No 112836
著者(漢字) 河村,裕
著者(英字)
著者(カナ) カワムラ,ユタカ
標題(和) 大腸癌の肝転移形成における癌細胞表面上糖鎖の機能、および標的臓器因子の解析
標題(洋)
報告番号 112836
報告番号 甲12836
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1206号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大原,毅
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 幕内,雅敏
 東京大学 講師 針原,康
内容要旨 [はじめに]

 大腸癌の罹患率は近年増加傾向にあり、血行性転移機構の解明は治療成績の向上のために重要な課題である.大腸癌細胞上には正常大腸粘膜には発現されない分子が発現していることが知られている.sLeX糖鎖抗原に関しては、ヒト大腸癌の切除標本の免疫組織学的検討で、発現が臨床病期と相関して上昇すること、および同一臨床病期の患者をsLeX糖鎖抗原の発現量により2群に分けると、高発現群の予後が悪いことがretrospective studyで報告されている.さらに、同一患者の原発巣と肝転移巣を比較すると、転移巣の方がsLeX糖鎖抗原の発現が高いことが示されている.一方で、生理的にはsLeX糖鎖抗原は顆粒球上に発現しており、このsLeX糖鎖抗原は、活性化された血管内皮細胞上に発現されるE-セレクチンと結合する接着分子であることが報告されている.

 以上の事実に基づき、以下の仮説をたてた.

 1.大腸癌の原発巣での増殖と共に、癌細胞中に糖鎖抗原sLeXを発現するpopulationが出現し、次第にその割合が増加する.

 2.癌の粘膜下層への浸潤と共に、血管内に遊離する癌細胞が出現する.そのうち、表面にsLeX糖鎖抗原を発現している細胞は、転移標的臓器において内皮細胞との接着に有利に働く.

 3.従って、原発巣においてsLeX発現細胞の占める割合が高い症例は血行性転移を来す可能性が高い.

 以上の仮説に基づき、癌細胞上に発現されるsLeX糖鎖抗原の肝転移形成における機能を解明することを本研究の目的とした.

[ヒト大腸癌sLeX糖鎖抗原発現バリアント細胞における糖転移酵素活性の検討]

 本研究では、表面にsLeX糖鎖抗原を発現している細胞が転移しやすい形質を有していると考え、細胞表面のsLeX糖鎖抗原の発現量の異なるヒト大腸癌バリアント細胞株(ヒト大腸癌細胞sLeX糖鎖高発現株KM12-HXおよび低発現株KM12-LX)を実験モデルとして用いた.この細胞におけるsLeX糖鎖抗原発現量の違いをもたらす機構を明らかにするため、sLeX糖鎖抗原の合成に必要な糖転移酵素の活性を測定した.その結果、KM12-HX細胞では、KM12-LX細胞と比較して、sLeX糖鎖抗原合成に必要である(1-3)fucosyltransferase活性が高いことが示された(図1).

図1 KM12-HX細胞及びKM12-LX細胞のfucosyltransferase活性
[マウス肝内でのヒト大腸癌sLeX発現バリアント細胞の初期分布]図 2蛍光ラベルした癌細胞の肝臓での分布

 癌細胞が肝臓内に到達した後に、肝内のどの部位で生着するのかを明らかにすること、およびその肝臓内での生着に関して、癌細胞表面上のsLeX糖鎖抗原の発現量がどのような影響を及ぼすか検討する目的で、画像解析装置ARGUSを用いて、intravital及びin vivoでの検討を行った.蛍光ラベルしたKM12-HX細胞およびKM12-LX細胞をマウス脾臓に注入し、注入直後および24時間後までの経過を観察した.門脈を介して肝臓に到達した癌細胞の分布の主座は、門脈および門脈間の結合組織であり、これはsLeX糖鎖発現量により影響を受けなかった(図2).時間経過と共に肝臓内に分布する細胞数は減少した.24時間後に残存するKM12-HX細胞、およびKM12-LX細胞の数に有意差は認められなかった.24時間後に細胞が残存している部位はシヌソイド内であった.

[ヒト大腸癌sLeX発現バリアント細胞のヒト肝凍結切片への接着性の検討]

 大腸癌異時性肝転移症例の標本から正常肝部分を摘出し凍結切片を作製して、KM12-HX細胞およびKM12-LX細胞の接着性を検討した.KM12-HX細胞はKM12-LX細胞と比較して、ヒト肝凍結切片への接着性が高かった.KM12-HX細胞のヒト肝凍結切片への接着性は、癌細胞の抗sLeX単クローナル抗体KM93処理によっても、肝凍結切片の抗E-セレクチン単クローナル抗体処理によっても阻害されなかった.KM12-HX細胞をendo--galactosidaseを用いて消化することにより、sLeX糖鎖抗原の発現量は減少し、同時に肝凍結切片への接着性は減少した.

図3 KM12-HX細胞及びKM12-LX細胞のヒト肝凍結切片への接着性とそれに及ぼすEndo--galactosidase処理の影響

 以上の結果より、(1)KM12-HX細胞およびKM12-LX細胞を比較すると、ヒト肝凍結切片に対する接着性に差が認められた.(2)両細胞は表面上のsLeX糖鎖抗原発現量の差によって確立されたバリアント細胞株であるが、接着性の差をもたらしている分子は、SLeX糖鎖自体ではなく、endo--galactosidaseによって消化され、sLeX糖鎖抗原の発現量と相関して発現するなんらかの糖鎖であると考えられた.

[ヒト大腸癌sLeX発現バリアント細胞の肝凍結切片に対する接着性に関与する分子の解析]

 本研究の仮説によると、癌細胞の肝臓における転移形成のステップのうち、接着に関して、癌細胞表面上に発現されたsLeX糖鎖抗原が関与していると考えていたが、これまでの実験の結果より、sLeX糖鎖抗原は直接接着には関与していない可能性が示唆された.そこで.癌細胞と肝臓との接着機構を解明するために、KM12-HX細胞とKM12-LX細胞の接着性に差をもたらしている肝臓側のリガンドを同定することを試みた.マウス肝のビオチン化lysateのKM12-HX細胞とKM12-LX細胞への吸着画分を作製し、Western Blotting後にbiotin-streptavidin法により発色した結果、約110kDaのKM12-HX細胞およびKM12-LX細胞に異なる接着性を持つ肝内の膜表面糖蛋白を同定した.この糖蛋白を精製することにより、大腸癌の肝転移成立の際に関与する、肝臓側の接着分子が明らかになる可能性がある.また、この分子に対するKM12-HX細胞上のリガンドを同定することにより肝臓における癌細胞の接着に関与する癌細胞上の分子も解明されることが期待される.

[まとめ]

 (1)癌細胞が肝臓において初期に分布する部位は、主として門脈内及び門脈間結合組織内であった.24時間後には細胞はシヌソイド内に残存しており、癌細胞表面上のsLeX糖鎖発現量の影響は認められなかった.

 (2)sLeX糖鎖抗原高発現細胞は、低発現細胞と比較してヒト肝凍結切片への接着性が高かった.endo--galactosidase処理によりsLeX糖鎖抗原高発現細胞の接着性は低下し、低発現細胞と差がなくなった.

 (4)sLeX糖鎖抗原高発現細胞と低発現細胞のヒト肝凍結切片への接着性の差に関与する肝臓側の因子として、110kDaの分子を同定した.

図4KM12-HX細胞とマウス肝凍結切片との接着性に関与する肝臓に発現された分子の解析.レーン1,KM12-HX細胞への非吸着画分.レーン2,KM12-LX細胞への非吸着画分.レーン3,KM12-HX細胞への吸着画分.レーン4,KM12-LX細胞の吸着画分.矢印,110kDa.
審査要旨

 本研究は大腸癌の肝転移成立の機構を明らかにすることを目的とし、糖鎖抗原sialyl Lewis X(sLeX)の発現量の異なるヒト大腸癌バリアント細胞株KM12-HXとKM12-LXを用いた実験系で大腸癌の肝転移成立の初期段階における癌細胞の動態とそれに与える細胞表面上のsLeX発現量の影響を検討したものであり、以下の結果を得ている.

 1.sLeX発現バリアント細胞を用いて、細胞表面上のsLeX発現量を制御する機構を明らかにするため、sLeX糖鎖抗原合成の最終段階に働く糖転移酵素であるfucosyltransferase活性を測定した.その結果、sLeX高発現細胞であるKM12-HX細胞では、sLeX低発現細胞であるKM12-LX細胞と比較してfucosyltransferaseの活性が高く、この酵素が癌細胞表面上のsLeX糖鎖抗原の発現量を制御している可能性が示された.

 2.蛍光ラベルしたKM12-HX細胞およびKM12-LX細胞をマウス脾臓に注入し、門脈を経て肝臓に到達した時点での細胞の動態を生体蛍光顕微鏡を用いてin travitalおよびin vivoの系で観察した.その結果、肝臓内に到達した直後には癌細胞は門脈および門脈間の結合組織内に分布すること、24時間後までに次第に肝臓内に残存する細胞数は減少すること、24時間後細胞が残存している部位はシヌソイド内であること、このような初期の癌細胞の動態には細胞表面上のsLeX糖鎖抗原発現量は影響を及ぼさないことが明らかにされた.

 3.肝内に残存した細胞がシヌソイド内に分布していたことより、ヒト肝凍結切片を用いて、sLeX発現バリアント細胞株と肝臓の実質部分との接着性を検討した.その結果、sLeX高発現細胞は低発現細胞と比較してヒト肝凍結切片への接着性が高いこと、この接着性は抗sLeX単クローナル抗体によっても、抗E-selectin単クローナル抗体によっても阻害されないことが示された.一方この接着性は細胞をEndo--galactosidase処理することにより阻害されたことから、接着性に直接関与しているのはsLeX糖鎖抗原自身ではなく、sLeX糖鎖抗原と相関して発現量の変化する他の糖鎖抗原である可能性が示唆された.

 4.大腸癌細胞の肝凍結切片への接着に関与している肝臓内の分子を解析する目的で、ヌードマウスの肝を用い膜蛋白をビオチンラベルしてlysateを作製し、このlysateのsLeX糖鎖抗原発現バリアント細胞への吸着画分を分離した.この結果、sLeX高発現細胞と低発現細胞では分子量110kDaの分子の吸着に差が認められ、この分子が癌細胞と肝臓との接着に関与している可能性が示された。

 以上、本論文はsLeX糖鎖抗原発現バリアント細胞を用いた実験系で、大腸癌の肝転移成立の過程における癌細胞の分布の主座を明らかにした.また癌細胞表面の糖鎖抗原が肝臓に対する接着性と相関することを示し、およびその接着性に関与する癌細胞側の分子に対する新しい知見を与えた.さらに癌細胞と肝臓との接着に関与する肝臓側の分子を同定した.以上より本研究は大腸癌の肝転移成立機構を明らかにする上で重要な貢献なすと考えられ、学位の授与に価するものと考えられる.

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