学位論文要旨



No 112839
著者(漢字) 恩田,正徳
著者(英字)
著者(カナ) オンダ,マサノリ
標題(和) 細胞癌化におけるErbB-2蛋白質の発現、並びにErbB-2蛋白質を介する細胞癌化のシグナル伝達機構の研究
標題(洋)
報告番号 112839
報告番号 甲12839
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1209号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 教授 武藤,徹一郎
 東京大学 教授 大原,毅
内容要旨 序章

 1980年、T.Hunterらがラウス肉腫ウイルスのsrc癌遺伝子産物にチロシンキナーゼ活性を見いだして以来、今日までに数多くのチロシンキナーゼ活性が癌遺伝子産物に見いだされている。c-erbB-2遺伝子産物はこのようなチロシンキナーゼの一員である。その生物学的意味は現在不明であるが、乳癌など上皮系の悪性腫瘍においてはErbB-2蛋白質の発現が予後に影響を与えることが数多く報告されている。この癌化に関係すると考えられるErbB-2蛋白質について研究を進めた。第1章では、これまで報告されていなかった、ヒト骨肉腫の凍結組織標本におけるErbB-2蛋白質の発現を示し、その発現の程度と臨床データとの関連を述べた。第2章では、癌化におけるErbB-2蛋白質を介するシグナル伝達経路を考える上で、新規のシグナル伝達分子となりうるErbB-2蛋白質結合分子Tobの機能解析を行った。TobはErbB-2蛋白質と結合する蛋白質としてWest-Western法を用いてクローニングされた増殖抑制遺伝子である。ErbB-2蛋白質はこの増殖抑制遺伝子の機能を阻害することにより細胞増殖を促進する可能性が考えられている。

第1章骨肉腫におけるErbB-2蛋白質の発現とその臨床的意義[材料と方法](患者とその生検標本)

 東京大学病院及び帝京大学病院において治療された骨肉腫患者26名よりの生検時組織標本を用いた。全ての標本は本研究使用まで摂氏-80度に凍結保存された。

(ウエスタンブロッティング)

 凍結組織標本をRIPA bufferで可溶化し、各標本の可溶化液を7.5%SDS-ポリアクリルアミドゲルに電気泳動した。ゲル上の蛋白質をニトロセルロースフィルターに電気的にトランスファーし抗ErbB-2抗体でブロットした。

(免疫組織化学染色)

 ホルマリンまたはパラフィン固定組織標本切片をStreptoavidin-biotin-peroxidase法を用いて染色した。抗体はウエスタンブロッティングと同様のものを用いた。

(サザンブロッティング)

 腫瘍組織よりフェノール抽出法を用いてゲノムDNAを調製した。EcoRIで切断し、アガロースゲルに電気泳動後、フィルターにトランスファーし、ヒトc-erbB-2全長のcDNAをプローブとして用いてサザンブロッティングを行った。DNA量のコントロールとしてヒトアクチンcDNAをプローブとして用いた。

(PCR-SSCP法)

 c-erbB-2遺伝子膜貫通部位の変異を検出するためにPCR-SSCP法を用いた。膜貫通部位を増幅するようなPCRプライマーを作成し、PCRを30サイクル行った。その反応液をグリセロール加非変性ポリアクリルアミドゲルで電気泳動した。オートラジオグラフィーを行い、検出した異常バンドをゲルより切り出しシークエンスを行った。

(統計処理)

 患者の生存率はKaplan-Meier life table methodを用いた。臨床データとErbB-2蛋白質発現の関連は、カイ二乗検定を用いて評価した。

[結果](骨肉腫組織におけるErbB-2蛋白質の発現)

 ウエスタンブロッティングにより26症例中11例の組織(42%)にErbB-2蛋白質の発現を認めた。得られたバンドは185kDで欠失したErbB-2蛋白質は認めなかった。ウエスタンブロッティング陽性10例と陰性8例について免疫組織化学染色を行ったところ、ウエスタンブロッティングと免疫組織化学染色におけるErbB-2蛋白質発現の有無は一致した。

(サザンブロッティング)

 ウエスタンブロッティングによるErbB-2蛋白質陽性11例に、c-erbB-2遺伝子の著明な増幅や著明な変異は認められなかった。

(PCR-SSCP法によるc-erbB-2遺伝子膜貫通部位の変異の検出)

 ErbB-2蛋白質を活性化させるような変異は存在しなかった。

(ErbB-2蛋白質の発現と臨床データとの関連)

 ウエスタンブロッティングでのErbB-2陽性群の生存率は陰性群に比べて有意に低かった(P<0.01)。さらに、ErbB-2蛋白質の発現と肺転移との関連も認められた(P<0.05)。ErbB-2蛋白質陽性症例では術前化学療法無効例が多かった(P<0.01)。

[考察]

 これまでにErbB-2蛋白質の発現が報告されていた腫瘍は乳癌や胃癌など上皮系由来のものであり、肉腫や血球系悪性腫瘍での発現の報告はほとんどなかった。正常な骨組織でのErbB-2蛋白質の発現はないものと報告されている。今回我々は42%の骨肉腫症例にErbB-2蛋白質の発現を見いだし、生存率など臨床データと有意な関連を認めることを見いだした。従って、骨肉腫組織におけるErbB-2蛋白質の発現の検索は治療開始前の患者の予後判定に極めて有用であると思われた。ウエスタンブロッティングによる迅速な診断は、過大な手術療法の見直しや遠隔転移の早期発見に役立つものと思われる。

 ウエスタンブロッティング、サザンブロッティング、PCR-SSCP法の結果より、骨肉腫でのErbB-2蛋白質の発現はDNAレベルの異常ではなく転写、翻訳のレベルでの異常によるものと考えられた。

第2章癌化におけるErbB-2蛋白質による細胞増殖促進作用の研究(ErbB-2結合分子Tobの機能解析)[方法](コンストラクション及び各コンストラクトの細胞内での発現)

 tobの各種変異を導入したcDNAを、SRをプロモーターとするpME18S発現ベクターに組み込んだ(Fig.1)。

 各発現プラスミドはHEK293T細胞にリン酸カルシウム法でトランスフェクションし、ウエスタンブロッティングを行い、細胞内での発現を確認した。

(コロニーフォーメイションアッセイ)

 NIH3T3細胞に各発現プラスミドとpRSVneoを20:1の量でトランスフェクションした。48時間経過後G418含有培地に交換しセレクションを始めた。2週間後、プレートのまま細胞を固定し、ギムザ染色液で染色した。

(マイクロインジェクション)

 NIH3T3細胞を0.1%Calf Serum加DMEMで24時間インキュベートする。その後、pMEGFPと各種発現プラスミドを共にマイクロインジェクションする。さらに、マイクロインジェクション前と同条件で24時間インキュベートした後10%Calf Serum・BrdU・DMEMに換えた。この条件で18時間インキュベート後、ホルマリン固定し、抗BrdU抗体で免疫蛍光染色を行った。GFP発光細胞を最低120個以上計数し、(BrdU陽性細胞数)/(GFP発光細胞数)を求めた。

(GST融合蛋白質の作成)

 Tob各種変異体のcDNAフラグメントをpGEX-3Xベクターに導入しGST融合蛋白質の発現プラスミドを構築した。このプラスミドを大腸菌にトランスフォーメイションし、蛋白質作成の誘導を行った。大腸菌液を超音波破砕し、グルタチオンアガロースにGST融合蛋白質を吸着させた。

(細胞ライセイトを用いたGST融合蛋白質とのアフィニティー蛋白質の分析)

 Jurkat細胞をRIPA bufferで可溶化後、グルタチオンアガロースビーズに固定したGST-Tob変異体融合蛋白質2gと摂氏4度で150分間穏やかに混合した。RIPA bufferで5回洗浄し結合蛋白質をSDSポリアクリルアミドゲルで電気泳動した後、フィルターにトランスファーし、各種抗体(Cdk)でブロットした。

[結果](コロニーフォーメイションアッセイ)

 Wild typeのTob発現プラスミドでは、コントロールの発現プラスミドに比ベネオマイシン耐性コロニーは極めて少数しかできなかった

(マイクロインジェクションによるTob及びTob変異体発現プラスミドの導入)

 Tobは細胞増殖を負に制御する機能を有することよりTobが細胞周期をある特定の時期で止める可能性が考えられる。細胞周期G0/G1-S期の進行へのTob発現プラスミドの効果を調べるために、血清飢餓状態のNIH3T3細胞にTob発現プラスミド並びにGFP発現プラスミドをマイクロインジェクションで導入した。その結果、TobがG0/G1-S期への細胞周期の進行をブロックする機能を持つことが示唆された。また、各種変異体プラスミドのマイクロインジェクションにより、Tobの1-103アミノ酸領域と104-163アミノ酸領域に細胞周期の進行を阻止する機能があることが示された。

(GST-Tob融合蛋白質と各種Cdkとの結合特性)

 GST-Tob融合蛋白質はCdk2,Cdk4,Cdk6と結合特性を持つことが示された。また、in vitroではTobの1-103アミノ酸領域で各種Cdkと結合特性を持つことが示された。

(GST-Tob融合蛋白質とhCAF1との結合特性)

 我々の研究室ではTobとhCAF1とが相互作用することが確認されている。GST-Tob融合蛋白質を用いてhCAF1との結合特性を調べたところTobの104-163アミノ酸領域と結合することが示された。

[考察]

 ErbB-2を介するシグナル伝達経路の下流分子である可能性のあるTob蛋白質の機能を解析したところ、Tobの細胞周期制御ドメインは2ケ所存在し、各々はCdk、hCAF1とin vitroで結合特性を持つことが示された。TobがCdk2、Cdk4、Cdk6と結合特性を持つこと、並びにG0/G1-S期への細胞周期の進行を阻止する機能を有することより、TobはCip/KipファミリーのようなCdkインヒビターの機能を有する可能性が示唆された。

 ErbB-2からのシグナルは、Shc-MAPKinaseのシグナル伝達経路で細胞増殖を刺激する傍ら、Tobのような増殖抑制因子をも制御することにより、細胞を増殖促進の方向に進ませる可能性が示唆された。

Figure 1 細胞周期制御機能、Cdk2結合特性、Cdk4結合特性、hCAF1結合特性の要約
審査要旨

 本論文は、細胞癌化におけるErbB-2蛋白質の発現について2つの方向から解析を加えたものである。

 第1章では骨肉腫の臨床組織凍結標本を用いて、ErbB-2蛋白質の発現とその臨床的意義について解析しており、第2章ではErbB-2蛋白質を介する細胞癌化のシグナル伝達経路下流に位置する可能性のある、ErbB-2結合分子Tobの機能解析を行っている。

第1章骨肉腫におけるErbB-2蛋白質の発現とその臨床的意義

 ErbB-2蛋白質はこれまで乳癌、胃癌など多くの悪性腫瘍で発現が認められているが、肉腫や血球系腫瘍での発現の報告はほとんどなかった。また、正常骨組織ではErbB-2蛋白質の発現はないものと報告されている。この論文では、骨肉腫におけるErbB-2蛋白質の発現を以下のような分子生物学的手法並びに統計学的手法を用いて解析している。

 骨肉腫臨床組織凍結標本26例を材料として、ErbB-2抗体を用いたウエスタンブロッティング、c-erbB-2cDNAをプローブとするサザンブロッティング、およびc-erbB-2膜貫通部位の点変異を調べるためにPCR-SSCP法を行った。その結果骨肉腫26例中11例(42%)にErbB-2の発現を認めた。ウエスタンブロッティング、サザンブロッティング、およびPCR-SSCP法の結果より、骨肉腫症例ではDNAレベルでの異常は認められなかった。従って、骨肉腫におけるErbB-2蛋白質の発現は転写、翻訳のレベルでの何らかの異常が原因と考えられた。次に、これらErbB-2蛋白質の発現と臨床経過との関連を統計学的に解析した。その結果次のような知見が得られた。第1に、ErbB-2蛋白質陽性症例では1年生存率が61%であり、3年生存率は14%であった。それに対し、ErbB-2蛋白質陰性症例では1年生存率100%であり、3年生存率は84%であった。第2に、ErbB-2蛋白質の発現と肺転移との関連が統計学的に有意であった(P<0.05)。また、ErbB-2蛋白質陽性症例では、初診より6カ月以内に肺転移を生じるリスクが高かった(P<0.05)。第3に、ErbB-2の発現と化学療法非感受性に関連が認められた(P<0.01)。これらのデータより、ErbB-2蛋白質は骨肉腫症例において細胞を増殖させ、更に、遠隔転移能を高める役割を果たしていることが示唆された。

 ErbB-2蛋白質の発現検索に用いるウエスタンブロッティングは、少量のサンプルしか必要とせずしかも容易に行える。ウエスタンブロッティングによる迅速な診断は、過大な手術療法の見直しや、遠隔転移の早期発見にとって極めて有用となる可能性がある。

第2章癌化におけるErbB-2蛋白質による細胞増殖促進作用の研究(ErbB-2蛋白質結合分子Tobの機能解析)

 ErbB-2蛋白質結合分子であるTobの機能を解析するため各種Tob変異体の発現プラスミドを作成し、その細胞増殖抑制に及ぼす影響を分子生物学的、細胞生物学的手法を用いて解析している。9種類のTobおよびTob変異体の発現プラスミドを構築し、コロニーフォーメーションアッセイ、マイクロインジェクションを行い、Tob蛋白質のもつ増殖抑制の機能ドメインを検索した。さらに、GST-Tob融合蛋白質を用いて、Tobの増殖抑制ドメインと結合特性のある蛋白質を同定している。コロニーフォーメーションアッセイ、マイクロインジェクションの結果、Tobの増殖抑制ドメインは1-103アミノ酸領域、並びに104-163アミノ酸領域であることが示唆された。この領域を含むようなGST-Tob変異体融合蛋白質を数種類作成し、それらと結合特性のある蛋白質を調べたところ、前者の領域ではCdk2,Cdk4,Cdk6との結合特性が認められ、後者の領域ではhCAF1(human CCR4 Associated Factor 1)との結合特性が認められた。

 ErbB-2蛋白質からのシグナルはShc-MAPKinaseのシグナル伝達経路で細胞増殖を刺激する傍ら、Tobのような増殖抑制因子をも制御することにより、細胞を増殖促進の方向に進ませる可能性が考えられる。

 以上、本研究は、骨肉腫におけるErbB-2蛋白質の発現を初めて明らかにしており、更に、その発現と臨床経過とが関連することを明らかにした。また、ErbB-2蛋白質結合分子Tobの細胞周期制御機能ドメインの同定を行った。前者は、骨肉腫疾患の臨床診断ならびに予後判定の進歩に貢献しうるものであり、後者は、ErbB-2蛋白質を介する新規シグナル伝達経路の解明に重要な貢献をなしうるものであるため、学位授与に値すると認められる。

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