学位論文要旨



No 112840
著者(漢字) 小崎,慶介
著者(英字)
著者(カナ) コサキ,ケイスケ
標題(和) 血管内皮細胞の顆粒球・マクロファージコロニー刺激因子産生に及ぼす流れずり応力の効果
標題(洋)
報告番号 112840
報告番号 甲12840
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1210号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 助教授 中塚,貴志
 東京大学 客員助教授 安藤,譲二
内容要旨

 コロニー刺激因子(CSF)は,T細胞や線維芽細胞から産生され,主に骨髄で造血前駆細胞に作用してこれらの増殖,分化を促進するサイトカインである.近年,CSFが血管内皮細胞からも産生され,造血だけではなく,内皮細胞の増殖や遊走を刺激したり血中コレステロールを低下させる作用が発見され,血管新生やリモデリング,あるいは粥状動脈硬化の進展にも関与する可能性が指摘されるようになった.

 一方,血管内皮細胞は選択的物質透過性を有する抗血栓性の細胞層として働くばかりではなく,血管のトーヌスや血管壁の構造維持に重要な多くの生理活性物質を産生し血管機能の調節に中心的役割を果たしている.最近,この内皮の多彩な機能がホルモンなどの化学的刺激だけでなく血流に起因する流れずり応力といった機械的刺激によって修飾されることが分ってきた.さらにずり応力の効果が内皮の遺伝子発現にも及ぶことが明らかになった.

 そこで,本研究では血管内皮細胞のCSFの産生分泌に対する血流因子の関与を検討する目的で,培養内皮細胞に流れ負荷装置で定量的な流れずり応力を作用させ,GM-CSFの産生の変化をin vitroで検討した.

【方法】

 1)細胞培養と流れ負荷 継代数3-5のヒト臍帯静脈血管内皮細胞(HUVEC)をガラス板上に培養し,平行平板型流れ負荷装置を用いて培養液を灌流させ,3-25dyn/cm2のずり応力刺激を1-48時間加えた.

 2)GM-CSF 蛋白定量HUVECに流れ負荷を加え,灌流液中のGM-CSF蛋白濃度をELISAで定量した.

 3)mRNAレベルの定量HUVECの全RNAをAGPC法によって抽出した後,GM-CSF及びグリセルアルデヒド3リン酸脱水素酵素(GAPDH)の遺伝子の塩基配列を基に作成したプライマーを用いて逆転写PCR法によって定量した.ずり応力刺激による相対的なmRNAレベルの変化を,電気泳動して得られたGM-CSFとGAPDHのバンドの放射活性の比をとり,静的コントロールと比較して評価した.

 4)転写制御の解析;GM-CSF遺伝子にはずり応力応答配列(shear strsess responsive element;SSRE)とされているGAGACCの配列がエクソン2とエクソン3の間(610-615bp)に存在する.また,転写開始点の上流3kb付近を中心とする716bpの領域には既知の転写因子であるAP-1(activator protein-1)の認識配列が存在する.これらの配列を含む2種類のGM-CSF遺伝子断片をクローニングしてルシフェラーゼベクターに組込み,ウシ大動脈内皮細胞に導入し,流れ負荷をかけて転写活性の変化を測定しSSREおよびAP-1siteの関与を検討した.

 5)GM-CSF mRNA stabilityの解析;流れ負荷をかけた細胞をActinomycin Dにて処理して新規の転写を停止した後,全RNAを抽出して,競合PCR法により,GM-CSF mRNAの絶対量を定量した.これを,Actinomycin D処理の時間経過に対してプロットしてGM-CSF mRNAの半減期を求めた.

 6)培養内皮の再生能に及ぼすGM-CSFの効果;ディッシュ上に培養したHUVECの一部をcell scraperで剥離した後,recombinant human GM-CSFを添加し,24時間後までに健常部から剥離部へ遊走した細胞の数と遊走距離を計測した.

【結果】

 1)ずり応力は内皮細胞の形態変化を起こす;15dyn/cm224時間の流れ負荷によってHUVECは,細長く変形して,長軸を流れの方向に向けて配列した.これは,本研究の実験系で流れ負荷が適切に加えられ,HUVECが正常に反応していることを示している.

 2)ずり応力はHUVECのGM-CSF蛋白の産生量を増加させる;ELISAで測定した灌流液中のGM-CSF蛋白レベルは15dyn/cm224時間の流れ負荷後に,静的コントロールの7倍に増加した(流れ負荷5.6±0.6pg/106cells vs.静的コントロール0.8±0.3pg/106cells).流れ負荷によるGM-CSF蛋白レベルは流れ負荷の時間及び流れ負荷の強さに依存して増加した.

 ずり速度とずり応力の効果を分けて評価するため,通常の培養液(低粘性液)と,これに5%dextranを溶解し粘性を4倍に増加させた灌流液(高粘性液)の2種類を用いて6時間の流れ負荷を加えた.その結果同一のずり速度では,よりずり応力の高くなる高粘性液の場合が低粘性液の場合と比較して常にGM-CSF蛋白レベルが高かった.このことは,GM-CSF蛋白の分泌量が,ずり速度よりもむしろ機械的刺激であるずり応力に依存して増加することを示唆している.

 3)ずり応力はGM-CSFのmRNAレベルを上昇させる;HUVECのGM-CSFのmRNAレベルは15dyn/cm2,24時間の流れ負荷で静的コントロールの3.7倍に上昇した.GM-CSFのmRNAレベルの時間経過は流れ負荷開始後2時間でコントロールの1.5倍に上昇し,24時間後にピーク(3.7倍)を示し,48時間後で2.3倍まで漸減した.同様に灌流液の粘性を変えて流れ負荷を加えると,同一のすり速度では,よりずり応力の高い高粘性液の場合が低粘性液の場合と比較して常にGM-CSF mRNAレベルは上昇した.このことはGM-CSF mRNAレベルが,蛋白と同様にずり応力に依存して増加する事を示唆している.

 4)ずり応力によるGM-CSF mRMA上昇にGAGACC(SSRE)やAP-1 siteは関与していない;GAGACC(SSRE)またはAP-1 siteを含んだ2種類のGM-CSF遺伝子断片を用いたルシフェラーゼアッセイでは,ずり応力によりGM-CSF遺伝子の転写はコントロールと比較して有意な上昇を示さなかった.このことは,GAGACCやプロモーター領域のAP-1 siteはずり応力によるGM-CSF mRNAのup-regulationには関与していないことを示している.

 5)ずり応力によるGM-CSF mRNA上昇にmRNA stabilityの増加が関与している;ずり応力負荷後にActinomycin Dを作用させた後のGM-CSF mRNAレベルの低下率は静的コントロールより減少していた.GM-CSF mRNAの半減期は流れ負荷時に静的コントロールの2倍に延長していた.4),5)の結果より,流れずり応力によるGM-CSF mRNAの増加は転写が亢進したというよりはむしろmRNAのstabilityが増加したために生じていることを示している.

 6)GM-CSFはHUVECの機能を修飾する;内皮細胞層一部剥離後の再生に及ぼすGM-CSF(100ng/ml)の効果を検討したところ,細胞遊走距離を約40%,遊走細胞数を約50%増加させることが判明した.このことはGM-CSFに内皮細胞の再生能をを刺激する作用のあることを示している.

【考察】

 本研究により,流れ負荷によって培養内皮細胞(HUVEC)のGM-CSF産生が蛋白レベル及びmRNAレベルで増加することが示された.灌流液の粘性を変えた実験で,この流れの効果はずり速度よりも機械的刺激であるずり応力に依存することが判明した.

 ずり応力にによりGM-CSFmRNAが増加したことは,ずり応力によりGM-CSF遺伝子の転写が亢進したか,mRNAのstabilityが増加した可能性を示している.クローニングしたGM-CSF染色体遺伝子のプロモーターを含むフラグメント(-4.0kb〜+1175bp,-2.5kb〜+1175bp)を組込んだリポーター遺伝子を導入した細胞でずり応力の効果を検討したが,転写は影響されなかった.Resnickら(1993年)によって血小板由来増殖遺伝子で同定されたGAGACCの配列のSSREはヒトGM-CSF遺伝子にも存在するが今回の結果から,GM-CSF mRNAのup-regulationには関与していないと考えられた.仮にGM-CSFにSSREがあるとすると,GAGACCとは異なり,その部位は転写開始点の4.0kbよりさらに上流か,もしくは3’側に存在すると思われた.また,今回の結果から,ヒトGM-CSF遺伝子のプロモータ領域に存在するAP-1siteも流れずり応力によるGM-CSF遺伝子発現の誘導には関与していないことが示唆された.

 mRNAのstabilityを評価する実験により,流れずり応力がGM-CSF遺伝子の転写を亢進させたというよりはむしろmRNAのstabilityを増加させたことによって,GM-CSF遺伝子の発現が誘導されたことが示された.流れずり応力刺激による内皮細胞の遺伝子発現の変化のメカニズムとしてこれまでに報告されているものは,もっぱらSSREを介したtranscriptional regulationであったが,本研究においては流れずり応力が遺伝子の発現をpost-transcriptionalにも制御する可能性が示された.

 本研究において,GM-CSFがHUVECの再生能を刺激する作用のあることが確認された.このことはおそらく内皮細胞にGM-CSFに対するreceptorが存在すること,内皮細胞から分泌されたGM-CSFがオートクライン,パラクラインに内皮細胞自身を刺激する可能性を示唆している.こうした機構は血流因子が血管新生や血管のリモデリングに関わる1つのpathwayかもしれない.一方,出血時や低酸素時に造血が亢進するが,その際に骨髄への血流が増加することが知られている.骨髄では造血にあずかる造血前駆細胞は血管に非常に近接していることを考えると血流増加がずり応力を介して内皮からのGM-CSFを増加させ,より造血を刺激する可能性がある.ずり応力による内皮からのGM-CSF産生量の刺激効果の生理的及び病理的意義は今後,検討すべき重要な課題であると思われる.

【総括】

 血管内皮細胞における顆粒球・マクロファージコロニー刺激因子(GM-CSF)の産生に及ぼす流れずり応力の効果を検討した.その結果,流れずり応力が内皮細胞においてGM-CSFの産生を蛋白レベル及びmRNAレベルで促進する作用があることが示された.

審査要旨

 本研究は,造血系サイトカインの血管内皮細胞における産生に対する流れずり応力の効果を明らかにするために,培養ヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)を材料として平行平板型流れ負荷装置を用いたin vitroの実験系にて,顆粒球・マクロファージコロニー刺激因子(GM-CSF)の産生を蛋白レベルおよび遺伝子レベルで検討したものであり,下記の結果を得ている.

 1.Enzyme-linked immnosorbent assay(ELISA)で測定した灌流液中のGM-CSF蛋白レベルは15dyn/cm224時間の流れ負荷後に,静的コントロールの7倍に増加し,流れ負荷の時間及び流れ負荷の強さに依存して増加していることが示された.さらに,ずり速度とずり応力の効果を分けて評価するため,通常の培養液(低粘性液)と,これに5%dextranを溶解し粘性を4倍に増加させた灌流液(高粘性液)の2種類を用いて6時間の流れ負荷を加えた.その結果同一のずり速度では,よりずり応力の高くなる高粘性液の場合が低粘性液の場合と比較して常にGM-CSF蛋白レベルが高かった.このことより,GM-CSF蛋白の分泌量が,ずり速度よりもむしろ機械的刺激であるずり応力に依存して増加することが示された.

 2.逆転写PCR法を用いたHUVECのGM-CSFのmRNAレベルの検討では15dyn/cm2,24時間の流れ負荷で静的コントロールの3.7倍に上昇した.GM-CSFのmRNAレベルの時間経過は流れ負荷開始後2時間でコントロールの1.5倍に上昇し,24時間後にピーク(3.7倍)を示し,48時間後で2.3倍まで漸減した.同様に灌流液の粘性を変えて流れ負荷を加えると,同一のずり速度では,よりずり応力の高い高粘性液の場合が低粘性液の場合と比較して常にGM-CSF mRNAレベルは上昇した.このことよりGM-CSF mRNAレベルが,蛋白と同様にずり応力に依存して増加する事が示された.

 3.GM-CSF遺伝子に含まれるずり応力応答配列(GAGACC)またはAP-1siteを含んだ2種類のGM-CSF遺伝子断片を用いたルシフェラーゼアッセイでは,ずり応力によりGM-CSF遺伝子の転写はコントロールと比較して有意な上昇を示さなかった.このことより,GAGACCやプロモーター領域のAP-1siteはずり応力によるGM-CSF mRNAのup-regulationには関与していないことが示された.

 4.ずり応力負荷後にActinomycin Dを作用させた後のGM-CSF mRNAレベルの低下率は静的コントロールより減少していた.GM-CSF mRNAの半減期は流れ負荷時に静的コントロールの2倍に延長していた.3),4)の結果より,流れずり応力によるGM-CSF mRNAの増加は転写が亢進したというよりはむしろmRNAのstabilityが増加したために生じていることが示唆された.

 5.内皮細胞層一部剥離後の再生に及ぼすGM-CSF(100ng/ml)の効果を検討したところ,細胞遊走距離を約40%,遊走細胞数を約50%増加させることが判明した.このことからGM-CSFに内皮細胞の再生能をを刺激する作用のあることが示された.

 以上,本論文は,流れずり応力負荷がヒト臍帯静脈内皮細胞における顆粒球・マクロファージコロニー刺激因子の産生を蛋白レベル・遺伝子レベルで刺激することを明らかにした.本研究は,流れずり応力が血管内皮細胞における造血系サイトカインの産生を修飾させうることを明らかにすると同時に,流れずり応力が遺伝子の発現を転写レベルだけでなく,転写後の段階でも修飾しうることを明らかにした.これらのことは,ずり応力をはじめとするメカニカルストレスが細胞に効果を及ぼすメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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