学位論文要旨



No 112844
著者(漢字) 岩本,拓
著者(英字)
著者(カナ) イワモト,タク
標題(和) 毛の成長に対する細胞内カルシウム及びプロテインキナーゼCの影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 112844
報告番号 甲12844
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1214号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 助教授 古江,増隆
 東京大学 講師 織田,弘美
内容要旨 研究の目的

 体表を覆う毛は、皮膚を保護、重金属の排出など、非常に多くの役割を果たしている。また、ヒトの頭毛は社会的な属性やアイデンティティを表出する役割があり、露出部であることから、この部の毛の成長には高い関心がもたれている。こうした毛の成長に関しては数多くの研究がなされてきたものの、分子生物学的ならびに生理学的な機序については不明な点が多い。近年毛包の器官培養法が開発され、この系を用いて毛の成長のメカニズムを解明する試みが行なわれるようになり、毛の成長を直接に促進または、抑制する生理活性物質や薬剤が同定されるようになった。成長因子等の生理活性物質の受容体への結合は、多くの細胞で細胞内カルシウム(Ca2+)濃度の上昇を引き起こす。細胞内Ca2+は、普遍的な細胞内セカンドメッセンジャーとして、プロテインキナーゼC(PKC)やCa2+-カルモジュリン依存性プロテインキナーゼ(CaM-キナーゼ)といった細胞内リン酸化酵素の活性化を介してその作用を細胞内に伝える。

 この細胞内リン酸化や細胞内Ca2+は、毛の成長にとって相応の役割を果たすと推察されてはいるが、その役割はほとんど解明されていない。今回、新生仔ラットのヒゲ毛包を器官培養して、毛の成長を観察すると共に、毛根部のスライス標本を作製して、毛根を構成する細胞内のCa2+濃度を測定した。ついで細胞内リン酸化を阻害する薬物や、発毛促進剤として知られているminoxidilなどを培養液中に加えて毛の成長を観察すると共に細胞内Ca2+濃度の経時的変化を観察した。その結果、毛の成長にとって細胞内Ca2+や細胞内PKCの活性が重要な役割を果たしていることが判明した。

材料と方法1.新生仔ラットヒゲ毛包の器官培養

 毛包の器官培養は従来からマウス、ラットの胎仔または新生仔の皮膚、毛包または、成人女性ヒト前頭部の毛包などを用いて行なわれてきた。ヒトの毛包は、隣接する毛包でも、毛周期上の相がしばしば異なっており、また常時容易に多数入手することは困難である。一方哺乳動物では、毛は波状に同時期に成長するので、年齢と採取部位を揃えれば、毛周期のそろった毛包を多数入手することが可能である。そこで、今回の研究では新生仔ラットのヒゲ毛包を器官培養して、プロテインキナーゼC(PKC)の活性化剤であるphorbol-12,13-dibutyrate(PDBu)の効果を観察・測定した。同時に毛根部のスライス標本を作製して、毛根を構成する細胞内のCa2+イオン濃度を測定した。新生仔ラットの上口唇よりヒゲ毛包を摘出し、無血清DMEM培養液と共にインキュベートし、24時間毎に観察し、毛の身長を測定した。

2.ラットヒゲ毛包細胞内Ca2+濃度測定

 ヒゲ毛包毛根部から厚さ200mのスライス標本を作り、特に制作した測定用チャンバー中にコラーゲン・ゲルで包埋し、DMEM培養液で満たした。培養液中にfluo-3(5M)を負荷した。共焦点レーザー顕微鏡(Zeiss,Axiovert及びLSM410システム)により励起波長488nmで観察・撮影し画像解析の後、蛍光強度を測定した。

結果1.器官培養下のヒゲ毛包の成長

 無血清器官培養したヒゲ毛包は生体内での成長にほぼ匹敵する速度(211±35.7m/day±35.7)で、最長7日間成長を続けた。10%血清の添加により毛の成長は抑制された(164±27.9m/day)が、このとき毛の成長促進剤であるminoxidil(100M)を作用させるとこの抑制は消失した(208±45.2m/day)。しかし、無血清培養液中に100M minoxidilを添加しても成長速度は平均174.4±34.1m/dayと、無血清培養液中ではminoxidilの毛の成長促進作用は認められなかった。

 DMEM培養液中のCa2+濃度(2mM)をキレート剤(EGTA)を用いて低下させると培養液中Ca2+濃度の低下にしたがって毛の成長が抑制された。この毛の成長抑制はCaCl2を用いて培養液中のCa2+濃度を補正することによりコントロール群にほぼ等しい毛の成長を回復することができた。

2.phorbol esterの作用

 無血清培養液中にリン酸化酵素活性化剤であるphobol ester(phorbol-12,13-dibutyrate)を添加し、毛の成長を観察し、成長速度を求めた。0.1-10nMの濃度ではphorbol ester非添加コントロール群の95-100%であった。100nM以上のPDBuは、用量依存的に毛の成長を抑制した(100nM:72.4-84.0%,1M:18.0-32.3%,10M:0-20.9%,解離定数Ki=316nM)。

3.PKC阻害剤の効果

 このPDBuの毛の成長抑制効果はPKCの特異的な阻害剤である、K252a,calphostin Cの投与により消失した。

1)K252a

 細胞内リン酸化酵素阻害剤K252aを無血清培養液中に添加し30分間のインキユベーションしたの後に、1M phorbol ester投与し、毛の成長を測定した。K252aは、1nMから100nMの濃度では、PDBu未処理コントロール群にくらべ25-30%とPDBuによる毛の成長抑制に影響を及ぼさなかった。しかし、1M以上の濃度では108-119%と毛の成長が回復した。解離定数(Ki)は24時間でKi値は69nM、48時間で56nM、72時間の培養でKi値は45nMであった。時間の経過に伴いKi値が変化した。すなわち、K252aはphorbol esterの毛の成長抑制作用を消失させた。無血清器官培養にK252aを単独で作用させた時には用量依存的な毛の成長抑制が認められた。用量依存曲線より解離定数を算出すると培養の継続と共にKi値が変化しているのが認められた。Ki値=69nM(24時間),56nM(48時間),45nM(72時間)

2)calphostin Cの効果

 細胞内リン酸化酵素PKCに特異的な阻害剤calphostin Cを無血清培養液中に添加後30分間インキュベーションの後に、1M phorbol esterを投与し、毛の成長を測定した。calphostin Cは1nM-100nMの濃度では、コントロール群に比べ28-48%の成長速度であったが、1Mの濃度では82-109%の毛の成長速度であった。すなわち、PKC特異的阻害剤であるcalphostin Cはphorbol esterの毛の成長抑制作用を消失させたと考えられた。calphostin C単独投与では用量依存的な毛の成長は認められなかった。

3)staurosporineの効果

 staurosporineは用量依存的に毛の成長を抑制した。Ki値は24時間の培養で3.9nM、48時間培養では1.2nMであった。

4)H-7の効果

 H-7は用量依存的に毛の成長を抑制した。Ki値は24時間の培養では56M、48時間の培養ではは9.9Mであった。

4.minoxidilの細胞内Ca2+イオンに対する効果

 1)5Mのfluo-3を負荷した毛根スライス標本にを10%胎仔牛血清添加するとその直後より強い蛍光が観察された。細胞内Ca2+濃度は一過性に上昇し、蛍光強度は1.63倍に上昇した(transient peak)後、その後10分間で急速に低下して1.65倍となったが、20分後以降では1.3倍程度を維持した(plateau phase)。このplateau phaseのCa2+濃度は、その後60分以上に維持された。

 2)100M minoxidilを含む培養液中に10%胎仔牛血清を加えると細胞内Ca2+濃度は添加直後より急激に上昇し、蛍光強度は刺激前の1.6倍と最大値に達した後、急速に低下し、10分後に1.3倍、20分に1.3倍、30分で1.2倍、60分後で1.03倍と刺激前値まで下降した。plateau phaseは観察されなかった。

 3)胎仔牛血清添加を行わないとき細胞内Ca2+イオン濃度はminoxidilを含む群でも含まない群でも蛍光強度には大きな変動は認められなかった。

 4)10%胎仔牛血清添加培養液中と100M minoxidilを含む10%胎仔牛血清添加培養では36時間培養後もfluo-3による蛍光強度の有意差は保たれていた。

考察

 毛根の器官培養を行い。PKC促進剤ならびに阻害剤を投与した結果PKCは毛の成長に大きな役割を果たしていることが判明した。PKCの活性化は毛の成長に対して抑制的に働き、この抑制作用はプロテインキナーゼおよびPKCに特異的な阻害剤により消失させることができた。しかし、細胞外Ca2+の低下やプロテインキナーゼに特異的な阻害剤単独の投与でも毛の成長は阻害されることから、PKC以外のCa2+依存性プロテインキナーゼも毛の成長の制御に関与している可能性が示唆された。

 PKCは一般に細胞内Ca2+を利用していると考えられるので毛根のスライス標本を作成して細胞内Ca2+を測定した結果、毛の成長を抑制する血清の添加による細胞内Ca2+の上昇の第二相(plateau phase)は毛の成長促進剤minoxidilにより抑制されることが示され、細胞内Ca2+が毛の成長に大きく関与していることが判明した。

 今回観察されたPKCの活性制御やCa2+上昇がどのような代謝経路で毛の成長を制御しているのかは今後の課題である。

審査要旨

 本研究は、毛の成長に対して重要な役割を果たしていると考えられる細胞内情報伝達系の役割を明らかにするために、ラットヒゲ毛包の器官培養系においてプロテインキナーゼC(PKC)およびこれを制御している細胞内カルシウムイオンの毛の成長に対する影響のバイオアッセーを試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.培養液中の細胞外カルシウムをキレートすることにより無血清器官培養下のラットヒゲ毛包の毛の成長は、細胞外カルシウムの低下に応じて抑制されることが示された。

 細胞外カルシウムは間接的に細胞内カルシウム濃度を介して毛の成長に影響する可能性が示された。

 2.10%以上のの胎児牛血清(FCS)の添加により毛の成長は抑制されたが、この抑制は発毛促進剤である100M minoxidilの添加により回復した。

 3.この時、蛍光カルシウム指示薬付加によるレーザー共焦点顕微鏡による細胞内カルシウムの観察・測定を行ったところ、FCSは毛根細胞中央部を主体とすると特徴的な細胞内カルシウムの変動を示すことが判明した。すなわち、胎児牛血清添加直後の急峻な一過性上昇と低下を示す第一相(transient peak)と、これに続く比較的高カルシウム濃度を推移する、なだらかな第二相(plateau phase)とが認められた。

 4.minoxidil添加時の細胞内カルシウム濃度の推移を観察したところ、この第二相(plateau phase)が消失しているのが認められた。また、minoxidilの存在下では細胞内カルシウムの変動は主として細胞膜周囲で認められた。

 5.この時、細胞外を高カリウムとしたところplateau phaseは認められなかったが、細胞中央部に高カルシウムスポットを認めた。よって、発毛促進剤minoxidilはその、カリウムチャネル開放作用以外に別の作用機序を持つ可能性が示唆された。

 6.無血清器官培養系において、細胞外カルシウムにより制御されるプロテインキナーゼCをphorbol esterにより直接活性化するとphorbol esterの用量に依存的な毛の成長抑制が認められた。

 6.この時、プロテインキナーゼに特異的な阻害剤であるK252aはphorbol esterによる毛の成長抑制を回復させることが示された。同様にPKCに特異的な阻害剤calphostin Cも毛の成長抑制を打ち消すことが示された。

 7.プロテインキナーゼ阻害剤(K252a,staurosporine,H-7)は単独投与では毛の成長を用量依存的に阻害した。これに対し、PKC特異的な阻害剤であるcalphostin Cは毛の成長に対し有意な阻害作用を示さなかった。

 8.したがって、phorbol esterによる毛の成長抑制作用はPKCの活性を特異的に阻害することにより消失されることが示され、PKCが毛飽器官培養系において、毛の成長に抑制的に関与することが示された。

 以上、本論分は、ラットヒゲ毛飽器官培養系において、毛の成長に関する細胞内情報伝達系である細胞内カルシウムとプロテインキナーゼCの役割を明らかにした。本研究はこれまで未解明であった、毛包構成細胞の毛の成長に関する細胞内機序の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53964