学位論文要旨



No 112846
著者(漢字) 佐藤,泰広
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ヤスヒロ
標題(和) 甲状腺ホルモンによる成人T細胞白血病ウイルスプロモーター活性化の分子機構の解析
標題(洋)
報告番号 112846
報告番号 甲12846
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1216号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉倉,廣
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 助教授 平井,久丸
 東京大学 講師 森,樹郎
内容要旨

 Human T-cell Leukemia Virus Type 1(以下HTLV-1)は、ヒトで初めて発見されたレトロウイルスで、成人T細胞白血病(Adult T-cell Leukemia,以下ATL)の原因であることが明らかにされた。のちに熱帯性痙性対麻痺症あるいはHTLV-1関連脊髄症(Tropical Spastic Paraparesis/HTLV-1 Associated Myelopathy,以下HAM/TSP)の原因ウイルスであることも報告された。このHAM/TSPは痙性脊髄麻痺の臨床像を示す疾患で、脊髄中下部を中心病変部位とする慢性炎症性疾患である。わが国におけるHTLV-1感染者は、今日九州の西南部、沖縄を中心に200万人にも及ぶとされる。ATLの年間発症数は約700例と推定され、HAM/TSPは今までに約1000例の患者が報告されている。近年、HTLV-1が原因である第3の疾患としてHTLV-1ぶどう膜炎(HTLV-1 Uveitis,以下HU)が存在することが、血清学的、疫学的、眼科学的、そしてウイルス学的解析によって明らかにされた。臨床的にHUは、亜急性の、しばしば再発を繰り返す、眼内炎症性疾患であり、その病像は、軽度な虹彩炎、高度な硝子体混濁と網膜血管炎が特徴である。またHUは、甲状腺機能亢進症(Graves病)に続発して発症する例が多く、全体で約17%、女性患者では約25%がGraves病に続発することが報告されている。HTLV-1とGraves病の間に疫学的相関は存在せず、またGraves病と種々のぶどう膜炎の発症についても相関は報告されていない。この両者の発症順序は常に一定で、全例でGraves病の後にHUを発症していることが報告されている。従って、甲状腺ホルモン過剰状態、または、治療が発症に関与している可能性が考えられるが、Graves病治療で主に用いられるメチマゾールが、ぶどう膜炎を引き起こすという報告はなく、甲状腺ホルモン過剰状態が発症に関与している可能性が示唆される。

 HTLV-1は自己複製可能なレトロウイルスであり、LTR(long terminal repeat),gag,pol,env,pXと呼ばれる遺伝子領域を有する。この中でLTRはプロウイルスの両端に存在し、754塩基対からなる。このLTR内のU3領域は21bpの繰り返し配列などのエンハンサーやTATAAボックスが存在し遺伝子発現のためのプロモーター領域を形成する。LTRに作用する転写因子にはその代表例としてCREB,SRFなどが知られている。近年、Human Immunodeficiency virus(HIV)において核内レセプター群の数種がLTRに作用しその転写活性を調節する事が報告されている。しかし、HTLV-1の遺伝子発現調節については、甲状腺ホルモンレセプターなどを含む核内レセプターが関与するか否かについては全く明らかにされていない。

 ステロイドホルモン、エストロゲンやアンドロゲンなどの性ホルモン、甲状腺ホルモン、ビタミンA,D、などの脂溶性リガンドを有する核内レセプター群は、生体内の多種多様な組織において細胞の増殖、分化や代謝調節など多くの高次生命現象の制御に重要な役割を果たしている。過去10年間のこれらの脂溶性リガンドを有する核内レセプター群のcDNAのクローニングの成功を契機に、これらのレセプターがリガンド誘導性転写因子として作用し、標的遺伝子群の発現を様々に制御することが明らかにされてきた。これら標的遺伝子には各核内レセプターに固有の認識配列(Hormone Responsive Element;HRE)があり、これを認識してレセプターが結合し、リガンド依存性に遺伝子発現を、主に転写レベルで制御していることが知られるようになってきた。レトロウイルスプロモーターへの作用に関しては、Glucocorticoid receptorのmurine mammary tumor virus(MMTV)への結合と転写活性化作用がよく知られている。その他、ヒトレトロウイルスにおいては、Human Immunodeficiency Virus(HIV)においてレチノイン酸がLTRに存在するRARE(Retinoic Acid Responsive Element)に結合しプロモーター活性を上昇させるという報告がある。また甲状腺ホルモンレセプター(TR)もHIV LTR内のNF-BモチーフとSp1モチーフに存在するThyroid Hormone Responsive Element(TRE)に結合して転写を活性化させることが報告されている。しかし、これらの作用が、感染個体内でどのような影響を生ずるかという点や疾患発症へどのように関与するかについては、今の所不明である。核内レセプターがレトロウイルスの遺伝子発現に影響を及ぼしうるという背景と、先に述べたようなHU患者における臨床的特徴、つまり、HU発症が高率に甲状腺機能亢進状態に続発する点、にもとづいて我々は次のような仮説をたて実験を行った。つまり、TRがリガンド依存性にHTLV-1に対しても転写因子として作用してそのプロモーターを活性化し、HTLV-1関連疾患発症の要因の一つとなりうるのではないかという可能性である。そこで、実際に甲状腺ホルモンがウイルスプロモーターであるLTRに直接に作用してその転写活性を調節しうるか、その場合、LTRにはどのようなTRの認識配列が存在するかといった点について分子生物学的手法を用いて解析を行った。

 プロモーター活性化に関する実験はLTR-CAT,TR,-Galをtransient expressionさせた系を用いた。この場合、T3(triiodo-thyronine)の添加によるHTLV-1 LTRプロモーター活性化はTRをco-transfectionした時にのみ明らかに認められ、その割合はCAT活性で約6〜14倍であった。次に種々のLTRのdeletion seriesを作成しCATベクターに導入した解析から、活性化に必須な領域はLTRの210〜286baseに存在することが明らかになった。

 GST(Glutathione S Transferase)-TR融合蛋白を用いたbinding assayを行い、このLTRの領域をプローブとして用いた時にシフトバンドが生じることから、直接的にこの領域にTRが結合すると考えられた。また、competitorを反応系に添加することで結合が阻害されたことからこの両者の結合が特異的であると考えられた。このLTRの領域には既知の典型的なTR結合配列は存在しなかったが、過去の報告と一部配列の異なるdegenerate TREが存在した。今回我々が明らかにしたLTR内に存在するdegenerate TREは77baseの中にXXXCCTC(A/C)というOctamer配列が4回反復しているものであった。この中のCCTC部分に変異を導入すると結合が消失することからこのOctamer配列が結合配列と考えられた。TREで最もよく知られているconsensus sequenceはAGGTCAであり、これは他にレチノイン酸レセプター(RAR),ビタミンDレセプター(VDR),レチノイドレセプター(RXR)に共通である。XXXCCTC(A/C)はKatzらが報告したOctamer配列と一部一致し、degenerate formであると考えられたが、これは今までに報告されていないものであった。一方、この4ヶ所のいずれかに変異を導入すると甲状腺ホルモンによるLTRの活性化が著しく損なわれたことから、これら4ヶ所のモチーフが全体で一つの反応領域を形成し、Unitとして機能している可能性が示唆された。今までに報告されているTRE配列のうち反応性が高度なものの特徴として、direct repeat配列、及びinverted repeat配列があげられるがこれらはTRのHomodimer,またはRXRとのHeterodimerと結合することが知られている。今回認められた配列はこれらに適合しないもので今までに報告されていない。この4ヶ所のdegenerate TREを含む配列が、どのような蛋白とどのような結合様式で相互作用しUnitとして機能しうるかについて、その詳細は現時点では不明である。TRはRXRとのHeterodimerを形成するが、その他にもTRとHeterodimerを形成してTREに作用する未知の蛋白の存在が推定されている。なぜ4ヶ所のTREのいずれかに変異を導入することで反応性が著しく損なわれたかは不明であるが、それぞれに未知のco-activatorが結合し各々が重要な役割を担う可能性、あるいはTRを含む複数の蛋白間の高次構造がcore transcriptional machineryに直接的に作用する際に重要な役割を果たす可能性が考えられる。

 以上の実験から、我々はHTLV-1が甲状腺ホルモン標的遺伝子の一つとなりうることを示した。またこの制御がHTLV-1 LTRの210-286bp内に存在する、4箇所の、今までに知られていないdegenerate TRE配列と甲状腺ホルモンレセプターの直接的結合を介して行われることを明らかにした。今回の報告がHUなどのHTLV-1関連炎症性疾患の発症機構の解明と治療の開発に寄与することが期待される。

審査要旨

 本研究はヒト成人T細胞白血病ウイルス(HTLV-1)のプロモーター領域であるLong Terminal Repeat(LTR)に対する甲状腺ホルモンレセプターの活性化作用を明らかにするために、Chloramphenicol acetyl transferase(CAT)assayとGel mobility shift assay(EMSA)を用いて活性化の分子機構についての解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1)HTLV-1 LTRのプロモーター活性は甲状腺ホルモンによって上昇する。

 2)この活性化に必須な領域はLTR210〜286bpに存在する。

 3)このLTRの領域は甲状腺ホルモンレセプターと直接的に結合する。

 4)このLTRの77bpの領域に4ヶ所のdegenerate Thyroid Hormone Responsive Elements(XXXCTCC(A/C))が存在する。

 5)4ヶ所のdegenerate TREのそれぞれに甲状腺ホルモンレセプターが結合する。

 6)4ヶ所のdegenerate TREの全てが保存されていなければこの活性化は著しく低下する。

 以上、本論文はヒト成人T細胞白血病ウイルスのプロモーターであるLTRに対する甲状腺ホルモンの作用に関して、CAT assayとEMSAを用いた解析から、感染個体内においてこのウイルスが甲状腺ホルモン標的遺伝子の一つとなりうることを示した。またこの制御がHTLV-1 LTRの210-286bpに存在する、4箇所の、今までに知られていないdegenerate Thyroid Hormone Responsive Element配列と甲状腺ホルモンレセプターの直接的な結合を介することを明らかにした。これらの解析はHTLV-1ぶどう膜炎などのHTLV-1関連炎症性疾患の発症機構の解明と治療の開発に寄与することが期待され、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54592