学位論文要旨



No 112854
著者(漢字) 麻原,きよみ
著者(英字)
著者(カナ) アサハラ,キヨミ
標題(和) 一過疎農山村における農村女性の介護と農業を継続する意味とその方法に関する記述的研究
標題(洋)
報告番号 112854
報告番号 甲12854
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1224号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 助教授 石垣,和子
 東京大学 助教授 甲斐,一郎
 東京大学 助教授 西垣,克
 東京大学 助教授 菅田,勝也
内容要旨 I.はじめに

 急速な高齢化社会の進展により、老人介護の問題は大きな社会問題になっている。とりわけ、過疎化と高齢化が著しい過疎農山村においては、老人問題は最も重要な健康問題である。農村部における老人の家族介護に関する研究は非常に少ない現状にあるが、農村の介護者は介護と農業労働を担い、健康障害も多いこと、介護に関するニーズが顕在化しにくく、保健福祉サービスの利用が少ないなどの報告がみられる。しかし、このような農村の家族介護者に特有な行動の理解をもたらす実証的研究は少なく、具体的かつ効果的な対策が十分に示されているとは言い難い。介護者のニーズと生活に即した効果的な地域看護活動を実践するには、介護者の行動を理解するための基礎的知識が必要となる。

 そこで本研究は、介護と農業を継続する農村介護者に注目し、農村女性は、介護と農業をどう継続しているのか、農村介護者にとって介護と農業を継続することにはどのような意味があるのかを明らかにすることを目的とした。

II.研究方法

 本研究は研究方法としてエスノグラフィを用いた。エスノグラフィは、ある特定の人々の生活の中で生じる経験に関するデータから、その集団に共通したものの見方や考え方、生活の仕方の意味を帰納的に明らかにしようとするものであり、この方法を用いることにより、介護と農業を継続する農村介護者に特有な行動を理解することができると考えた。

1.調査地および調査期間

 調査地は人口約1,700人、高齢化率28.1%の過疎化の進む農山村であり、調査期間は約1年間である。

2.情報収集方法

 情報収集及び分析方法はSpradleyのThe Developmental Research Sequenceを用いた。情報は研究者自身によるインタビュー、参加観察、既存の資料から収集した。エスノグラフィの場合、得られた情報の分析結果を次のデータで検証していくため、情報収集と分析は同時進行する。

 インタビュー対象者は主要情報提供者である介護者が27名である。年齢の中央値63(平均62.2)歳、性別はすべて女性であり、被介護者との続柄は嫁23名、娘(養女)1名、妻3名であった。職業は21名が農業であり、自営業1名、外勤5名であった。このうち自営業及び外勤の6名も兼業農家であり、すべての介護者が農業に従事していた。被介護者の年齢は72〜99歳の範囲で、介護期間は2カ月から8年の範囲であった。インタビュー回数は1回が23名、2回が3名、3回が1名であり、インタビュー時間は1回平均60.5分であった。

 また介護者の見方、考え方を補足、確認し、さらに村の特性に関する広範囲な情報を得るために介護者以外の情報提供者にもインタビューを行った。

 インタビュー内容は、調査の初期段階では広範囲に情報を収集するための非構造的質問を行い、介護の実際や介護に関連した生活上の出来事、介護への思いなどをたずねた。情報を分析する中で、ある共通の意味を持つまとまり(カテゴリ)が見出されるようになったり、そのカテゴリ間の関係性が見え始める段階では、それらを明らかにするための構造的な質問を行った。

 参加観察は、村の全体的な特性を把握するための観察から始め、介護者と被介護者との関わりや村における介護者と同年代の農村女性の活動を中心に観察した。また村の人口統計学的資料、保健福祉資料等から必要と思われる情報を収集した。

3.分析方法

 分析はまず、収集した情報からカテゴリを発見することから始めた。カテゴリを見つける糸口として、言葉と言葉をつなぐ9つの意味関係(〜の種類である、〜の方法であるなど)に注目して、インタビューや参加観察記録などから同じ意味関係を持つ文章や言葉(構成単位)を分類し、カテゴリを生成していった。調査の進行に伴い、生成したカテゴリとその構成単位も増加し、最も多いときでカテゴリが165、構成単位が約2,000を数えたが、カテゴリ内部を構造化し、包括的なカテゴリに統合するよう抽象度を高めながらカテゴリを再編し、もうこれ以上統合できない段階まで行った。最終的に14のカテゴリが抽出され、カテゴリ間の関係性を考える中でテーマが明らかとなった。

III.結果

 最終的に抽出したカテゴリは、(1)百姓としての義務、(2)農業は張り合い、(3)親の介護は当たり前、(4)労働価値、(5)性別役割規範、(6)村集団からの規制、(7)生活互助機能と農業形態の変化、(8)介護と農業の組み込み戦略、(9)家族の機能、(10)農業という仕事の形態、(11)老人の状態、(12)介護者の介護力、(13)生活の工夫、(14)やり抜く行為への価値づけ、である。これらの関係性より、やらざるを得ない現実に対処するための行為への意味づけ、というテーマを抽出した。

 以下、カテゴリとテーマとの関係性について説明する。なおカテゴリとテーマは< >、サブカテゴリを「 」で示す。

 農村女性にとって農業は<百姓としての義務>であり、かつ<農業は張り合い>でもあった。また一方で、<親の介護は当たり前>のことであった。これは村の保有する価値体系と大きく関連している。厳しい地理的環境の中で、それでも農業に依存してきたこの村には<労働価値>が息づき、また村には、かつての家父長制に基づく<性別役割規範>が残存していた。そしてこれらの規範に同調するよう<村集団からの規制>があり、さらに<村の生活互助機能と農業形態の変化>は、農村の介護者に老親の介護と農業をやらざるを得ない現実をつくり出していた。

 そのため介護者は、介護と農業をなんとか両立しながら継続するために、<介護と農業の組み込み戦略>を用いていた。これは<家族の機能>、<農業という仕事の形態>、<老人の状態>や<介護者の介護力>を前提条件かつ関連要因としつつ、「時間と仕事量の見積もり」、「農作業の量を調整する」、「お茶やお昼の時間におむつ交換(お世話)を組み込む」、「ながら作業」、「あらかじめ(前もって)の実施、家族への指示」、「手軽なグッズや場所の活用」、「気持ちの調整」といった戦略を工夫しながら用い、介護と農業をなんとか生活時間のサイクルに組み込んでしまう方法で、介護者は組み込むことができるぎりぎりまで組み込んでいた。

 農村女性は介護と農業をやらざるを得ない現実に生きており、組み込み戦略のような、やらざるを得ない現実に対処するための<生活の工夫>をしながら生活していかざるを得ない。そのため介護者は、<生活の工夫>をしながら、<やり抜く行為への価値づけ>によって、複数の役割の継続を維持していた。やらざるを得ない現実に生きる農村介護者にとって、介護と農業を両立するための組み込み戦略は、自らの判断と行為に基づく主体的な行為であり、介護者はこの主体的な行為に価値を置くことによって、意味ある自分を見出すことができるのである。

 このようにカテゴリの関連性を考える中で、農村女性の介護と農業の継続に関する認識の原理として、農村介護者の<やらざるを得ない現実に対処するための行為への意味づけ>をテーマとして抽出した。

IV.考察

 農村介護者は、介護に対するニーズが顕在化しにくく、公的サービスを利用しない傾向にあるといわれる。これは、<労働価値>、<性別役割規範>、<村集団からの規制>、<村の生活互助機能と農業形態の変化>といった村に関する要因が、介護も農業もやらざるを得ない現実をつくり出していることが関連していると考えられる。とりわけ老親の介護は、一般社会の規範ではなく、介護者が住む村の規範として存在し、介護の内在化を進め、行動を規制していると考えられる。さらに、介護者がこのような、やらざるを得ない現実に対してやり抜く行為に意味を見出し、組み込み戦略により、ぎりぎりまでまで組み込もうとすることも、公的援助を求めない一因であると捉えることができる。従って、とりわけ農村部における地域看護活動においては、コミュニティ単位の教育活動や、地域組織活動により、地域づくりを視野に入れた取り組みが必要であり、また介護と農業をぎりぎりまで組み込むことにより生じる、介護者の健康障害にも留意する必要があると考える。

 一方、<農業は張り合い>といった介護者の農業に対する志向性が、介護と農業継続の強い動機づけとなっており、農業という仕事の形態もまた、組み込み戦略を可能にする大きな要因であった。このことは、農業を、介護と農業の継続を可能にする要因として捉える視点の重要性を示しており、介護者の農業に対する思いを考慮した関わりが必要となろう。

 また本研究では、農村介護者の<介護と農業の組み込み戦略>が明らかとなった。従来の介護者研究では介護という現象のみに焦点が当てられることが多かったが、介護者の生活は介護のみで構成されているわけではない。介護者の生活に応じた支援を考慮するには、介護以外の仕事も含め、介護者の生活を構成する構成要素とその調整方法を理解し、介護者の生活単位で捉えることが必要であると考える。

 本研究は一過疎農山村を対象とした限界はあるが、今後、対象地域を拡大しつつ研究を積み重ねることによって、農村文化に基づく、農村住民の家族介護や保健行動に関わる基礎的知識が蓄積できると考える。

審査要旨

 本研究は、農村において介護と農業を継続する介護者に焦点を当て、介護者が介護と農業を継続する意義とその戦略についてエスノグラフィを主たる方法論として解明し、地域看護学の重要なテーマである在宅介護の有効な展開に寄与することを目的とした。

 農村介護者、保健医療福祉担当者、住民との面接調査、参加観察、既存の資料から収集した情報の分析の結果、<百姓としての義務>、<農業は張り合い>、<親の介護は当たり前>、<労働価値>、<性別役割規範>、<村集団からの規制>、<生活互助機能と農業形態の変化>、<介護と農業の組み込み戦略>、<家族の機能>、<農業という仕事の形態>、<老人の状態>、<介護者の介護力>、<生活の工夫>、<やり抜く行為への価値づけ>、の14のカテゴリと、<やらざるを得ない現実に対処するための行為への意味づけ>、というテーマを抽出し、カテゴリ間の関係性から、下記の結果を得ている。

 1.農村介護者にとって、農業は<百姓としての義務>であり、かつ<農業は張り合い>であった。また<親の介護は当たり前>と捉えており、農村介護者は、介護と農業を共に深く内在化していた。

 2.<労働価値>、<性別役割規範>、<村集団からの規制>、<生活互助機能と農業形態の変化>といった村に関するカテゴリは、農村介護者が介護と農業をやらざる現実をつくり出し、その内在化を進め、行動を規制していた。

 3.農村介護者の<農業は張り合い>といった農業への志向性が、介護と農業の強い動機づけとなっており、農業は、介護と農業の継続を可能にする要因であった。

 4.農村介護者が介護と農業を継続する方法として、時間と仕事量を見積もりながらいくつかの戦略を工夫して用い、介護者の生活時間に介護と農業を組み込む、<介護と農業の組み込み戦略>が明らかとなった。またこの戦略には、前提条件かつ関連要因として<家族の機能>、<農業という仕事の形態>、<老人の状態>、<介護者の介護力>がみられた。

 5.<介護と農業の組み込み戦略>は、介護者にとって、やらざるを得ない現実に対処するための<生活の工夫>であり、介護者は、このような<生活の工夫>をしながら、やり抜くその行為に価値を置くことによって、複数の役割を継続していた。それは、組み込み戦略に代表される生活の工夫は自らの判断と行為に基づく主体的な行為であり、この自らの主体性が発揮できる行為に価値を置くことによって、介護者は意味ある自分を見出すことができるためであると考えられた。

 以上、本論文は生活の中で生じる経験に関するデータから帰納的に探求し、農村介護者に特有な介護と農業の継続方法や、その意味を明らかにした。本研究は、系統的な分析がほとんどなされてこなかった農村の家族介護研究に、行動面と意識面を具体的に関連づけることにより、重要な視点を提示するとともに、方法論としてエスノグラフィを取り入れることにより、地域看護研究の幅を広げる意義は十分認められ、学位の授与に値するものと考えられる。

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