[はじめに] 今世紀にはいり、発展途上国において伝統的な生業を営んでいた多くの集団が、他の集団と接触することにより近代化の影響を強く受けるようになった。近代医療の導入は死亡率の低下と人口増加率の上昇を引き起こし、外部からの生産技術の導入、現金経済の浸透は伝統的な生産・消費システムを変化させた。このような近代化の途上にある集団では、人口増加とそれに伴う食糧不足、過度の自然資源の利用や、伝統的で持続可能な生産・消費システムの崩壊による環境劣化が生じる可能性が示唆されており、人々の適応と健康の維持にも重大な影響を及ぼしている。 本研究の目的は、近代化に伴う生存様式の変化が最も急速に進行している中国の中でも、研究がきわめて遅れている少数民族を対象に、近年の急速な変化の過程にある適応機構を人類生態学の立場から解明することにある。具体的には、雲南省でジノ(基諾)族の居住するルトゥ(洛得)村で1993年から1995年にかけておこなった現地調査をもとに、1994年の米を中心とした生産・消費システム及び村落が成立した1966年から1994年までの人口の変化を明らかにし、住民の栄養・健康状態との関連性を考察した。 [対象] 中国雲南省に居住するジノ族は、シナ・チベット語系、チベット・ビルマ語族の言語集団に属し、1979年に中国国務院によって正式に少数民族の1つに認定された。ジノ族は中国の少数民族の中では比較的人口規模の小さい集団であり、総人口約18,000人(1990年)の半数以上は、雲南省南部のシーサンパンナ(西双版納)州に位置するジノ山を中心とした地域に居住している。古くから他集団からの影響を受けていたことが記録されているが、山地に居住していたジノ族は比較的閉鎖的な社会を維持してきた。すなわち、今世紀の半ばまでジノ族の生産システムは、焼畑における陸稲・トウモロコシ栽培と祭礼に用いるブタ、アカウシの飼育、食糧獲得のための狩猟・採集、交易のための茶と綿花の栽培によって成り立っており、小規模であるが茶、綿花を漢族を主とする他の民族を介して塩、糸、針等の生活必需品と交換していた。1940年代の国民党の侵略に対する武力闘争、1949年の中華人民共和国成立以降始まった共産主義の浸透、1960年代に始まる文化大革命の時期を経て、漢族の及ぼす影響は著しく大きくなった。特に、1972年にルトゥ村で開始した女性の不妊手術による人口抑制は対象集団の人口学的特性に大きな影響を与えている。 [方法] 本研究で用いた研究方法は以下の3種類である。第1に、長期間の人口動態・移動、現在の土地利用、及び世帯の経済活動に関するデータはインタビューにより収集した。第2として、1994年に利用された焼畑の面積を測定するとともに、米の消費量に関しては全世帯の1日あたりの消費量と5世帯24人を対象として5日間の調理した米の摂取量を実測した。第3として、栄養状態に関しては幼児と老人を除く住民の身体計測をおこなった。 [結果] 近代化によりジノ族の生産・消費には外部からの技術の導入と換金物資の生産という二つの大きな変化がみられた。農業に関していえば、1950年代には灌漑と田植えの技術を取り入れることにより水田耕作が始められ、高収量の米の品種も導入された。このように、近代化によって外部からもたらされた技術は土地生産性および労働生産性の向上をもたらした。町までの道路の整備と運搬手段としてのトラクターの導入は、換金用生産物の町までの運搬を容易にし、自給用に生産されていた米、トウモロコシは自家消費量より多く生産されるようになりその余剰は売られるようになった。1994年に生産された米の使用目的別の割合をみると、全米生産量の63.5%が自家用食糧、20.5%が換金用、残りは来期の作付け用および贈与分として消費されていた。 換金作物の導入も生産・消費システムに大きな影響を与えた。1994年の世帯収入の52.5%は、1970年代に栽培を開始した漢方薬材の一種である砂仁(Amomum villosum)によって占められていた。砂仁に加え、伝統的換金作物である茶、新たに換金対象となった米、トウモロコシ、豚、竹の子の加工品も売られるようになった。このように、生産技術の導入と現金獲得活動の発達により、収入は著しく増加し、少なくとも現在の時点では、医療と教育の普及、生活水準の向上に貢献した。 対象としたルトゥ村は、1966年に新しい耕作地を求めて3.5km離れているルトゥ・ラオチャイ(洛特老寨)から移住した28世帯157人によって拓かれた村落で、1994年の村落内人口は52世帯224人であった。1966年から1994年までを4つの期間に分け人口増加率の推移をみると、移住後の人口増加率は3.15%と高かったが、それ以降人口増加率は、1.23%、0.59%、-0.19%と急激に減少した。村落形成直後の高い人口増加率は1949年の解放以降導入された近代医療による死亡率の減少により、それ以降の人口増加率の減少は1972年にこの村で始まった中国政府による人口抑制政策の影響によると考えられる。実際、1994年に対象村に暮らしていた、出産を完結した女性のうち、1910年代生まれの女性の総出産数は6.6であったが、1970年代生まれの女性では2.0であった。5歳未満の子どもの死亡率は予防接種と村落内の医療サービスの普及により急激に減少した。 村落住民24人の調理した米の摂取量をもとに成人男子1日あたりに換算した消費量はl,318gとなり、これはエネルギーに換算して2,280kcalであった。対象集団の成人男子(平均体重53.6kg)の身体活動強度を「中程度」と「重い」と仮定した時のエネルギー所要量はそれぞれ2,684kcal/dayと3,167kcal/dayと計算され、米以外の食物の摂取を考慮すると対象集団のエネルギー摂取量は十分な程度と結論できる。また、成人のBMIを用いた評価では村人の栄養状態は問題のないレベルであった。 [考察] ジノ族は近代化の過程で、外部の社会経済環境の影響を受けることにより、医療、教育、より高い生活水準を得るために、自家消費用食糧の生産を中心とする伝統的な生業のシステムを換金物資の生産も含めた生産・消費システムへと変化させてきた。換金作物の栽培が始まると世帯間ではその特性の違いによって生産のパターンに差異が見られ、食糧生産用以外の余剰の労働力は現金を得るための活動に使われるようになった。子どもの減少により食物の需要量は減り、外部からの農耕技術の導入による生産性の向上も影響して、農業生産物は自家消費量以上に収穫されるようになり、その余剰は換金用に使われるようになった。よって、人口増加率の低下にもかかわらず、生産量の減少および休耕期間の延長は生じなかった。このことは、人口抑制政策の影響下にある集団でも換金物資の生産のため、自然資源の過度の利用が起こり得ることを示している。対象集団の健康及び栄養状態は現金収入の増加及び近代医療の導入、余剰の出るほどの食糧生産により、調査時点では問題のないレベルであった。 ジノ族の近代化に対する適応の特徴は以下のようにまとめられる。第1は、ジノ族は伝統的に行なってきた米作を中心とする生業パターンを維持しそれに改良を加えることにより現金獲得を行なっていることであり、このことは安定した生産・消費を維持する上で有利と考えられる。第2は、砂仁という換金作物の栽培はジノ族の伝統的な土地利用及び労働配分にとって調和的であったことである。このことは農村部の生産システムの向上を計画するうえで注目される。 以上のようにジノ族は他の発展途上国の集団に比べ、政府による人口抑制政策の影響を強く受け、その人口構造は急激に変化した。この人口構造の変化とともに、ジノ族は近代化による新たな社会経済環境へ適応する過程で生産物と労働の余剰を現金経済の発達のために利用し、少なくとも現時点では現金収入の増大に貢献しており、結果として健康と栄養に良い影響を与えていることが明らかになった。ただし、今後、人口の高齢化により労働力の不足が生じる可能性もあり、ジノ族の将来に関しては更なる調査が必要である。 人口抑制の実施には対象住民の理解と同意及び老後の保障といった社会制度の改革が必要であり、対象村落では、教育レベルの向上により、人口抑制に対する理解は深まってきている。しかし、老後の保障は十分におこなわれていない。 中国の他の地域で実施されている一人っ子政策は対象住民の反発が大きく、戸籍の無い児童や女児の中絶といった問題を生じており、加えて、出産に関する権利(reproductive rights)といった人道上の問題をも含んでいることが指摘されている。発展途上国の人口抑制策としては一人っ子政策よりも子供を二人までに制限した人口抑制がより実現可能性が高いと考えられ、本研究は途上国における人口抑制と持続可能な発展を考えるうえで有効であると言える。いずれにしても、近代化の影響下にある集団の生産・消費システムを食糧生産と現金獲得の両者に着目し、人口学的特性と関連させた本研究の視点は、急速に変化しつつある集団の適応機構を解明することに有効であった。 |