学位論文要旨



No 112863
著者(漢字) 柳沼,麻木
著者(英字)
著者(カナ) ヤギヌマ,アサギ
標題(和) 健常児及びダウン症候群における上肢運動の分化と優位手の発達に関する研究
標題(洋)
報告番号 112863
報告番号 甲12863
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1233号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柳澤,正義
 東京大学 教授 杉下,知子
 東京大学 教授 金沢,一郎
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 助教授 柏崎,浩
内容要旨 第1部健常幼児の上肢運動の分化と優位手の発達に関する研究【序論】

 日常生活では、上肢運動、特に両手の巧緻性が要求される。乳幼児期の協調運動を要する上肢運動は年齢にともなう急速な発達を考慮した上で、定量的に解析することが必要である。両手の左右別々の動きは通常、利き手とか側性化(laterality)として理解されている。元来、側性化とは、「左右どちらかを動かすことを好むこと」、および「技術や速さの優位側が決まること」の2つに分けて判断されるべきであるにもかかわらず、この2つは混同されやすい。「左右どちらかを動かすことを好むこと」は利き手(handedness)と一般的に言われるが、主に好み(preference)であり、ある課題に対し、どちらの手を使うかということである。「技術や速さの優位側が決まること」は左右の大脳の優位性(dominance)である。乳幼児期の上肢運動の発達を調べるには、利き手と優位性とを合わせて検討することが必要だが、発達過程でいかに決定してゆくのか不明な点が多く、先行研究もみあたらない。

 本研究では、急速に上肢運動が発達する幼児期の子ども達(3歳から6歳)を対象に、(a)上肢(肩、肘、手首)の回内・回外運動(b)目と手の協応性の発達、が反映され上肢運動の分化と優位手の発達の指標となる検査として、〈糸巻き検査〉を開発し、上肢運動における左右の機能分化と優位手が決定してゆく経過を横断的に検討した。

【予備調査と結果】

 本検査に先立って、3歳から8歳までの健常児340名を対象に、次のような予備調査を行なった。上肢運動の分化と優位手の発達の指標となる検査として、(a)上肢(肩、肘、手首)の回内・回外運動(b)目と手の協応性の発達が反映される〈糸巻き課題〉を開発した。糸巻き課題は右手または左手に60cmの長さの糸を持ち、それを左手または右手に持った糸巻きに糸を巻く課題である。各々開眼時、閉眼時、計4回施行し、各々巻き終わるまでの時間を測定した。また、糸の巻き方をV.T.R.に記録し、分析した。検査手順は(1)右手で糸を巻く、(2)左手で糸を巻く、(3)閉眼右手で糸を巻く、(4)閉眼左手で糸を巻く、の4回である。検査の順序性による影響を検討するため、6歳児15名に対して手順を乱数表で決定したものと比較したが、各試行間に有意差は認められず、順序性による影響はなかった。予備検査では、(a)上肢運動の遂行速度(b)両手で糸を巻くときの運動パターンの2点を評価した。その結果、遂行速度は年少児ほど遅く、年長児ほど速くなった。年齢の発達をとらえるため、年齢を6カ月ごとに分けて検討した。年齢が高くなるにしたがって、遂行速度が速くなることから、本課題は幼児の上肢運動発達をとらえるのに適切な検査であることが確認された。上肢運動のパターンを評価するため、VTRを設置し記録した。評価は身体部位のどこを使って糸を巻いているかに着目し、解析した。その結果、糸巻きのパターンは年齢の経過に伴い、体幹部から末梢部(肩から指先へ)へと移っていた。この解析から、時間の短縮は上肢全体の動きから手首の動き、即ち糸巻きに必要な部位のみへと移ることによることがわかった。

【本検査対象と方法】

 本検査は、予備検査の両手で糸を巻く課題「課題1」に片手のみで糸を巻く課題「課題2」を加えた。検査手順は(1)右手で糸を巻く、(2)左手で糸を巻く、(3)閉眼右手で糸を巻く、(4)閉眼左手で糸を巻く、の両手課題「課題1」に続き、(5)右手のみで糸を巻く、(6)左手のみで糸を巻く、(7)閉眼右手のみで糸を巻く、(8)閉眼左手のみで糸を巻く、の片手課題「課題2」を加え、計8回行なった。検査の信頼性を確認するため、5歳児38名(男児19名女児19名)と6歳児22名(男児11名女児11名)計60名に対して、2週間後に再テストを行なった。その結果、高い相関が認められた糸巻き課題の遂行速度は反復測定による多変量分散分析で解析し、多重比較を行なった.利き手を検査するため、10項目の課題を行ない、右利き、左利きが決まっているかを検査した。側性化指数(LI)を算出する方法はLI=100×((R-L)/(R+L+B))により算出した。上肢運動の遂行速度における優位性は、糸巻き検査の遂行速度から、上肢運動優位性指数(skill asymmetry index SAl)として算出した。対象児は3歳から6歳までの健常幼児577名(男児299名、女児278名)とした。

【結果】

 健常幼児の糸巻き課題の結果は(a)年長児ほど有意に速く糸を巻きとることが出来た。(b)女児が男児より、有意に速く糸を巻きとることが出来た。(c)右手が左手より有意に速く糸を巻きとることが出来た。(d)両手課題「課題1」の右手は、開眼時が閉眼時より有意に速く糸を巻きとることが出来た。利き手は右利きが81.6%で、年齢、性差は認められなかった。側性化指数は右手の指数60%以上が81.8%であった。利き手の違いによる、上肢運動の優位性に差は認められなかった。

【考察】

 糸巻き検査は視覚的理解が容易で、糸を早く巻きつける、という具体的提示があるため、上肢運動の発達の良い指標になる。上肢運動の遂行速度は右手が有意に速く、左手は遅れて発達した。また年少の男児ほど、右手が優位で、左右差が大きく、年長の女児は、左右差が減少した。この結果から上肢運動の発達は左右差に性や年齢の要因が大きく関わることが示唆される。幼児は、左手が遅れて急速に発達することから、上肢運動の遂行速度を発達の指標とする際には特に左手の遂行速度に注目することが重要である。

 女児は男児より早く巻き取る事が出来た。性差がみられたことは、上肢運動が女児優位で発達することを示唆する。また開眼時は閉眼時より有意に速かった。年少の幼児では、視覚的手掛かりに多く依存しており、閉眼時は遂行速度が遅くなると考えられた。

 利き手検査の結果から3歳以前に好みの手はほぼ決定し、その後の利き手の変化は急速なものではないことが示唆された。右利きの幼児と両利きの幼児では、上肢運動の遂行速度、上肢運動優位性ともに差が認められなかった。左右の優位性は年少児ほど左右差が大きく認められ、年齢とともに右手優位でありながら、その優位性の程度は小さくなるそのため優位性を発達の指数とする研究においては、年齢や性など他の要因を考慮する必要があると思われる。幼児の上肢運動の分化と優位手の発達をとらえる際は、上肢運動の遂行速度、利き手、優位性、その関連性を併せてとらえていくことが、より詳細な発達の指標になると考えられた。

第2部ダウン症候群における上肢運動の分化と優位手の発達に関する研究【序論】

 ダウン症の上肢運動については遅れが指摘されているが、発達学的視点から研究されたものがない。臨床的にダウン症は左利きや両利きが多く観察され、側性化の程度が低いことが報告されている。利き手の研究の結果は、調査の方法、対象児の年齢、分類方法の違いなどもあり、その結果は様々である。特に上肢運動と優位手との関連については、不明な点が多く、幼児の発達を基準にした詳細な研究が必要である。第2部では第1部の健常幼児の発達を基準として、ダウン症児の上肢運動発達の分化と優位手の発達との関連を発達学的にとらえること、またダウン症の特異的差異を明らかにすることを目的とした。

【検査対象と方法】

 糸巻き検査の対象児は7歳から33歳までのダウン症候群90名(男児45名、女児45名)とした。利き手検査の対象は糸巻き課題検査対象児を含む、2歳から33歳までの標準型トリソミー(21トリソミー)ダウン症候群187名(男児100名、女児87名)とした。モザイク型、転座型は、本研究の対象児から除き、標準型トリソミー(21トリソミー)のみとした。糸巻き検査、利き手検査ともに健常幼児対象の検査方法と同様に行なわれた。

【結果】

 糸巻き検査の結果、13歳-18歳群および19歳以上の群では、7歳-12歳群より有意に速く糸を巻きとることが出来た。7歳-12歳群では、(a)女児は男児より有意に速く糸を巻きとることが出来た。(b)両手課題「課題1」の開眼時は、右手が左手より有意に速く糸を巻きとることが出来た。(c)片手課題「課題2」の右手は開眼時は閉眼時より有意に速く糸を巻きとることが出来た。(d)年齢による遂行速度の差は認められなかった。13歳群と19歳群では、性差、左右差、開眼閉眼による差は認められなかった。利き手の検査の結果、ダウン症は健常幼児群より両利きの割合が有意に高かった。利き手と優位性の一致率を調べるため、利き手とSAIを比較した。閉眼時、右手優位でかつ両利きの健常幼児は10%であったが、ダウン症は26.7%であった。ダウン症は右手優位で両利きの群が有意に多く、両群で有意差が認められた。

【考察】

 ダウン症の上肢運動の遂行速度は健常幼児より遅れ、健常幼児4歳から6歳程度の発達水準にとどまっていた。したがって、ダウン症は健常幼児の上肢運動の発達の水準に達する年齢までに、ほぼ2倍の年齢を要することが示唆された。ダウン症の7歳群は、女子優位の性差が認められ、女児は上肢運動発達において何らかの生物学的利点があると考えられた。開眼時は閉眼時より有意に速く糸を巻けた。これは健常幼児と同様に視覚的手掛かりに多く依存しているためと思われた。

 ダウン症と健常幼児で利き手を比較した結果、ダウン症は利き手決定の遅延が認められた。ダウン症は利き手が決まらないまま、両利きとして留まってしまうことが示唆された。ダウン症は優位側と利き手の不一致が見られた。これは発達の過程で、利き手の決定と上肢運動の遂行速度の両者が遅滞することが原因であると考えられる。したがって、ダウン症の優位性は左手の遂行速度や利き手の検査と合わせて慎重にとらえることが重要であると思われた。また、利き手の決定の遅延は、上肢運動の発達の遅れの原因である事が示唆された。

 今後は生育歴、教育環境など、他の要因との関連性を含めて、さらに検討する予定である。また本検査を発達の指標として、他の染色体異常児群、発達遅滞児群、自閉症の発達学的研究や比較研究から彼等の特異的差異をとらえてゆきたい。上下肢共同運動、鏡像運動の有無、知能との関連など神経学的視点からの発達評価と併せて、具体的な指導の手がかりを探り、適切な援助効果を吟味して提言してゆく予定である。

審査要旨

 本研究第1部は、急速に上肢運動が発達する幼児期の子ども達(3歳から6歳)を対象に、(a)上肢(肩、肘、手首)の回内・回外運動(b)目と手の協応性の発達、が反映され上肢運動の分化と優位手の発達の指標となる検査として、〈糸巻き検査〉を開発した。上肢運動における左右の機能分化と優位手が決定してゆく経過を横断的に検討し、下記の結果を得ている。

 1.年長児ほど有意に速く糸を巻きとることが出来た。

 2.女児が男児より、有意に速く糸を巻きとることが出来た。

 3.右手が左手より有意に速く糸を巻きとることが出来た。

 4.両手課題「課題1」の右手は、開眼時が閉眼時より有意に速く糸を巻きとることが出来た。利き手は右利きが81.6%で、年齢、性差は認められなかった。側性化指数は右手の指数60%以上が81.8%であった。利き手の違いによる、上肢運動の優位性に差は認められなかった。

 第2部では、第1部の健常幼児の発達を基準として、ダウン症児の上肢運動発達の分化と優位手の発達との関連を発達学的にとらえること、またダウン症の特異的差異を明らかにすることを目的として検討し、下記の結果を得ている。

 1.糸巻き検査の結果、13歳-18歳群および19歳以上の群では、7歳-12歳群より有意に速く糸を巻きとることが出来た。

 2.7歳-12歳群では、(a)女児は男児より有意に速く糸を巻きとることが出来た。(b)両手課題「課題1」の開眼時は、右手が左手より有意に速く糸を巻きとることが出来た。(c)片手課題「課題2」の右手は開眼時は閉眼時より有意に速く糸を巻きとることが出来た。(d)年齢による遂行速度の差は認められなかった。13歳群と19歳群では、性差、左右差、開眼閉眼による差は認められなかった。

 3.利き手の検査の結果、ダウン症は健常幼児群より両利きの割合が有意に高かった。利き手と優位性の一致率を調べるため、利き手とSAIを比較した。閉眼時、右手優位でかつ両利きの健常幼児は10%であったが、ダウン症は26.7%であった。ダウン症は右手優位で両利きの群が有意に多く、両群で有意差が認められた。

 以上、本論文は健常幼児の発達を基準として、ダウン症児の上肢運動発達の分化と優位手の発達との関連を発達学的に明らかにした。ダウン症の特異的差異を明らかにしたことは、彼等の発達評価に重要な貢献をなると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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