学位論文要旨



No 112864
著者(漢字) 金,恵京
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヘギョン
標題(和) 農村在宅高齢者におけるソーシャル・サポート授受とQOL : 韓国および日本での追跡調査
標題(洋)
報告番号 112864
報告番号 甲12864
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1234号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 教授 金川,克子
 東京大学 助教授 西垣,克
 東京大学 助教授 菅田,勝也
内容要旨 【はじめに】

 高齢者のQuality of Life(以下、QOL)に影響を及ぼす要因として、ソーシャル・サポートが注目され、サポート受領がもつポジティブな効果が多くの研究から示唆されている。しかし、最近のいくつかの研究では、サポート受領の否定的な側面が指摘され、過度なサポートを受ける場合は、依存傾向の増大、自尊心の損害などの感情をもたらすという報告がなされている。

 一方、高齢者の方からサポートを提供する側面に関しては、多くの先行研究の中で見逃されていた。サポート提供の側面を考慮した研究は欧米では少数ながら存在するが、韓国および日本ではほとんどない現状にある。

 そこで本研究では、サポート提供、受領の両者に焦点をあて、農村地域に居住している在宅高齢者を対象にした調査を韓国と日本で行った。研究目的は以下のとおりである。1.日常生活でのサポート授受(提供と受領)のパターンを調べること、2.サポート授受がQOLに与える影響を家族(配偶者、子供)と友人別に検討すること、3.同じ集団を追跡し調査することによりサポート授受がQOLの時間的変化に及ぼす影響を調べること、である。

第一部韓国の調査【対象と方法】

 1.対象;韓国の慶尚北道慶州郡の14洞に居住している60歳以上の在宅高齢者全員である。初回調査(1994年)には714名から回答が得られ、このうち89.4%の638名について1年後の追跡調査が可能だった。

 2.変数;1)QOL:Philadelphia Geriatric Centerモラール・スケールを用いた。2)ソーシャル・サポート授受:手段的サポート(世話、仕事の手伝い)と情緒的サポート(悩みの相談、励まし)の4項目を設定した。そして、配偶者、子供、友人それぞれに対するサポート提供と受領の頻度を3段階で回答してもらった。3)活動能力:老研式活動能力指標のうち「手段的自立」を測定する5項目を用いた。4)属性

 3.データの収集;設問用紙を用いた調査員による訪問面接調査で行った。調査期間は初回調査が1994年7月、追跡調査は1年後の1995年7月の各1週間である。

 4.分析方法;サポート授受とQOLとの関係を調べるために、各サポート対象(配偶者、子供、友人)ごとの提供サポートと受領サポートを説明変数に、QOL得点を従属変数とする2元配置分散分析を男女別に行った。なお、活動能力は共変量として投入した。さらに、サポート授受がQOLに対し予測的妥当性を有するかを調べるために、初回調査時の活動能力とQOL得点を共変量に投入し、1年後のQOLを従属変数とする2元配置分散分析を行った。

【結果および考察】1.ソーシャル・サポート授受のパターン

 サポート授受のパターンでは、提供、受領ともに配偶者サポートが最も多く、次いで子供サポート、友人サポートの順であり、高齢者が家族中心のサポート交換を行っていることが判った。年齢と活動能力との関係では、高齢になり、活動能力が低くなるほど提供サポートは減少する傾向がみられたが、受領サポートは活動能力が下がるほど子供からのサポートが増加する傾向がみられた。

2.サポート授受とQOLとの関係(横断調査)

 配偶者サポートとQOLでは有意な関連性がみられず、配偶者とのサポートのやりとりは高齢者のQOLと無関係であった。配偶者サポートは何十年にも及ぶものであるため、この集団にとってサポートは「空気のように当然あるもの」と受けとられ、サポートの影響力が弱くなった可能性が考えられる。

 子供サポートとQOLでは、男性では子供に頻繁にサポートを提供する人ほどQOLが高い。ただし、提供サポートが多くても受領サポートが多い人においてはQOLが低い傾向がみられた。女性では、提供サポート、受領サポートともに頻繁な人ほど高いQOLを示していた。女性での受領サポートのポジティブな効果は、「サポート・バンク」の概念から解釈することができる。すなわち、女性の場合は育児や看病などをとおして子供にサポートを「貯蓄」してきたので、子供からサポートを受けることに対し、心理的コストを感じないですむのである。

 友人サポートでは、男性ではサポート提供とQOLがポジティブに関連しているが、サポート提供は少ないのに受領サポートのみが多い人ではQOLが著しく低くなっていた。女性においても男性と同様の傾向がみられた。家族関係に比べて短期的で、義務感ではなく、愛情や思いやりといった感情によって支えられている友人関係では、サポート提供の効果、特に他人に役立っているという有能感や達成感が感じられやすく、その感情が高いQOLとなって現れているのかもしれない。

 全体としてみると、サポートを受けるよりも、サポートを提供する高齢者ほど高いQOLを示す傾向にあった。さらに、サポートをよくもらい、同時によく提供する人、すなわち相手とのサポート交換を頻繁に行っている人ほど高いQOLを示していた。

3.サポート授受がQOLの時間的変化に及ぼす影響(縦断調査)

 サポート授受が1年後のQOLに及ぼす影響は弱くなっており、どのサポートにおいても統計的に有意な関連はみられず、サポート授受がQOLの独立した予測因子であることは証明できなかった。この結果は次の点から説明できる。第一、サポート授受はそもそもQOLと関連性があるため、1年目のQOLをコントロールすることによって、もともとそれほど強くないサポートの予測因子としての影響が消失してしまったこと、第二、本研究のサポート測定が一時的なものしか評価できないものであったこと、第三、対象者の数が少なく追跡期間が短かった点、である。

第二部日本の調査【対象と方法】

 1.対象;長野県佐久市東地区在住の60歳以上の住民全員(1,657人)である。初回調査(1994年)には80.1%の1,328名からの回答がえられ、このうち76.2%の1,012名について1年後の追跡調査ができた。

 2.変数;韓国と同様である。

 3.データの収集;設問用紙を用いた自己記入式により行われた。記入した設問紙は調査員が回収した。調査期間は、初回調査が1994年11月、追跡調査は1995年11月のそれぞれ2週間である。

 4.分析方法;韓国と同様である。

【結果および考察】1. ソーシャル・サポート授受のパターン

 韓国と同様に高齢者が家族中心のサポート・ネットワークを形成していることが判った。年齢との関係では、高齢になるに従って提供サポートが減少する傾向がみられた。受領サポートでは、高齢になり、活動能力が下がるほど子供サポート、友人サポートでは増加する傾向がみられた。

2.サポート授受とQOLとの関係(横断調査)

 配偶者サポートとQOLでは、男性ではサポート受領のネガティブな主効果が有意であり、妻からサポートを多く受ける人ほど低いQOLを示していた。しかし、女性においては有意な主効果あるいは交互作用はみられなかった。サポートを受け取ることの否定的な側面が認められた理由については、サポートをもらうことによって生じる負担感などが高齢者の自尊心または自律性などを損害することになり、それがQOLとネガティブに関連していたと考えられる。もうひとつの解釈としては、サポートを必要とする状況そのものがサポートの効果を上回っていた可能性もある。

 子供サポートとQOLの関係でも、男性においてサポート受領のネガティブな効果がみられ、サポート提供によってQOLは変わらないが、子供からもらうサポートが多い人においてQOLが低かった。女性においては有意な主効果あるいは交互作用はみられなかった。高齢者の中には自分に援助が一番必要な時自分の子供からサポートを求めるか受けることをためらう人があり、できるだけ自律していることを好むという知見(Silverston&Bengtson)から上記の結果は解釈できよう。

 友人サポートでは、男女ともにサポート受領のネガティブな主効果が確認され、サポートを受領する人ほど低いQOLを示していた。この傾向は、友人関係では自分が相手より損する立場にある方が利益が多すぎる立場にいるより満足するというRoberto&Scottの先行研究を支持するものである。

 全体としてみると、他人からサポートを受けない人ほど高いQOLを示していた。この結果は、従来より強調されてきたサポート受領のポジティブな効果ではなくサポート受領がもたらす依存感、罪悪感などの否定的な側面を支持するものである。

3.サポート授受がQOLの時間的変化に及ぼす影響(縦断調査)

 韓国での結果と同様に、サポート授受の1年後のQOLに及ぼす影響はどのサポートにおいても弱くなっており、女性における子供からの受領サポートがQOLとネガティブに関連しているだけだった。

【総括的考察】

 本研究では高齢者におけるサポート授受とQOLとの関係を韓国と日本の農村地域で調べた。その結果、以下のことが明らかになった。第一に、サポート授受は両国ともに家族中心に行われていること。また、サポート授受は活動能力および年齢との相関が強く、特に提供サポートは活動能力が低くなるにつれサポート提供の頻度が少なくなる傾向が認められた。

 サポート授受のQOLに及ぼす影響については、韓国ではサポート受領よりサポート提供の方がQOLと強く関連しており、サポートを多く提供している人において高いQOLがみられた。この結果は、サポート受領がもたらすポジティブな効果よりサポートを提供することの方がQOLと強く関連していることを示唆する。さらに、全体的な傾向としては、サポート交換が頻繁な人において最も高いQOLがみられた。これは高齢者にとってサポート授受のバランスが重要であることを示唆するものと考えられる。

 ところが、日本でのサポート授受とQOLでは、サポート受領のネガティブな効果がみられ、他人からのサポート受領が少ない人において高いQOLが示された。この結果は、従来の多くの先行研究の結果とは異なり、高齢者におけるサポート受領がもつ返報できないことに対する罪悪感、依存傾向の増大といったネガティブな側面が強いことが示唆される結果であった。

 サポート授受とQOLとの関連性が韓国と日本で異なっており、サポート授受のQOLに及ぼす影響が複雑であることが認められた。この結果に関しては、次の点から考察することができる。第一に、韓国では調査員による面接調査であったのに対し日本では自己記入方式の調査であり、調査方法の違いによるものかも知れない。第二に、日本では自立することに価値をおく欧米文化の影響を韓国より強く受け、サポートを受けると自分の自立が脅かされると思ったからかもしれない。さらに、韓国では「孝」の意識は強く、高齢者が周りの人から助けられることは必ずしも依存の苦痛をもたらさないことによるとも考えられる。第三に、韓国ではまだ公的サービスは始まったばかりであるため、高齢者自身がインフォーマル・サポートにしか頼ることができないので負担を感じる度合いが少なかったかもしれない。

 今後の課題としては、まず、サポート測定を相手との関係性ごとに全生涯の観点から測定するといったサポート測定の改善、第二は、「生活満足度」や「幸福感」など他のQOL尺度でサポート授受との関連性を検討すること、第三に、在宅高齢者のみならず、「都市部に住んでいる高齢者」または「要介護老人」を対象にした検討、があげられる。

 本研究の結果は、高齢者のQOLを考える際に、従来より強調されてきた高齢者をどのようにサポートしてあげるかという側面より、むしろ高齢者の自律を尊重することや高齢者自らサポートを提供する機会を与えるという側面が重要であることを示唆する。高齢者の方からネットワークのメンバーに何らかのサポートを提供できる状況を作っていくことも豊かな高齢者社会をめざす時、重要になってくるだろう。

審査要旨

 本研究は、高齢者のQuality of Life(以下、QOL)に及ぼす要因として、ソーシャル・サポート(以下、サポート)が注目され、サポート受領がもつポジティブな効果が多くの研究で示唆されているが、サポート提供の側面を考慮した研究が少ない現状から、サポート授受(提供と受領)およびサポート授受のバランスがQOLに及ぼす影響を検討することを目的としたものである。上記の課題に関する先行研究がほぼ皆無の状態である韓国と日本の農村地域に居住している60歳以上の高齢者を対象に横断調査と追跡調査を行い、下記のような結果および知見が得られた。

 1)サポート授受のパターンに関しては両国ともに家族中心のサポート授受が行われ、他の先行研究とも一致していた。また、サポート授受は活動能力および年齢との相関が強く、特に提供サポートに関しては活動能力が低くなるにつれサポートが減少する傾向がみられた。

 2)サポート授受のQOLに及ぼす影響については、韓国ではサポート受領よりサポート提供の方がQOLと強く関連しており、サポートを多く提供している人において高いQOLがみられた。従来のサポート研究ではサポート受領がもたらすポジティブな効果のみが焦点になってきたが、本研究の結果は、サポートを提供することの方がQOLと強く関連していることを示している。これは欧米におけるいくつかの先行研究で、サポート提供が高齢者のQOLによい効果をもたらすという報告と一致する知見である。さらに、韓国では全体的な傾向として、サポート授受が頻繁な人において最も高いQOLがみられた。これは欧米におけるIngersoll-Dayton&Antonucci先行研究を支持する結果となり、高齢者が周囲の人から援助をもらうことと自らサポートを提供することとのバランスが重要であることを示唆する。

 3)日本でのサポート授受とQOLとの関連では、サポート受領のネガティブな効果がみられ、他人(配偶者、子供、友人)からのサポート受領が少ない人において高いQOLを示していた。この結果は、従来の先行研究の多くにおいて示された結果とは異なり、高齢者におけるサポート受領がもつ、返報できないことに対する罪悪感、依存傾向の増大といったネガティブな側面をより強くあらわすものである。

 4)初回調査でのサポート授受の影響が1年後のQOLにも同様に影響を保っており、サポート授受がQOLに対し予測的妥当性を有するかを調べるために、1年間の追跡調査を通して、初回調査のサポート授受が追跡調査のQOLに及ぼす影響を調べた。その結果、韓国と日本の両国において、サポート授受の影響は弱くなっておりサポート授受がQOLの独立した予測因子であることは証明できなかった。

 本研究では、ソーシャル・サポート授受とQOLとの関連を韓国と日本の在宅高齢者を対象に検討した。その結果、従来の多くのサポート研究で示唆されているサポート受領のポジティブな効果よりも、韓国ではサポート提供のポジティブな効果が、日本ではサポート受領のネガティブな効果が確認された。この結果は、いかにすれば高齢者のQOLを高く維持あるいは増進するかを考える際に、従来より強調されてきた高齢者をどのようにサポートするかという側面より、むしろ高齢者の自立を尊重することや高齢者自らサポートを提供する機会を与えるという側面が重要であることを示唆する。高齢者の方からネットワークのメンバーに何らかのサポートを提供できる状況を作っていくことも豊かな高齢者社会をめざす時、重要になってくると考えられる。

 以上、本研究は、従来までほとんど無視されていた高齢者自らがネットワークのメンバーに対しサポートを提供する側面およびサポート授受のバランスに着目し、韓国と日本を対象とし調査を行ったものであり、サポート研究に大いなる貢献をするものと認められ、学位の授与に値するものと考えられる。

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