学位論文要旨



No 112874
著者(漢字) 佐々木,亨
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,トオル
標題(和) 核内レチノイン酸受容体の光親和性標識
標題(洋)
報告番号 112874
報告番号 甲12874
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第785号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩崎,成夫
 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 助教授 橋本,祐一
内容要旨

 形態形成や細胞の分化・増殖の制御などにおいて重要な役割を果たしているレチノイン酸は、ステロイドホルモンやチロキシンホルモンなどと同様、核内受容体を介してその効果を発揮する。これらの核内受容体は複数のドメイン構造から成り立っているが、リガンド依存的な転写制御機能を有するC末のリガンド結合領域は、医薬化学的見地からもその構造情報が最も重要な領域である。核内受容体は二量化によって効率の高い転写活性化を行うことが知られているが、リガンド結合領域はこの機能も併せ持っており、これら複数の機能が高次構造においてどのように位置付けられるかという点でも興味が持たれる。

 蛋白質の構造に関する情報を得るための直接的かつ簡便な方法として光親和性標識法が挙げられる。合成レチノイン酸様生物活性化合物(レチノイド)として強力な活性をもつAm80・Am580などをリードとして蛍光性プローブを開発するとともに、光親和性標識剤を各種合成し(Fig.1)、これらを用いてヒトレチノイン酸受容体hRARの特異的標識を行なった。さらに、標識部位を解析するために「エンドプロテアーゼコンビネーション法」を開発・確立し、本法の応用によって標識された部位の特定を行なった。

Fig.1 Structures of RetinoidsRARの蛍光性プローブ

 Am580に異なる長さのスペーサーを介してダンシル基を結合させた蛍光性リガンドDAM-3・DAM-15は[3H]Am80を用いた結合競合試験からhRARに特異的に結合することが確認された。これらのリガンドの蛍光強度はhRARを共存させることにより顕著に増大し、ダンシル基が疎水的環境に取り込まれていることを示唆している(Fig.2)。そこで特異的結合に起因する蛍光強度増大を評価するため各種レチノイドを競合剤として添加したところ、特異性はDAM-3とhRARの間にのみ見られた(Fig.2斜線部)。このことからhRARに特異的に結合しながら蛍光強度の特異的な増大が見られないDAM-15は、結合した際にそのダンシル基が蛋白外部に存在していると考えられ、一方DAM-3は、hRARに特異的に結合した際にそのダンシル基が蛋白内部に存在すると判断された。フリーのリガンドを除去することなくhRARを検出できるDAM-3の蛍光性プローブとしての有用性が確認された。

Fig.2 RAR-Dependent increase of Relative Fluorescence intensity of DAM-3 and DAM-15
【光親和性標識剤デザインのコンセプト】

 DAM-3のダンシル基を5-azido naphthalene-1-sulfonyl基に変換したADAM-3は、その光反応基がダンシル基と同様に蛋白内部に存在することが期待され、DAM-15の誘導体ADAM-15と比較して光ラベル剤として適切であると考えられる。また、リガンド結合部位のより直接的な標識を目的としたAm540P、蛍光性アンタゴニストの誘導体LE622の合成も行なった(Fig.1)。

【融合蛋白MBP-RAR/Eの光親和性標識】

 光親和性標識の対象としてhRARのD/E/F領域(279アミノ酸残基)をマルトース結合蛋白のC末に融合させたMBP-RAR/Eを選んだ。結合競合試験の結果、上記の光親和性標識剤はいずれもMBP-RAR/Eに対する特異的結合能力を有していることが確認された。MBP-RAR/Eをこれらの光親和性標識剤存在下で光照射し、非可逆変性の後4種のエンドプロテアーゼ(Arg-C,Asp-N,Glu-C,Lys-C)で消化した。ADAM-3存在下で光標識した場合は、各エンドプロテアーゼ処理に対してHPLC上でそれぞれ2つの蛍光性ピークが得られた。Am80共存下でADAM-3による光親和性標識を行なった際にはこれらの蛍光ピークの強度は顕著に減少し、これらはADAM-3の特異的結合に由来していることが確認された。ADAM-15・LE622の場合は明らかに特異的と判断される蛍光性ピークは検出されなかった。Am540P存在下で光照射されたMBP-RAR/Eは[3H]Am80の結合能が著しく低下することから効率の高い標識が推測され、300nmのUV吸収の追跡により特異的にAm540Pを結合したと考えられるフラグメントが検出された。

 光親和性標識剤の結合において、特異性と効率に優れていたADAM-3とAm540Pの場合について結合部位の解析を行なった。

【エンドプロテアーゼコンビネーショシ法による結合部位の解析】

 ADAM-3の結合した蛍光性ペプチドフラグメントを分取し、1回目に用いたものとは異なるエンドプロテアーゼで2回目の消化を行い、HPLC上の保持時間の変化の有無を調べることにより、ラベル部位周辺のエンドプロテアーゼ認識部位の前後関係を求めた(Fig.3)。1回目と2回目の消化で用いるエンドプロテアーゼの順番を入れ替えた2段階消化の対において、消化の結果同一の保持時間を与える蛍光性ピークを組合せることにより1回目の各消化でそれぞれ2つ得られた蛍光性ピークを2つの特異的な標識部位に帰属して対応関係を同定した。

Fig3.Concept of Endoproteinase Combination Method

 2段階消化実験により各標識部位周辺のエンドプロテアーゼ認識部位の前後関係に対して12の条件が得られ(Table 1)、これらを満たす配列をMBP-RAR/Eの中から探した結果、一方の標識部位に対してアミノ酸番号492-510(hRARで288-306)の配列のみが全ての条件を満たした。もう一方の標識部位に対する12の条件をすべてみたす配列は、MBP-RAR/Eの中に存在せず、エンドプロテアーゼに認識されていない部位が存在していることが推測された。そこで1つの認識部位がADAM-3の結合により認識不可能になっていると考え、1つのエンドプロテアーゼを除外した3つのエンドプロテアーゼの組合せを作り、それぞれの条件を満たし、かつ除外されたエンドプロテアーゼの認識部位を含む配列を探したところ、4つの配列が条件を満たした。さらに認識されなかった部位を特定し、これらの配列に再び12の条件を適用すると、Arg-Cに認識されないArgを含むと仮定した585-594の配列のみが全ての条件を満たした。よってもう1つの標識部位はArg589あるいはその近傍であると推定された。

Table1.Results of the Successive Endoproteinase Digestions for the Two Labeled Sites

 同様にAm540Pを結合したと考えられるフラグメントに対しても2段階エンドプロテアーゼ処理を行ない、得られた12の条件を用いた検索を行なった結果、これらの条件を全て満たす595-597の配列が標識部位として決定された。この配列を直接的な方法で確認するため、Lys-C処理で得られた特異的フラグメントをエレクトロスプレーイオン化法による質量分析で検出することを試みた。エンドプロテアーゼコンビネーション法により決定した標識ペプチド(595-603)の分子量1306に対して、プロトンが2つ付加した2価イオンの測定値として654のシグナルが検出された。

【結合部位に関する考察】

 本研究中にhRARリガンド結合領域とall-trans-レチノイン酸との複合体のX線結晶構造解析が行なわれ、核内レセプター間で共通すると考えられるホロフォームの基本構造が示されたが、hRARとhRARのリガンド結合領域における一次構造の相同性はかなり高く、今回用いたMBP-RAR/Eも含めてその3次元構造は類似していることが予想される。この仮定の上に立つと、今回ADAM-3による光親和性標識部位として決定したMBP-RAR/Eの492-510の残基は、レチノイン酸のカルボキシル基の外側に位置するストランド2・ヘリックス6を形成すると推測され、妥当な標識部位であると考えられる。もう1つのADAM-3による標識部位であるArg589近辺も結合ポケットの内部に接する配列とみなすことができる。Am540Pによる標識部位である595-597の配列は、all-trans-レチノイン酸のシクロヘキセン環部分と直接相互作用するヘリックス11の1部に相当し、リガンド結合部位のより直接的な標識と標識された配列の決定に成功したと考えられる。

Fig.4 Mapping of the Photoaffinity Labeled Sites

 ADAM-3及びAm540Pにより光親和性標識された配列を決定するために用いられたエンドプロテアーゼコンビネーション法は、エドマン分解を用いずに限られた配列を特定できる点や標識の効率の高さを問題にしない点・操作の簡便さなどの点で優れている。しかし1つの残基を特定することができないこと、エンドプロテアーゼの認識部位が修飾された場合に解析が複雑になること、などの限界もみられる。近年技術的進展が著しい質量分析によるペプチドの解析法などと組合せた場合、この手法はより有用となると考えられる。

審査要旨

 本論文は核内レチノイン酸受容体のリガンド結合ドメインについて、その三次構造に関する情報を有機化学的な手法により、簡便に得るべく展開した研究を記述している。

 レチノイン酸はビタミンAの活性本体であり、哺乳動物の生命維持・正常な成長などに必須な因子である。その細胞分化・増殖に及ぼす決定的な生物作用から、医薬応用の観点からも注目され、多くの誘導体(レチノイド)がデザイン・合成されている。レチノイドの作用機構は、核内レチノイン酸受容体を介した特異的な遺伝子の発現制御にある。核内レチノイン酸受容体にはいくつかのサブタイプが存在し、類縁受容体として多くのステロイドやチロキシンホルモンなどの受容体がある。新規レチノイン酸誘導体、特にサブタイプ選択的なレチノイドの開発に際しては、核内レチノイン酸受容体のリガンド結合ドメインにおいて直接リガンドと接するペプチド鎖を特定することが重要な課題となる。

 そこで佐々木は本課題を解決するために、(1)核内レチノイン酸受容体リガンド結合部位に対して特異的な光親和性標識化合物を複数デザイン・創製し、(2)これらを用いて光標識した部位を簡便に特定するために、エンドプロテアーゼコンビネーション法と呼ぶ一般的な手法を開発し、(3)本方法により、核内レチノイン酸受容体においてリガンドと直接相互作用すると目される三つの部位をアミノ酸配列のレベルで特定した。

 光親和性標識剤としては、既知の強力な合成レチノイドのカルボキシル基末端近傍にスペーサーを介してアジドダンシル基を導入したものと、類似の分子骨格の疎水性頭部に直接光反応性のトリフルオロメチルジアジリジン基を導入したものをデザイン・合成している。特に前者の創製に至る過程では、核内レチノイン酸受容体を蛍光強度の変化の測定のみで簡便に検出し得る蛍光性レチノイドブローブの開発にも成功している。

 創製した光親和性標識剤により特異的に核内レチノイン酸受容体を光標識し得ることを、リコンビナントなヒト核内レチノイン酸受容体リガンド結合ドメインタンパクを用いて確認している。

 次いで佐々木は、標識タンパクの標識剤結合部位を簡便にアミノ酸配列のレベルで特定し得る、一般応用性のある新手法、エンドプロテアーゼコンビネーション法を開発した。この方法は、標識タンパクをアミノ酸残基特異的なエンドプロテアーゼ複数種を段階的に用いて消化し、各段階における標識フラグメントの異同を高速液体クロマトグラフィー分析によって確認し、その結果からエンドプロテアーゼが認識するアミノ酸に関する一次構造上の相互位置関係(コンテクスト)を決定するというものである。本方法は、一次構造の決定されているすべてのタンパクについて応用可能な一般的かつ簡便な方法である。

 本論文では標識ヒト核内レチノイン受容体リガンド結合ドメインタンパクについて、四種のアミノ酸残基特異的エンドプロテアーゼを用いたエンドプロテアーゼコンビネーション法が適用され、標識部位一ヶ所につき12項目のアミノ酸コンテクストを得ている。得られた結果に合致するコンテクストを既知の核内レチノイン酸受容体一次アミノ酸配列の中に探索するという方法により、2種の光親和性標識剤について合計三ヶ所の標識部位が特定された。

 本論文で佐々木が特定した上記三ヶ所の標識部位は、ヒト核内レチノイン酸受容体リガンド結合ドメインの、ヘリックス8中のアルギニン残基、ヘリックス6中の9-アミノ酸残基からなる部位、およびヘリックス12中の3-アミノ酸残基からなる部位である。これらの部位はいずれもリガンド結合ポケットを形成する部分に存在し、佐々木の方法の有効性が実証されている。

 本論文による、核内レチノイン酸受容体がリガンドと直接相互作用するアミノ酸部分の特定により、受容体サブタイプ選択的なレチノイドのデザイン展開が期待できる。加えて本論文に記述された全体的なストラテジーは、その有効性の実証と一般性から、広く薬物受容体・標的分子の構造解析ならびにそれらの特徴ある新規リガンドのデザインに向けて期待できる新手法である。

 よって本研究は、生物有機化学・医薬化学の進展に寄与するところ大きく、博士(薬学)の学位にふさわしいものと判断した。

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