学位論文要旨



No 112878
著者(漢字) 中島,修
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,オサム
標題(和) ポルフィリンによる赤芽球系細胞分化
標題(洋)
報告番号 112878
報告番号 甲12878
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第789号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩崎,成夫
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 橋本,祐一
内容要旨

 ポルフィリンとは4個のピロール核が4個のメチン橋によって結合した環状テトラピロール(Porphine)構造を含む化合物群を指すが、この化合物群は細菌から動植物までのほとんどの生物に遍在し、酵素などの補欠分子として不可欠な生体成分である。ポルフィリンによる白血病細胞の分化としてはHeminによるマウスフレンド細胞の赤血球系分化や慢性骨髄性白血病患者から樹立されたK562細胞株の赤芽球系分化が報告されている。

 ポルフィリンに関する過去の多くの研究は主としてHemoglobinやCytochrome P450などの活性中心としての酵素化学的反応機構解明などに重点が置かれていた。しかし、現在ではポルフィリン特異的結合タンパクを介して転写、翻訳、細胞内輸送など様々なレベルでの細胞内プロセスをポルフィリンがコントロールしていることが明らかになりつつある。

 本研究では分化誘導剤としてのHeminの構造に着目し、Hemin関連化合物のK562細胞に対する分化誘導活性の構造活性相関を解析し、さらに、転写や細胞増殖、ミトコンドリア機能に影響を与える各種の生物応答調節剤:BRM(レチノイド、チューブリン重合阻害剤および末梢型ベンゾジアゼピンレセプターリガンド)がK562細胞のポルフィリンによる赤芽球系分化に対してどのような影響を与えるかを検討することで、分化に関わる細胞内諸相を明らかにすることを目指した。

1.ヒト骨髄性白血病細胞K562株に対するHemin系化合物の赤芽球系分化誘導活性

 ポルフィリンのK562細胞に対する分化誘導活性は各薬物を添加した5%血清含有RPMI1640培地中で4日間培養後、Benzidine染色によりHemoglobin産生細胞を判定し、その占有比率を指標として測定した。検討した二十数種のHemin関連化合物中、ポルフィリン環のみのPorphineやTetraphenylporphyrin誘導体等の合成化合物にはまったく分化誘導活性は観察されなかった。また、Hemeの生合成中間体でプロピオン酸側鎖をもつPorphobilinogenやポルフィリン環の開裂した代謝物であるBiliverdinおよびBilirubinにも活性はなかった。しかし、マウスフレンド細胞には不活性であり細胞分化誘導活性がないと見なされてきた、Protoporphyrin IX(PP,Fig.1)をはじめ、Hematoporphyrin IX(HP)、Mesoporphyrin IX(MP)にHeminに優るK562細胞に対する分化誘導活性を認めた。さらに、Deuteroporphyrin IX(DP)、PP dimethylester(PDE)、N-Methyl PP(NMP)などにも活性を見出した。これらのポルフィリンは濃度依存的にK562細胞に対し分化を誘導した(Fig.2)。その一方で、PPに鉄以外の金属が配位したZinc PP、Stannic PP dichlorideにはまったく活性が見られなかった。さらにPPのプロピオン酸側鎖を修飾した一連の化合物(エステル体を除く)はK562細胞に対し分化を誘導しなかった。

Fig.1.分化誘導活性をもつポルフィリンの化学構造Fig.2.ポルフィリンのK562細胞分化誘導活性

 以上の結果からHemin系化合物の構造活性相関についてまとめると、以下のようになる。

 (1)Hemin分子内の鉄イオンは必ずしも活性に必要ないが、鉄以外の金属では活性を失う

 (2)Heminのプロピオン酸側鎖は活性発現に重要な働きをし、修飾により活性を失う

 (3)Heminのビニル基は活性を失わずに修飾が可能である

 本結果から、新たに分化誘導に関わるHemin/PPの標的分子を探索する目的で、構造活性相関の知見に基づいてデザイン・合成したリガンドを用いたアフィニティーゲルを作製した。現在までのところ、これを用いてK562細胞抽出液からHemin/PP特異的結合タンパクとして、biliverdin IX reductase isozyme Iを得た。更なる探索が進行中である。

2.ポルフィリンによる赤芽球系分化に対するBRMの影響2.1レチノイドの分化に対する影響ポルフィリン誘起分化に対するレチノイドの促進効果Fig.Hemin(2M)による分化に対する種々のレチノイドの影響

 レチノイドとしては天然型レチノイドであるalltrans Retinoic Acid(RA)、強力な合成レチノイドである、Am80・Am555SならびにAm68Pを選択した。これらすべてのレチノイドは単独処理ではK562細胞の増殖・分化に何ら影響を与えなかったが、Heminとの同時処理ではHeminにより誘起された分化を濃度依存的に促進した。この促進作用はAm80の場合、10nMから観察され1Mまで濃度依存的であった。2.5M Heminによって誘導されるベンチジン陽性率が1M Am80の添加で約2倍に増加した。4種のレチノイド1MにおいてHeminによる分化に対する影響を比較したところ、分化促進能の序列はRA>Am80>Am68P>Am555Sとなり(Fig.3)、レチノイン酸レセプター(RAR)の結合親和性の序列と対応する結果が得られた。また、Heminと同様、PPおよびPDEによる赤芽球系分化もレチノイドにより促進された。

癌遺伝子c-myc・c-mybおよびレチノイン酸レセプター/のmRNA発現量に対するAm80およびHeminの影響Fig.4.c-Myc・c-MybおよびRAR,RARのmRNA発現量に対するAm80およびHeminの影響

 レチノイドの分化促進効果が分化関連癌遺伝子の発現のコントロールに基づく可能性を探り、さらに、現在、知られているレチノイド応答遺伝子の中からK562細胞の赤芽球系分化に関与する遺伝子を探索するためにK562細胞におけるc-myc,c-myb,rar ならびにrar のノーザンブロット解析を行った(Fig.4)。K562細胞に対して1M Am80単独処理(A)、1M Am80・5M Hemin同時処理(A+H)あるいは5M Hemin単独処理(H)を行い、図中の各培養時間において全RNAを抽出した。c-mycおよびc-mybのmRNA発現はAm80あるいはHemin単独処理直後に増加を示し、本増加においてAm80とHeminは相乗的効果を示した(Fig.4,A/B)。 一方、rar のmRNA量はどの薬物処理によっても大きな影響は受けなかった(Fig.4,C)rar はAm80単独処理あるいはAm80・Hemin同時処理によってmRNA発現が増大したが、Hemin単独処理では発現増大は観察されなかった(Fig.4,D)。これらの結果からレチノイドとHeminはともにc-mycおよびc-mybのmRNA発現を上昇させるが、rar のmRNA発現に関してはレチノイドは上昇させるがHeminは影響しないこと、さらにrar のmRNA量はレチノイドにもHeminにも影響されないことが示唆された。これらの結果はレチノイドのrar に対する結合親和力の序列と分化促進能のそれが対応することと合わせると、rar がレチノイドによるK562細胞の赤芽球系分化促進作用で何らかの役割を担っていることを示唆するものといえる。

ポルフィリン誘起分化におけるレチノイド要求性:レチノイドアンタゴニストの分化阻害効果および血清中レチノイド様物質の役割Fig.5.種々のレチノイドアンタゴニストによるHemin(5M)誘起分化の阻害

 レチノイドによる分化促進現象を認めたことから、血清中に含まれるレチノイド様物質とK562細胞の赤芽球系分化の関わりを検討するため、レチノイドアンタゴニスト(TD550,LE135,LE540およびLE550)のHemin誘起分化に対する影響を解析した。どのレチノイドアンタゴニストも単独では50Mまで分化誘導活性はなかった。しかし、Heminと同時処理した場合、すべてのレチノイドアンタゴニストは濃度依存的に分化を抑制した(Fig.5)。そこで、分化に対する血清中のレチノイド様物質の影響を解析するために、活性炭処理を施したレチノイド除去血清(RF-FBS)を用いてHeminおよびPPによりK562細胞を分化させたところ、分化細胞の占める割合は正常血清(FBS)の場合と比べ半減した(Fig.6)。一方、RF-FBS下でレチノイド(Am80)を添加してHeminおよびPPにより分化させたところ、レチノイドは濃度依存的に分化を回復させた。この結果とレチノイドアンタゴニストの分化阻害作用からHeminおよびPPによるK562細胞の分化には血清中のレチノイド様物質がコファクターとして必要であることが示唆された。

Fig.6.レチノイド除去血清(RF-FBS)のポルフィリン誘起分化に対する影響
2-2チューブリン重合阻害剤の分化に対する影響

 代表的なチユーブリン重合阻害剤であるColchicine、VinblastineおよびRhizoxinを細胞増殖阻害作用を示さない最大の濃度で1時間処理後、細胞を洗浄して薬物を取り除き、Heminを含む新鮮培地で培養したところ、すべてのチューブリン重合阻害剤を処理したK562細胞の赤芽球系分化が無処理細胞と比べ、2倍程度に増強された。

2-3末梢型ベンゾジアゼピンレセプターリガンドの分化に対する影響Fig.7.ポルフィリンおよびDiazepamによる分化に対するPBRリガンドの影響

 ポルフィリンは、ミトコンドリアに多く分布する末梢型ベンゾジアゼピンレセプター(Peripheral-Type Benzodiazepine Receptor,PBR)に特異的結合を示し、PBRの生体内リガンドの可能性が示唆されている。ポルフィリンのPBRに対する結合活性とK562細胞に対する分化誘導活性との構造活性相関の間に類似性のあることから、PBRリガンド(DiazepamおよびPBRの特異的アンタゴニストとされているPK11195)の分化誘導活性およびポルフィリン分化に対する影響を解析した。典型的なPBRリガンドであるDiazepamはK562細胞に対し、活性型ポルフィリンに比して弱いながら赤芽球系分化誘導活性を有したが、これに反してPK11195は全く活性を示さなかった。さらに、K562細胞のHemin誘起分化に対するPBRリガンドの影響を解析したところ、PK11195は25M以上から分化阻害作用を示し、PPおよびDiazepamによる分化に対しても阻害作用を示した(Fig.7)。一方、Diazepamは25M以上においてHeminによる赤芽球系分化を促進した(Fig.7)。現在のところPBRの生埋学的役割は不明確ではあるが、PBRリガンドがK562細胞の赤芽球系分化を修飾することから、PBRが赤芽球系分化に関与していることが示唆された。

3.結語

 本研究はポルフィリンのK562細胞に対する分化誘導能の検討から、新たに分化誘導活性をもつポルフィリンとしてPP等を見出し、その構造活性相関にある程度の解答を与えて、ポルフィリンの構造を厳密に認識する細胞内ターゲットの存在を示唆した。一方、K562細胞のポルフィリン誘起分化に対する種々のBRMの影響を解析し、レチノイドがポルフィリン誘起分化を濃度依存的に促進することを見出し、この促進作用の機溝にRARが関与していることを示唆した。さらにレチノイドアンタゴニスト・レチノイド除去血清を用いて、血清中のレチノイド様物質がK562細胞の赤芽球系分化に関与することを明らかにした。一方、チューブリン重合阻害剤処理によりHemin誘起分化が促進されることすることを示した。また、PBRリガンドがポルフィリン誘起分化を修飾することを明らかにし、末梢型ベンゾジアゼピンレセプターがポルフィリン誘起分化に関わりのあることを示唆した。これらのBRMを用いた結果は細胞分化プロセスに関与する諸相を明らかにするとともに白血病に対する分化誘導療法の開発に寄与するものと考えている。

参考文献Osamu Nakajima et al.,(1)FEBS Lett.(1993)330:81-84,(2)BBRC.(1994)198:720-727,(3)Biol.Pharm.Bull.(1994)17:742-744,(4)BBRC.(1995)206:1003-1010,(5)Biol.Pharm.Bull.(1995)18:903-906,(6) Cell.Mol.Biol.(1997)in press.
審査要旨

 本論文は、ヒト白血病細胞株K562のポルフィリンによる赤芽球系分化について、これにかかわる細胞内諸相の各過程を解き明かすべく展開した研究をまとめたものである。

 近年の分化誘導療法の進歩は細胞の化合物による分化誘導過程の分子機構的研究の成果によるところが大きい。一方で、細胞分化という現象自体は様々な現象が多次元同時的に進行した結果であり、従来の、各々の現象単独を独立に追求する研究では全体像を把握することができない。

 そこで中島は、K562細胞のポルフィリンによる赤芽球系分化という、関連する事象としては最も古くから知られていたにもかかわらず今なおなおざりにされている現象を素材に、本事象を制御する細胞内諸相における各過程を現象論的な解析により整理しようとした。よって本研究は、一つの細胞内素反応を追跡したものではなく、当該細胞分化にかかわる同時進行的な複数の事象個々を分類分析した解析的なものである。

 そのために本論文の記載内容は、(1)ポルフィリンの構造活性相関、(2)その標的分子の探索、(3)その分化の性状、(4)本系におけるレチノイドの関与と、(5)その機構、(6)チューブリン重合阻害剤の影響、(7)抹消型ベンゾジアゼピン受容体の関与、と広い範囲にわたっている。

 第(1)項では、従来K562細胞に対して無効とされていたプロトポルフィリンが古典的分化誘導剤であるヘミンに優る活性を持つことの発見にはじまり、関連領域にインパクトある構造活性相関的解答を与えた。同時に、従来提唱されていた、本分化誘導系における鉄代謝の重要性を、少なくとも一部否定する結果を記述している。

 第(2)項では前項を受けて、本分化誘導系における標的分子探索のためのアフィニティーゲルをデザイン・合成し、候補となるタンパクをいくつか単離・精製し、そのうちの一つがビリベルジンIXリダクターゼであることをアミノ酸配列の決定により確認した。

 第(3)項では、ポルフィリンによるK562細胞の赤芽球系分化の可逆性・細胞増殖との関連を解析し、本分化誘導系の細胞生物学的研究の基礎となるべきデータを提供した。

 第(4)項には、レチノイドがポルフィリンによるK562細胞の分化を大きく促進・維持するいう発見を受けて、さらに従来本分化系にはかかわりなしとされていたレチノイドが、実は本分化誘導系において必須な因子であるという重要な発見が記述されいる。その証明のために、レチノイドアンタゴニストが用いられ、細胞培養に用いる血清中のレノチノイド性因子の関与の解析もなされている。

 第(5)項では、レチノイドの本系に及ぼす影響の分子機構として核内レチノイン酸受容体の関与を提唱している。加えて、myc、mybといったいくつかのガン遺伝子の発現に関する解析を行っている。

 第(6)項では、近年ガンの化学療法剤としても注目されているチューブリン重合阻害剤が、本分化系を大幅に促進するという、分化誘導の多剤併用療法の論理的基盤になり得る結果を記述している。加えて、チューブリン重合阻害剤の、細胞の化学分化誘導促進作用の一般性についても言及している。

 第(7)項では、本細胞分化誘導系における、ミトコンドリアに局在する抹消型ベンゾジアゼピン受容体の関与の可能性を、同受容体に選択的なアゴニスト/アンタゴニストの作用の解析を通じて提唱している。

 これらの実験結果は、それぞれが個々に重要な知見であり、論文は博物学的なものとなっているが 中島はこれを統合的に解析し解釈しようとした。いまだその解釈は不完全ではあるものの、本研究は、細胞の分化という事象の研究に対して一つの特徴的な方向性をK562細胞を素材として示しており、その中で、必須因子としてのレチノイドの発見を初め幾多の重要な発見を提供している。

 よって本研究は、細胞生物学、生物有機化学の発展に寄与するところ大きく、博士(薬学)の学位にふさわしいものと判断した。

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