学位論文要旨



No 112880
著者(漢字) 佐藤,泰司
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ヤスシ
標題(和) アミロイド前駆体タンパク質リン酸化による代謝及び輸送制御機構に関する研究
標題(洋) Metabolism and sorting of amyloid precursor protein are regulated by phosphorylation
報告番号 112880
報告番号 甲12880
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第791号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 助教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 鈴木,利治
内容要旨

 高齢化社会の到来を迎え、アルツハイマー病(AD)は原因の解明が社会的に急がれている重要な疾患となっている。AD脳の病理学的特徴である老人斑の主要構成成分は-アミロイド(A)であり、アミロイド前駆体タンパク質(APP)から生成される。AD脳においては、無定型で非線形性のAの沈着(びまん性老人斑)が神経細胞変性が生じる前に最初期病変として出現すること、Aが神経毒性を示すこと、さらに常染色体優勢遺伝を示す家族性のAD(FAD)においてAPPの点突然変異がFADと連鎖することから、APPがAD発症原因の一つであると考えられている。APPの代謝および生理機能はほとんど明らかにされていないが、神経細胞と非神経細胞ではAPPの代謝機構が違う可能性が示唆されており、相違点を解析することはAD発症原因を解明する上で必要であると思われる。一方APPの細胞内輸送機構も神経細胞と非神経細胞では異なるという報告があるが、APPの細胞内輸送と代謝との関わりは明らかになっていない。

 私は、神経特異的なAPPの機能と代謝機構を解明する手がかりとしてリン酸化に着目し実験を行った。その結果、APPはあらゆる組織で発現しているにもかかわらず、神経組織だけで特異的にリン酸化されていることを見出した。さらにリン酸化APPの神経細胞内分布の解析を行った結果、リン酸化がAPPの神経細胞内輸送に役割を果たしている可能性が考えられた。同様の結果は同じ遺伝子ファミリーに属するがAドメインを欠くAPLP2においても得られた。

1.APP/APLP2の神経組織特異的リン酸化の解析

 APP/APLP2はレセプター様の構造を持つ膜タンパク質である。培養細胞を用いた実験によると細胞質ドメインには3カ所のリン酸化サイトがあり、このうちAPPのThr668(numbering for APP695isoform)とAPLP2のThr736(numbering for APLP2763isoform)は、細胞周期依存的にcdc2 kinaseによってリン酸化制御を受けることが明らかになっている(Fig.1)。本研究では生体内におけるリン酸化レベルを正確に検出する目的で、リン酸化APP及びリン酸化APLP2を特異的に認識できる抗リン酸化抗体の調製を行った。抗リン酸化抗体(pAbThr668)はAPPのThr668サイトを、同様に抗リン酸化抗体(pAbThr736)はAPLP2のThr736サイトを化学的にリン酸化したペプチドを抗原として調製した。これらの抗体は目的のアミノ酸がリン酸化されたAPPもしくはAPLP2を特異的に認識した。

Fig.1Fig.2

 各組織のリン酸化レベルを明らかにする目的で、ラット組織抽出液よりAPP及びAPLP2をそれぞれ特異的な抗体で免疫沈降(I.P.)を行い回収後、SDS-PAGEで分離し、抗APP抗体(AbAPP),抗APLP2抗体(AbAPLP2)、pAbThr668、およびpAbThr736を用いてwestern blot(W.B.)を行った。APP/APLP2はisoformおよび発現量に違いが認められたが各組織で検出できた。しかしながらリン酸化APPおよびAPLP2は脳組織でのみ検出された(Fig.2)。これらの結果は、リン酸化がAPP/APLP2の神経組織特異的な機能・代謝制御機構に関与している可能性を示唆している。又、脳組織はcdc2 kinaseの活性が極めて低い事から、脳組織におけるAPP/APLP2のリン酸化制御機構は培養細胞におけるリン酸化制御機構と異なっている可能性が示された。

2.神経組織におけるリン酸化APP/APLP2の分布

 2種類の抗リン酸化抗体pAbThr668、およびpAbThr736はリン酸化APPもしくはリン酸化APLP2以外の他のラット脳タンパク質に対してほとんど反応性を示さないので、これら抗リン酸化抗体を用いて、リン酸化APP及びリン酸化APLP2の神経組織内分布を明らかにする目的で免疫組織学的研究を行った。成体ラット神経組織凍結切片をABC法により染色した(Fig.3)。ラット脊髄及びラット小脳プルキンエ細胞をAbAPP、pAbThr668(APP)、AbAPLP2及びpAbThr736(APLP2)により染色したところ、APP及びAPLP2は細胞突起及び細胞体において強く発現していたが、リン酸化APPは主に細胞体の膜上及び神経突起上に局在する事が明らかになった。リン酸化型と非リン酸化型が異なる細胞内局在を示しているという事実は、リン酸化がAPPの神経細胞内輸送に役割を果たしている可能性を示唆している。

Fig.3
3.初代培養神経細胞におけるリン酸化APPの局在

 APPのリン酸化型の細胞内局在を単一の神経細胞で明らかにする目的で、ラット胎児(E18)海馬初代培養細胞を用いて抗体染色を行った。海馬神経細胞をAbAPPおよびpAbThr668(APP)で染色したところ、APPは神経細胞全体に発現していたが、リン酸化APPは生体ラット神経組織と同様に細胞膜上及び神経突起上に多く存在する傾向が確認できた。

4.まとめと考察

 私はリン酸化APP、リン酸化APLP2を特異的に認識する抗体を調製し、APPおよびAPLP2のリン酸化が神経組織特異的な現象であることを明らかにした。又、リン酸化APP/APLP2の神経細胞内の局在を明らかにした。現在、神経細胞と非神経細胞ではAPPの代謝機構が違う可能性が示唆されているが、相違点の詳細な解析は十分になされていない。APPのリン酸化が神経細胞に特異的な現象であること、又リン酸化型と非リン酸化型は細胞内局在に違いが認められる事実から、私はAPPのリン酸化がこれらタンパク質の神経細胞特異的な細胞内輸送制御機構に関与している可能性を考えている。今後、この可能性を証明する研究を行うことでAPP/APLP2のリン酸化の生理機能・代謝機構を解明出来ると予想され、アルツハイマー症の原因究明に新たな視点を与えることが出来るようになると予想される。

審査要旨

 アルツハイマー病(AD)脳の病理学的特徴である老人斑の主要構成成分は-アミロイド(A)であり、アミロイド前駆体タンパク質(APP)から生成されるが、このAPPの代謝および生理機能はほとんど明らかにされていない。本論文はAPPのリン酸化に注目して、APPの機能と代謝機構を解明しようとしたものである。

1.APPの脳特異的リン酸化

 生体内におけるリン酸化レベルを正確に検出する目的で、目的のアミノ酸がリン酸化された状態を特異的に認識する抗体を調製した。それらの抗体を用いた生化学的実験の結果、APPはあらゆる組織で発現しているにもかかわらず、神経組織だけでのみ特異的にAPPの細胞内ドメインがリン酸化されていることを見出した。この結果は、リン酸化がAPPの神経組織特異的な機能・代謝制御機構に関与している可能性を示唆しており、神経細胞と非神経細胞ではAPPの代謝機構が違う可能性を直接示した初めてのものである。

2.APPのリン酸化体及び非リン酸化体の神経細胞内局在

 リン酸化部位特異的抗体を用いて、ラット脳凍結切片におけるリン酸化APPの神経細胞内分布の解析を行い、リン酸化体と非リン酸化体が異なる細胞内局在を示していることを明らかにした。すなわち、非リン酸化体は神経突起及び細胞質全体に存在するのに対し、リン酸化体は神経突起及び細胞膜表面上に局在していた。神経細胞特異的なAPPの細胞内輸送経路が存在するということは他の研究からも示唆されていたが、この結果はそれにリン酸化が関与している可能性を示唆したものである。ところで今回得られた二つの結果は、 (1)神経特異的なAPPの代謝機構の存在、 (2)神経特異的なAPPの輸送経路の存在という二つの重要な事実を「リン酸化」というキーワードをもとにして初めて結びつけた発見といえる。この発見は、(1)、(2)という全く別の立場から示唆されていたことが、実は一つの複雑な事実を別の視点から見たものにすぎないということを示していると言え、今後のAD研究に全く新しい考えをもたらしたといえる。同様の結果は同じ遺伝子ファミリーに属するがAbドメインを欠くAPLP2においても得られた。

3.APPの細胞内輸送経路

 ラット胎児海馬初代培養細胞を用いて、リン酸化がAPPの神経細胞特異的な細胞内輸送制御機構に関与している可能性を検討した。海馬初代培養細胞においてもAPPは神経細胞全体に発現していたが、リン酸化APPは生体ラット神経組織と同様に細胞膜上及び神経突起上に多く存在することを確認した。ところでAPPはERで合成された後、ゴルジ体を経て速い軸策輸送によって軸策先端へ輸送され、その後にトランスサイトシスにより細胞体及び樹上突起に再輸送されることが他の実験により確かめられているが、その詳細なメカニズムは明らかにされていない。この軸策輸送を担っていると考えられているキネシンの発現をアンチセンスオリゴヌクレオチドを加えることによって止めた結果、APPは細胞体のみに局在し、かつリン酸化型APPは全く発現しなかった。通常は軸策末端にもリン酸化APPが存在している事実と併せ考えると、この結果はAPPが軸策輸送を受けた後に軸策先端でリン酸化され、その後トランスサイトシスを受けるということを示唆している。また、このことは、リン酸化の役割がトランスサイトシスのシグナルである可能性も示唆している。APPのトランスサイトシスを特異的に乱す薬物であるといわれているブレフェルジンAが、リン酸化APPの局在パターンを変化させることもこの可能性を裏付けるものである。

 以上のように、本研究は、APPの代謝異常ががトランスサイトシスの異常に起因することを示唆したものであり、ADの原因究明研究に対して、新たな視点を加えたものである。よって、薬学の発展に寄与するところがあり、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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