リン脂質は生体膜の主要構成成分として常に集合体を形成しているが、一方で個々のリン脂質が状況に応じて脂質二重膜中でダイナミックな離合集散運動を行い、それが様々な細胞機能の発現に関わっている可能性が指摘されている。しかし、実際に細胞レベルで個々の脂質分子の分布、動態について解析し、更にそれがどのような細胞機能の発現に関わっているのかについて検討した研究は少ない。 そこで私は、まず生体膜を構成する主要リン脂質の1つホスファチジルエタノールアミン(PE)を特異的に認識し結合するペプチドRo09-0198を用いて生体膜上のPEの分布、動態について解析を行った。その結果、細胞分裂期において局所的にPEが形質膜内層から表層に現れることが明らかになった。更に、このような形質膜PEの分布変化が細胞分裂において重要なステップであり、特に細胞骨格系の制御において重要な役割を果たしている可能性を見出した。 1.PE特異的結合プローブの作製とその細胞膜PEの認識 Ro09-0198(Ro)は、放線菌培養上清から単離された分子量2.041の環状ペプチドであり、当教室によりPEの構造を厳密に認識し結合することが明らかにされている。しかし、Roは細胞膜障害性を有するために、これまで細胞生物学的解析に用いることができなかった。 私は、Roをビオチン化し、ストレプトアビジンとの複合体(SA-Ro)を形成させると、そのPE特異的結合性を有したまま細胞膜障害性のみを消失することを見出した。そこで、次にSA-Roが生体膜上のPEを認識し結合し得るか否かについて検討した。生体膜においてPEは主に脂質二重膜内層に存在することが知られており、ヒト赤血球ではPEの約90%が内層に分布している。蛍光標識したSA-Roを用いてヒト赤血球への結合を検討したところ、無処理の赤血球膜にはほとんど結合が見られなかったのに対して、ストレプトライシンO(SLO)により細胞膜に穴を開けた赤血球には顕著な結合が見られた。放射標識SA-Roを用いて同様の検討を行ったところ、穴を開けた赤血球は無処理のものに比べて約10倍の結合が見られた。この結果は、従来報告されている赤血球膜上のPEの非対称性と一致することから、SA-Roは生体膜上のPEを認識し結合していると結論した。 2.細胞の形質膜表層におけるPEの分布 単層培養したチャイニーズハムスター卵巣由来線維芽細胞株CHO-K1を用いて形質膜PEに対する蛍光標識したSA-Roの結合を検討したところ、形質膜表層にはほとんど結合が見られなかった。一方、SLOにより形質膜に穴を開けると、形質膜全体に強い結合が観察された。。このことから、CHO-K1もヒト赤血球と同様に形質膜PEの大部分は脂質二重膜内層に分布していると考えられた。次に分裂期細胞を用いて同様の検討を行ったところ、細胞分裂前期、中期、後期および分裂終了後の細胞にはほとんど結合が見られなかったのに対して、分裂終期細胞のみに顕著な結合が見られた。更に詳細な解析を行った結果、ちょうど分裂細胞がくびれる部分である分裂溝部分に特異的に結合していることが明らかになった。この結合は、PEリポソームを添加すると消失すること、形質膜上のPEを抽出したり、修飾したりしても同様に消失することから、SA-Roは形質膜表層のPEに結合していることが確認された。以上の結果を総合すると、細胞分裂終期において、分裂溝特異的にPEが形質膜内層から表層に現れることが示された。 3.SA-Roの細胞分裂に対する影響 分裂終期にPEが形質膜表層に現れることが示されたが、次にその生理的意義について検討する1つのアプローチとして、SA-Roを分裂期細胞に添加し、その細胞分裂に対する影響について検討した。その結果、核分裂過程や分裂溝の形成には全く影響が見られなかったが、分裂の最終段階である細胞質分裂のみが特異的に阻害された。SA-Roの分裂阻害作用は容量依存的であること、PEリポソームを添加すると顕著に抑制されること、また、ストレプトアビジンのみでは見られないことから、SA-Roが形質膜表層のPEに結合することにより引き起こされていることが示された。 SA-Roにより分裂を停止した細胞は細胞内オルガネラや微小管の再構成は正常に行なわれており、それぞれの娘細胞は完全にG1期の形態をとっていた。それに対して、アクチンフィラメントは、通常分裂期において分裂溝に集まって収縮環を形成し、それが細胞分裂の進行に伴い脱重合して行くが、SA-Ro処理した細胞では、脱重合がおこらず収縮環を形成したまま残存していた。更に、分裂溝部分以外でのアクチンフィラメントの再構成は全く正常に行なわれていた。このことから、SA-Roは、収縮環を形成したアクチンフィラメントの脱重合を特異的に阻害している可能性が示唆された。 4.SA-Roのアクチンフィラメント脱重合阻害機構についての解析 アクチンフィラメントが収縮環を形成する際にはそれ以外に様々な分子群が必要であることが知られている。ミオシンはアクチンとともに収縮環を形成する主要構成分子であり、また、収縮環が収縮するためには不可欠な分子である。ERMタンパク質は、アクチンフィラメントが収縮環を形成するときに形質膜と収縮環とをつなぐ分子である。そこで、SA-Roのそれぞれの分子に対する影響について検討したところ、どちらも収縮環を形成したままの状態で残存していた。この結果から、SA-Roは収縮環の脱重合機構を停止させている可能性が示唆された。次に、PEリポソームにより形質膜上に結合しているSA-Roを除くと、アクチンフィラメントの脱重合が起こり、更にミオシンやERMタンパク質もその分布を変化させ、細胞質へ移行した。この結果から、SA-Roが形質膜表層のPEに結合することにより直接アクチンフィラメントの脱重合機構を特異的に阻害することが強く示唆された。以上の結果から、分裂溝膜上のPEが収縮環を形成したアクチンフィラメントの脱重合制御に関わっている可能性が示唆された。 5.考察 本研究において私は、細胞分裂期において一過的かつ分裂溝特異的にPEが形質膜表層に現れることを示した。更に、分裂期細胞にPE結合プローブSA-Roを添加すると細胞質分裂が阻害され、そのとき、収縮環の脱重合が顕著に阻害されることを示した。細胞分裂期においてアクチンフィラメントは分裂溝に濃縮して収縮環を形成し、それが細胞質分裂の進行にともない脱重合することが知られているが、その制御機構についてはこれまでのところ全く不明である。SA-Roによる分裂停止点はこれまでに全く報告がないものであり、収縮環の脱重合機構にPEが介在する特異的な制御メカニズムが存在することを示唆するものである。本研究で私が得た結果は、形質膜PEの分布変化が局所的なアクチンフィラメントの脱重合機構に関わっている可能性を示唆するものであり、アクチンフィラメントの空間的な制御メカニズムを考えるうえで重要な知見であると考えている。 |