学位論文要旨



No 112889
著者(漢字) 大橋,康司
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,コウジ
標題(和) アンジオテンシンIIの長期作用による血管機能の制御
標題(洋)
報告番号 112889
報告番号 甲12889
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第800号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨 1.緒言

 生体には血圧や体液調節の恒常性維持に関わる多様な調節系が存在するが、その代表の一つがレニン・アンジオテンシン系である。アンジオテンシンIIは、血管収縮作用、アルドステロン分泌、交感神経系の活動亢進など、多彩な生理作用を持つペプチドである。近年、アンジオテンシンIIは、種々のプロトオンコジーン(c-fos,c-mic,c-junなど)や成長因子(PDGF,TGF-,FGFなど)の発現を促進して蛋白合成を促進することが明らかとなった。アンジオテンシンIIの蛋白合成を介する長期作用としては、心筋細胞や血管平滑筋細胞の肥大による心肥大や血管肥厚が報告されているが、その他の作用については明らかにされていない。アンジオテンシンIIが構造蛋白以外に機能蛋白を発現させる可能性が十分に考えられるが、アンジオテンシンIIの血管機能に対する長期作用を受容体レベルで直接的に証明した研究はほとんどない。

 血管壁レニン・アンジオテンシン系が亢進している高血圧自然発症ラット(spontaneously hypertensive rat,SHR)では、血管の肥厚や静止時の血管緊張度の上昇といった血管の構造上・機能上の変化が観察されている。高血圧の第一選択薬であるACE阻害薬の長期処置が、血圧を下げるだけでなく、血管肥厚や静止時の血管緊張度を正常に戻すことが報告されている。また、SHRや正常血圧のWistar ratの大動脈の内皮依存性弛緩が、ACE阻害薬の長期処置によって増大することが報告されている。これらの事実は、アンジオテンシンIIが長期作用によって血管機能を修飾している可能性を示唆している。

 しかしながら、ACE阻害薬はアンジオテンシンIIの産生抑制以外にブラジキニンの分解抑制や降圧作用を持つので、ACE阻害薬の効果からアンジオテンシンIIの作用を推測するのには問題がある。また、アンジオテンシンIIの作用を論じる上で注意すべき点は、これまでの多くの報告はアンジオテンシンIIを外因性(薬物的)に与えた結果であって、生理的な条件下、つまり内因性のアンジオテンシンIIの作用として確立しているものは少ないということである。それ故に、内因性のアンジオテンシンIIの作用を明らかにするためには、in vivoにアンジオテンシンIIに特異的な拮抗薬を投与し、その効果を調べる必要がある。

 本研究では、内因性アンジオテンシンIIの血管機能に対する長期作用を明らかにするために、ACE阻害薬、AT1受容体拮抗薬、血管拡張薬をSHRに長期処置し、血管平滑筋及び血管内皮機能に対する効果を調べた。

2.ACE阻害薬、AT1受容体拮抗薬、血管拡張薬の血圧と心肥大に対する効果

 内因性アンジオテンシンIIの作用が抑制されたラットを作製するため、ACE阻害薬(imidapril)、AT1受容体拮抗薬(CV-11974)、血管拡張薬(hydralazine)の長期皮下投与の降圧作用やアンジオテンシンIIの長期作用によることが明らかにされている心肥大に対する作用について検討した。SHRにimidapril(300g/day),CV-11974(90g/day),hydralazine(300g/day)を12週齢より4〜8週間、浸透圧ポンプを用い皮下持続投与した。また、imidaprilはWistar-Kyoto rat(WKY)にも投与した。Imidapril,CV-11974,hydralazineの投与1週間後より、SHRの血圧は約160mmHgに下降し、この降圧は8週間後まで持続した。SHRにおける、imidapril及びCV-11974の長期処置は、SHRの心肥大を有意に抑制した。一方、hydralazineの長期処置は、心肥大に影響を与えなかった。従って、imidapril及びCV-11974の長期処置が心筋のアンジオテンシンIIの長期作用を抑制することが示された。また、SHRにおけるCV-11974の長期処置は、血管平滑筋のアンジオテンシンII収縮を完全に抑制した。従って、CV-11974の長期処置が血管平滑筋のAT1受容体を十分に阻害していることが示された。以上の結果より、ACE阻害薬やAT1受容体拮抗薬の長期処置したSHRでは、内因性アンジオテンシンIIのAT1受容体を介する作用が抑制されていることが示された。

3.SHR大動脈血管平滑筋のCa2+調節機構の異常に対するACE阻害薬、AT1受容体拮抗薬の長期処置の効果

 SHR大動脈のCa2+調節機構の異常における内因性のアンジオテンシンIIの長期作用の寄与を明らかにするため、ACE阻害薬、AT1受容体拮抗薬、血管拡張薬をSHRに長期処置し、大動脈のCa2+収縮とcharibdotoxin収縮に対する効果を比較した。Imidapril及びCV-11974の長期処置は、SHR大動脈の正常K+条件下でのCa2+収縮を消失させた(Fig.1)。この効果は筋小胞体の機能を消失させるryanodine存在下でも見られたので、imidapril及びCV-11974の長期処置は静止時のL型Ca2+channelを通るCa2+流入を抑制していることが示された。また、imidapril及びCV-11974の長期処置は、SHR大動脈のcharibdotoxin収縮を消失させたが、L型Ca2+channelを活性化する軽度脱分極条件では、imidapril処置群及びCV-11974処置群でもcharibdotoxin収縮が見られた。これらの結果は、imidapril及びCV-11974の長期処置は、Ca2+流入を抑制した結果、Ca2+-activated K+channelの開口を抑制することを示唆している。一方、CV-11974のin vitroでの急性処置は、SHR大動脈のCa2+収縮とcharibdotoxin収縮に影響しなかった。従って、Ca2+収縮とcharibdotoxin収縮は、AT1受容体を長期的に阻害することによってのみ抑制され、急性的なAT1受容体の阻害では抑制されないと考えられた。また、imidaprilやCV-11974と同程度の降圧を起こすhydralazineの長期処置は、Ca2+収縮(Fig.1b)とcharibdotoxin収縮を部分的に抑制した。従って、imidapril及びCV-11974によるCa2+収縮とcharibdotoxin収縮の抑制の一部は、降圧による二次的な作用によると考えられた。

Figure 1 Concentration-response curves for Ca2+ in normal(5.9mM)K+ solution in aorta.(a)control-SHR,imidapril-treated SHR(imidapril-SHR)and control-WKY.(b)control-SHR,CV-11974-treated SHR(CV-SHR)and hydralazine-treated SHR(hydralazine-SHR).Ca2+ was added in cumulative manner.Contraction is expressed as percentage of the maximal contraction induced by 60 mM K+.Results are shown as mean±s.e.mean of four to six experiments.P<0.05,★★P<0.01 vs.control-SHR.imidapril-SHR;imidapril-treated SHR,

 以上の結果より、内因性のアンジオテンシンIIのAT1受容体を介する長期作用が、SHR大動脈血管平滑筋で見られる静止時のL型Ca2+channelを通るCa2+流入の増大とCa2+-activated K+channelの開口の増加に寄与していることを初めて明らかにした。

4.ACE阻害薬、AT1受容体拮抗薬の長期処置による内皮依存性弛緩の増大

 内皮依存性弛緩における内因性アンジオテンシンIIの長期作用の寄与を明らかにするため、ACE阻害薬、AT1受容体拮抗薬、血管拡張薬をSHRに長期処置し、EDRF/NO依存性弛緩とEDCF/PGH2依存性収縮に対する効果を比較した。また、アンジオテンシンIIの長期作用が高血圧動物に特異的かどうかを明らかにするために、WKYにもimidaprilを長期処置した。Imidapril及びCV-11974の長期処置は、SHR大動脈のAChによる内皮依存性弛緩を増大させた(Fig.2a)。Imidapril及びCV-11974の長期処置は、SHR大動脈のAChによるEDRF/NOを介する弛緩には影響せず、EDCF/PGH2を介する内皮依存性収縮を有意に抑制した。ImidaprilやCV-11974と同程度の降圧を起こすhydralazineの長期処置は内皮依存性弛緩(Fig.2a)・内皮依存性収縮には影響を与えなかったので、imidapril及びCV-11974の内皮依存性収縮の抑制は、血圧が低下したことによる二次的な効果ではないと考えられた。一方、CV-11974のin vitroでの急性処置は、SHR大動脈のAChによる内皮依存性弛緩とEDCF/PGH2収縮に影響しなかったので、内皮依存性収縮はAT1受容体を長期的に阻害することによってのみ抑制され、急性的なAT1受容体の阻害では抑制されないと考えられた。

Figure 2 Relaxations to acetylcholine(ACh)in endothelium-intact aortic rings.(a)control-SHR,imidapril-treated SHR,CV-11974-treated SHR,hydralazine-treated SHR.(b)control-WKY,and imidapril-treated WKY.ACh was added cumulatively after contraction induced by 10-6 M norepinephrine.Relaxation is expressed as percent response to contraction induced by 10-6 M norepinephrine.Results are shown as mean±s.e.mean of six to eleven experiments.<0.05,<0.01 vs.each control.

 Imidapril及びCV-11974の長期処置は、PGH2収縮には影響を与えず、の産生を抑制した(Fig.3)。従って、Imidapril及びCV-11974による内皮依存性収縮の抑制は、EDCF/PGH2に対する感受性の抑制ではなく、EDCF/PGH2の産生抑制によることが示された。また、WKYにimidaprilを長期処置した場合にも、SHRの場合と同様な結果が得られた(Fig.2b,Fig.3)ので、imidapril及びCV-11974によるEDCF/PGH2の産生抑制作用は高血圧動物に限らないと考えられた。要約すると、本研究で、ACE阻害薬やAT1受容体拮抗薬の長期処置がSHRとWKY大動脈のEDCF/PGH2産生を抑制し、内皮依存性弛緩を増大させることを見出した。この結果は、内因性のアンジオテンシンIIがAT1受容体を介した長期作用によって大動脈内皮細胞のEDCF/PGH2産生系を活性化し、その結果内皮依存性弛緩を抑制していることを示している。

Figure 3 Acetylcholine(ACh)-induced 6-keto- release from aortic rings of control-SHR.imiparil-treated SHR,CV-11974-treated SHR,control-WKY and imidapril-WKY.Under resting tension,10-5M ACh was added.Immediately before the addition of ACh and 30 minutes after the addition of ACh,the solution in organ bath was collected.6-keto-release into the solution was then assayed.Results are shown as mean±s.e.mean of six to twelve experiments.<0.05,<0.01 vs.each control.##P<0.05 vs.control-SHR.
5.総括

 以上の結果より、内因性のアンジオテンシンIIがAT1受容体を介した長期作用により、(1)血管平滑筋細胞のCa2+流入を増大させること、(2)血管内皮細胞のEDCF/PGH2産生系を活性化することが示された。本研究で得られた知見は、内因性のアンジオテンシンIIが短期的な血管収縮作用に加えて長期作用により血管緊張度を増大させていることを初めて示すものであり、アンジオテンシンIIの生理作用の研究に新しい視点を与えるものである。

審査要旨

 レニン・アンジオテンシン系は血圧や体液調節の恒常性維持に関わる代表的な調節系である。アンジオテンシンIIは、時間的に早い作用として血管収縮作用、アルドステロン分泌、交感神経系の活動亢進などを持つ。近年、アンジオテンシンIIの時間的に遅い作用が注目され、種々のプロトオンコジーンや成長因子の発現を促進して蛋白合成を促進することが明らかとなった。アンジオテンシンIIの蛋白合成を介する長期作用としては、心筋細胞や血管平滑筋細胞の肥大による心肥大や血管肥厚が報告されているが、その他の作用については明らかにされていない。アンジオテンシンIIが構造蛋白以外に機能蛋白を発現させる可能性が十分に考えられるが、アンジオテンシンIIの血管機能に対する長期作用を受容体レベルで直接的に証明した研究はほとんどない。

 本論文は、アンジオテンシン変換酵素(ACE)阻害薬とアンジオテンシンII受容体(AT1受容体)拮抗薬を高血圧自然発症ラット(SHR)に長期処置し、血管平滑筋細胞及び血管内皮細胞の機能に対する効果を調べることによって、内因性のアンジオテンシンIIの血管機能に対する長期作用を研究したものである。ACE阻害薬とAT1受容体拮抗薬を4〜8週間の長期処置して初めて分かるアンジオテンシンIIの生理作用を調べたことが特徴である。ACE阻害薬とAT1受容体拮抗薬の長期処置はSHRの血圧を対照正常血圧ラット(WKY)のレベルまで下げるが、降圧による二次的な効果と区別するため対照として血管拡張性抗高血圧薬(hydralazine)の長期処置を行い検討した。

 まず、内因性のアンジオテンシンIIの作用が抑制されたラットを作製するために、ACE阻害薬(imidapril)とAT1受容体拮抗薬(TCV-116の活性体であるCV-11974)をSHRに浸透圧ポンプにより4〜8週間皮下持続投与した。ACE阻害薬とAT1受容体拮抗薬の長期処置がSHRの血圧をWKYのレベルまで下降させ、心肥大を抑制したのに対し、同程度の降圧を起こす血管拡張薬の長期処置が心肥大に影響を与えなかったことから、ACE阻害薬とAT1受容体拮抗薬の長期処置したSHRでは内因性のアンジオテンシンIIの長期作用が抑制されたと考えられる。

 次に、SHRの血管平滑筋のL型Ca2+channelとCa2+-activated K+channelの異常に対する内因性アンジオテンシンIIの長期作用を明らかにするために、ACE阻害薬、AT1受容体拮抗薬、血管拡張薬をSHRに長期処置し、大動脈のCa2+収縮とcharibdotoxin収縮に対する効果を比較した。その結果、無処置のSHRではCa2+とcharibdotoxinが収縮を起こすのに対して、ACE阻害薬やAT1受容体拮抗薬を長期処置したSHRでは、WKYと同様に、Ca2+とcharibdotoxinが収縮を起こさないことを見いだした。このことより、内因性のアンジオテンシンIIのAT1受容体を介する長期作用が、SHR血管平滑筋で見られる静止時のL型Ca2+channelを通るCa2+流入の増大とCa2+-activated K+channelの開口の増加に寄与していることを初めて明らかにした。

 さらに、内皮依存性弛緩に対する内因性アンジオテンシンIIの長期作用を明らかにするために、ACE阻害薬、AT1受容体拮抗薬、血管拡張薬をSHRに長期処置し、大動脈のEDRF/NO依存性弛緩とEDCF/PGH2依存性収縮に対する効果を比較した。また、アンジオテンシンIIの長期作用が高血圧動物に特異的かどうかを明らかにするために、WKYにもACE阻害薬を長期処置した。その結果、ACE阻害薬やAT1受容体拮抗薬による長期的なアンジオテンシンIIの作用の抑制がSHRとWKY大動脈のEDCF/PGH2産生を抑制し、内皮依存性弛緩を増大させることを見いだした。このことは、内因性のアンジオテンシンIIがAT1受容体を介した長期作用によって大動脈内皮細胞のEDCF/PGH2産生系を活性化し、その結果内皮依存性弛緩を抑制していることを示す。

 以上、本研究は内因性のアンジオテンシンIIがAT1受容体を介した長期作用により、(1)血管平滑筋細胞のCa2+流入を増大させること、(2)血管内皮細胞のEDCF/PGH2産生系を活性化することを示した。本研究で得られた知見は、内因性のアンジオテンシンIIが短期的な血管収縮作用に加えて長期作用により血管緊張度を機能的にも増大させていることを初めて示したものであり、アンジオテンシンIIの生理作用の研究に多大な貢献をすると考えられ、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク