学位論文要旨



No 112890
著者(漢字) 佐藤,琢
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,タク
標題(和) 血小板分泌性セリンリン脂質特異的ホスホリパーゼA1に関する研究
標題(洋)
報告番号 112890
報告番号 甲12890
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第801号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨 【序論】

 ホスファチジルセリン(PS)は酸性リン脂質の1種であり、各種臓器ではリン脂質全体の10-20%を占める。その生理機能としては、生体膜の単なる構成成分に留まらず細胞内ではプロテインキナーゼCの補助因子として必須であること、細胞外では血液凝固因子活性発現の場を提供すること等が知られている。当研究室では、ラット血小板が刺激に応じて2種類のホスホリパーゼを分泌することを報告し、そのうちの一方がA2タイプのホスホリパーゼ(いわゆるタイプIIホスホリパーゼA2)であり炎症反応等に関与することを明らかにしてきた。もう一方の酵素については、セリンリン脂質(PSおよびlysoPS)を選択的に分解する酵素であることが分かっていたが、その構造、機能については全く不明のままであった。本研究において私は、このセリンリン脂質特異的ホスホリパーゼAの精製に初めて成功しその構造を決定することにより、本酵素が構造上はリパーゼファミリーに属する新しいタイプのホスホリパーゼであることを発見した。

【方法・結果】(1)精製・cDNAクローニング

 ラット血小板刺激上清を出発材料に、lysoPSを基質に用いてセリンリン脂質特異的ホスホリパーゼA活性をDEAE sepharose,Heparin sepharose,Blue sepharoseの各カラムクロマトグラフィーの組み合わせによりに精製した。その結果、分子量約55kDaのタンパク質が本酵素であると考えられた。また、酵素活性を特異的に阻害するdiisopropylfluorophosphateの〔3H〕標識体がこの55kDaタンパク質に取り込まれたことから、この可能性はさらに支持された。そこで、精製標品を用いたN-末端アミノ酸配列分析を行い、30残基の配列を得た。データベース検索の結果、既存の配列で一致するものは見出されず本55kDaタンパク質は新規であることが判明した。断片化したペプチドから得られた内部アミノ酸配列とN-末端配列をもとにdegenerated PCRプライマーを合成し、ラット巨核球cDNAライブラリーをテンプレートに用いてPCRを行った。特異的に増幅された断片は、ペプチドシークエンシングにより得られていた配列をすべて内部に含んでいたのでこれをプローブに用いてgt11ライブラリーをスクリーニングしてcDNA断片を得た。さらに、5’RACE反応をラット血小板mRNAに対して行い、翻訳開始のメチオニンを含むタンパク質全長をコードするcDNAを得た。本cDNAは1743塩基より構成され、予想されるアミノ酸配列は、24残基のシグナル配列を含む456アミノ酸から成っていた(Fig.1)。本cDNAのリコンビナントバキュロウィルスを作製しSf-9細胞に感染させると、培養上清中にセリンリン脂質を加水分解する活性が放出された。このことより、本cDNAは確かにホスホリパーゼをコードしている遺伝子であることが明らかとなった。本酵素のcDNA配列をプローブにヒト遺伝子データベースを検索したところ、核酸レベルで77.2%、アミノ酸レベルで82.2%の高い相同性を示す遺伝子が存在した。おそらく、本酵素はラットのみならず種を越えて普遍的に存在するものと考えられた。

Fig.1
(2)構造上の特徴

 本酵素の1次構造は既存のいかなるホスホリパーゼに対してもホモロジーを有しておらず、新規のホスホリパーゼと考えられた。しかし、リパーゼファミリー、すなわち主にトリグリセリド(TG)を加水分解する酵素であるリポタンパク質リパーゼ(LPL)肝性リパーゼ(HL)および膵リパーゼ(PL)とアミノ酸配列で約30%と有意な相同性を示した(Fig.2)。リパーゼファミリーは構造および機能上、分子全体がN-末端ドメインとC-末端ドメインに大別されているが本酵素が相同性を示したのは活性部位を含むN-末端ドメインのみであった。酵素活性の触媒部位(Catalytic traid)を形成するSer,Asp,Hisの3残基およびその周辺は特によく保存されていた。さらに、高次構造の維持に寄与することで活性発現に必須であることがリパーゼで示されている残基は本酵素でもことごとく保存されていたことより、本酵素は構造上はリパーゼファミリーに属すると考えられた。一方、脂質・水の界面認識および基質選択に関与すると考えられているLidと呼ばれる領域はリパーゼでは疎水性に富み、20残基以上の長さがあるに対して、本酵素では12残基と短くなっていた。リパーゼと本酵素の基質特異性の違いはこの領域の相違が反映している可能性が考えられた。また、本酵素のC-末端ドメインには、当教室で以前PS結合ペプチドモチーフとして提唱した配列に類似する部位が存在していた。これらのことより、本酵素はリパーゼファミリーに属してはいるのの、LidおよびC-末端ドメインの特徴によりリパーゼとは基質認識が異なり、セリンリン脂質を分解する活性を示す可能性が示唆された。

Fig.2
(3)性状解析

 バキュロウィルス系を用いてSf-9細胞で発現させたリコンビナントタンパク質を用いて性状解析を行った。各種リン脂質に対する活性を検討したところPC,PE,PIおよびPAは全く分解されず、本酵素はPSを極めて特異的に加水分解した。また、粗精製品を用いた解析により1-acyl lysoPSも基質になるとされていたが、確かに本酵素はlysoPSもPSとほぼ同程度の効率で加水分解する活性を有していた。そこで加水分解活性の位置特異性を調べたところ、PSに対してもグリセロール1位を選択的に加水分解するA1タイプのホスホリパーゼであることが判明した。また、リパーゼファミリーと構造上の類似性を示すことからTGに対する活性も検討したが、TGは全く分解しなかった。以上より、本酵素は2位に脂肪酸が結合していてもいなくてもリン脂質の極性頭部に位置したセリンを認識してグリセロール1位のエステル結合を加水分解する極めて特異的でユニークな活性(Fig.3)を示すことが明らかとなった。このことより、本酵素をPS-PLA1と名付けた。

Fig.3PS-PLA1の基質。極性頭部のセリンを認識し、1位の脂肪酸を遊離させる。
(4)分布

 ラット各種臓器のノーザンブロッティングにより、本酵素のmRNAは血小板で極めて豊富に発現していることが明らかになったが、肺、心臓、精巣でも若干の発現が認められた。ウエスタンブロッティングによる検討の結果、ラット血球系細胞では、赤血球、白血球、マクロファージで本酵素は検出されなかったが、骨髄細胞おそらく巨核球には存在していた。一方、炎症時における本酵素の動態についても検討を加えたところ、カゼイン誘導ラット腹腔滲出液中に本PS-PLA1が誘導されてくることが明らかとなった(Fig.4)。炎症局所における本酵素の産生細胞、誘導メカニズム等は今後の検討課題であるが、本酵素の生理機能を知る上で有力な手がかりになる知見として注目している。

Fig.4ラット腹腔にカゼインを投与して一定時間後に滲出液回収した。これを抗PS-PLA1抗体でウエスタンブロッティングした。
【考察と展望】

 以上をまとめると、私はセリンリン脂質に特異的に作用するホスホリパーゼ、PS-PLA1のcDNAをクローニングし、その1次構造を明らかにした。リン脂質の極性頭部の構造を厳密に識別するAタイプホスホリパーゼとしては構造が明らかになった初めての例である。本酵素は、既存のホスホリパーゼとは異なりリパーゼファミリーに属するユニークな構造を有していた。また、炎症局所に本酵素が誘導されて来ることが明らかとなった。

 本酵素の基質となるPSは通常、形質膜二重層の細胞質側に局在しているが、活性化血小板、サイトカイン刺激時の肥満細胞や内皮細胞、さらにアポトーシスを起こした細胞などでは細胞膜外層に露出してくると考えられている。細胞外に放出される本酵素はこのような限定された状況におけるPSを基質にする可能性が考えられる。肥満細胞では10-8MのlysoPSが脱顆粒反応を促進することが知られている。さらに最近、lysoPSに対する特異的レセプターが存在することを支持する知見が蓄積してきたことより、lysoPSがリン脂質性メディエーターとして認知されつつある。限定された状況下で局所的に産生され、機能し、速やかに消去されるのがメディエーターだとするならば、本酵素はまさに"メディエーターlysoPS"の産生あるいは消去に欠かせない存在となり得る。炎症時という限定された状況に基質としての細胞表面に露出したPS、量的制御機構としての本酵素PS-PLA1、そしてメディエーターlysoPSの標的細胞である肥満細胞ならびにリンパ球が共存し得るということが生理的あるいは病理的に意味があるのか、検討していくのが今後の課題だと考えている。このように本研究で得られたPS-PLA1に関する情報およびprobeは、今後本酵素の生理機能の解明だけでなくセリンリン脂質の新たな生理活性の検索にも寄与し得るものであると考える。

審査要旨

 ラット血小板を刺激すると分泌されるセリンリン脂質を選択的に分解するホスフォリパーゼAの構造を解明し、機能、役割の解明への道を開いた。

1.精製とcDNAクローニング

 のべ2000匹のラットの血小板刺激上精を出発材料に、セリンリン脂質特異的ホスホリパーゼA1活性を指標にして各種カラムを用いて酵素を精製した。分子量55kDaのタンパク質が活性を担うと考えられた。特異的阻害剤DFPでこのタンパク質が標識されたことよりこの考えは支持された。本精製標品をアミノ酸配列分析して得られる部分配列は既存のタンパク質の配列とは一致せず、本タンパク質が新規タンパク質であることが判明した。部分アミノ酸配列をもとにPCRプライマーを合成して、ラット巨核球cDNAライブラリーをテンプレートにPCRを行った。5’RACE反応も併用して、翻訳開始メチオニンを含むタンパク質全長をコードするcDNAを得た。予想されるアミノ酸配列は24残基のシグナル配列を含む456アミノ酸から成っていた。Sf-9細胞で作成したリコンビナントタンパク質はセリンリン脂質を加水分解する活性を有していた。さらに、ヒトにもラット酵素と82%の相同性を示す遺伝子の存在が明らかになり、本タンパク質が種を超えて普遍的に存在する可能性が示された。

 本酵素の推定一次構造は既知のホスフォリパーゼとはまったくホモロジーがなく、むしろトリアシルグリセロール(TG)を分解するリパーゼ(リポプロテインリパーゼ、肝リパーゼ、膵臓リパーゼ)と約30%のホモロジーを示した。ホモロジーは活性部位があるNドメインに限局し、触媒部位を構成すると想定されるSer,Asp,Hisとその周辺は特によく保存されていた。これらの事実より、本酵素は構造上リパーゼに属することが明らかになった。しかし、基質認識に関わると予想される"ふた"領域はリパーゼとは異なっており、またC領域には当教室で従来より提唱しているセリンリン脂質結合モチーフが存在していた。これらのことより本酵素は構造的にはリパーゼに属しながらユニークな基質認識領域を有する、特異的ホスホリパーゼであることが解った。

2.性状解析

 リコンビナントタンパク質について基質特異性を検討したところ、1,2ジアシルグリセロホスフォセリンに特異的に作用して、1位の脂肪酸鎖を切断した。また2アシルグリセロホスフォセリン(リゾホスファチジルセリン)にも作用して2位脂肪酸を切断した。TGに対する作用は全く示さず、グリセロホスフォセリン構造を認識してグリセロール2位に結合した脂肪酸をきる特異な酵素であることが判明した。

3.分布

 ラット各種臓器のノーザンブロット分析によって本酵素をコードするmRNAは血小板できわめて高く発現しており、その他肺、心臓、精巣でも有意に発現していた。抗体を用いたウェスターンブロット分析では巨核球細胞、血小板にタンパク質が検出され赤血球、白血球、マクロファージには検出されなかった。腹膜炎モデルの腹腔滲出液にも本酵素タンパク質が検出され炎症の展開への関わりが想定された。

 以上、本研究は血小板などの分泌する新規ホスフォリパーゼA1について構造を決定し、構造的、機能的特性解明への糸口を与えたもので薬学の進歩に寄与する所があり博士(薬学)に値すると判断された。

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