学位論文要旨



No 112896
著者(漢字) 柗沢,厚
著者(英字)
著者(カナ) マツザワ,アツシ
標題(和) 細胞内II型PAFアセチルハイドロラーゼの生理的機能の解析
標題(洋)
報告番号 112896
報告番号 甲12896
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第807号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨 【序論】

 PAFアセチルハイドロラーゼは、リン脂質性メディエーターPAFのグリセロール骨格2位のアセチル基を加水分解し、その生理作用を不活化する酵素として同定された。本酵素は細胞外体液中に存在する血漿型と組織中に分布する細胞内型とに分けられる。現在までに我々は、細胞内PAFアセチルハイドロラーゼには大別してI型及びII型のアイソフォームが存在することを見い出し、更にそれぞれの構造も明らかにしている(Fig.1)。このうちII型PAFアセチルハイドロラーゼ(PAF-AH(II))は、PAF特異的分解酵素としてのI型とは全く構造が異なる分子量40kDaの単量体酵素である。PAF-AH(II)は、生体内では肝臓及び腎臓に高発現しており、脳組織に多量に存在するI型とは異なった機能を持つことが予想された。しかし、本酵素の細胞内での機能及びその生理的役割については現在までのところ明らかではなかった。そこで私は、免疫学的手法および分子生物学的手法を用いて細胞レベルでの本酵素の動態を解析し、PAF-AH(II)の生理機能の解明を試みた。

【結果】1)PAF-AH(II)の酸化リン脂質に対する分解作用

 PAF-AH(II)は、リン脂質のグリセロール骨格2位に対する基質選択性がPAFのアセチル基のみでなく、プロピオニル基やブチロイル基のような短鎖脂肪酸鎖やサクシノイル基やグルタロイル基のような短鎖ジカルボン酸鎖に対しても分解活性を持つことが分かっていた。これらは生体内で高度不飽和脂肪酸が酸化開裂した時に生じ得るとされていることから、本酵素が生体内で生じた酸化リン脂質の分解・消去に関与している可能性が考えられた。そこで実際に、化学的に酸化したホスファチジルコリンを基質とし、その分解活性を測定した。その結果、PAF-AH(II)は2位に長鎖脂肪酸を持つホスファチジルコリンそのものには全く活性を示さなかったものの、酸化ホスファチジルコリンに対しては高い分解活性を示した(Fig.2)。

【Fig.1】PAF Acetylhydrolases in Mammals【Fig.2】Preferential Hydrolysis of Oxidized Phospholipids by PAF-AH(II)
2)PAF-AH(II)の細胞内局在性とミリスチル化

 酸化リン脂質は生体内で様々な酸素ストレスにより細胞膜中に生じるものと考えられる。そこで、酸化リン脂質を基質とするPAF-AH(II)も細胞内において細胞膜にも存在するか否か検討を加えた。まず本酵素の検出のために、PAF-AH(II)に対するモノクローナル抗体の作製を行った。方法は、ウシ肝臓可溶性画分より精製したPAF-AH(II)をBalb/cマウスに脾内免疫し、抗PAF-AH(II)抗体産生ハイブリドーマ(7F7)を選択樹立した。次にPAF-AH(II)を発現しているウシ腎臓上皮細胞由来のMDBK細胞を細胞質画分と膜画分とに分画し、本抗体によるイムノブロット解析を行った。その結果、PAF-AH(II)は細胞質のみならず膜画分にも半分程度存在していることが明らかとなった(Fig.3)。更に同抗体にてMDBK細胞の免疫蛍光染色を行ったところ、小胞体膜、特に核に近い小胞体が強く染色された(Fig.4)。この事実は、アラキドン酸等の不飽和脂肪酸代謝系の酵素群が核周辺膜で機能しているという最近の知見と合致していて興味深い。

 遺伝子クローニングの結果、ウシ及びヒト共にPAF-AH(II)のN末端はGVNQS...となっており、この配列はGXXXS...というミリスチン酸結合モチーフに一致していた。そこで本酵素に実際、ミリスチン酸が結合しているか検討した。MDBK細胞の培地中に、放射標識ミリスチン酸を加え培養した後、細胞ライゼートを抗PAF-AH(II)モノクローナル抗体による免疫沈降を行い、本酵素にラベルが取り込まれるか否か調べた。その結果、PAF-AH(II)は確かにミリスチル化されていることが明らかとなった(Fig.5)。脂肪酸修飾蛋白質は一般に細胞膜への結合能を有している場合が多い。特にミリスチル化の場合、膜への親和性が高くなく、膜との結合に可逆性を持つと言われている。本酵素もこれと一致し、細胞質と膜の双方に局在していた。

【Fig.3】Detection of PAF-AH(II)in Cytosol and Membranes of MDBK Cells 【Fig.4】Immunofluorostaining of MDBK Cells with Anti-PAF-AH(II)Antibody【Fig.5】Myristylation of PAF-AH(II)in MDBK Cells【Fig.6】Translocation of PAF-AH(II)from Cytosol to Membranes on Oxidative Stress in MDBK Cells
3)酸素ストレスによるPAF-AH(II)の膜への移行

 PAF-AH(II)が細胞内の膜画分にも局在し、そこで生じた過酸化脂質の分解・消去に関与しているとすると、酸素ストレス時のPAF-AH(II)の細胞内局在性に変化があるか否か興味が持たれた。

 そこでMDBK細胞に過酸化水素やt-butylhydroperoxide(t-BuOOH)などの種々の酸素ストレスを与えて、PAF-AH(II)の細胞質と膜画分への分布の変化を調べた。すると、特にt-BuOOHで細胞を処理した場合に、その濃度依存的に本酵素は細胞質から膜画分へと移行することが明らかとなった(Fig.6)。この膜移行は、t-BuOOH処理後5〜20分という比較的短時間で起こることが分かった。過酸化水素の場合、単独では高濃度でのみ膜移行が観察されたが、過酸化水素の細胞内消去酵素であるカタラーゼに対する阻害剤aminotriazoleで予め細胞を処理することにより、低濃度でも膜移行が観察できた。酸素ストレス以外の様々な刺激では本酵素の膜移行は観察されず、この膜移行は酸素ストレス特異的な細胞応答であることが分かった。このとき、MDBK細胞の免疫蛍光染色像は、核近傍の小胞体のみでなく細胞全体の小胞体に、PAF-AH(II)の局在範囲が拡大することが観察された。

 一方、逆に抗酸化剤propyl gallateによりMDBK細胞を処理したところ、その濃度依存的に、膜画分に存在していたPAF-AH(II)の細胞質への移行が観察された。これらの結果から、PAF-AH(II)が細胞内の酸素ストレスに応じて、その細胞内での局在性を変えていることが分かった。

【Fig.7】 Protection against t-BuOOH Toxicity by PAF-AH(II) Overexpression 【Fig.8】DNA Ladder Formation of CHO-K1 Transformants Treated with t-BuOOH
4) PAF-AH(II)過剰発現細胞の酸素ストレスに対する耐性

 PAF-AH(II)が酸素ストレス時に膜へ移行し、酸化リン脂質を分解・消去しているとすると、その過剰発現細胞は酸素ストレスの細胞障害性に対して耐性を示すことが予想される。そこで、CHO-K1細胞にリポフェクチン法によりPAF-AH(II)cDNAをトランスフェクションし、選択樹立したPAF-AH(II)高発現株を用いて、酸素ストレスに対する耐性について検討を加えた。細胞を各濃度のt-BuOOHで3時間処理し、24時間後の生存率をMTT assay法にて評価した。その結果、PAF-AH(II)過剰発現細胞はコントロール細胞に対して生存率が有意に上昇することが明らかとなった(Fig.7)。この効果は、PAF-AH(II)の活性部位のSerをCysに置換して活性を潰したS236C mutantを過剰発現した場合には見られないことから(Fig.7)、耐性発現にはPAF-AH(II)の活性が必須であることが示された。このように、PAF-AH(II)が酸素ストレスによる細胞障害に対して防御的に働くことが示唆された。

5)PAF-AH(II)のアポトーシスに対する抑制効果

 更に、300M t-BuOOH処理後の各CHO-K1トランスフォーマントの生存率を経時的に追ってみたところ、PAF-AH(II)過剰発現細胞には全く変化は見られなかったが、コントロール細胞及びS236C mutantを過剰発現した細胞は6〜8時間で急激な細胞死が起こることが分かった。そこで、これら各CHO-K1トランスフォーマントから抽出したDNAを電気泳動してみたところ、コントロール細胞及びS236C mutantを過剰発現した細胞にアポトーシスに特徴的なDNAラダーフォーメーションが観察された(Fig.8)。一方、PAF-AH(II)過剰発現細胞には、このDNAラダーフォーメーションは全く見られないことから(Fig.8)、PAF-AH(II)は酸素ストレスによるアポトーシスに対して抑制的に働くことが明らかとなった。この結果は、PAF-AH(II)がアポトーシスによる細胞死誘導メカニズムにも抑制系因子として寄与している可能性を示唆し、その細胞内情報伝達系での位置付けに興味が持たれた。

【まとめと考察】

 PAF-AH(II)はミリスチル化された脂質修飾蛋白質であることが分かった。これは、ホスホリパーゼの中では初めての例である。PAF-AH(II)は、この結合したミリスチン酸を利用して細胞質と膜との間を行き来できるものと考えられる。酸素ストレス時には、細胞内の局在性を変化させる何らかのシグナルが伝わることで、PAF-AH(II)は細胞質から膜画分へと移行するようになる。おそらく膜上において、酸素ストレスにより生じた酸化リン脂質を分解・除去することにより、PAF-AH(II)は生体内で酸素ストレスに対する防御系として働いているものと考えられる(Fig.9)。常に酸素ストレスに曝されることは生体にとって宿命である。そのため、細胞は様々な防御系を張り巡らしている。膜リン脂質は活性酸素の標的となりやすく、またラジカルの連鎖反応が起こりやすい場でもある。酸化リン脂質は膜障害活性やPAF様生理作用等の細胞毒性を持つため、速やかに分解・消去されなければならない。しかしながら、現在までのところ酸化リン脂質特異的な細胞内の除去修復系酵素については全く不明であったため、酸化リン脂質の生体内代謝系に関しての研究は未だ進歩していなかった。本研究において、PAF-AH(II)がその防御系の一端を担っているという事実を解明したことは、生体の酸素ストレスに対する防御機構あるいは老化やそれに伴う様々な疾病の病理機構を解明する上でも、また生体内の恒常性という全体像を考える上でも非常に意義深いものと思われる。

【Fig.9】PAF-AH(II)Acting as Anti-oxidative Phospholipid Hydrolase
審査要旨

 細胞内PAFアセチルハドロラーゼII型アイソフォーム(PAF-AH(II))は分子量40,000の単量体酵素であり、I型アイソフォームとは分布が全く異なっている。本研究はこれまで不明であった本酵素の細胞内機能、生理的役割の解明をめざし、免疫学的、分子生物学的手法を用いて細胞レベルでの酵素の動態を解析したものである。

1.PAF-AH(II)の酸化リン脂質分解作用

 本酵素は化学的に酸化処理したホスファチジルコリンに高い分解活性を示し、インタクトなリン脂質には作用しなかった。

2.PAF-AH(II)の膜結合性とミリストイル化

 ウシ肝臓可溶性画分より精製した酵素を用いてマウス単クローン抗体を樹立した。本抗体はウシ酵素とのみ反応したので以下の検討はウシ由来細胞またはウシ酵素を強制発現した細胞を用いて行った。本酵素はウシ腎臓上皮細胞由来MDBK細胞において、細胞質および膜分画、特に核に近い小胞体に分布し、N末はミリストイル化されていることが判明した。

3.PAF-AH(II)の酸素ストレスによる膜移行

 MDBK細胞にH2O2やt-butylhydroperoxide(t-BuOOH)など種々の酸素ストレスを与え本酵素の細胞内分布の変化を調べたところ、5-10分後には膜に移行する事、インタクトな細胞を抗酸化剤、propylgallate処理するともともと膜に結合していた酵素が細胞質に移行する事、このような細胞内移行は酸素ストレス以外のストレスでは起こらず、酸素ストレス特異的細胞応答であることなどがわかった。

4.PAF-AH(II)過剰発現細胞の酸素ストレス死に対する耐性

 CHO-K1細胞にリポフェクチン法で本酵素CDNAをトランスフェクトし、選択樹立したPAF-AF(II)高発現株はt-BuOOHに対する耐性が高まり、生存率が著しく上昇する事が明らかになった。この効果は本酵素の活性SerをCysに置き換えたタンパク質を発現した場合には認められず、酵素活性に依存していた。

 酸素ストレス死した細胞においてはDNAの断片化が認められ、本酵素が酸素ストレスによるアポトーシスに対して抑制効果を発揮していることも判明した。

 以上の検討結果より、PAF-AH(II)はN末端がミリストイル化されており酸素ストレスに応答して膜に移行、酸化修飾を受けたリン脂質を切断無毒化して、酸素毒性に対する細胞内防御因子の一つとして機能している可能性がしめされた。本研究は生化学、毒性学に寄与するところがあり、博士(薬学)に値すると判断される。

UTokyo Repositoryリンク