学位論文要旨



No 112902
著者(漢字) 中村,健一
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ケンイチ
標題(和) 空間周期的な非一様性をもつ1次元拡散方程式の疑似進行波
標題(洋) Pseudo-travelling waves for a one-dimensional diffusion equation with periodic inhomogeneity
報告番号 112902
報告番号 甲12902
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第73号
研究科 数理科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 俣野,博
 東京大学 教授 三村,昌泰
 東京大学 教授 山田,道夫
 東京大学 教授 谷島,賢二
 東京大学 助教授 堤,誉志雄
内容要旨

 自然界においては,生物種の侵入・伝播や神経細胞内の興奮の伝達など,拡散によって伝わる"波"が数多く観測されている.そして,これらの現象を記述するさまざまな数理モデルが提出され,研究が行われている.その多くは,"環境は場所によらず一定である"という仮定のもとで導き出されている.実際の現象においては,環境が近似的に一様であると考えてよいケースも多く,そういう枠組で定式化されたモデルが,実験による定量的データと照らし合わせることにより極めて信頼性の高い数理モデルとして評価されている.

 だが,厳密には環境が場所ごとに全く変化しないという状況はありえない.そして,環境の空間的変動が大きくなると,一様環境モデルはもはや適切な近似とは見なしがたく,その枠組ではとらえきれないようなさまざまな現象が観察されるであろうと想像される.また,環境を人為的に変化させることによって拡散による波の伝播を制御するという問題は,工学的・生物学的にも極めて興味深い.

 本論文では,空間的に周期的な非一様性をもつ環境下で,拡散による波がどのように伝播するかという問題を取り扱う.とくに,非一様性の強さと拡散による波の伝播速度(平均速度)との関係を考察し,どのようにしたら波の伝播を制御できるかという問いに対する解答を与える.b(x)は恒等的に0でないとする.b(x)は恒等的に0でないとする.

 具体的には,次のような空間1次元の拡散方程式を考える.

 

 ただし、は十分小さな正のパラメータであり,非線形項は各0<≪1に対しu≡0およびu≡1を安定平衡解にもつ双安定型であり,u≡1という状態がu≡0という状態よりも安定であるとする(具体的な仮定は後述).また,b(x)は次をみたすとする.

 (B1)b(x)は最小周期L>0をもつ周期関数である;

 (B2)

 b(x)が恒等的に0の場合,(1)は次のような空間的に一様な方程式となる.

 

 このとき,各に対し実数c0()が一意に定まって,

 

 という形で表される解が存在することが知られている.このように,波形を変えずに一定速度で進む解を進行波解と呼ぶ.方程式(2)の空間一様性により,逆向きに同じ速さで進む解も存在する.

 b(x)が0でないときには,もはや一定波形・一定速度で進行する波は存在し得ない.さまざまな数値実験の結果から,b(x)がある程度小さい場合には,時間周期的な速度で進行する波が存在し,b(x)がある程度大きくなると,進行する波は存在しなくなり,代わりに平衡解が出現することが示唆されていた.

 定義.方程式(1)の解u(x,t)が擬似進行波解であるとは,uは定数でなく,さらに,ある0でない実数Tが存在して,

 

 が成り立つことをいう.また,c=L/Tを擬似進行波解uの平均速度という.

 擬似進行波解は,c>0のとき右へ進行し,c<0のとき左へ進行する.

 ここでは,

 

 をみたす擬似進行波解について考察する.これは,u≡0という状態がより安定なu≡1という状態に移行する過程を記述するものである.

 方程式(1)の右へ進む擬似進行波解が存在するとき,その平均速度をc>0とすると,

 

 で定義されるWは次の2次元帯状領域上の退化楕円型方程式をみたす:

 

 逆に,(3)の解(W,c)(c≠0)が存在するとき,c>0であり,

 

 で定義されるu(x,t)は(1)の平均速度cで右へ進む擬似進行波となる.同様にして,左へ進む擬似進行波解も2次元帯状領域上の退化楕円型方程式の解と1対1に対応する.

 以下では,非線形項fは,次の仮定をみたすものとする.

 (F1)f(u;)は各0≪1に対して,ちょうど3個の零点0,(),1をもち,それらは,0<()<1をみたす;

 (F2)任意の0≪1に対し,f(u;)>0 for u ∈(-∞,0)∪((),1),f(u;)<0 for u ∈(0,())∪(1,+∞);

 (F3)任意の0≪1に対し,fu(0;)<0,fu(();)>0,fu(1:)<0;

 (F4)

 仮定(F1)-(F4)の下で,方程式(2)の進行波解の速度c0()は,正の極限値をもつ.

 方程式(1)の擬似進行波の存在および非存在に関して次の結果を得た.ただし,b(x)は恒等的に0でないとする.

定理A.(本論文Theorem A)

 (i)が成り立つとする.このとき,ある正の定数1が存在して,0<<1ならば,方程式(1)の擬似進行波解で右に進行するものが存在する.

 (ii)が成り立つとする.このとき,ある正の定数2が存在して,0<<2ならば,方程式(1)の擬似進行波解で左に進行するものが存在する.

定理B.(本論文Theorem B)

 定理Aによって得られた(1)の擬似進行波に対し,その平均速度cについて|c|<c0()が成立する.

定理C.(本論文Theorem C)

 (i)が成り立つとする.このとき,ある正の定数3が存在して,0<<3ならば,方程式(1)の擬似進行波解で右に進行するものは存在しない.さらに,各∈(0,3)に対して,方程式(1)の安定平衡解

 

 をみたすものが存在する.

 (ii)が成り立つとする.このとき,ある正の定数4が存在して,0<<4ならば,方程式(1)の擬似進行波解で左に進行するものは存在しない.さらに,各∈(0,4)に対して,方程式(1)の安定平衡解

 

 をみたすものが存在する.

 定理Bにより,周期的な非一様性を加えたときの擬似進行波の進む速さは,空間的に一様な媒体中を進む進行波の速さよりも遅いことがわかる.つまり,空間周期的な非一様性を加えることで波の伝播の平均速度は遅くなる.

 また,定理Aおよび定理Cを組み合わせることにより,

 

 をみたすようなb(x)に対しては,右に進む擬似進行波は存在するが,左へ進む擬似進行波は存在しないことが示される(本論文Corollary D).したがって,そのような非一様性を加えることで,特定の方向には波が伝播するが逆方向には伝播しないような環境(波の一方向伝播)を作り出すことができる.

 方程式(1)は,適当な変数変換により周期的な拡散係数をもつ反応拡散方程式

 

 に変形される.したがって,方程式(5)に対しても類似の結果が成り立つ.

審査要旨

 論文提出者中村健一は,空間的に周期的な非一様性をもつ1次元非線形拡散方程式に現れる進行波を研究し,これまでよくわかっていなかった非一様性の強さと波の伝播速度(平均速度)との関係を調べるとともに,非一様性の入れ方によっては波の一方向伝播という興味深い現象が起こりうることを示した.

 自然界においては,生態系における生物種の侵入・移動や神経細胞内の興奮の伝達など,拡散によって伝わる"波"-より正確には進行波と呼ばれるもの-が数多く観測されている.これまで,こうした進行波の研究は,媒体の空間的一様性,すなわち環境が場所によらず一様であることを仮定して行われることが多かった.非一様な媒体中の進行波というのは,とりわけ拡散の波の場合,数学的にきわめて取り扱いにくかったからである.

 論文提出者は,空間周期的な非一様性をもつ媒体中の拡散進行波の性質を解明するため,次のような空間1次元の拡散方程式を考察した.

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 ここで,b(x)は最小周期L>0をもつ周期関数であり,f(u)は双安定型と呼ばれる種類の非線形項である.この種の方程式は,b(x)≡0の場合,すなわち空間一様の場合には古くから研究されており,特定の速度をもつ進行波の存在やその安定性が,1970年代後半までには完全に解明されていた.ここで"進行波"とは,波形を変えずに一定速度で進む波を指す.

 これに対し,b(x)が0でないときには,もはや一定波形・一定速度で進行する波は存在し得ない.しかしさまざまな数値実験の結果から,ある場合には速度が時間周期的に変動しながら進行する波が存在し得ることが示唆されていた.このような波の性質を調べるため,進行波の拡張概念として,"擬似進行波"なるものを定義することができる.擬似進行波とは,適当な実数Tに対して

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 を満たす解u(x,t)を指し,c=L/Tをその平均速度または実効速度と呼ぶ.

 擬似進行波の存在については,1990年代初頭にJ.Xinによって一連の先駆的研究がなされ,b(x)が非常に小さい場合には擬似進行波が存在することが示されていた.しかしXinの方法は陰関数定理を直接適用するためb(x)が十分小さい場合しか扱えず,b(x)が大きい場合に擬似進行波が存在するかどうかは未解明のままであった.論文提出者は,方程式中に微小パラメータを導入して特異摂動論を用い,これとcontinuation methodと呼ばれる方法を巧妙に組み合わせて,b(x)が大きくてもある種の条件が満たされれば擬似進行波が存在すること証明した.また,擬似進行波が存在しないためのb(x)に関する十分条件も導いた.存在と非存在に関する結果をあわせることで,論文提出者は,b(x)をうまく選べば右に進む擬似進行波は存在するが,左に進む擬似進行波は存在しない(あるいはその逆の)状況があり得ることを示した.つまり,特定の方向には波が伝播するが逆方向には伝播しないような環境(波の一方向伝播)を作り出すことができたわけである.

 論文提出者は,この他,非一様な環境下では進行波の速度は一様な場合よりも必ず遅くなることを証明しており,ある程度の定量的評価も与えている.

 論文提出者の仕事は,これまで研究が進んでいなかった非一様な媒体における拡散の波の性質を,空間1次元の場合に詳しく明らかにしたものである.得られた結果そのものが応用上の観点から重要であるだけでなく,用いた数学的手法も大変興味深いものであり,今後さらに幅広い応用が見込まれる.

 以上の諸点を考慮した結果,論文提出者中村健一は,博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい十分な資格があると認める.

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