学位論文要旨



No 112922
著者(漢字) 大津,秀暁
著者(英字) Otsu,Hideaki
著者(カナ) オオツ,ヒデアキ
標題(和) (p,n)および(p,p’)準弾性散乱の反応機構の研究
標題(洋) Study of reaction mechanisms for (p,n)and(p,p’)quasi elastic scatterings
報告番号 112922
報告番号 甲12922
学位授与日 1997.04.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3299号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 早野,龍五
 東京大学 教授 片山,一郎
 東京大学 教授 柴田,徳思
 東京大学 助教授 西山,樟生
 東京大学 教授 石原,正泰
内容要旨

 中間エネルギー領域の原子核反応に関する研究は、近年加速器の発達にともない世界各国で行われるようになってきた。数100MeVに加速された陽子や重陽子を入射粒子として使うと、その波長が核子程度になることから、核内核子と直接相互作用をするようになる。またそのエネルギー領域では相互作用が最小となることから、反応機構が単純になることが期待される。このような粒子を用いると、原子核の応答を調べることができ、核内の核子の振舞いについて、とくにスピン自由度も含めて知見が得られる。入射粒子が核内の一個の核子によって散乱され、かつ核内の他の核子とほとんど相互作用しないような過程は、原子核という媒質があることをのぞくと、自由空間における核子核子散乱過程(NN散乱)と同じである。このことからこの過程を準自由散乱過程と呼ぶ。なかでも核子を励起しない過程のことを準弾性散乱過程と呼ぶ。この過程は自由空間における核子核子散乱を、原子核という媒質中にもってくることに相当している。つまり、両者の違いはその媒質の有無にある。したがって、この反応を詳しく調べることにより、原子核の媒質効果についての情報が得られることが期待される。

 原子核が質量mNの核子からなり、その運動量分布がkFで決まるフェルミガス分布をしていると仮定する。原子核に運動量移行q、エネルギー移行を持ち込んだ時、準弾性散乱過程では原子核内の核子と直接相互作用することから、=q2/2mNにピークを持ち、幅が=kFq/mNで決まるバンプで観測されると期待される。

 我々は(p,n)および(p,p’)準弾性散乱過程の微分断面積および偏極分解能を、運動量移行が1.0fm-1から2.5fm-1の領域で測定した。(p,n)反応では295,392MeVの偏極陽子、(p,p’)反応では400MeVの偏極陽子を入射粒子として使った。ターゲットには12Cをはじめ数種類の元素について調べた。測定に際してはその反応機構がほぼNN散乱だと考えられる2Hターゲットの測定をあわせて行い、結果の比較を行った。得られた結果を、Fermi Gas模型(FGM)を使った計算および相対論的な取扱を用いた平面波近似(RPWIA)を使った計算結果との比較を行った。

 実験は大阪大学核物理研究センターで行われた。(p,n)測定は中性子測定施設、(p,p’)測定は西実験室内の大口径スペクトログラフを使って行なった。ビームはAVFサイクロトロンとリングサイクロトロンで二段階加速され、ターゲット上に輸送された。偏極陽子の偏極軸はサイクロトロンおよび輸送系の双極電磁石の磁場の方向にとられた。ビームの偏極度はターゲットより上流に設置されたビームライン偏極度計によって常時モニターされており、その値は0.65から0.85程度であった。

 (p,n)反応の測定は中性子飛行トンネル内に設置された中性子検出器を用い、中性子の飛行時間(Time Of Flight)を測定することにより行なった。飛行距離は78mで400MeVの中性子に対して約3MeVの分解能が達成された。この分解能は準弾性散乱反応の測定には十分である。中性子検出器の検出効率は微分断面積が既知である7Li(p,n)7Be(g.s+0.43MeV)の0°の測定を行うことによって較正された。

 (p,p’)反応の測定は大口径スペクトログラフを使って行なった。大口径スペクトログラフは、一度に測定できる運動量帯域がpmax/pmin=1.3と非常に広く、準弾性散乱反応のようなエネルギー移行量が0MeVから150MeVを越えるような広いピークを効率良く測定するのに非常に適している。

図112C(p,p’)反応(左)(p,n)(右)の微分断面積と偏極分解能。横軸が励起エネルギーで縦軸が微分断面積(左)および偏極分解能(右)である。NN散乱を仮定した時のピークの位置を縦の破線で示した。実線(一点鎖線)はRPWIAの結果で、それぞれ擬ベクトル(擬スカラー)のパラメータを使ったもの。破線はFGMの結果を示している。(ただし全体をの大きな方にずらしている)

 (p,n)反応、(p,p’)反応の測定ともに2Hから208Pbまでの各種のターゲットの測定を行い、ターゲット依存性を調べた。微分断面積はスピンの上下方向毎に求められ、それを用いて偏極分解能を求めた。これらのスペクトルは統計精度も十分であり、広い励起エネルギー領域を覆っている。また、偏極分解能のデータで我々の測定ほどターゲットと反応角度が揃っているのは他に例がない。得られた結果のうち12C(p,p’),12C(p,n)の結果を図1に示す。

 最も顕著に見られる特徴は微分断面積のピークの位置についてである。(p,p’)反応のピーク位置は前方角度12°では特定することが難しい。12°より後方角度でのピーク位置は、NN散乱で期待される位置に比べ励起エネルギーの大きな方に5MeV程度ずれている。(p,n)反応のピーク位置のずれはより顕著に見られる。ピークの位置はすべての角度で25MeV程度ずれている。次に偏極分解能についてである。(p,p’)反応の偏極分解能はすべての角度で核子核子散乱の偏極分解能の60〜70%の値に減少している。これに対し(p,n)反応の偏極分解能は核子核子散乱の値に比べ少し増加している傾向にある。

 これらの結果と比較するために、フェルミガス模型に基づき、核子間の相互作用を3つの異なったモデルを用いて解析を行った。

 (1)核子間相互作用はエネルギーと散乱角度に依存するがこれを入射粒子のエネルギーと実験室系の散乱角度であると仮定するモデル。このモデルでは、ターゲット核子の運動量分布がそのまま微分断面積のスペクトルに現れる。偏極分解能は、NN散乱の値に等しい。パウリの排他則を考慮に入れると、すべての角度でスペクトルの形ををおおよそ再現できることがわかる。

 ただしこの時、ピークを実験データに見られるようにシフトさせる必要があった。微分断面積の絶対値はGlauber理論を用いた有効核子数でスケールされていることがわかった。一方で、この取り扱いの範囲では、ピークの位置と偏極分解能は再現できない。また、(p,p’)及び(p,n)反応のピークの位置に差異が生じることも説明できない。

 (2)散乱に関与する核子間の相互作用についてエネルギーおよび散乱角度依存性を陽に取り入れる。ここでは、NN散乱の位置に比べエネルギー移行の小さい方は衝突エネルギーが高く、散乱角度が小さい成分が支配的である。この領域に微分断面積の大きい成分がある。一方、エネルギー移行の大きい方は逆で衝突エネルギーが低く、散乱角度が大きい成分が支配的である。この領域では微分断面積は比較的小さい。これらの効果から微分断面積のスペクトルはエネルギー移行が小さい方へずれる。実験データはエネルギー移行の大きな方へずれているので、このモデルでは、ピークの位置を説明できない。しかしながら、このずれは(p,p’)と(p,n)で大きさが異なるため、ピークの相対的な位置は、(p,p’)がの低い方に、(p,n)が高い方にある。この相対的な位置関係については、実験データを説明している。つまり、核子間相互作用のエネルギー依存性をターゲット内核子の運動を含めて取り扱うと、(p,p’)と(p,n)のピークの位置に差異が生じることがわかる。

 一方、偏極分解能は運動学条件に大きく依存しないため、ピークの位置での値からの差異は小さい。

 これらのことから、ピークの位置について説明するためには(p,p’)及び(p,n)反応に"同じ仕組みで"の大きな方へ移動させる機構を探す必要があることがわかる。

 (3)相対論的取扱いでは原子核内部でその密度に従い核子の質量が変化し(有効質量m*)これが、核子のスピノルを変化させ、結果的に核子間相互作用が変化する。まず、このm*による微分断面積のスペクトルの変化を考えると、ピーク位置はおおよそで特徴づけられるため、質量変化の効果により、の大きな方へ変化する。(核内で有効質量は小さくなる。)実験結果と比較すると、qの大きな部分で(p,p’)、(p,n)反応を共通に説明できることがわかる。

 偏極分解能については次のように考えられる。NN散乱振幅をBystrickyの表記(a-e)に従うと、a-eのパラメータはスピノルの変化にともなって変化する。偏極分解能はこれらを用いて表すと、Ay=となる。ここで、a*とeの位相が()2により変化するため、q<2.5fm-1の範囲では(p,p’)、(p,n)共に減少する。a*eは()2に依存する。従って、(p,p’)の偏極分解能の減少を説明することができる。核子間相互作用のm*による変化はm*=mNの極限で、NN散乱のデータを再現するという要請がある。従って、原子核内では(1-)に比例する成分の自由度が増える。Nのcouplingに相当するpseudoscalar(PS)couplingを、代わりにpseudovector(PV)couplingとして取り扱ってみる。N couplingは、c,dにのみ影響する。PV couplingを用いた時、c,dは()2で依存する。(p,n)反応ではI0に対しては、c,dが支配的であるので、I0は()4で依存する。一方(p,p’)反応では、a,eが支配的であるので、PV couplingを用いてもほとんど変化しない。従って、(p,p’)のAyは()2に依存し(PSのときと変わらない)(p,n)のAyは()-2に依存する。

 この取り扱いの範囲では(p,p’)、(p,n)のピーク位置(但し、q<1.5fm-1の部分は依然説明できない)及び偏極分解能について説明された。現在知られている限りでは、偏極分解能について、(p,p’)の値の減少を説明できるのは相対論的取り扱いのみである。

図212C(p,p’)および(p,n)のピーク位置とその位置での偏極分解能の運動量移行依存性。横軸が運動量移行で縦軸がエネルギー移行(左)および偏極分解能(右)である。自由核子核子散乱の位置を点線で示した。実線(一点鎖線)はRPWIAの結果で、それぞれ擬ベクトル(擬スカラー)のパラメータを使ったもの。結論

 400MeVにおける(p,p’)、(p,n)準弾性散乱の微分断面積と偏極分解能の測定を行った。これらの結果から、ピークの位置とその位置での偏極分解能に注目しその系統的な振舞を導き出した。

 この結果をフェルミガス模型に基づく模型と比較し、(p,p’)、(p,n)反応の結果を同時に説明することを試みた。ピークシフトに関しては、核内核子の運動学から決まるエネルギー依存性を核子間相互作用に陽に取り入れると、その結果ピークの位置をエネルギー移行の大きな方に移動させる機構が両方の反応に関して同程度必要であることを示した。偏極分解能に関しては、相対論的取り扱いにおいて、核子の有効質量を取り入れることが重要であることを示した。

 相対論的取り扱いを用いてqの大きな部分についてはピーク位置、偏極分解能を同時に再現することを見出した。

審査要旨

 この論文は、400MeV近傍のエネルギーの偏極陽子を用い、(p,n)及び(p,p’)準弾性散乱の断面積と偏極分解能を実験的に求め、モデルとの比較を通じて、その反応機構を調べた結果をまとめたものである。

 中間エネルギー領域の原子核反応に関する研究は、近年加速器の発達に伴い世界各国で行われるようになってきた。数100MeVに加速された陽子や重陽子を入射粒子として使うと、その波長が核子程度になることから、核内核子と直接相互作用をするようになる。このような過程は、核子・核子散乱過程との対比から、準弾性散乱過程と呼ばれる。またそのエネルギー領域では相互作用が最小となることから、反応機構が単純になることが期待される。本研究は、準弾性散乱過程を詳しく調べることにより、原子核の媒質効果についての情報を得ることを目指して行われた。

 実験は大阪大学核物理研究センターで行われ、(p,n)及び(p,p’)準弾性散乱過程の微分断面積及び偏極分解能が、運動量移行q=1.0fm-1から2.5fm-1の領域で測定された。(p,n)反応は295,392MeVの偏極陽子を入射粒子とし、中性子飛行トンネル内に設置された中性子検出器(NPOL)を用いて測定された。この検出器は、論文提出者が中心となって建設したものである。また、(p,p’)反応の測定は400MeVの偏極陽子を入射粒子とし、大口径スペクトログラフを使って行われた。

 (p,n)反応、(p,p’)反応ともに、2Hから20xPbまでの各種ターゲットについて測定を行った。微分断面積は入射陽子のスピンの上下方向ごとに求め、それらを用いて偏極分解能を求めた。これらのデータは統計精度も十分であり、広い励起エネルギー領域を覆っている。また、偏極分解能のデータで本測定ほどターゲットと反応角度が揃っているのは他に例がない。微分断面積のデータについては、次のような特徴が見い出された。準弾性散乱が、自由な核子(質量m)との散乱と同様に起きると仮定すると、運動量移行がqの時、微分断面積スペクトルは、エネルギー移行=q2/2mを中心としたピークを持つと予想される。しかし、(p,p’)反応では散乱で期待される位置に比べ励起エネルギーの大きな方に5MeV程度ずれており、(p,n)反応では、25MeV程度ずれていることがわかった。また、偏極分解能については、(p,p’)反応では全ての角度で核子核子散乱の偏極分解能の60〜70%の値に減少し、(p,n)反応ではほとんど核子核子散乱の値に等しいか少し増加している傾向にあることがわかった。

 論文提出者は、これらの結果を、フェルミガス模型に基づくモデルを用いて解析し、ピーク位置のずれ、及び偏極分解能の振る舞いの解明を試みた。

 1)まず、非相対論的平面波インパルス近似(PWIA)の枠組みにおいて、核子・核子散乱断面積のエネルギー及び散乱角度依存性を陽に取り入れ、ターゲット内核子の運動を含めて取り扱うと、(p,p’)と(p,n)のピークの位置の差異を説明できることがわかった。しかし、この機構では、ピークの位置をエネルギー移行の大きい方にずらすことは出来ない。

 2)次に、相対論的平面波インパルス近似(RPWIA)の枠組みで、(p,p’)と(p,n)に共通に、ピークをエネルギー移行の大きな方向にずらす機構を検討した。相対論的取り扱いでは原子核内部でその密度に従い核子の質量が変化し(有効質量m*)、これが核子のスピノルを変化させ、核子間相互作用が変化する。核内では有効質量は小さくなることが知られており、その結果として微分散乱断面積の準弾性散乱ピークは、エネルギー移行の大きな方向に変化する。この効果を、1)の機構と組み合わせることにより、(p,p’)、(p,n)反応の双方について、ピーク位置のずれを半定量的に説明できることがわかった。

 3)偏極分解能について、1)と2)の取り扱いを行うと、有効質量が減少する結果、(p,p’)、(p,n)のどちらも減少する。これによって、(p,p’)のデータはほぼ説明できるが、(p,n)については過小評価となる。そこで、論文提出者は、核力のNのcouplingをpseudoscalar(PS)の代わりにpseudovector(PV)とする取り扱いを行った。この効果は主に(p,n)にのみ現れ(p,p’)には現れない。その結果(p,p’),(p,n)反応の双方について、偏極分解能のq依存性をほぼ説明できることが示された。

 以上述べたように、本論文は、原子核を標的とし、中間エネルギーでの(p,p’)及び(p,n)準弾性散乱の微分断面積と偏極分解能について良質なデータを収集し、そのデータをもとに、反応機構を調べたものである。準弾性散乱のピーク位置が、自由核子・核子散乱の位置から変化することは、従来も知られていたが、(p,p’)と(p,n)の双方のデータを用い、その半定量的な解明がなされたのは、これが最初である。

 本論文は、酒井英行氏以下14名との共同研究であるが、論文提出者の寄与が十分に大きいことを審査員全員が認め、論文提出者に対し博士(理学)の学位を授与できると判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54600