李捷生氏から提出された博士論文(課程搏士)「中国国有企業の経営と労使関係-鉄鋼産業の事例を中心に-」は、中国鉄鋼産業の事例分析を通じて1949年から93年にいたる国有企業の、雇用分配関係・工場管理方式・労使関係統括機構の変遷を経営管理方式と関連づけて明らかにしようとした作品である。従来個々の論点について分散的に議論される傾向のあったこの領域の問題が、包括的かつ歴史的視角から検討されているのみでなく、首都鉄鋼公司の実態調査に基づいた重要なファクトファインディングも示されている。 以下ではまず提出論文の各章の要約を行い、ついで評価を述べる。 提出論文の概要 「序論 課題」では、主に本論文の問題関心(課題)が示される。(1)雇用分配関係、工場管理方式(秩序)、諸主体の利害調整機構、を相互に不可分な一つのシステム(著者の用語では「労使関係」)として把握し、かつその内的矛盾をも探る(=動態化)、(2)計画経済下での低能率問題、その後の能率管理問題の変化の過程を相互に不可分な一つのシステム(「労使関係」)の中に位置づけてとらえる、(3)企業内共産党組織がこうしたシステムにいかにかかわっているのかを明らかにする、の三点である。また基本的事実(特に(2))が不明という研究状況をふまえて事例研究という方法が採られたこと、企業改革のパターンセッターであるがゆえに鉄鋼産業が選ばれたことも示される。 「第I部 計画経済と労使関係」は、78年以降の経済改革の史的前提を分析した部分である。「第1章 雇用・賃金制度」では、1950年代の「固定工」制度、賃金総額抑制を前提とした頭脳・熟練労働者優位の能率給(「能率主義的低賃金」)の導入がまず指摘される。だが「大躍進」失敗後の大規模人員削減は前者を揺るがし、ざらに後者は農民出身の非熟練労働者の要求を反映した賃金の「平等化」政策(「平等的低賃金」=「大躍進」期、「文革」期)にとってかわられるなど政策的には大きな変動を繰り返すこととなる。 「第2章 指令型経営」では「大躍進」期以降の企業経営システムを、中央・地方政府が共同で国有大企業の生産を管轄するという「二重管理」を前提とした「系統別・二級管理」体制と特徴づけて分析していく。系統別に編成された職能管理部門が、政府・公司・工場という各段階で縦の関係をもつことが「系統別管理」、各工場が諸職能管理部門を有し、財務福利厚生管理の単位であり、工場党委員会が企業党委員会の基礎単位でもあるような独立性の極めて高いあり方が「二級管理」と称される。ここで焦点となるのが能率管理問題である。集権的な生産管理系統は「調度システム」を通じて実現されることが期待されていたが、現場レベルでは標準的作業基準が示されず、能率管理が作業班組に委ねられ、労働意欲の発揚は現場党組織の政治的動員に任される(「動員型成りゆき管理」)といった状況であった。これには「平等主義的低賃金」や「利潤全額上納制度」などに起因する労働へのインセンティブの欠如が深く関わっていたのである。 「第3章 労使関係の統括機構」ではこうした経済改革以前の仕組みの下での企業内党組織の機能と問題点が明らかにされる。1950年代半ば以降中国国有企業は党委員会指導下の企業長責任制(「企業内党委員会指導制」)をとった。この下では企業党委員会が企業管理の意思決定と労使関係の調整という二重の機能を担い、さらに政府に責任をもつ企業管理者でありながら企業内一般党員の代表者でもあるという二重の立場にたつこととなった。だが「高蓄積・低賃金」政策の下でこのような制度が安定的である保証はなく、実際70年代前半の武漢鉄鋼公司争議のように、企業党委員会が末端党員の苦情処理・意思疎通機能を全く果たし得なくなった事例も指摘されるのである。 このように中国国有企業は70年代に入った時点で、雇用分配関係、工場管理方式、諸主体の利害調整機能などの側面からみて構造的問題に直面していた。「第II部 自主経営と労使関係」では、こうした事態に対処すべくとられた80年代以降の諸改革過程が首都鉄鋼公司(以下首鋼と略記)を事例に詳しく分析される。まず「第1章 製鉄所の特質」でその設備体系・企業組織上の特質が述べられた後に、「第2章 自主経営」では経営請負制の導入の過程が考察される。「工業経済生産責任制」→「利潤定額上納請負制」という模索を経て、82年に「利潤上納逓増請負制」は成立し現在(93年)に至っている。この新しい経営請負制は、利潤上納額の算出には長期の固定逓増率を適用し、実現利潤と上納額の差額は全部企業に留保、それを企業が生産基金・奨励基金・福利基金として利用するという制度である。投資機能が政府から企業に移行し、また賃金や福利の増加も実現利潤の成長にリンクさせられることとなったのである。このことは企業が長期的経営目標をもつ経営体へと変身したことを意味するが、そこには鉄鋼分野の投資制限等様々な政府規制が残存するといった問題も多く孕まれていた(結果としての首鋼の多角経営化〉。 こうした改革は、首鋼での雇用分配関係、能率管理方式に大きな変化をもらした。「第3章 能率管理」では、この問題について詳細に検討されている。まず83年から試行され始めた「契約工」制度によって、企業は自らの裁量で労働者を雇い、彼らと雇用契約を結ぶ関係となった。ここで著者が強調するのは、解雇ができないなど雇用・生活保障の権利という点では実質的には旧来の「固定工」と大差なく、変化したのは保障する主体が国家から企業になったという点である。次に能率管理に関連しては、「全員請負制」(81年)によって、職務内容・責任を明確化し、実績に応じて奨励金を分配していく仕組みが始まったが、請負指標についての「客観的な根拠」や「客観的な査定基準」の欠如という問題を抱えていた。これへの対応としての「浮動賃金制」(82年)・「職務・持ち場別等級賃金制」(84年)の導入、「幹部・工人」の身分撤廃(86年)などは、昇級(給)へのインセンティブを高めつつ、査定における「公開」性を高め、技能向上に基づいて昇進できる道筋を開くものであった。またこれらの措置の定着のために、客観的な職務分析に基づく標準的作業基準の設定(科学的管理法)がなされたが、同時にそれは班組長の地位・育成方式の変更にみられるような現場監督機能の強化と結びついたものであった。ただし著者はこの過程で各工場の権限と独立性が強化されたことにも注意をうながす。そしてこのことがプロセス・アンバランス問題を顕在化させ、その解消のためには党組織による動員機能が依然として重要な役割を果たしていると指摘するのである。 「第4章 労使関係の統括機構」では首鋼での自主経営・能率管理の展開の中で、企業内党組織が、職・工代表大会などとの関係でどのように機能していったのかが明らかにされる。一般的には中国国有企業では86年以降、「企業長責任制」に移行し長年企業管理の担い手であった企業党委員会が後景に退き、企業長が経営の責任を負い党委員会指導下の職・工代表大会に独自の権限が付与されることになった。これは70年代末からの改革の第一段階で企業党委員会が対政府関係で従業員の利益配分に偏った点を反省したものであったが、今後各主体が実際にどのような関係に立つのかは流動的である。様々な可能性があるなかで首鋼では次のような道が選択された。まず70年代末には党委員会指導下の「総経理責任制」が導入され、企業党委員会は対政府交渉では従業員代表者の機能を、企業内部では効率的生産組織確立を追求する経営主体の機能を担った。だが対政府・対従業員の関係双方とも利害調整が付かなくなるにいたり、86年には工場委員会指導下の「総経理責任制」へと移行した。それは企業党委員会指導下の職・工代表大会が企業の意思決定機関となり、その常設機関の工場委員会の指導下で総経理が日常的経営を指揮し、経営者(三役)を従業員の選挙で選出するという仕組みであった。また労働者生活に直接関係の深い福利事業の管理運営を、行政部門から職・工代表大会生活管理委員会へ委譲するという措置も伴っていた。著者はこの新しい「総経理責任制」への移行(=「民主改革」)の現実的意図を、上級党組織の拘束を回避することによる対政府交渉力の強化、および経営への従業員の自発的協力・参加の強化として把握する。そしてこうしたなかで企業内党組織は従業員組織としての性格を強めていったとする。同時にこの新しい改革が、従業員統合の手段として「経済的動力」に過度に依存していること、能率指向のなかで深化する党組織のエリート化を生んでいるという問題も指摘するのである。 「第5章 自主経営の論理と理念」では、首鋼での改革の中心人物である周冠五(経営者、党委員会書記)の思想が紹介され、最後の「総括」では各章の議論の要点が手際よくまとめられている。 提出論文の評価 冒頭でも述べたように、本論文は従来分散的に議論されてきた中国国有企業の雇用分配関係・工場管理方式・労使関係統括機構を、経営管理方式と対応させつつ、相互に不可分な一つのシステムとして描くことを意図している。そして前述の要約からも明らかなようにこの点について相当程度成功していることが本論文のメリットの第一として挙げられる。このことは現地調査も含めた重厚かつ周到な実証と、それぞれの要素の論理的連関をひとつひとつつきつめていく作業によってはじめて可能になったといえる。同時に中国社会主義とは何かについて、イデオロギー的言辞にとらわれずに問いつめていく著者の一貫した姿勢に裏打ちされたものであるともいえよう。 第二に日本での労働問題研究の成果を駆使し、中国国有企業における生産・労務管理、労使関係などの実態を、詳細に分析していった点である。とりわけ能率問題がどのような制度的連関のなかで発生し展開していくのかについての分析は、こうした方法の優位性がいかんなく発揮されている部分である。また日本での生産・労務管理、労使関係の歴史的展開過程を強く意識した分析となっており、この意味で本論文は今後の国際比較分析の発展に貢献していく可能性も有していると評価できる。 第三は企業内党組織の機能について、経営管理方式や雇用分配関係・工場管理方式の変遷と関連づけつつ、詳細に分析している点である。企業内党組織は実証面でもまた分析方法という面でも困難な対象であり、従来ほとんど本格的な研究がなかっただけに本論文はパイオニア的位置を占めているといえよう。特に首鋼の企業内党組織が様々な試行錯誤の末に、従業員組織としての性格を強めていったことを浮かび上がらせた分析は印象的である。対象内在的に先入観なく立ち入ったからこそ、このように企業内党組織の機能を柔軟にとらえることができたと評価しうる。 このような重要なメリットを指摘できる一方でいくつかの問題点も残されている。第一は中国での経営管理方式改革全般のなかでの首鋼の事例の位置づけが必ずしも説得的になされていない点である。例えば鉄鋼企業をとっても、鞍山、宝山などとの共通性、差異を明確にし、首鋼での「成功」の要因を相対化していく作業は今後に残されているといえよう。特に最近になっての首鋼での流動的事態はそうした作業の重要性を示唆している。 第二は本論文が実証に重点を置いた構成になっている一方で、理論的吟味についてはやや厚みにかける点である。例えば日本での伝統的労働問題研究の方法についても、単にそれを応用するだけでなく、本論文での分析が逆にどのような理論的問題を日本の労働問題研究に投げ返すのかという視角も必要だったのではないか。また企業管理制度に関しては米国を中心にいくつかの理論的研究がなされてきており、日本でも中国国有企業についての木崎翠氏などの研究がある。こうした一連の研究に対する本格的検討も今後に残されている。 第三に実証面では、文書や言説でなく、実際に機能しているメカニズムについてさらに深く検討していくことが今後に残されている。例えば科学的管理の実際の運用、あるいは企業によって保障されることとなったとされる雇用保障の実態などをたぐっていくと、本論文では発見できなかった別のメカニズムが存在するかもしれないと考えられる。 以上のような問題点は、見方を変えれば著者の研究の今後の発展性を示唆するものであり決して本論文の価値を失わせるものではない。本論文は国際的レベルでもみても、この領域での研究を大きく前進させるものであるといえる。以上の評価をふまえて、李捷生氏によって提出された論文は、博士(経済学)の学位授与に値するものと認められる。 |