学位論文要旨



No 112932
著者(漢字) 澤田,泰宏
著者(英字)
著者(カナ) サワダ,ヤスヒロ
標題(和) 脂肪細胞の分化に関わるベーシックヘリックスループヘリックスロイシンジッパー型転写因子、ADD1の骨芽細胞における遺伝子発現とそのレチノイン酸による調節
標題(洋) An Adipogenic Basic Helix-Loop-Helix-Leucine Zipper Type Transcription Factor(ADD1)Messenger Ribonucleic Acid ls Expressed and Regulated by Retinoic Acid in Osteoblastic Cells
報告番号 112932
報告番号 甲12932
学位授与日 1997.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1236号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 助教授 須佐美,隆史
 東京大学 講師 今門,純久
内容要旨 研究の背景および目的

 細胞や組織の分化は、各々の細胞、組織に特異的に存在し機能する分化形質を担う蛋白質の発現を伴う。このような特異的分化形質の発現は主として転写レベルにおいて制御されており、これに関わる転写因子が、細胞や組織の分化調節に中心的な役割を果たすものとして注目され、研究されている。

 その中で、ヘリックスループヘリックス構造を有する転写因子(ヘリックスループヘリックス型転写因子)はショウジョウバエにおける神経、性器官やラット膵臓の島細胞など、種々の細胞、組織の分化に関わっていることが示されている。特に、ヘリックスループヘリックス型転写因子が、中胚葉由来である筋細胞の分化形質の発現調節に関わる機構については、これまでに多くの知見が得られている。具体的には、筋原性の細胞に特異的に発現し、筋原性分化の誘導および促進、即ち正の調節を行うヘリックスループヘリックス型転写因子である、Myo-Dファミリーに属する転写因子が、組織非特異的に発現するヘリックスループヘリックス型転写因子であるE2A蛋白(E12/E47)とヘテロ二量体を形成する。このヘテロ二量体が、筋細胞の分化形質の遺伝子のプロモーター領域に結合することにより、その分化形質の発現が促進される。さらに、分化の抑制、即ち負の調節を行うヘリックスループヘリックス型転写因子であるIdが、E2A蛋白とヘテロ二量体を形成することによりMyo-DとE2A蛋白とのヘテロ二量体の形成を阻害し、その結果、筋細胞の分化形質の発現が抑制されることも明らかとなっている。

 骨の細胞、組織におけるヘリックスループヘリックス型転写因子の発現についてはこれまでに、組織非特異的であるE2A蛋白および負の調節因子であるIdが、培養骨芽細胞様細胞に発現することが示されている。骨組織も筋組織と同様に中胚葉由来の組織であること、E2A蛋白およびIdが骨芽細胞様細胞に発現することから、骨組織においても、分化に正の調節を行うヘリックスループヘリックス型転写因子が発現することが推定される。

 本研究の目的は、脂肪細胞に特異的な遺伝子の発現を誘導するヘリックスループヘリックスロイシンジッパー型転写因子として同定されたADD1の骨芽細胞における発現とその調節を検討することにより、ADD1の発現と骨芽細胞の分化との関わりを明らかにすることである。

方法

 細胞は樹立された骨芽細胞様細胞株であるROS17/2.8細胞、MC3T3-E1細胞、RCT-1細胞およびラット頭蓋冠由来の初代培養細胞を用いた。ADD1遺伝子の転写レベルにおける発現は、細胞から抽出したRNAをノーザンブロット法を用いて解析することにより検討した。ADD1の蛋白レベルにおける発現は、ADD1が結合するDNA配列をプローブとするゲルシフトアッセイを用いて、核抽出画分のDNA結合能を解析することにより検討した。ADD1の転写活性は、ADD1の結合配列にCAT(クロラムフェニコールアセチルトランスフェラーゼ)遺伝子を連結したレポータープラスミドを細胞に導入して、細胞抽出画分のCAT活性を解析することにより検討した。さらに、骨芽細胞の分化におけるADD1の役割を検討するため、ADD1を過剰に発現する永久変異細胞株を樹立し、骨芽細胞分化形質の発現量の変化を検討した。

結果

 マウス由来の骨芽細胞様細胞であるMC3T3-E1細胞では、培養期間が長くなり細胞の密度が上昇するに従って、ADD1遺伝子の発現が増加し.MC3T3-E1細胞はその培養期間が長くなるに従ってアルカリフォスファターゼの発現が増加するなど、骨芽細胞としての分化が促進されることが知られている。このことは骨芽細胞の分化とADD1の発現との間に関連があることを示唆する。

 骨芽細胞様細胞として分化度が高いとされているROS17/2.8細胞では、ADD1遺伝子は恒常的に発現していた。カルシウム向性の調節因子のうちレチノイン酸でROS17/2.8細胞を処理することによりADD1遺伝子の発現が促進された。このレチノイン酸によるADD1遺伝子の発現促進は処理時間および濃度に依存し、それぞれ8時間と10-6Mでレチノイン酸の効果が最大となった。レチノイン酸によるADD1遺伝子の発現促進は、蛋白合成阻害剤であるサイクロヘキシミドにより阻害されず、転写阻害剤であるDRBにより阻害された。さらに転写阻害剤であるアクチノマイシンDをあらかじめROS17/2.8細胞に加えておくとレチノイン酸の存在の有無に関わらず時間経過とともにADD1遺伝子の発現は減少した。これらの結果は、ROS17/2.8細胞におけるレチノイン酸によるADD1遺伝子の発現促進は蛋白の生合成や転写産物の安定化を介さない、転写の促進によるものであることを示す。

 レチノイン酸受容体(RAR)は、9-シス-レチノイン酸の受容体であるRXRとヘテロ二量体を形成し、このヘテロ二量体は転写活性を有する。RXRは、ビタミンD受容体など他のステロイド受容体ともヘテロ二量体を形成するので、ROS17/2.8細胞におけるレチノイン酸によるADD1遺伝子の発現促進が、ビタミンDなど他のステロイドの存在により修飾される可能性があると考えたが、ROS17/2.8細胞にレチノイン酸とともにビタミンD3、デキサメサゾンあるいはエストラジオールを加えてもADD1遺伝子の発現促進は修飾されなかった。

 ADD1を認識するDNA塩基配列を含むオリゴヌクレオチドをプローブとしたゲルシフトアッセイでは、ROS17/2.8細胞から調製した核抽出画分にDNA結合能があることが明かとなった。放射性プローブと同一塩基配列の非放射性オリゴヌクレオチドを過剰に加えるとプローブと核抽出蛋白との結合が競合的に阻害されたが、塩基配列に変異を導入したオリゴヌクレオチドを過剰に加えても阻害は生じなかった。従ってこのDNA-蛋白結合は用いたプローブの塩基配列に特異的な結合である。この特異的結合能は細胞のレチノイン酸処理により促進された。これは、蛋白レベルでレチノイン酸によるADD1の発現促進を示す。また、このDNA-蛋白結合は、E2A蛋白のホモ二量体を認識するDNA塩基配列(E5+E2)あるいはMyo-D/E2A蛋白のヘテロ二量体(MEF1)を認識するDNA塩基配列を含むオリゴヌクレオチドによる競合阻害を受けなかった。従ってこの結合は、E2A蛋白のホモ二量体やMyo-DとE2A蛋白とのヘテロ二量体によるものではない。

 ADD1の結合配列に連結したCAT遺伝子をROS17/2.8細胞に導入するとレチノイン酸によりCATの発現が促進された。これは、レチノイン酸によるADD1の発現促進を、転写活性という蛋白の機能から裏付ける。

 レチノイン酸によるADD1遺伝子の発現促進を、ROS17/2.8細胞のみならず、他の骨芽細胞様細胞株であるRCT-1細胞や、ラット頭蓋冠由来の初代培養細胞においても認めた。従って、この現象はROS17/2.8細胞あるいは樹立された骨芽細胞様細胞株のみならず複数の骨芽細胞モデルで観察されることが明かとなった。

 ADD1を過剰に発現するROS17/2.8細胞由来の永久変異細胞株では、ADD1発現ベクターの親ベクターを導入して樹立した細胞株に比べ、オステオカルシン遺伝子の発現量が増加していた。これはADD1が、骨芽細胞の分化形質の発現に対して正の作用を有することを示す。

考察

 MC3T3-E1細胞における時間経過にともなうADD1遺伝子の発現量の増加は、骨芽細胞の分化と正の調節を行うヘリックスループヘリックス型転写因子の発現との関連を初めて示した現象である。骨芽細胞様細胞として分化度が高いROS17/2.8細胞においてADD1が恒常的に比較的高いレベルで発現していた点もこの結果と一致する。さらに、樹立された骨芽細胞様細胞株のみならず、ラット頭蓋冠由来の初代培養細胞においても、分化の調節因子として知られるレチノイン酸で処理することによりADD1遺伝子の発現が促進された。レチノイン酸は細胞分化や形態形成に重要な役割を果たしていることが知られており、アルカリフォスファターゼなど骨芽細胞の分化形質の発現もレチノイン酸処理により修飾されることが報告されている。また、骨の発生期におけるレチノイン酸受容体の発現は、レチノイン酸が発生分化過程のある段階において骨芽細胞の分化に関わっていることを示す。従って、上記の骨芽細胞様細胞において観察されたレチノイン酸によるADD1の発現促進は、骨芽細胞の分化とADD1の発現との間に関連があることを示唆する。さらに、ADD1を過剰発現させたROS17/2.8細胞の永久変異株において認められたオステオカルシン遺伝子の発現量増加は、ADD1が骨芽細胞分化に対する正の作用を有することを示す。

 骨組織の近傍においては通常、脂肪組織が存在する。特に、骨髄では、これらの組織は互いに密接に関わっている。従って、骨組織と脂肪組織の双方に共通する分化調節機構の存在が想定される。実験的には、未分化な線維芽細胞をBMP-2(Bone Morphogenetic Protein-2)で処理すると骨芽細胞の分化のみならず、脂肪細胞の分化も誘導されることが示されている。脂肪細胞に特異的な遺伝子の発現を誘導する因子であるADD1が骨芽細胞の分化に関わっていることは、ADD1が骨組織、脂肪組織を含めた局所組織の分化調節因子である可能性を示唆する。

審査要旨

 本研究は、脂肪細胞に特異的な遺伝子の発現を誘導するヘリックスループヘリックスロイシンジッパー型転写因子として同定されたADD1の発現と骨形成細胞である骨芽細胞の分化との関わりを明らかにするため、培養骨芽細胞におけるにおけるADD1遺伝子(mRNA)の発現、DNA結合能、転写活性とそのレチノイン酸による調節の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.マウス由来の骨芽細胞様細胞であるMC3T3-E1細胞では、培養期間が長くなり細胞の密度が上昇するに従って、ADD1遺伝子の発現が増加することがNorthern blotにより示された.MC3T3-E1細胞はその培養期間が長くなるにつれアルカリフォスファターゼの発現が増加するなど骨芽細胞としての分化が促進されることが知られており、骨芽細胞の分化とADD1の発現との関連が示唆された。

 2.骨芽細胞様細胞として分化度が高いとされているROS17/2.8細胞におけるADD1遺伝子の恒常的発現をNorthern blotにより認めた。カルシウム向性の調節因子のうち、レチノイン酸でROS17/2.8細胞を処理することによりADD1遺伝子の発現が促進された。このレチノイン酸によるADD1遺伝子の発現促進は処理時間および濃度に依存し、それぞれ8時間と10-6Mでレチノイン酸の効果が最大となった。レチノイン酸によるADD1遺伝子の発現促進は、蛋白合成阻害剤であるサイクロヘキシミドにより阻害されず、転写阻害剤であるDRBにより阻害された。また、転写阻害剤であるアクチノマイシンDの存在下ではレチノイン酸の存在の有無に関わらず時間経過とともにADD1遺伝子の発現は減少した。これらにより、ROS17/2.8細胞におけるレチノイン酸によるADD1遺伝子の発現促進は蛋白の生合成や転写産物の安定化を介さない転写の促進によると考えられた。

 3.ROS 17/2.8細胞におけるレチノイン酸によるADD1遺伝子の発現促進は、他のステロイド受容体のリガンドであるビタミンD3、デキサメサゾン、エストラジオールの存在により影響されないことがNorthern blotにより示された。

 4.ADD1を認識するDNA塩基配列を含むオリゴヌクレオチドをプローブとしてゲルシフトアッセイを行ったところ、ROS17/2.8細胞から調製した核抽出画分中に、塩基配列に変異を導入したオリゴヌクレオチドでは阻害されない、塩基配列特異的なDNA結合能が認められた。レチノイン酸処理によるこのDNA結合能の促進が認められ、蛋白レベルでもレチノイン酸によるADD1の発現促進が示された。また、このDNA結合能に対して、E2A蛋白のホモ二量体を認識するDNA配列(E5十E2)やMyo-D/E2A蛋白のヘテロ二量体(MEF1)を認識するDNA塩基配列を含むオリゴヌクレオチドによる競合阻害は認められなかった。したがって、認められたDNA-蛋白結合は、E2A蛋白のホモ二量体やMyo-DとE2A蛋白とのヘテロ二量体によるものではないと考えられた。

 5.ADD1の結合配列に連結したCAT遺伝子をROS17/2.8細胞に導入したところ、レチノイン酸によるCATの発現促進が認められた。したがって、レチノイン酸はADD1蛋白の持つ転写活性能も促進すると考えられた。

 5.ROS17/2.8細胞のみならず他の骨芽細胞様細胞株であるRCT-1細胞や、ラット頭蓋冠由来の初代培養細胞においてもレチノイン酸によるADD1遺伝子の発現促進がNorthern blotにより認められ、この現象はROS17/2.8細胞のみに特有ではなく、複数の骨芽細胞モデルで観察されることが示された。

 6.ROS17/2.8細胞にADD1発現ベクターを導入して樹立した永久変異細胞株ではADD1発現ベクターの親ベクターを導入して樹立した細胞株に比べ、オステオカルシン遺伝子の発現量が増加していることがNorthern blotにより示された。したがって、ADD1は骨芽細胞の分化に対して正に制御を行うと考えられた。

 以上、本論文は骨芽細胞におけるADD1の発現とそのレチノイン酸による調節を明かにした。本研究はこれまで報告されていない、骨芽細胞の分化に正の制御を行う転写因子の存在を明かにしており、骨形成の分子機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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