【研究の背景及び目的】 生体に外科的侵襲が加わることにより、生体のhomeostasisが乱されて、術後感染症などの合併症が発生することがある。特に感染症は、消化器外科領域においてもっとも頻度の高い術後合併症とされ、敗血症や多臓器不全を惹起すると重篤な病態となり死亡率も高い。従って、感染に対する対策を講じるためには、生体の侵襲と感染に対する反応について、その背景を明らかにする必要がある。そこで本研究においては感染症の第一線の防御機構である好中球に注目し、手術侵襲がどのように生体のホメオスターシスを乱して術後合併症の発生を高めるかについて検討した。 研究の指標としたのは、個々の好中球からのミエロペルオキシダーゼ(以下MPOと略す)の放出率である。好中球の食作用の過程においては取り込まれた酸素がスーパーオキシドアニオン、さらに過酸化水素になるが、MPOは、過酸化水素をさらに強力な殺菌作用をもつ次亜塩素酸に変化させる酵素である。本研究においては、MPOの%放出能を術前と術後で比較することによって、手術侵襲により次亜塩素酸を用いた好中球の殺菌能が実際にどのように変化するかを直接捕えることを目的としたが、またさらに細菌由来の走化性因子FMLP(N-formyl-L-methionyl-L-leucyl-L-phenylalanine)で刺激をした際のMPOの放出率を測定することによって、細菌感染に対する生体の反応を予測しうるかどうかについても検討を行った。 【対象及び方法】 対象:1994年12月から1995年1月まで、および1995年4月から5月までの期間に東京大学医学部附属病院分院外科において手術を行った全患者のうち50歳以上の患者36名を対象とした。本研究の趣旨を説明し、全患者より同意と承諾書を得て採血を行った。術前に重度の感染症や合併症、ショック状態を呈していた者はなかった。術前、術後1、2、3、5、7日目の朝に末梢静脈より1回約9mlの採血を行った。対象数、年齢、手術内容および術後経過等に、性差はなかった。 方法:測定に際しては、毎回コントロールとして健常者の血液を同時に測定し、各回ごとの測定条件に差がないことを確認した。血液から好中球を分離精製し、2×106cells/mlになるように調整した。これを96穴V-マイクロプレート上で、FMLPで刺激したものと、刺激しないものの2種類の系を作って反応させた。MPOの活性の1単位は、基質として用いた3,3’,5,5’-tetrametylbenzidineからの酸化物質生成量の、655nmにおける吸光度の初速度で定めてある。 また、同検体の血漿について、それぞれELA法とラテックス凝集法を用いて、IL-6とCRPを測定した。 統計処理:2群の平均値の差の検定には、Unpaired t-testを行い、両群の分散に差があったときにはMann-Whitney U-testを行った。3群の平均値の差の検定には分散分析、およびポストホックテストとしてFisherのPLSD法を用いた。相関関係は、ピアソンの相関係数を用いた。危険率5%未満をもって有意差ありと判定した。 【結果】 1.FMLPによるMPOの%放出能は、手術直後に上昇するタイプと下降するタイプの2つのタイプに分けられ、術後経過とともにそれぞれ術前のレベルに戻っていく傾向が認められた。また、FMLPによるMPOの%放出能とIL-6は経時的に類似の推移を示したが、CRPは、この2つのパラメーターより、2-3日遅れて推移した。 2.本研究の対象は50歳以上の患者であったが、この年齢帯の中で、FMLPによるMPOの%放出能については、加齢の影響が認められ、術前のFMLPによるMPOの%放出能の値が年齢と共に減少した(r=-0.6,p<0.001)。 3.1日目のFMLPによるMPOの%放出能と術後退院までの日数には相関関係(r=0.49,p=0.026)が認められた。術後1日目のFMLPによるMPOの%放出能が術前値に対して、1を超えない場合は良好な術後経過を取るが、1を超えた場合には合併症を併発することがあった。 4.術前の時点でのFMLPによらないMPOの%放出能の値は、合併症群の方が経過良好群に比べて低値を示した(p<0.05)。また、麻酔法による差は認められなかったが、手術時間、および術中出血量には、2群間に統計的に有意な差が認められた(それぞれp<0.0001,p<0.05)。 5.FMLPによるMPOの%放出能の変化率(術後1日目/術前)と、IL-6の変化率(術後1日目/術前)は強い相関(r=0.6)を示すことが判明した。この相関関係は術後2日目以降では認められなかった。 【考察】 本研究におけるFMLPによるMPOの%放出能の変化は、primingの変化を表し、FMLPによらないMPOの%放出能の変化はactivationの変化を表すと考えられた。従って、手術侵襲が小さく、生体のhomeostasisを保つ力が作用している場合は、術後の好中球のprimingは抑制され、もしsecond attackとして細菌感染が起こっても、放出されるMPO、ひいては次亜塩素酸の放出量が術前を大きく越えることはない。しかし、手術時間が5.5時間以上、あるいは術中出血量が500mlを越えるような侵襲の大きい手術によりhomeostasisを保つ力が破綻した場合は、primingが亢進しMPOの潜在的な放出量は極めて危険な高さとなっている。この状態で細菌の侵入(second attack)が起こると、全身の末梢血中に膨大な量の次亜塩素酸が放出される。次亜塩素酸による細胞傷害力は強力であるので、大量に放出された場合に、作用は殺菌だけにとどまらず周辺の組織に大きな傷害を及ぼすことになる。従って、次亜塩素酸による細胞傷害が敗血症や多臓器不全などの発生機序の一つの要因となりうることが考えられた。また、FMLPによるMPOの%放出能とIL-6の変化率(術後1日目/術前)に相関が認められたことから好中球のprimingにおいて、直接的、あるいは間接的にIL-6が関与することが示唆された。 なお、本研究において、全症例について術後1日目以降にSIRSの定義に該当するか否かについて検討したところ、本研究で合併症群と設定した症例のすべてがその要件を満たしていた。これよりFMLPによるMPOの%放出能は術後SIRS、あるいは合併症の予測因子の一つとして重要な意義を有していると考えられた。 【結語】 MPOの%放出能を術前と術後で比較することによって、手術侵襲によって好中球の殺菌能がどのように変化するかを直接捕えることを目的として検討した結果、以下の結果が得られた。 1.好中球のFMLPによるMPOの%放出能は、手術侵襲によって大きく変動し、術後経過とともに術前のレベルに戻っていく傾向が認められた。 2.好中球のMPOの%放出能は、手術侵襲が小さい場合には、術後1日目に好中球が増加しただけ低下して生体のhomeostasisを維持し、そのような例においては術後経過は順調であった。 3.手術侵襲が大きく(手術時間が5.5時間以上、または術中出血量が500ml以上)、生体のhomeostasisを上回ったと考えられる場合には、術後1日目にFMLPによるMPOの%放出能は術前より上昇した。術後1日目にFMLPによるMPOの%放出能が術前より上昇した場合には、臨床上問題となるような併存症を生じた例(合併症群)があった。 4.FMLPによるMPOの%放出能は、好中球のpriming状態を表していると考えられ、FMLPによるMPOの%放出能とIL-6の末梢血濃度の変化率の間には、術前と術後1日目において相関関係が認められたことから、IL-6と好中球のpriming作用の関係が示唆された。 5.合併症群においてSIRSの病態が観察されたことから、MPOが触媒する反応で生成する次亜塩素酸の細胞傷害性が、SIRS病態発生の要因となる可能性が示唆された。 以上より、FMLPによるMPOの%放出能は、手術侵襲の生体に及ぼす影響の指標となり、さらには、術後SIRS、あるいは合併症の予測因子の一つとして重要な意義を有することが示唆された。 |