学位論文要旨



No 112941
著者(漢字) 針間,克己
著者(英字)
著者(カナ) ハリマ,カツキ
標題(和) 心因性勃起障害の臨床的研究 : 単身治療群とカップル治療群の臨床的特徴及び治療成績
標題(洋)
報告番号 112941
報告番号 甲12941
学位授与日 1997.05.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1240号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 教授 河邉,香月
 東京大学 教授 久保木,富房
 東京大学 助教授 関根,義夫
 東京大学 助教授 貫名,信行
内容要旨 1.はじめに

 心因性勃起障害に対する治療方法はMasters,W.H.&Johnson,V.E.による"Human Sexual Inadequancy"の発刊(1970)以来、大きく変化した。彼らの治療は(1)「治療は夫婦一緒に」、(2)「治療者も男女二人で」、(3)「社会生活からの隔離」、(4)「センセートフォーカス(官能焦点法)の実施」、の四原則等よりなるが、この治療技法はその治療構造の特殊性から一般の臨床場面では原則通りに施行することが困難である。そのため、その後の多くの治療者はMasters&Johnsonの原法の一部を修正して実施してきた。その諸原則の幾つかは治療への影響が比較検討されている。「治療者も男女二人で」という原則(2)に関しては、治療者が男女一組であっても、あるいは一人であっても治療成績には差がないことが、また治療者が一人である場合にはその性別と治療成績の間には関連がないことが見い出されている。「社会生活からの隔離」という原則(3)に対しては厳密な比較研究はなされてないが、Kaplan,H.S.は外来通院でも治療が行えると述べている。

 「治療は夫婦一緒に」という原則(1)の検討や研究は、これまで知られていない。その理由の一つに単身治療群とカップル治療群への群別化における方法上の問題点を指摘できる。そこで、本研究では第一に単身治療群とカップル治療群の臨床的特徴の比較を行い、どのような臨床的特徴を有するものが単身治療群ないしはカップル治療群になるかを調査することとし、第二にその臨床的特徴が治療成績に与える影響を調査し、第三に臨床的特徴の違いを考慮した上で単身治療群とカップル治療群の治療成績の比較を行うことにする。

2.対象

 対象は、1993年9月1日から1995年6月31日までの1年10ケ月の期間に東京大学医学部附属病院精神神経科、駒込神経クリニック、ならびに川崎メンタルクリニックで筆者が主治医として直接診察した患者の中で(1)心因性勃起障害と診断され(DSM-IV「男性の勃起障害、病型:心理的要因によるもの」の診断基準を満たす)、(2)持続的な性交機会を持ちうるパートナーを有する、(3)他の精神障害を有しない、の3条件を満たす76名である。

3.方法A.患者の臨床的特徴の調査

 調査方法は、1)〜12)の項目に関しては、単身治療群に対しては患者への、カップル治療群に対しては患者及びパートナーへの問診と自記式質問紙法により、13)の項目は矢田部=ギルフォード性格検査を用い、14)の項目はTPI(東大式・パーソナリテイ・インベントリー)を用いた。調査項目は以下の通りである。1).患者年齢、2).患者生育歴、3).患者学歴、4).二者の間柄、5).患者の性交経験、6).パートナーの性交経験、7).二者間の性交経験、8).パートナーの性障害、9).パートナーシップ解消の危機、10).性的パートナー関係の期間、11).患者の罹病期間、12).勃起障害が起こる性交の段階、13).患者の性格特性、14).TPIで高値を示す基本尺度の有無。

B.単身治療群とカップル治療群への振り分け

 対象患者全員に「パートナーを同伴しての治療が望ましい」と伝え、パートナーの受診を促した。それによりパートナーが受診したものをカップル治療群とし、促してもパートナーが受診しないものを単身治療群とした。

C.治療の実施

 両群に以下の治療を行った。1).単身治療群に対して。患者単身に対して精神療法と行動療法的指示を与える。2).カップル治療群に対して。カップルに対して精神療法と行動療法的指示を与える。

D.評価

 評価は<治癒>か<未治癒>かにて与えられた。<治癒>とは、三回以上の性交機会において連続して勃起挿入が可能となり、将来の性交に対しても患者の不安が著しく減少した状態を指し、また<未治癒>とは上記した<治癒>の基準を満たさないものとした。治療途中において脱落したものは原則として電話等で<治癒>か<未治癒>かを確認することとしたが、確認の取れなかったものは<未治癒>とした。治癒後再び勃起障害になる可能性もあるが、ここでは一旦治癒し治療が終了したものは<治癒>とした。

E.分析

 患者の臨床的特徴と治療方法(単身治療かカップル治療か)を変数と見なし、統計処理をおこなった。まず治療方法と臨床的特徴の関係を検定し、次に治癒率と臨床的特徴の関係を検定し、最後に臨床的特徴の影響を除外するために治療方法間の治癒率の比較を層別解析を用いて行った。

4.結果1).単身治療群とカップル治療群の臨床的特徴の比較

 単身治療群は40名(20-58才、平均34.0±9.7才)、カップル治療群は36名(20-42才、平均34.9±4.4才)であった。単身治療群はカップル治療群と比較し有意に、二者の間柄として<夫婦外>が多く<夫婦子なし>が少なく、<患者の性交経験あり>および<パートナーの性交経験あり>が多く、罹病期間および性的パートナー関係の期間は<一年未満>が多かった。その他の項目では両群間に有意差を認めなかった。

2).治癒率に与える臨床的特徴の影響

 治癒は42名(23-58才、平均36.9±7.1才)、未治癒は34名(20-47才、平均31.3±7.1才)で、治癒率は55.3%であった。臨床的特徴の違いにより治癒率に有意差が認められたものとしては罹病期間があり、<一年未満>の治癒率は72.7%、<一年以上>の治癒率は41.9%であった。その他の臨床的特徴で治癒率の違いが有意に認められたものはなかった。

3).単身治療群とカップル治療群の治癒率の比較

 患者の臨床的特徴を考慮せずに見た場合、単身治療群の治癒率は47.5%、カップル治療群の治癒率は63.9%で両群間に有意差は認められなかった。患者の<性交経験なし>のもののなかでは、単身治療群の治癒率は18.2%(2/11)、カップル治療群の治癒率は66.7%(12/18)で、有意にカップル治療群の治癒率が高かった。罹病期間が<一年以上>のもののなかでは、単身治療群の治癒率は13.3%(2/15)、カップル治療群の治癒率は57.1%(16/28)で、有意にカップル治療群の治癒率が高かった。その他の臨床的特徴で層別分析した結果では、両群間の治癒率に有意差を認めなかった。

5.考察1).研究の対象と方法の限界と問題点

 勃起障害の原因を心因性と診断するのは厳密には困難であり、本研究で対象外とした患者のなかに心因性と診断すべきだったものや、対象とした患者の中に、器質性ないしは混合性と診断されるべき患者が混入していた可能性がある。そのため今後はより厳密な鑑別診断を行うべく、精神科単独ではなく泌尿器科との協力が望ましい。対象の決定、両群への振り分け、治療、評価はすべて筆者単独で行っているために、両群に対しての筆者の治療意欲の違い、予断などの影響がなかったとは言い切れず、治療や評価の段階で他の治療者や研究者の協力が今後望ましい。評価にあたっては、脱落者も含めての長期的な追跡調査が必要であろう。

2).単身治療群とカップル治療群の臨床的特徴

 カップル治療群に夫婦関係の者が多いのはMasters&Johnsonの報告に一致する。患者自身がパートナーに受診を要請したくない場合には単身での受診となるが、このような患者はパートナーとの関係が不安定なものや自分の勃起障害を軽症と認識するものに多いと思われ、パートナーとの関係の不安定さは「二者の間柄が<夫婦外>」、「性的パートナー関係の期間が<一年未満>」に、軽症との認識は「罹病期間が<一年未満>」、「患者の<性交経験あり>」という単身治療群の特徴に示されている。パートナーが受診を拒否した場合に単身での受診者に、承諾した場合にカップルでの受診者となるが、拒否するパートナーは受診への心理的抵抗が強く、承諾するパートナーは、受診への心理的抵抗が少なく、パートナー自身の治療意欲も強いものに多いと思われる。心理的抵抗は「二者の間柄が<夫婦外>」という単身治療群の特徴に示され、パートナー自身の治療意欲は挙児希望がある場合やパートナー自身が性交に対して不安がある場合に強いと思われるが、これは「二者の間柄が<夫婦子なし>」、「パートナーの<性交経験なし>」というカップル治療群の臨床的特徴に示されている。

3).臨床的特徴の治癒率への影響

 治癒率だが、Masters&Johnsonは一次性勃起障害で59.4%、二次性勃起障害で73.7%と報告している。Hawtonは68%、本邦では阿部が61%と報告しており、これらは基本的にはカップルに対しての治癒率である。本研究では治癒率は全体としては、55.3%、カップル治療群は63.9%であり、おおむね過去の報告に近い結果である。生育歴、学歴は一般的に「勃起障害は一人っ子や末っ子、高学歴者に多い」と言われるが、特に両項目共に予後への影響は示されなかった。二者の間柄の予後への影響に関しての報告は、既婚者の予後が良いとされており本研究でも、有意差は示されなかったが、<夫婦子あり>、<夫婦子なし>、<夫婦外>の順に治癒率が良かった。性交経験の有無に関しては、性交経験のあるものの方が良いという報告があり、本研究では有意差は示されなかったが、<性交経験あり>の治癒率が<性交経験なし>の治癒率と比較し、諸報告と同様に高かった。罹病期間に関しては、長いものが悪いとする報告が多く、本研究でも罹病期間が<一年未満>の治癒率が72.7%、<一年以上>の治癒率が41.9%で、有意に罹病期間<一年未満>の治癒率が高かった。罹病期間の長期化に伴い予後が悪化する理由として、勃起障害が時間の経過と共にパートナーを巻き込みながら不安→失敗→不安の悪循環を形成し重篤さを増す性質を持つことが挙げられる。カップルの一般的関係が良好な方が予後が良いという報告があるが、本研究では、パートナーシップ解消の危機、性的パートナー関係の期間、二者の間柄のそれぞれの項目で予後への影響は有意には示されなかった。臨床的特徴の項目ではないが、治療群の違いそのものもカップルの一般的関係の良好さを示す指標となりうる。すなわち単身治療群よりカップル治療群のパートナーの方がより協力的で良好な関係にある可能性が高い。

4).単身治療群とカップル治療群の治癒率の比較

 罹病期間が<一年以上>のもの、また患者の<性交経験なし>のものという、予後が不良と推測される特徴を有すものではカップル治療群の治癒率が有意に高かった。理由として、カップル治療群が単身治療群と比較し異なる二つの側面から考察する必要があろう。第一にはカップル治療群は、カップルでの受診者が治療対象となっている点であり、第二にはカップル治療群はカップル治療を行う点である。第一の可能性はカップル治療群において受診するパートナーの方がより安定し協力的であり、この事が治癒率を高めていることであり、第二の可能性はカップル治療は単身治療にない幾つかの治療要素を持ち、これらの治療要素が治療効果を高めることである。今後は、この二つの可能性それぞれを検討する必要があろう。

審査要旨

 心因性勃起障害の治療はMasters&Johnsonの心因性勃起障害に対する治療原則である「治療は夫婦一緒に」が従来、原則的に守られてきた。しかしこの治療原則は、Masters&Johnsonの治療上の信念でもあり、また患者によって単身で受診するものとカップルで受診する者がいるということから来る方法上の困難さもあり、統計的検討が行われたことがなかった。そこで本研究ではこの治療原則の有用性を統計的に明らかにすることとし、方法上の問題を解決すべく、心因性勃起障害76名を単身治療群40名、カップル治療群36名に分け両群の臨床的特徴を比較し、臨床的特徴の治癒率に与える影響を考慮した上で、両群の治癒率の比較を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.単身治療群はカップル治療群と比較し有意に、二者の間柄として<夫婦外>が多く<夫婦子なし>が少なく、<患者の性交経験あり>および<パートナーの性交経験あり>が多く、罹病期間および性的パートナー関係の期間は<一年未満>が多かった。

 2.臨床的特徴の違いにより治癒率に有意差が認められたものとしては罹病期間があり、<一年未満>の治癒率は72.7%、<一年以上>の治癒率は41.9%であった。

 3.患者全体では、単身治療群の治癒率は47.5%、カップル治療群の治癒率は63.9%で両群間に有意差は認められなかった。患者の<性交経験なし>のものでは、単身治療群の治癒率は18.2%、カップル治療群の治癒率は66.7%で、有意にカップル治療群の治癒率が高かった。罹病期間が<一年以上>のものでは、単身治療群の治癒率は13.3%、カップル治療群の治癒率は57.1%で、有意にカップル治療群の治癒率が高かった。

 以上、本論文は心因性勃起障害治療において、従来は統計的検討のなされていない治療上の信念にすぎなかったMasters&Johnsonの治療原則である「治療は夫婦一緒に」に対し、単身治療群とカップル治療群の比較によって、その両群の臨床的特徴の違いを明らかにし、その臨床的特徴を考慮した場合に、カップル治療群の単身治療群と比較しての治癒率の高さ、すなわち「治療は夫婦一緒に」の有用性を統計的に明らかにした。本研究はより有効な心因性勃起障害の治療方法の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと思われる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53993