学位論文要旨



No 112943
著者(漢字) 品川,秀行
著者(英字)
著者(カナ) シナガワ,ヒデユキ
標題(和) 擬一次元伝導体(TMTSF)2Xにおける磁気量子振動
標題(洋)
報告番号 112943
報告番号 甲12943
学位授与日 1997.05.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第122号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 教授 小島,憲道
 東京大学 助教授 前田,京剛
 東京大学 助教授 小形,正男
内容要旨

 擬一次元伝導体(TMTSF)2X(X=PF6、ClO4,NO3,etc…)は有機系物質として初めて超伝導を示したことで注目された。一方これらの物質はその電子構造を反映して、スピン密度波相転移(SDW)、磁場誘起スピン密度波相転移(FISDW)、小周期振動(RO)等の多彩な強磁場物性を示す。SDW相の存在はこの系の一次元性を表わすが、このSDW相は圧力によって抑圧される。これは圧力によって横方向の重なり積分が大きくなり二次元性が増したことに対応する。ところがこのとき抑圧されたSDW相は磁場によって復活する。これが磁場誘起SDW相転移である。磁場はこの場合次元性下げる働きをする。このように多彩な相変化を示すのは系が一次元と二次元との間で絶妙な基本定数をもつことによる。またその低次元性と相まって強相関系の物理が実現されている事が期待されており理論的研究の対象としても着目されている。一方輸送現象や熱力学的諸量において小周期振動と呼ばれる磁気量子振動が観測されている。これは磁場の逆数に対する振動で一見SdHやdHvA振動に似てはいるが、系にはこれに対応する閉じた軌道はない。この振動の起源につては満足な説明はなかった。本研究の目的はこの起源を実験的に明らかにして行くことである。

 この振動についてさらなる情報を得るために(TMTSF)2CO4について、振動の温度依存性、電流方向依存性、正常金属相とスピン密度波相での相違、陰イオン配向秩序化による超格子との関係、といった点に着目して実験を行った。具体的には、磁気抵抗(常圧下、圧力下)、磁化、圧力下磁気抵抗の角度依存性の精密測定が行われた。これらの実験を行うにあたっては、高精度の磁化測定法や超小型圧力装置及び磁場中でそれを装着可能なゴニオメーターの開発といった、特徴的な実験装置及び実験技術の開発が必要であった。

 主な実験結果としては、振動は伝導軸に垂直な方向の抵抗に大きく現れる、その振幅は正常金属相では低温で増大する、正常金属相の磁化には現れない、圧力による超格子の抑制に伴い消滅する、24K付近での冷却速度に依存して位相の異なる成分が現れる、が挙げられる。また(TMTSF)2ClO4の圧力下正常金属相において従来観測されていたものとは異なる新たな振動現象を発見した。この振動は磁場の角度に対して非常に特徴的な振る舞いを示す。

 一方、バンド論的な描像によりどの程度までこの現象が理解されるのかを議論した。緩和時間一定の近似の範囲では伝導軸方向には磁気抵抗は出てこないが、伝導軸と垂直の方向の振動が導かれる。実際の試料には多少の不均一性があり、それによって測定値にかなりの程度他の方向の成分が混り得る。これは実験結果を解釈する上で非常に重要な点である。本研究で行われた電流方向依存性の実験はこの捉えかたを強く支持している。

 本研究の結果、従来観測されていた小周期振動はかなりの程度バンド論的な描像で理解出来る事が解った。一方圧力下正常金属相において新しく観測された振動や24K付近での冷却速度に依存した位相の異なる振動については未知の部分が多く、さらなる研究に期待がもたれる。これら現象についてこそ電子相関に基づくより高度な理解が必要かも知れない。

審査要旨

 有機低次元伝導体は、超伝導の発現等に代表されるように、応用面への期待を秘めた物質系として興味が持たれるばかりでなく、電荷密度波(CDW)スピン密度波(SDW)・それに関連した量子ホール効果・角度依存磁気抵抗振動といった基礎的な諸物性現象の多彩な発現の場として基礎物性物理学の重要な研究対象となっている。近年研究の蓄積によってこの系の示す諸現象の基本的な骨格とともに、細部にわたる理解もかなり進んできたが、依然として未解決の重要な問題もいくつか残されている。

 本学位論文は未解決の問題の中から、擬一次元導体(TMTSF)2X(X=PF6,ClO4,NO3等)の磁気抵抗に観測される小周期振動を取り上げている。(TMTSF)2ClO4について、正常金属相での小周期振動振幅の低温域での温度依存性、磁化率における小周期振動の探索、圧力により結晶の超周期構造を抑圧して行く時の小周期振動の変化等、多岐にわたる実験結果を積み重ねることによって総合的にその理解を深めたものである。

 論文は5つの章及び付録からなっている。第一章は序論であり、研究対象である擬一次元導体(TMTSF)2Xについて、電子構造をはじめとした性質を纏めて解説している。特に、問題とする小周期振動については、その機構を理解する上での残された問題点を詳述している。つまり、「正常金属相とSDW相という異なった電子系の基底状態において同様に生ずる現象なのか?」「正常相において、磁化率等の熱力学量にも小周期振動が存在するのか?」「陰イオン配向秩序化による超格子構造が小周期振動に必須か?」等である。

 長田らによって以前に提案されていた理論的機構(共同研究者に論文提出者本人を含む)によれば小周期振動はSWD相と正常金属相とでは質的に異なり、正常金属相では熱力学量には振動が現れない筈である。また当然、超格子構造が重要である。従って、上記した問題点を解明する事が機構理解のために重要であり、それを本論文の目的とすることが第一章の最後に述べられている。ちなみに、長田らによる理論については末尾の付録で詳しく解説している。

 第2章は実験方法の記述に充てられており、磁場変調法、トルク法による磁化測定、磁気抵抗の角度依存性測定のための回転機構、圧力印加装置等が解説されている。

 第3章に実験結果が記述される。まず3章1節にて正常金属相での小周期振動振幅の温度依存性を0.5Kまでの低温域で測定し、温度減少とともに振動振幅が単調に増大することを見いだしている。これはSDW相で従来知られていた温度低下に伴う振動の消失とは逆の正常な振る舞いであり、正常金属相とSDW相とでの振動機構の違いを強く暗示する。

 次に3章2節では、磁化測定を通じて、SDW相では(従来の研究と同様に)振動構造が観測されるが、正常金属相では測定精度の限界まで振動構造が観測されないことが見いだされる。これは小周期振動の起源がSDW相と正常金属相とでは異なる事を示し、長田等の理論的予測に合致する。

 3章3節の磁気抵抗測定の電流方向依存性の測定に続いて3章4節では超格子構造と小周期振動との関連を明らかにするために、圧力下(正常金属相)での磁気抵抗測定が行われる。抵抗の温度依存性から、6kbarないし8kbarを境にした高圧側で陰イオン配向秩序化に伴う超格子構造が消失する事が示唆されるが、この超格子構造の消失にまさに呼応して6-8kbarの高圧側で小周期振動が消失する事を見いだしている。これは小周期振動の機構に超格子構造が本質的に関わっていることを直接に示すものであり、長田らの理論的解釈を強く支持する。さらに、小周期振動が消失する高圧側で微弱ながら新たな磁気抵抗振動が現れることを見いだしている。新たな振動はその周期の大きさ及び圧力依存性の方向が小周期振動と異なる事から、別の起源による現象であることが議論される。

 3章5節には、圧力によるフェルミ面形状の変化を直接調べる目的で行われた磁気抵抗の角度依存性の測定結果が示される。3章6節は、3章4節の内容に関連して、異なる試料冷却速度による小周期振動の変化を調べている。冷却速度増大に伴って、磁気抵抗の小周期振動振幅が減少する事、それ以外に周期の異なる微少な振動構造が生ずる事が報告されれている。

 第4章は考察にあてられており、低圧力・正常金属相での諸実験結果の意味をまとめるとともに、高圧力下で新たに見いだされた異なる周期を持つ微少な磁気抵抗振動について、他の塩での既知の結果とも合わせて、その可能な起源について議論している。

 以上を纏め、本学位論文は従来不足していた正常金属相での小周期振動の示す詳細なふるまいを、測定技術の改善と新たな着想に基づく実験により明らかにし、その現象が電子系の基底状態によること(つまりSDW相とは別個に考えねばならない現象であること)、またその際超格子構造が本質的である事を解明したものである。この仕事によって、正常金属相の小周期振動機構の本質に関してはその理解が確定したと言って良いであろう。新たに見いだされた振動構造についての起源は本研究ではまだ十分明らかにされていないが、将来への新たな研究課題を提供している。

 このように、論文提出者が解明した事は、従来の関連研究分野の理解に大きく貢献したと言え、よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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