アリストテレスの『分析論後書』における論証理論は解釈上様々な問題を孕んだ難解な理論であり、多くの重要な論点に関して研究者たちの間で解釈が分かれているばかりでなく、そもそもこの理論にいかなる意義があるのかという点でも未だに見解の一致が見られないが、本論文はその難解な理論を独自の視点から解釈することを試みたものである。 『分析論後書』第一巻第二章冒頭で「知識とはアイティア(原因)を知ることであり、知識の対象は必然的である」と規定されている。筆者は、この規定が論証理論の基盤となっていることに着眼し、この規定に基いて、「アイティア」と「必然性」を鍵概念として論証理論の解明に着手する。知識の対象が必然的であるという規定は、我々の「知識」概念からはとうてい理解し難いことであり、研究者たちが様々な解釈を試みてきたが、筆者は、知識の対象を「中項(アイティア)を含んだ結論」、換言すれば大項・中項・小項の連関と解することによって、他の様々な解釈の難点を切り抜ける道を拓いた。以上第1章。 第2章において、筆者は同書第二巻第一、二章の探究論に着眼し、第1章で提示した解釈を確証する一方、新たな問題を浮かび上がらせる。それは、アリストテレスは事実のアイティア(原因)の探究と基体の「何であるか」の探究をともに中項の探究と規定しているが、後者ははたして論証たり得るかという問題である。この問題を念頭に置きつつ、第3章において、論証の三原理(公理、基礎定立、定義)について考察し、公理および基礎定立は論証の前提命題とはならないということと、基礎定立されるのは論証の小項となる基体の存在であるということを示す。第4章においては、「自体性」概念をつぶさに検討し、大項と小項の間には複数の中項が介在し得て、大項寄りの中項の探究が事実の原因の探究に属し、小項寄りの中項の探究が基体の「何であるか」(定義)の探究に属するという斬新な解釈を提示し、第2章の問題に解決を与えている。 以上の論証理論ではリジッドな必然性しか扱えないが、アリストテレスは「たいていの場合(成り立つこと)」を論証理論に取り込む。これは研究者たちの頭を悩ます問題であるが、筆者は、第5章において、「たいていの場合」を限定付きの「いつも」と解することによって必然性に転化する、という解釈を提示している。 筆者の解釈は、無論、反論の余地のない決定版というわけではないが、従来の解釈の多くの難点を切り抜けた点は評価できるし、「アイティア」を鍵とした解釈は『分析論後書』を越えてアリストテレス哲学全体の解釈に新たな方向付けを与え得るものである。よって、本審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判定する。 |