学位論文要旨



No 112944
著者(漢字) 河谷,淳
著者(英字)
著者(カナ) カワタニ,アツシ
標題(和) アリストテレスにおける論証とアイティア
標題(洋)
報告番号 112944
報告番号 甲12944
学位授与日 1997.06.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第180号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 天野,正幸
 東京大学 教授 松永,澄夫
 東京大学 教授 高山,守
 東京大学 助教授 一ノ瀬,正樹
 東京大学 教授 今井,知正
内容要旨 本論文の目的と対象

 アリストテレスの「分析論後書」(A巻・B巻)で展開される主題が、知識をもたらすような論証であることは疑いないとしても、ではいったいその論証とはどのようなものであるかという段になると、研究者たちの間でも、いまだに一貫した統一見解に達しているとは言いがたいのが現状である。本論文の目的は、この「アリストテレスにおける論証とはいったい何であるのか」という問いの解明にある。この問いはさしあたってさらに次のふたつの問いへと分析することができよう。

 (a)論証とはいかなる論理構造を持ったものなのか

 (b)論証とは何のためにあるものなのか

 実のところ、前述のふたつの問いは、「後書」A2において述べられている、「知識を持つ」ということの規定そのものをめぐる問いへとあるしかたで集約することができる。

 ことがらがそれによって成立しているところのアイティアをその当のことがらのアイティアであると知り、そして、それが他ではありえないということを知っている場合[An.Post.71b10・12]

 それぞれの問題の所在は私が下線を付した部分にある。

(1)「必然性」をめぐる問題

 論証知の規定の後半部における「他ではありえない」とは、アリストテレスによれば、「必然性」のことにほかならない。だが、「必然性」ということ自体がアリストテレスの文脈であれ現代の文脈であれ、また、論理的であれ因果的であれ、さまざまなしかたで語られるため、ここで要請されているような、論証における「必然性」がどのような意味での必然性であるのかは、論証というもの理解する上でひとつの大きな問題となる。

(2)アイティアをめぐる問題

 アリストテレスのアイティア論、すなわち、いわゆる「四原因」論は、モラフチークをはじめとするアリストテレス研究者たちによって、原因論というよりは説明理論として解されてきており、それに応じてバーンズは「アイティア」そのものを「説明」(explanation)と訳すことさえしている。だがその一方で「説明」ということ自体がそれほど透明な概念であるわけではなく、それが実在論的かどうかということも含めて、その概念自体がさまざまに語られうる。したがって、アイティアを単に説明と解することはなんの解決にもならない。

 この論文は、問い(a)、(b)の解明を目指すために、論証知の規定にひそむふたつの問題つまり(1)必然性の問題と(2)アイティアの問題とをその具体的な手がかりとして論究を進めて行こうとするものである。

まとめと展望

 本論考の目的は、論証とはいかなるものであるのかという問いの解明を、論証知の規定にひそむふたつの問題、すなわち、(1)論証における必然性をめぐる問題と(2)論証におけるアイティアをめぐる問題とを手がかりにしながら進めることにあった。ここまでの考察を通じて示されたのは、このふたつの問いはむしろある意味では同じ問いであったという点である。

 第一に、論証における必然性はアイティアを、もしくは、アイティアと不即離のことがらにそのありかを持ち、またそのように考えることによってのみ、アリストテレスが論証対象として「たいていの場合」というありようまで射程に入れていたことも一貫した態度として、理解することのできるものとなる。

 第二に、論証と探究とはアイティアをいわば折り返し地点として対称形をなし、すなわち、探究構造において「何であるか」と「何ゆえにか」が等価であったことと、論証構造において自体的な項連関つまり定義的な項連関のもと中項がアイティアとしてはめ込まれるということとは表裏一体のことである。

審査要旨

 アリストテレスの『分析論後書』における論証理論は解釈上様々な問題を孕んだ難解な理論であり、多くの重要な論点に関して研究者たちの間で解釈が分かれているばかりでなく、そもそもこの理論にいかなる意義があるのかという点でも未だに見解の一致が見られないが、本論文はその難解な理論を独自の視点から解釈することを試みたものである。

 『分析論後書』第一巻第二章冒頭で「知識とはアイティア(原因)を知ることであり、知識の対象は必然的である」と規定されている。筆者は、この規定が論証理論の基盤となっていることに着眼し、この規定に基いて、「アイティア」と「必然性」を鍵概念として論証理論の解明に着手する。知識の対象が必然的であるという規定は、我々の「知識」概念からはとうてい理解し難いことであり、研究者たちが様々な解釈を試みてきたが、筆者は、知識の対象を「中項(アイティア)を含んだ結論」、換言すれば大項・中項・小項の連関と解することによって、他の様々な解釈の難点を切り抜ける道を拓いた。以上第1章。

 第2章において、筆者は同書第二巻第一、二章の探究論に着眼し、第1章で提示した解釈を確証する一方、新たな問題を浮かび上がらせる。それは、アリストテレスは事実のアイティア(原因)の探究と基体の「何であるか」の探究をともに中項の探究と規定しているが、後者ははたして論証たり得るかという問題である。この問題を念頭に置きつつ、第3章において、論証の三原理(公理、基礎定立、定義)について考察し、公理および基礎定立は論証の前提命題とはならないということと、基礎定立されるのは論証の小項となる基体の存在であるということを示す。第4章においては、「自体性」概念をつぶさに検討し、大項と小項の間には複数の中項が介在し得て、大項寄りの中項の探究が事実の原因の探究に属し、小項寄りの中項の探究が基体の「何であるか」(定義)の探究に属するという斬新な解釈を提示し、第2章の問題に解決を与えている。

 以上の論証理論ではリジッドな必然性しか扱えないが、アリストテレスは「たいていの場合(成り立つこと)」を論証理論に取り込む。これは研究者たちの頭を悩ます問題であるが、筆者は、第5章において、「たいていの場合」を限定付きの「いつも」と解することによって必然性に転化する、という解釈を提示している。

 筆者の解釈は、無論、反論の余地のない決定版というわけではないが、従来の解釈の多くの難点を切り抜けた点は評価できるし、「アイティア」を鍵とした解釈は『分析論後書』を越えてアリストテレス哲学全体の解釈に新たな方向付けを与え得るものである。よって、本審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判定する。

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