1成果の総括 本論は大きく4つのコンポーネントから成り立っている。まずネットワークを構成する頂点の特性、頂点相互の関係、枝の特性の個別分析、そしてネットワーク全体の総合的な分析である。本論の意義はこれら4つのコンポーネントを用いて首都圏鉄道網が示唆する都市空間構造を記述した点にある。以下に各コンポーネントに基づく成果を示す。
(1)駅の分類方法 1)乗降者数に占める乗車客数と降車客数の割合によって駅を旅客流動生産量優位駅、同吸収量優位駅、同生産量・吸収量均衡駅に分類する方法を提案し、首都圏の鉄道駅に適用した。
2)小田急電鉄から提供された「平成5年度駅別相互発着表(年間集計)」に基づいて、小田急線(小田原線、江ノ島線、多摩線)の全駅における乗車客数、降車客数、乗降客数の実状を通勤定期券、通学定期券、定期券外乗車券の各カテゴリーについて調べた。
3)鉄道駅の利用形態を出発地/目的地型の利用と通過型の利用に分け、この尺度を駅の分類方法として提案した。
(a)ある駅において、乗降客数が通過旅客数よりも多い駅を"出発地/目的地型の駅"、通過旅客数が乗降客数よりも多い駅を"通過型の駅"と定義した。
(b)乗車客数と降車客数の差が両者の平均の10パーセント以下の駅を"乗車客数・降車客数均衡駅駅"と定義した。
(c)小田急電鉄から提供された「平成5年度駅別相互発着表(年間集計)」に基づいて乗車券種別毎に小田急線の全駅を出発地/目的地型の駅と通過型の駅に分類した。
4)前述のデータを用いて小田急線の全駅における上り通過旅客数、下り通過旅客数、総通過旅客数の実状を通勤定期券、通学定期券、定期券外乗車券の各カテゴリーについて調べ、分析した。
(2)駅間の距離について 1)鉄道網における任意駅間の直線距離、路線距離、時間距離に着目し、それぞれの特徴から駅相互の関係を分析した。
2)駅間の直線距離、路線距離、時間距離の相互関係から首都圏鉄道網ネットワークの構造的特性を分析した。
(a)首都圏における任意の2駅間の平均直線距離は40.7Km、標準偏差は24.2Kmである。
(b)同じく任意の2駅間の平均路線距離は52.3Km、標準偏差は32.0Kmである。
(c)同じく任意の2駅間の平均時間距離は43.0分、標準偏差は20.7分である。
(d)首都圏における鉄道駅間の直線距離と路線距離の関係を調べたところ、両者の相関係数は0.944となり、強い相関が見られた。また、両者の間には"路線距離=直線距離×1.3"なる関係があり、道路網における直線距離と道路距離の関係に一致していることが分かる。
(e)鉄道駅間の直線距離と時間距離の相関係数は0.857となり、強い相関ではないが、やや相関があることが分かる。平均直線距離を平均時間距離で除すると56.8Km/時になる。
(f)路線距離と時間距離の関係を調べると、両者の相関係数は0.932となり、強い相関が見られる。平均路線距離を平均直線距離で除したものは首都圏における鉄道の平均運行速度を表すが、その値は73.0Km/時である。
(3)隣接駅間断面交通量の扱い方 1)首都圏鉄道網を構成する路線に関して隣接駅間断面交通量の変化を調べ、各路線を分類するための7つのプロトタイプを提案した。
2)隣接駅間の断面交通量のグラフの類型化によって、グラフの形状を決定している要因として、都心部と郊外という方向性と、路線の途中にあるターミナル駅の分布が重要な働きをしていることが分かった。
3)乗降客数と通過旅客数に着目して首都圏全域での隣接駅間断面交通量を特定の駅を初乗り駅とする旅客流動毎に分解する方法を提案し、小田急線に適用した。
(a)路線毎に隣接駅間の断面交通量の変化を調べ、(1)一変曲点型、(2)傾斜直線型、(3)下に凸型、(4)上に凸型、(5)単峰型、(6)多変曲点型、(7)水平直線型の7タイプに分類した。それぞれの代表的な例は、順に(1)JR東海道本線、(2)JR内房線、(3)東急新玉川線、(4)都営地下鉄新宿線、(5)営団地下鉄東西線、(6)JR横浜線、(7)JR久留里線である。
(b)任意の駅を決め、この駅を初乗り駅とする継続乗車旅客数駅別に集計すると、初乗り駅における乗車客数が最大値になり、他の駅で旅客が順次降車していくにしたがってその値が減少していくため、初乗り駅を山の頂点とするグラフを全ての駅について描くことができる。このグラフを与えられた路線全駅について求め、互いに重ね合わせると路線全体の駅別継続乗車客数を表すグラフになる。このように首都圏全域における鉄道駅間断面交通量を初乗り駅別に分解するこによって、ある駅間の断面交通量がどのようなODペアで流動する旅客で構成されているのか、その内訳を知ることができる。
4)前項の駅別通過旅客数と隣接駅間断面交通量の関係を利用した分析によって、旅客の乗降・通過に関する特性が乗車券種別毎に異なることが分かった。
(4)鉄道網の分析 1)鉄道網ネットワーク上における隣接駅間の重要度を計量する尺度として、旅客の利用経路に基づく駅間利用度を提案した。
2)首都圏鉄道網において混雑度が高い区間の分布を調べ、その原因がどのような旅客流動特性にあるのかをシミュレーションによって推定した。
(a)首都圏鉄道網を均質なネットワークモデルでとらえ、任意の駅間を移動する旅客が常に最短経路を選択するものと見なした場合の各駅間の利用度を求めると、道路の場合と同様に、放射状路線の都心部付近(東海道本線、中央線など)の駅間や環状路線(山手線、武蔵野線など)の駅間が高い利用度を示すことが分かった。
(b)最短経路に関する駅間の重みの分布状況と定期券旅客流動に基づく駅間の重みの分布状況はかなり異なる。これは、最短経路に関する駅間の重みを求めた際に仮定した鉄道網ネットワークにおける駅別発生交通量や駅間の交通需要、旅客の経路選択のメカニズム、各鉄道路線の輸送力の限界などの条件が現実と乖離していることを示している。
(c)都心部の鉄道路線上で特定の駅間が高い利用度を示すのは、都心部を目的地とする旅客流動と都心部を経路として通過する旅客流動の相乗効果による。
(d)首都圏において都心部に昼間人口が一極集中しているのは都心部が目的地でなくても都心部を必然的に経由しなければならない旅客流動を誘発する首都圏鉄道網ネットワークの構造的特性のためでもあることが分かった。
3)重み付きの最短経路検索シミュレーションによって、首都圏鉄道網における駅間利用度は、主に旅客流動生産量優位駅から同吸収量への旅客流動で決定されることが分かった。
2問題点と課題 本論を構成する4つのコンポーネントに関して、分析の過程で明らかになった問題点と課題を個別に述べる。
1)"駅の分類方法"に関しては、ある駅を出発地/目的地型と通過型に分類する際に、乗降客数と通過旅客数の差が小さい場合にはいかに取り扱うべきかが明確に定義できない点が問題として残っている。これに対処するためには旅客流動パターン以外にどのような尺度が有効かを検討する必要がある。
2)"駅間の距離"に関しては、駅間時間距離を算出する際に、各鉄道路線における列車の運行種別(普通/快速/急行/特急など)による時間距離の誤差については考慮せず、全ての路線で移動には普通列車の利用を想定しているが、算出された時間距離が我々の日常的体験にどれほど近いかが十分に検討されていない点が問題として残っている。
3)"隣接駅間断面交通量"に関しては、本論では通勤・通学定期券利用旅客の流動を基にした断面交通量の分析を行っているに過ぎない。今後は定期券外乗車券利用旅客の流動をいかにして加味するか、またその結果定期券利用旅客の流動のみの場合とどのように分析結果に差異が生じるかを検討する必要がある。
4)"鉄道網の分析"に関しては、本論の範囲では旅客の経路決定要因を路線距離最短経路のみに限定したが、実際には鉄道利用者の経路は所要時間や乗り換え回数、運賃などの様々な要因によって複雑に決定されている。これらの複数の決定要因を考慮した分析を行うことが必要である。