学位論文要旨



No 112946
著者(漢字) 務台,俊樹
著者(英字)
著者(カナ) ムタイ,トシキ
標題(和) 新規蛍光性化合物としてのビピリジンの設計、特性、機能
標題(洋) Design,Properties and Function of Bipyridines as Novel Fluorescent Compounds
報告番号 112946
報告番号 甲12946
学位授与日 1997.06.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3954号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 堀江,一之
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 助教授 加藤,隆史
内容要旨 0.緒言

 蛍光性有機化合物は、これまでに多種多様な構造のものが報告されており、実用例も多い。近年,従来にない様々の機能を持つ蛍光物質が要求されていることから,既存の化合物の修飾に加えて、新しい分子構造を持つ蛍光性有機化合物の開発が求められている。2,2’-ビピリジンは、化学的、熱的に安定であり、キレート化合物として広く知られるが、一般に無蛍光性であり、効率の良い蛍光を示す誘導体は、3,3’-ジヒドロキシ体が知られているのみである。本研究では、ビピリジン骨格を持つ新規な蛍光性化合物の開発、機能化を目的とし、6,6’-ジアミノ-2,2’-ビピリジン(DA)及びその誘導体を合成し、その蛍光特性を明らかにするとともに、分子認識ホストとしての機能性評価、そして固相中での特異な発光挙動の解析を行った。

1.2,2’-ビピリジン誘導体の蛍光特性

 2,2’-ビピリジン誘導体の光物性を明らかにするため種々の誘導体を合成し、それらの吸収・発光スペクトルの測定を行った。アミノ及びクロロ置換2,2’-ビピリジンは既法により合成した(Fig.1)。

 DAは熱的、化学的に安定であり、アミノ基は容易に酸化されない。DAはシクロヘキサン中で364.5nmに、エタノール中で404.0nmに効率の良い発光を示した(Table1)。発光強度変化は濃度に対して一次で、蛍光スペクトルの形は吸収スペクトルとほぼ鏡像であることから、DAの蛍光は、最低励起状態からの単分子発光であることが明らかとなった。また、蛍光強度は溶媒中の溶存酸素に影響されなかった。環窒素へのプロトン化による吸光係数と量子収率の低下が見られないこと、および吸収スペクトルのシミュレーションから、最低エネルギー吸収バンドはn-*型ではなく-*型遷移であると結論された。

 次に、置換基の種類、位置について検討した。4-アミノ置換体(4A,44DA,44AC,46AC)はほとんど蛍光を示さず(〜10-2)、またクロロ置換体(4C,6C,44DC,66DC)は、全く蛍光を示さなかった。しかし、6-アミノ誘導体は、いずれも近紫外領域に効率よい蛍光を示した(>0.4,Table1)。6Aの蛍光はDAと同様の効率であることから、6-位に一つ以上のアミノ基を有することが蛍光性発現に重要であることがわかった。なかでも、非対称置換体であるACが他の約二倍(〜0.8)の量子収率を持つという興味深い結果が得られた。ACの発光は、大きなストークスシフトと高い量子収率を示し、励起状態での分子内電荷移動の寄与が示唆された。そこで、アミノ基の電子供与性を増大させることを目的としてアルキル置換を行い、電子供与性が増加したことをpKa値により確認した(pKa(DA):6.4、pKa(Hx2):6.8).アルキル化により、蛍光極大波長は20〜50nm長波長シフトした(Table1)。しかし量子収率はやや減少し、ストークスシフトの増大も見られなかった。

Fig.1.Structure of 2,2;-bipyridine derivatives.Table1.Absorption and emission maxima of substituted 2,2’-bipyridines.

 以上、6-位にアミノ基を有する一群の2,2’-ビピリジシ誘導体が、高効率の発光を示し、安定性の高い新規蛍光性化合物であることを明らかにした。またこれらは、固体状態でも強い発光を示した。

2.蛍光応答性ホスト化合物

 ジアミノビピリジンは、複数の分子間相互作用部位を有し、かつ強い蛍光を示すという特徴を持つ。また、ピリジン環窒素への相互作用により、発光を直接制御することが可能である。これを利用して、生体で重要な働きをするリン酸エステルの認識にともなって発光変化を示す、蛍光応答性ホスト化合物の開発を目指した。実験はホスト濃度を一定とし、ゲスト濃度を変化させた際の吸収・発光スペクトルの変化を観測した。シクロヘキサン中でHx2をホストとしてゲストを変化させたところ、リン酸ジエステルと高選択的に会合し、その会合定数はK=1.7x107M-1と大きな値となった。リン酸ジエステルの添加によりHx2はプロトン化することが、吸収スペクトル変化から示された(Fig.2)。また、400nmの発光が大きく減少し、500nmにプロトン化したHx2由来の発光がわずかに見られた。一方カルボン酸との会合定数は小さく、またプロトン化を示す吸収とは異なる変化を示し、発光は減少するのみであった(Fig.3)。以上のことから、リン酸エステルはHx2とイオン的に会合するが、カルボン酸は水素結合的に会合することが示唆された。

 次にゲストをリン酸エステルに固定し、ホストの構造を変化させた。シクロヘキサン中では、Hx2が最も大きな会合定数を示し、アミノ水素のないPr4の105倍となった(Table3)。これは、ピリジン環窒素へのプロトン化により生じたリン酸アニオンが,アミノ水素と水素結合することで安定化を受けることで、強く会合した結果と考えられる。Hx2とリン酸エステルとの会合体構造をFig.5のように推定した。

 アセトニトリル中でも、Hx2が最も大きな会合定数を示したが、アミノ水素の有無による差は小さかった(約4倍)。これは、シクロヘキサンより極性の大きいアセトニトリル中では、いずれのホストでもピリジン環窒素へのプロトン化による会合体形成が、支配的になるためと考えられる。また、シクロヘキサン中と比較して、プロトン化したホストの発光(500nm)が強く観測されたことから(Fig.4)、会合体形成を発光変化の形で取り出すことに成功した。

Fig.5Fig.2.Titration of Hx2 with diphenyl phosphate in cyclohexane.(a)Absorption spectrum(b)emission spectrum.Fig.3.Titration of Hx2 with hexanoic acid in cyclohexane.(a)Absorption spectrum(b)emission spectrum.Fig.4.Titration of Hx2 with diphenyl phosphate in acetonitrile.(a)Absorption spectrum(b)emission spectrum.Table2.Association constants(K/M-1)of Hx2 with guests in cyclohexane.Table3.Association constants(K/M-1)of hosts with diphenyl phosphate.
3.固相中における特異な発光挙動

 固相中での分子間無輻射エネルギー移動は、光化学、生体反応、光学材料において重要な過程であることから数多くの研究がなされており、その到達距離はForster型(dipole-dipole相互作用)の場合、最大でも10nmと報告されている。しかし、シクロヘキサン凍結溶媒中では、Et4と3,3’-ジヒドロキシ-2,2’-ビピリジン(33OH)混合系において、非常に長距離のエネルギー移動を示唆する結果が得られたので、より詳細な検討を行った。

 蛍光スペクトルの測定(励起波長:285nm)は、シクロヘキサン及びヘキサン中で行った。Et4と33OHの発光は、単独では常温、-195℃ともに、それぞれ約400nmと約500nmであり、単量体からの発光であることが確認された(Table4)。Et4(3.0x10-5M)+33OH(10mol%)の混合物は、常温ではいずれの溶媒中でもEt4の青色発光(394nm)のみが見られた(Fig.6)。それに対し-195℃では、ヘキサン中では常温と同様、Et4の青色発光(397nm)のみが観測されたが、シクロヘキサン中では青色発光強度が85%低下し、33OHの緑色発光(484nm)は20倍に増大した。550nmで観測した励起スペクトルの形はEt4のそれと一致したことから、緑色発光はEt4から33OHへの励起エネルギー移動に由来することが確認された。凍結媒体中でのEt4および33OHの均一な分布を仮定すると、Perrinモデルから、励起Et4が33OHへのエネルギー移動で失活するEt4-33OH間の最大距離は、63nmと非常に大きな値となる。

 この値が「見せかけ」である原因として、シクロヘキサンの凍結の際、Et4と33OHが溶媒の結晶粒界に追い出されることによる濃縮効果が考えられる。しかし種々検討を行った結果、濃縮効果のみでは、この長距離エネルギー移動を説明できないことが示された。

 また緑色発光の溶媒依存性について検討したところ、極性に依らず六角形構造を持つ溶媒を凍結したときのみ緑色発光が観測された。

 緑色発光を示すもの:シクロヘキサン・1,4-ジオキサン・1,3,5-トリオキサン

 緑色発光を示さないもの:メチルシクロヘキサン・シクロヘキサノール・シクロペンタン・テトラヒドロフラン・n-ヘキサン・3-メチルペンタン

 以上の結果から、この長距離エネルギー移動には、凍結溶媒の結晶場が何らかの関与をしていると推定される。

Table4.A bsorption and luminescnce maxima of Et4 and33OH.Fig.6.Luminescence spectra of Et4and33OH in solid state.Concentration of Et4was3.0x10-5mol dm-3.
審査要旨

 有機蛍光物質は、医療やオプトエレクトロニクスなどの分野で新しい応用が急速に拡大しているが、これらの用途には蛍光特性だけでなく様々な機能を併せ持つ高度な機能性が求められており、新しい機能性有機蛍光物質の開発が重要な課題となっている。本論文は、ビピリジン骨格を持つ新規な有機蛍光物質について述べたものであり、4章という構成のなかで、その分子設計と蛍光特性の解析、固相溶媒中での特異なエネルギー移動、および光応答性人工レセプターとしての機能を明らかにしている。

 第1章は序論で、これまでの有機蛍光物質の特性とその応用について概説し、より高機能な有機蛍光物質が強く求められている現状をふまえて、本研究の目的と意義を明らかにし、対象化合物として、熱安定性、化学安定性、さらには分子間相互作用部位を持つなど、機能性に優れた2,2’-ビピリジン骨格を持つ化合物群を選択した理由を述べている。

 第2章では、4および6位に置換基を持つ2,2’-ビピリジン化合物群の合成、およびその蛍光特性の検討を行っている。その結果、4-アミノ置換体は発光を示さないが、6位にアミノ基を持つ化合物群が、いずれも量子収率0.3以上で青から緑色の蛍光を示し、特に非対称置換された6-アミノ-6’-クロロ体は0.8という高い蛍光量子収率となることを見い出している。これは、一例を除き非発光性とされてきた2,2’-ビピリジン化合物群が、6位アミノ基導入により高い発光効率を示す有機蛍光物質となることを初めて明らかにしたもので、高い熱安定性、複数の分子間相互作用部位を持つなど、機能性の高い有機蛍光物質となることを指摘している。さらに、分子軌道計算などをおこない、最低励起過程がn*遷移ではなく*遷移となることが、6-アミノ置換ビピリジンの高効率発光を可能にしていると推定している。

 第3章では、ビピリジン誘導体が凍結溶媒中で示す特異なエネルギー移動について報告している。すなわち、凍結溶媒中におけるアルキル置換アミノビピリジンから3,3’-ジヒドロキシビピリジンへの励起エネルギー移動は、通常観察されるより10-3倍という低濃度でも効率よく起きる、という特異な現象を見い出している。このエネルギー移動は、励起一重項間のエネルギー移動であることを示し、シクロヘキサン、ジオキサンという対称性の高い分子構造を持つ溶媒を凍結したときのみ観測されること、拡散のない固相中でのエネルギー移動解析(Perrinモデル)では従来のエネルギー移動機構では説明できない長距離エネルギー移動となること、などを述べている。また、分子間会合の可能性、媒体結晶領域の隙間への濃縮効果、などについても検討し、いずれの効果もここで観察されたような低濃度でのエネルギー移動を説明するには不十分で、凍結溶媒中での結晶場の関与を考える必要があるとしている。

 第4章では、6,6’-ジアミノビピリジン誘導体が複数の分子間相互作用部位を持つことに注目し、光応答性レセプターとしての機能を検討している。ゲスト分子としては、生体中の重要な疎水性化合物であるリン酸ジエステルを対象としており、各種有機溶媒中でのゲスト認識に伴う発光変化を検討した。その結果、6,6’位にヘキシルアミノ基を持つビピリジン誘導体は、シクロヘキサンのような非極性溶媒中およびアセトニトリルのような極性溶媒中でも、リン酸ジエステルに対し会合定数107mol-1dm3以上という高い認識能を示し、認識に伴い、吸収スペクトルの変化だけでなく、400nm付近の青色蛍光の低下と500nm付近の緑色蛍光の増加という明確な光応答性を示すことを報告している。このようなホスト分子の吸収および蛍光変化は、リン酸ジエステルによるビピリジン窒素のプロトン化に基づくもので、非極性溶媒中ではアミノ基水素とリン酸酸素間の水素結合が、極性溶媒中ではゲストのリン酸ジエステルへの溶媒和が、ホストーゲスト会合体の安定化に大きく寄与していることを明らかにした。このホストは、もう一つの主要な生体内疎水性物質である脂肪酸には会合定数102mol-1dm3以下の認識能しか示さず、生体内の主要な脂質である酸性リン脂質をゲストとして用いた検討で、酸性リン脂質に対し高い選択性・感度を持つ光応答性レセプターとなることを実証している。

 以上のように、本論文では、機能性が高く蛍光効率の良い新規なビピリジン型有機蛍光物質群の開発に成功し、固相でのエネルギー移動特性、光応答性レセプターとしての機能性など、これらの物質群の特性を明らかにしており、その成果は、有機化学、光化学、超分子化学の進展に大きく寄与する。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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