学位論文要旨



No 112948
著者(漢字) 金,淞
著者(英字)
著者(カナ) ジン,ソン
標題(和) 中国の水環境に関する環境政策についての分析
標題(洋)
報告番号 112948
報告番号 甲12948
学位授与日 1997.06.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第3956号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 児玉,文雄
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 石,弘之
 東京大学 教授 石井,明
 東京大学 教授 玉井,克哉
内容要旨 1概要

 本論文では、中国の水環境の諸問題を踏まえつつ、政策科学と環境経済学を中心とした分析手法を用いながら、中国の水資源に関する政策問題に焦点を当てて、現在認識されている水環境政策の基本課題を明らかにすることを目的とする。そして、それら基本課題に対応するため必要となる環境経済学や環境政策学分野の今後の研究課題を展望する。主な内容を下に示す。

 ・中国の水環境の実際状況と照らしあわせながら、質と量の両方から中国の水資源における危機的な現状を問題提起する。それと同時に、環境問題を総括的に考えた場合に、その問題の解決が如何に重要であるかを示し、本論文の研究視点と研究方法として、システム論を提示している。

 ・中国の水環境の管理制度を中心に論じる。また、環境アセスメント制度について議論している。中国の水環境管理の理論と行政、民間などの管理体制、そしてそれぞれが果たしている役割にメスをいれ、いくつかの問題点を指摘している。

 ・システム論的分析を武器にし、中国の水管理制度と水環境政策の問題点を示し、環境経済学と環境政策学の分析手段を用いて、細かな分折と批判を展開する。それと同時に、水環境と水資源を統一的に管理する対策論を打ち出す。

 ・都市排水から引き起こされる水質汚染問題の現状から、問題を提起し、豊富なデーターを駆使し、水環境問題において最もネックになっている都市の水資源利用と工業・生活排水問題を検討する。

 ・ハイテク、とりわけIC(半導体)産業の発達による水環境への悪影響を中心に分析を展開する。

 ・政策科学の角度から、環境政策と国家の責任について「AGENDA 21」の中国バージョンの中の水環境関連の理論と掲げた目標を克明に分析し、、中国の新たな水環境政策を構築するための方法論的基礎を提供することを試みる。

 ・各章の見解を総括したうえで、中国の水環境法体系を樹立するためのマクロ的な構想を提唱する。そして地球環境問題として中国の水環境政策を位置付け、科学的方法で中国の水環境を再生させるよう呼び掛けている。

2中国の水環境

 中国の水環境の現状と水資源の現状と利用状況をマクロ的に分析し、中国の水資源の絶対的不足と地域分布の不均等性など量的な問題に加えて、質的にも深刻な危機に陥っていると指摘している。また、水環境の保全制度を紹介しながら、前山鉱山の水環境を事例研究を行い、データを駆使しながら、水環境の現状をミクロ的に分析した。そして、中国の水環境問題に関する研究の重要性を強調し、問題研究のシステム論の導入を試みた。

図1 水環境の3つの境界

 中国の水環境政策は、現実において、さまざまな問題をかかえている。特に、理念の欠如が現実の政策のかなりの部分を時代遅れのものにしている。今後、国際社会において環境をめぐる対立がますます深くなる中で、国内的にも国際的にも明確な理念をもち、そして科学的根拠をしっかり立てないかぎり中国の環境行政は苦境にたつことになるだろう。

 環境問題を解決するために、もはや論理実証主義に基づく伝統的な科学、それも単一の学問だけでは不十分であり、新しいアプローチが必要である。ここで、システム論モデルを示している。

図2 中国の水環境政策決定システム論の反応モデル
3中国の水環境管理制度

 中国における水管理政策の歴史とそれらの背景について、論じてきた。中国の行政は「全面的企画、合理的立地、総合利用、害を利に変え、大衆に頼れ、環境を保護し、国民の幸福をめざせ」という環境管理の原則を打ち出した。中国の環境管理行政は、「旧三項制度]と[新五項制度」によって構成される。その全体像は次のような図にもとめておく。

図3 中国の環境管理システムの枠組み
4水環境政策問題のシステム論的分析

 国家プロジェクトの事例と前山鉱山のケース・スターディを用いながら、中国の水環境政策は、「総合的体系化」が非常に欠けていることは指摘し、その結論だけを要約すると、アメニティ保全政策、汚染防止政策、自然保護政策を別個に行われているということである。これは、中国の環境政策の一つの特徴と言えよう。特に汚染制御政策と自然環境政策の2つの柱は、法的にも行政的にも、また現実に起きている環境問題の対する対応の上でもいろいろな欠点を露呈している。

 中国のこれまでの水行政をみると、水資源管理と水環境管理行政が縦割りの平行線のままになっているのが現状である。要するに中国の水資源行政は、水の循環過程を分断し、建設部・農業部・林業部・衛生部・水利部・化学工業部・環境局・国家計画委員会などの諸部局で分散的に取り扱っている。しかも、水資源の開発の監督と管理に関する業務は、環境管理の範疇に入っていない。その結果として、水環境管理は単なる水質汚濁だけを監督するにすぎないし、水資源の監督については、各部がそれぞれ管理し、国家の水管理に最も中心的な存在であるはずの国家環境保護局は、まったくノータッチの状態になっている。

 また、水環境の管理に関する仕組について、先進国の事例を紹介しながら、新しい水管理の構造を探ってみた。

5都市の下水道対策

 水環境汚染は、経済の急成長を支える産業の発展とともに中国に全土に広く分散しており、生活の向上にともなって、住民の生活排水問題がますます目立つ。本章では、都市排水から引き起こされる水質汚染問題の現状から、問題を提起し、豊富なデーターを駆使し、水環境問題において最もネックになっている都市の水資源利用と工業・生活排水問題を検討する。そのうえで、対比手法を用いて、欧米及び日本の下水道建設における流域下水道と下水処理場の巨大化の影響を比較分析し、中国の下水処理の常識となっている工業排水と生活排水の混合処理の危険性を警告する。さらに、本章では、欧米、日本の下水道政策の歩みを考査したうえで、中国の下水道建設政策における理論上、実践上の不備を指摘し、環境経済学と水資源再生の見地から解決の糸口を探る。また、天津市にある下水処理場に関するデータ収集と科学的研究を行い、(表1参照)この処理場が代表とした中国の下水処理の問題点を分析した。

図4 下水道の人口普及率表1 天津市の記庄子下水処理場で汚水年平均値

 ここでは、システム論的分析に基づいてさまざまな分析、考察を行い、水環境政策へ提言した。主な結論を示すと次のようになる。

 その1 中央政府と地方政府との投資比率を明確かつ合理的に決め、都市建設税と公共事業付加税の中に排水施設のための特別項目を設けて、エネルギー・交通施設の建設と同じように、専門資金と専門使用制度を確立させ、行政法制度として保証すること。

 その2 都市の排水施設が消費中心から生産中心にかわりつつある現実に相応して、施設の無償使用を有償使用に変えて、新しい管理体制をつくること。そして、資金調達と汚染排出徴収料金に関して政策的に対応すること。つまり、資金についてそれぞれ部門の役割を考慮した上で、都市排水施設への資金調達に最大限度の傾斜方式を導入し、現在の縦割り行政の弊害を徹底的に除去することである。

 その3 「使用者負担の原則」を徹底させ、水道事業と下水道事業を完全に一体化して、水を「経済財」として取扱うこと。場合によっては、水関連事業を民営化すること。

 その4 水環境保全管理対策の総合的な推進を図るため、これまで未規制であった有害物質による水汚染に関して、その健康への影響、汚染のメカニズム、対策手法などを十分調査するとともに、その結果に基づいて、必要な措置を講じること。また、汚染原因者不明などの場合における浄化対策の実施主体、費用負担のあり方などについて検討を行い、上水道法・下水道法など専門法制度を設定し、新設都市と新設開発区においては生活排水の処理施設を、これまでの工業排水施設と同様に、「三同時」原則を駆使して効率あるものにすること。

 または、水価格の改革とモニタリングの充実することも重要である。特に水環境へ監視を強めるために、民間計量上制度の導入を考案した。

図5 官民一体化観測所の構図
6水環境政策の盲点--ハイテク産業による水環境への汚染の無策

 ハイテク、とりわけIC(半導体)産業の発達による水環境への悪影響を中心に分析を展開する。その結果、中国におけるの現段階でのハイテク発展戦略は水環境への影響を軽視しており、いずれ大きな問題を引き起こす可能性があることが懸念される。欧米、日本のハイテク産業発展の中での成功、失敗の経験を比較、分析したあと、中国のハイテク産業の発展と環境保全政策のバランス問題に関して、環境経済学と環境社会学の視点から、中国の環境政策においてはほとんど触れられていないハイテク開発区の立地、コントロールなどの諸問題及び環境対策論を提案する。その提案について、次のようなものになる。

 (1)市民の健康と安全を中心とした快適なアメニティを造ることをめざすのであれば、先端産業の立地、誘致政策においても住民の健康や安全を第一に考えるべきである。つまり災害や公害のない街でなければならない。

 (2)先端産業の立地については、環境アセスメントを行うべきである。国レベルの情報管理と整備を行うとともに、各地方、特に高新技術開発区を促進している地方レベルでも、ハイテク産業への対応ができるような体制と人材の養成が急務である。可能性としては、前述した各レベルでのモニタリング・ステーションと観測所の設置などを中心とした対応が期待される。また、外国との情報交換と技術指導を受け入れる体制をつくることが望ましい。日本のODAの支援により作られた中日友好環境センターは一つの重点建設場所として大きな役割を果たすであろう。

 (3)日本の経験にから、自治体の政策立案・実施能力の開発・向上、地方レベルの環境保全制度や組織・人材の開発、財政援助、法的権限の付与、企業との公害防止協定の締結などは、これからのハイテク時代において、非常に役立と思われる。

 (4)ハイテク公害の発生を未然に防止するためには、化学物質の法的規制が必要である。

 (5)リスク管理の必要性である。先端産業の最低限のマナーとして、法律を遵守した環境対策を行わなければならないのは当然のことである。

7中国の水環境政策の構造と問題点

 政策科学の角度から、環境政策と国家の責任について「AGENDA 21」の中国バージョンの中の水環境関連の理論と掲げた目標を克明に分析し、そのままでは実行不可能な部分が存在することを明確にする。そのほか、水問題における日本モデルと中国の環境政策の関連性を研究し、環境倫理学の視点から中国の水環境政策問題を分析し、中国の新たな水環境政策を構築するための方法論的基礎を提供することを試みる。

 結論では、各章の見解を総括したうえで、中国の水環境法体系を樹立するためのマクロ的な構想を提唱する。そして地球環境問題として中国の水環境政策を位置付け、科学的方法で中国の水環境を再生させるよう呼び掛けている。時代によって水と人間生活との関係が変わり、それにつれ水への思いも変化する。われわれにとって水は貴重な資源であると同時に、大切な生活環境でもある。したがって、水環境の保全を重視することを実現するには、住民が地域の水の管理を関与し、健全たる水管理の民主化が求められる。また、水環境についての社会教育、河川を保護する住民の自発的な参加、水を意識した日常生活などの理念と行動を着実に実行していかなければならない。

審査要旨

 世界銀行、世界資源研究所など多くの国際機関の報告によると、21世紀前半において水問題が世界の直面する環境問題の中でも最も深刻なものになると予想されている。その中でも中国が決定的な水不足をきたすという予測が強い。

 このような情勢にあって、本論文は「水環境」という著者独自の新たなキーコンセプトを用いて、中国が直面している水問題の危機的な状況を質と量の両面から明らかにするとともに、それを解決するための技術的・制度的方策の提言を行っている。それと同時に、環境問題全般を総合的に考える場合に必要となる、政策科学と環境科学を中心とした分析手法のシステム論的な統合を提唱し、それを水環境に関する経済学的および政策科学的分析に適用することを試みたうえで、今後の研究課題を展望している。

 主な内容は以下に示すとおりである。

 第1章は、本論文の序章であって、水環境という基本的な概念の提示とその特徴、および従来用いられてきた水資源という概念との関連性を叙述している。そのうえで、中国の水環境の現状と照らし合わせながら、質と量の両面から中国の水問題の危機的な状況について問題提起をしている。それと同時に、その解決がいかに重要であるかを示し、第2章以降で展開する議論の根拠を提供している。さらに、水環境を研究するにはシステム論的なアプローチをとることが重要であることを主張している。

 第2章では、まず中国は現在水資源の量に関して絶対的な不足状態にあること、そして質的にもさまざまな汚染問題という困難に直面していることを、統計データを用いて明らかにしている。そのうえで、中国の水管理制度、および環境アセスメント制度について、その理論的根拠と政策の実際、民間の対応策を詳述するとともに、いくつかの問題点を指摘している。

 第3章では、システム論的手法を用いて、中国における水資源の開発とその管理制度の問題点を示し、環境経済学と環境政策学の立場から、それらについて細かく分析し、現在の制度およびそれに基づく政策に対する批判を展開している。それと同時に、水資源の開発と管理を統一的に捉え、分析する理論の必要性を強調している。

 第4章は、本論文の中心となる章であって、都市排水によって引き起こされている水質汚染の現状を豊富なデーターを駆使して明らかにしたうえで、水環境問題において最もネックになっている都市の水資源利用、工場排水と生活排水の混合処理問題を検討している。具体的には、欧米および日本の下水道建設における流域下水道と下水処理場の巨大化の影響を分析し、中国の下水処理の常識となっている工業排水と生活排水の混合処理の危険性を警告している。さらに本章では、著者のいう対比手法を用いて、欧米および日本の下水道政策の歩みを考察したうえで、中国の下水道建設政策における理論上、実践上の不備を指摘し、水環境保全の見地から解決の糸口を探っている。

 第5章は、ハイテクとりわけIC(半導体)産業の発達による水環境への悪影響を中心に分析を展開している。すなわち、欧米および日本におけるハイテク産業の発展の中での成功、失敗の経験を比較・分析したうえで、中国のハイテク産業の発展と水環境保全政策とのバランス問題に関して、中国の現段階でのハイテク開発戦略は水環境への影響を軽視しており、いずれ大きな問題を引き起こす可能性があることを指摘している。そして、ハイテク開発区の立地、コントロールについて、その政策の再検討の必要性を強調した新たな視点を提案している。

 第6章では、政策科学の角度から、環境政策と国家の責任について、[AGENDA 21]の中国バージョンの中における水環境関連の理論と掲げられている目標を克明に分析し、このままでは実行不可能な部分が存在することを明確にしている。さらに、水問題に関する日本モデルと中国の環境政策の関連性を研究するとともに、環境倫理学の視点から中国の水環境政策を分析し、中国において新たな水環境政策を構築するための方法論的基礎を与えることを試みている。

 最後の結びでは、各章の見解を総括したうえで、中国において包括的な水環境法体系を樹立するためのシステム論的な構想を提唱している。そして中国の水環境政策を地球環境問題に対するきわめて重要な対策の一つとして位置付け、科学的方法で中国の水環境を再生させる努力を行うよう呼び掛けている。

 本論文は、中国における水問題という世界的にも注目されている問題について、豊富なデータを用いて現状を明らかにした上で、現在の管理制度とそれに基づく政策の問題点を鋭く指摘している点で評価できる。ただし、データ上の制約もあって現状分析のところで必ずしも十分に説明しきれていない部分があること、またここで提唱している新しい政策が果たしてどのような効果をもつのかについて必ずしも十分に検討されていないことなど、今後改善すべき点も見受けられる。

 しかし、これだけ詳細に中国の水問題の全体像を提示し、その問題点を指摘するとともに、政策提言を行った研究はこれまで見られなかった点、さらには、水問題を「水環境」という新たな概念を用いて社会システムの問題と捉え,環境科学や政策科学の手法をシステム論的に総合した形で適用した点で、本論文は多大の貢献をしており、高く評価できる。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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