学位論文要旨



No 112949
著者(漢字) 李,錫注
著者(英字)
著者(カナ) イ,ソクジュ
標題(和) 解放後の韓国における土地改良に関する研究
標題(洋)
報告番号 112949
報告番号 甲12949
学位授与日 1997.06.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1834号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 田中,學
 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 中嶋,康博
内容要旨 解放後の韓国における土地改良に関する研究

 解放以来,絶えず食糧不足に悩まされてきた韓国農業は,持続的な土地改良投資と60年代末からの多収穫品種や新栽培技術などの導入・普及によって,70年代後半にいたって念願の自給を達成し,また引き続いて成長を遂げた。ところが,この多収穫品種(統一系米)の積極的な普及を中心とする政府の米生産政策は80年代半ば以降,大きく転換していくのである。即ち,政府は1985年から水稲品種の選択を農民の自由意思に任せるようになり,やがて1992年には政府による統一系米の買い入れ及び生産が中止されるようになったことを指摘できる。これは米生産政策が量から質中心に転換したことを意味していると思われる。また,それと時を共にして農政の方針も,解放から一貫してきた農業増産政策から農地の規模拡大や労働生産性向上を重視した農業構造政策に転換したこと。さらに,同期間の中にはURラウンドでの農産物開放の協商が急激に進み,94年のWTO体制の発足によって,これから農産物市場開放が一層深化し,国内補助金の削減や政府買収の縮小なども確実視されるなか,水稲作農業の存立基盤はさらに狭まれることが予想される。一方,農産物生産の側,とりわけ水稲作の生産力は最近に入って後退減少を見せている。これは気象条件や自然災害による一時的な減産ではなく,作付け面積の減少と単収の停滞・不安定による生産量の減少が自給の食糧基盤構造を脅かされているのである。

 このような国内・外における厳しい状況の中,少なくとも主食である米の自給を維持しながら安定供給続けるには,地域的特性を重視した土地と労働力の結合方式を再編成することによって稲作農業の総体的な生産力を維持・向上させなければならない。そのためには,なにより生産基盤の整備が前提とされなければならない。解放以来土地改良事業は継続的に投資されてきたが,他の先進諸国と比べて見ればまだ立ち遅れているのが実情である。特に,その事業施行体制において,地域または地域住民の自発的な発案によるものと言うより,強制力を持つ中央政府主導で画一的に進められたことにある。また,実績中心の量的拡大に偏ったあまり,質的には水準が低い多くの施設がさらに老朽化して,現在の営農実情に照らして見れば適合ではないものも多い。したがって,今後既存の土地改良事業制度の見直しとともに持続的な投資が緊急に要請されているのである。

 この研究は大きく二つの部分に構成されたのである。第一に,土地改良の通史的な解明の部分として,解放から現在に至るまで土地改良事業の全貌(経過及び実績)とその政策の性格を土地改良事業の展開過程の整理を通じて明らかにした。

 第二に,土地改良の稲作生産力発展に対する機能分析の部分として,この土地改良事業が韓国農業及び稲生産力発展にいかなる機能を果たしてきたのかを解放後の生産技術発展と関連づけながら検討したうえで,1980年代以後の稲作生産力変動の特徴と土地改良事業の関連について分析を行った。

 この中で特に,本論文では,解放以後の土地改良事業がどういうふうに展開され,また,この土地改良の施行体制は如何なる性格を持っているのかに主眼点を置いて分析してきた。ここでは土地改良の展開過程と性格の分析で明らかになった主な内容を簡単に要約してみると以下の通りである。

 まず,土地改良事業の展開過程を五つの画期に区分して整理してみると,第一に,停滞期(解放から1959年まで)の土地改良は,主に解放によって中断されていた植民地時代の水利施設設置中心の農業用水事業の継続施行にすぎなかった。即ち,財政の貧困のため土地改良事業は余り行われなかった時期である。この期間の土地改良投資額のなか農業用水事業が占める割合が40年代に91.7%,50年代に80.7%として,水利施設事業中心に展開されたことを確認することができた。

 第二に,施行期(1960-69年)には,1961年に「土地改良事業法」が制定され,近代的土地改良事業体制の基礎が確立されることによって,従来の地主中心体制から国家中心体制に転換するようになった。また,61年の「帰農定着事業」,「水利組合合併に関する特別措置」の制定と62年の「公有水面埋立法」の制定,そして,64年の「食糧増産汎国民運動」などが行われ,その事業の内容も従来の水稲作のための灌漑用水事業だけではなく,開墾・干拓・牧草地造成などの農地の外延的拡大開発事業中心に転換し,展開された時期である。したがって,この期間中の事業費の割合は,農業用水59.1%,開墾13.5%,干拓8.9%として,過去に比べて農地開発事業が盛んに行われたことがわかった。

 第三に,確立期(1970-79年)の土地改良は,60年代はじめ頃から経済開発5ヶ年計画を樹立して経済開発を進めた結果,著しい経済成長を成したものの,都市・農村間,産業間,地域間格差拡大させた。したがって,政府は農業・農村の発展と近代化,そして主穀自給達成を目的とし,1970年「農村近代化促進法」制定して事業の体系化・多様化を図った時期である。この時期の土地改良の特徴は,一,農業用水事業の大型化,即ち,干ばつの連続のなかにも財政制約のため地下水を初めとする小規模用水事業中心から外資導入によってダムなど大規模用水事業施行されることになった。二,大単位農業綜合開発事業の登場,即ち,5大江流域の水系を中心に用水,耕地整理,干拓などを総合的に開発か行われたこと。三,耕地整理事業の定着,即ち,施行期に比べて,事業内容が量的・質的拡大されるようになったことであろう。この時期の事業費割合をみると,大単位綜合開発41.4%,農業用水32.8%,耕地整理17.4%として,大単位農業綜合開発と耕地整理事業中心に展開されたことがわかった。

 第四に,拡大期(1980-89年)の土地改良は,80年代に入って農業労働力の急激な減少することによって,耕地の規模拡大や集約化そして,それに適合な・機械化営農の要求されるようになった。このような農業構造の背景の下で,耕地整理事業の質的改善とともに拡大開発が行われたのである。この時期の土地改良の事業費割合は,農業用水32.2%,大単位24.8%,耕地整理28.0%として耕地整理事業中心に展開された。特に,80年代半ば以後の土地改良は,耕地整理事業に集中的に投資された。即ち,1986年「農漁村綜合対策」が発表され,耕地整理事業が土地改良の主軸事業として位置を占めている(1986年から耕地整理事業の年間事業費が1,000億ウオンを越え,89年には2,000億ウオンを突破し80年代はじめ頃の事業量及び事業費の2倍に増加されることによって,耕地整理率は80年28%から93年49%に急増)。

 第五に,転換期(1990年-現在)の土地改良は,農漁村開発特別措置法(90),農漁村振興公社及び農地管理基金法(90),農漁村構造改善対策(92),農漁村整備法(94)など数々の対策及び制度はUR対策として競争力ある農業・快適な農村づくりを目標とし、大規模化のための生産基盤拡充を図っていくのである。その中心事業は耕地整理と農業振興公社の農地流動化事業拡大,そして,生活環境整備(郡・面単位の定住圏開発事業)であった。なお,90年代に入っても耕地整理事業の比重は益々増加(1992年「農漁村構造改善対策」→2001年まで10年間42兆ウオン投資計画のなか,生産基盤整備に9兆4千億ウオン,その内耕地整理事業が約50%の4兆6千億,農業用水が約30%の2兆8千億を計上)していて,この時期においては,土地改良の中心事業だけではなく,最大の国家施策事業として浮き彫りになっている。

 以上のことで,解放後の土地改良事業の全体像は明確にされた。しかし,上記のような土地改良事業は国家主導で強力に推進されてきたと言われている。したがって,韓国土地改良政策の性格をあきらかにするために,国家主導型土地改良について様々な資料を通じて国家主導型土地改良体制の形成過程を考察した結果として明らかになった内容をまとめると以下の通りである。

 第一,国家主導型土地改良体制形成の原点は,殖民地統治下の1920年「産米増殖計画」の実施とともに本格化された水利組合事業の施行体制にある。即ち,国家(総督府)主導的な性格と地主中心的な性格を持つ施行体制を解放以後の土地改良は継承したことである。したがって,植民地時代の土地改良事業(水利組合事業)の性格と解放以後に展開される土地改良事業の性格は,時代的背景と社会的与件が全く異なっているにも関わらず若干の違いはあるものの,国家による支援と統制を内容とする土地改良事業の国家主導的な性格は共通しているのである。

 第二に,このように解放を迎えた新生政府は植民地時代の土地改良体制をある程度継承し,さらに国家主導体制を強化していくのであるが,ここでは解放後の中央集権的土地改良事業の確立過程をみると次の通りである。まず,軍事革命政府は,61年8月の「水利組合合併に関する特別措置法」制定(当時695あった水利組合を1郡1組合原則に基づいて198組合に統合),1962年3月の土地改良事業監査など,水利組合に対する抑圧措置によって大中規模水利事業(組合主体)から小規模事業(市・郡主体)へ転換させた。即ち,水利権中心の水利組合を全国行政区域単位に統合(行政機構化)することによって,土地改良事業の中央集権化を試みたのである。もう一つは,水利事業から農地の外延的拡大事業への転換させていくなかで,土地改良事業が中央集権化が行われたことである。

 即ち,1961年12月「防潮堤管理法」制定し,一定規模以上の防潮堤は国家が直接管理の下に置き,1962年1月「公有水面埋立法」,同年2月「開墾促進法」を制定して開墾・干拓事業を法的保障を与えたうえ事業を一層拡大させていったこと。

 さらに,このような土地改良事業の中央集権的・行政主導型体制は1960年代半ば頃からの耕地整理事業と農業用水開発事業を通じて,一層,強化し定着させていくのである。特に,注目すべきことは,政府傘下が有してる人員,装備,資材,技術などは一元的に統合・運営しなければならないと明示した「大統領訓令第22号」と「大統領訓令第23号」公布して,最末端行政単位の里・洞に至るまで開発施設と水利受益の位置を図面化して市郡別に発刊(一名ブルー・ブック)することによって,青瓦台の政務主席秘書官室を主軸に行政組織を通じて施行されるシステム(里・洞→邑・面→市・郡→市・道)が出来上がったことである。このように形成された中央集権的国家主導型の土地改良体制は数次の政権の交代を経た現在に至るまで続いている。民主政府と旗を掲げた現政権は,過去の農政推進体制,とりわけ土地改良の施行は国家主導型の中央集権的に下降方式に推進されてきたと批判し,「農漁村発展対策及び農政改革推進方案」で,農業競争力強化のための各分野の施策の提示と,またこれらを実現させるための既存農政体制の改革方案を具体的に提示した。即ち,厳しい農業現実を克服するために,生産基盤の完備,技術開発の促進,農漁村生活環境の改善などを積極的に推進させるために,農民自ら事業を選択し,これを政府が支援する農民自律的な農政推進方式である上向式への転換することを明らかにしたのである。このような趣旨で1970年に制定された「農村近代化促進法」を四半世紀の間,土地改良事業施行の根拠法として使われてきたのを改めて1994年12月に「農漁村整備法」を制定し,1996年から実行するようになった。しかし,この「農漁村整備法」は,土地改良事業の施行体制の根本的な刷新はなされず,以前の「農村近代化促進法」をそのまま受容している。即ち,今までの通り,事業の計画から事業終了後の事後管理までに国家の強い統制と介入の下で行っていると思われる。

 したがって,今後は実績中心と量的拡散の国家主導型事業施行体制から内的拡充を期する法・制度の整備が望まれる。

審査要旨

 韓国農業は、持続的な土地改良と60年代末からの多収穫米(統一系品種)の導入・新栽培技術の普及を通じて、70年代後半に念願の米の自給体制を確立した。しかし、その後、増産政策から構造政策への農政の重点移動やWTO体制の発足にともなう農産物市場開放の影響もあって、近年は水稲生産力の後退傾向もみられるに至っている。こうした中で、米の自給体制を維持しながら、食糧の安定供給システムを構築するには、土地改良を通じた農業生産基盤の一層の整備が不可欠となっている。

 本論文はこうした問題関心から、これまで、韓国農業研究においてブラックボックスとなっていた土地改良事業について、

 (1)第2次大戦後から今日に至る事業の全貌を通史的に明らかにし、時期区分を行うとともに、土地改良施行体制の性格分析から政策の特徴づけを試みる、

 (2)土地改良が稲作生産力の発展にいかなる機能を果たしてきたのかを農業技術の展開過程と関連づけながら歴史的に検討し、とくに80年代以降については稲作生産力と土地改良の地域的な関連の分析を行う、ことを課題とし、とくに(1)に重点をおいて検討したものである。

 論文はまず、第1章で韓国農業における土地改良の意義づけと本論文の課題を明らかにし、続く第2章,第3章で上述の(1)の課題に対応した検討を行っている。そこでの結論を要約すれば以下のようになろう。

 土地改良事業の展開過程は五つの画期に区分される。停滞期(解放から1959年)は植民地時代の水利施設設置中心の農業用水事業の継続施行の性格が色濃いことが確認された。施行期(1960-69年)は土地改良事業法の施行によって近代的な土地改良事業体制の基礎が確立し、地主中心の事業体制から国家中心の事業体制へ転換するとともに、農地開発事業への傾斜を強めた時期と特徴づけられる。確立期(1970-79年)は農業用水事業の大規模化、大単位農業総合開発事業の登場、耕地整理事業の定着によって特徴づけられる事業内容の量的拡大・質的充実が顕著である。続く拡大期(1980-89年)は農業構造政策の展開に対応して、労働生産性追求型技術展開の基礎条件としての耕地整理事業の急激な拡大の時期として特徴づけられる。そして現在に至る転換期(1990年-)はUR対策としての生産基盤整備(耕地整理と農業振興公社による農地流動化対策)と生活環境整備が単に土地改良事業としてだけでなく、最大の国家施策=公共事業として登場している。

 こうした土地改良事業の展開過程の全体像を解明を通じて、韓国の土地改良が著しい国家主導型の性格を有しており、以下のような特徴をもつことが指摘された。

 第1に、戦後の国家主導型土地改良体制形成の原点は植民地統治下の1920年の「産米増殖運動」とともに本格化された水利組合事業の実施体制にある。第2に、戦後に新生政府は、一方では水利組合主体の大中規模水利事業から市・郡主体の小規模水利事業への転換を通じて、水利組合を全国行政区域単位に統合=行政機構化することによって、他方では土地改良事業を水利事業から農地開発事業など農地の外延的拡大へ転換させることによって、土地改良事業の中央集権化をはかったのである。第3に、こうした中央集権的土地改良事業体制は60年代半ばからの耕地整理事業の実施過程で一層強化され、定着し、数次の政権交代にも関わらず、今日に至るまで続いている。第4に、現政権の下で、こうした中央集権的体制への批判が行われ、農民自らが事業を選択し、政府がこれを支援する方式への転換が謳われたが実施体制の根本的な再編は行われていない。

 次に、(2)の課題に答えた第3,4章の結論は3点に要約できる。第1に、米の自給を達成した稲作生産力の急成長には多収穫米の改良普及とこれに伴う機械化を軸とした生産技術の発展が大きく貢献した。第2に、こうした生産技術の改良は土地改良を前提条件として初めて可能であった。とくに、80年代後半以降の高位生産力水準の達成と安定化に大きく貢献したのは労働手段の改良ではなく土地改良であった。第3に、土地改良事業の内容と施行体制の中央集権的性格が韓国農業の稲作生産力発展を大きく規定し、地域間の生産力格差の拡大に帰着した。

 以上のように、本論文は韓国における土地改良事業の初めての包括的な研究であり、理論上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク