本研究は電子・陽子衝突型加速器HERAで行なわれているZEUS実験のデータを用いて微小x領域において陽子の構造関数についての研究を行なった。その結果、構造関数F2を測定すると共に、Ball-Forteの理論にもとずく解析を行ない、比較的穏やかなグルーオン分布を支持する結果を得た。 陽子内部の構成要素の運動量分布を示す構造関数については1960年代後半より固定標的型加速器を用いた研究が精力的に進められてきた。多くの新たな知見が得られる中で、未解決の問題も数多く残されている。さらなる研究の進歩を目指して、電子・陽子衝突型加速器HERAがドイツDESY研究所に建設され1992年より実験が行なわれている。 電子・陽子衝突反応は2つの運動学的変数x,Q2を用いて特徴付けられる。xはパートンモデルにおいて反応に寄与したパートンの運動量の陽子の運動量に対する割合であり、Q2は電子・陽子間の移行運動量の2乗である。陽子構造関数はこれらx,Q2の関数であり、陽子内のパートンの運動量分布を表す。実験的には深非弾性散乱における散乱断面積から求められる。 ある低いQ2=において、パートンの初期分布が与えられるならば、量子色力学は、発展方程式を用いて任意のQ2についての構造関数を与える。しかし、これについての完全な理論計算は不可能であり、実験結果から適当なモデルのパラメータを決定するという手法がとられている。現在、様々な初期分布、計算手法を用いた構造関数が提案されており、xの大きな領域では実験結果と良く一致しているが、xの小さな領域では理論計算のばらつきが大きく、最近のHERAにおけるH1,ZEUSの実験結果を用いて修正が続けられている。特に初期分布についてはこれまでより急峻なグーオン分布を予測するモデルが提案されるなどして、活発な議論が行なわれている。 1994年、CERNのBall,Forteらは、摂動的量子色力学が十分に平坦なグルーオン初期分布を与えられるならば、変数,について陽子構造関数の漸近的スケーリングを予測することを示した。ここで,は以下のように定義される。 したがって、これら2変数に対する構造関数の振舞いを測定することは、パートンモデル・量子色力学の陽子の内部構造に対する描像を確認すると共に、グルーオンの初期分布に対する手がかりを与える。 HERAは世界初の陽子・電子衝突型加速器であり、30GeVの電子(または陽電子)と820GeVの陽子を衝突させる。この時の重心系衝突エネルギーは約300GeVである。このエネルギーは過去に建設された固定標的型加速器より1桁高い値であり、これまで到達し得なかった運動学的領域での実験を行なえる。 HERAでは2つの多目的測定器を用いた実験、H1とZEUSが行なわれている。ZEUS測定器は衝突点近傍から衝突点測定器、中央飛跡検出器、超電導ソレノイド、高分解能カロリメータ、ミューオン検出器などで構成される。HERAの96nSecという短いビーム衝突間隔に対応するため、データ取得装置は高度に並列化・パイプライン化されている。 本研究ではZEUS測定器で1994年に取得された陽電子・陽子衝突のデータ約2.5pb-1を用いた。 データは3段に分けられたトリガーによって深非弾性散乱事象を選択すると共に、宇宙線、ビームと残留ガスの反応などの背景事象を除いた上でテープ装置に記録される。これらについてさらに詳細な選別を行ない、様々な背景事象と共に光生成反応が除去される。 測定においては、実験の運動学的変数が散乱された電子の角度とエネルギーから求まるため電子の識別とその効率の決定が重要であり、詳細な検討を行なった。まず、QEDコンプトン反応をもちいてデータとモンテカルロシミュレーションの孤立した電子に対する識別効率を比較した。この事象は反応後の粒子のエネルギー分布に特徴があるため、データの識別効率を求める母集団に背景事象の混入が少く、正確な値が求まる。この結果、測定器の計算機シミュレーションが実際のデータを良く再現していることが確認できた。これを受けて、深非弾性散乱の反跳電子の識別効率を計算機シミュレーションにより求め、必要とするエネルギー領域について一様で高い効率を示すことを確認した。 輻射補正と測定器による系統的な測定値のずれの補正については一括してBayesの統計理論に基づいたアンフォールディングを行なった。 こうして-平面上での散乱断面積epが求まった。epに対し、適当なリスケーリングを行なうことでF2が求まる。さらに、縦偏極構造関数FLについての補正を行なう。系統的誤差については各物理量の測定精度、アンフォールディングの入力となる構造関数に対する安定性などについて詳細な検討を行なった。 得られた陽子の構造関数F2はこれまでに得られたZEUSなどの結果と一致しており、高いでのスケーリングからの有意なずれは見られなかった。 以上の結果から-平面での漸近的スケーリングは誤差の範囲内で成り立っていることが確認された。 |