1. 本博士学位論文の全体は三本の論文から構成されている。三本の論文を通す縦糸は、情報の不完備性が産み出す経済的諸問題に対する著者の理論的探求心である。それぞれの論文は、独立の論文と見なす方が妥当であるので、以下の審査報告も各章(各論文)ごとに行うこととし、最後に総括的な評価を下す。 2. 第一論文"Endogenous Timing in the Switching of Technology with Marshallian Externalities"は、消費者の新製品への乗り換えによる技術パラダイムの転換について、ゲーム理論的な考察を試みたものである。新製品への乗り換えによる消費者の利益が他の消費者の乗り換え状況に依存する、いわゆる「マーシャルの外部性」の下では、ゲームの均衡が複数個存在するというのが、従来の認識であった。新製品に対する潜在的な消費者が多数存在しているならば、早いタイミングでその全員が一度に新製品に乗り換えるというのが、ゲームの完全均衡経路の一つになる。しかしながら、この新技術パラダイムへの効率的転換という均衡以外にも、転換が速やかには進まないような均衡が複数存在する。 本論文の特徴は、消費者が一人も新製品への転換に踏み切れないまま旧技術パラダイムが継続するというのが、唯一の完全均衡経路になるような理論モデルを提示した点にある。著者は、消費者の選好に関する相互の情報の不完備性を前提にすることによって、この従来とは異なる理論的帰結を得ることに成功している。個々の消費者がいつ新製品への転換に踏み切るかの意思決定は、他の消費者の新製品転換に関する予想形成に依存する。そしてこの予想形成は、新製品に対する消費者の選好の分布に依存する。従来は、この消費者選好の分布について情報の完備性を仮定しており、これがゲームの複数均衡の存在を招来していた。これに対して、著者のモデルでは、新製品に潜在的メリットを一切感じない消費者が一定の割合で存在すると仮定され、各消費者はその割合について正確な情報を持ち合わせていないとされる。このような状況下では、潜在的な消費者は、自分の新製品への転換のタイミングを他の消費者のそれよりも若干遅らせて、転換に踏み切った消費者の数を観察するインセンティブを持つ。この観察によって、消費者は新製品に対する潜在的な消費者の存在割合について追加的情報を得ることができ、この情報に基づいて転換の是非を決定することができるからである。しかし、転換を他の消費者よりも一歩遅らせるというインセンティブの相乗作用の結果、誰も転換に踏み切らないというのがゲームの唯一の完全均衡経路になってしまう。 本論文が示した結論の最も独自な部分は、新製品が大多数の消費者にまったく評価されない可能性がごくわずかでもあれば、情報の不完備性の程度に関わらず、技術パラダイムの転換がいつまでも起きない非効率均衡がゲームの唯一の完全均衡経路となることを示した点である。ごくわずかの不確実性の導入によって、従来の議論よりも一層強い意味合いで技術パラダイム転換の困難さを説明しえたという点は、経済理論への貢献として十分な意義を持つものと思われる。 ただ、本論文の問題点も二点ほど指摘せざるをえない。第一に、本論文の結論は、消費者の完全な合理性に強く依拠して導かれたものである。特に、情報の不完備性の程度がわずかである場合は、タイミングを遅らせることによるメリットは微々たるものである。そうした場合でも、完全な合理性の原理に従って行動する個人を想定すれば、誰一人として新製品への転換を起こさないという均衡が現出してしまう。これは、ゲーム理論において「チェーン・ストアーのパラドックス(chain-store paradox)」あるいは「むかでのパラドックス(centipede paradox)」と呼ばれる例と同類のケースであり、プレイヤーの完全な合理性を前提とした完全均衡概念の適用が疑問視されてきた種類のゲームである。本論文では、完全均衡という、現在のゲーム理論では標準的な均衡概念の地位にありつつもも、その普遍性に疑問が出されている均衡概念を無批判に適用して、ゲーム理論的な分析を行っている点で、問題を残している。 第二に、著者は、技術転換の不可能性命題が完全競争市場という前提に依拠したものであると主張している。そして、キャンペーン価格の導入に見られるように、時間的な価格差別化戦略によって消費者の新製品への乗り換えを促進させるという現実企業の行動断面を引き合いに出している。しかし、この部分の記述はテキストブック的説明の域を出ないものである。より一般的な寡占市場での価格付けの戦略的側面について明示的な分析を進め、産業組織論の応用分析としても豊かな内容を持った理論の構築を目指した、新たな研究の展開が望まれる。 3. 第二論文"Contracts and Money"は、名目値に基づいた賃金契約の存在に対するミクロ経済学的な基礎付けとそのマクロ経済学的なインプリケーションを導いた論文である。第一論文では、消費者選好の分布が情報の不完備性の源泉であったが、第二論文では、労働者の勤労水準を雇用者側から観察できないことが情報不完備性の源泉である。また、実質生産量の観察不可能性も名目賃金契約の存在の理論的導出に決定的な役割を果たしている。 プリンシパル・エージェント・モデルを使った従来の賃金契約の研究では、もっぱら実質値に基づく契約が考察対象とされ、プリンシパルはエージェントに対して実質生産量に基づく支払いを行うと想定された。このように実質生産量にインデックスされた契約が結ばれる限りにおいて、名目的な貨幣供給量の変化は中立であり、名目的な変化はプリンシパルとエージェントの間の所得分配に何ら影響を与えないのは、よく知られているところである。しかし、現実にわれわれが目にするのは名目生産量に基づく賃金契約である。その理論的根拠を明らかにしたのが、この論文の第一の功績である。 従来のモデルが想定するような実質生産量に基づく賃金契約が結ばれるためには、契約が履行される際に実質生産量が観察されなければならない。ところが、現実にプリンシパルとエージェントが直接観察できるのは名目的な生産量の値であり、実質生産量は価格水準が観察されない限り正確には分からないことが多い。著者は、情報観察のタイミングについて、名目生産量が先に観察され、遅れて物価が観察されると仮定する。物価が観察された時点で、実質生産量は名目生産量を物価水準で割ることによって計算される。 名目生産量が観察された時点で締結される合理的な賃金契約の形態を考えると、この時点ではエージェントによる勤労意欲の選択は既に行われた後であるから、いわゆる「モラル・ハザード」の問題は賃金契約の選択に影響を与えない。したがって、プリンシパルは危険中立的、エージェントは危険回避的な意思決定主体という常套的な仮定の下では、この時点で労働者の受取額を固定する契約、言い換えれば、名目生産量には依存しても(将来その数値が明らかになる)物価水準には左右されない賃金契約が選択されることになる。プリンシパルがリスクを100パーセント負担する形の賃金契約が、リスク分担の観点からは最適な契約となるからである。著者が想定する契約締結時点は、もちろん、労働者の勤労意欲の選択がなされる以前に当たるモデルの初期時点であるが、この時点で結ばれる契約に「再交渉に対する耐性(re-negotiation proofness)」を要求すれば、名目生産量にのみ依存する賃金契約が初期時点でも締結されるという理論的予想が成立する。 本論文で用いられたモデルは、貨幣が存在する2期間の世代重複モデルである。ただし、株主は自分が投資した企業の労働者の勤労意欲を観察できないというプリンシパル・エージェントの関係を含む点で、従来の世代重複モデルと大きく異なっている。このモデルに名目生産量が観察されたあとで物価が観察されるという情報上の仮定を入れて、名目生産量に基づく賃金契約がインセンティブ・コンパティブルな最適な契約として導出される。 その結果、本来は貨幣が中立的な世代重複モデルにおいても、名目的な貨幣供給量の変化が実質生産量に影響を与えることになる。ただし、ランダムな貨幣供給量の変化は、必ず経済厚生を低下させる。これは、名目的な貨幣供給量の不確実性が高いほど、名目生産量と実質生産量との相関が低くなり、名目生産量にもとづく契約のメリットが小さくなるからである。また、予期されないインフレは、実質賃金の上昇を通じて株主から労働者への所得移転をもたらし、その結果として株式の収益率を低下させることになる。 名目貨幣供給量の変化が、実質生産量、労働分配率、株式収益率に与える影響に関して上記の結果を導いた点が、本論文の第二の貢献である。しかしながら、これらの理論的予見は、名目的な賃金契約を仮定したこれまでのマクロ経済モデルから導かれる予見とさほど大きく異なるものではない。特に、このモデルにおける金融政策の効果は、これ以外のモデルでもしばしば指摘されてきた話を別の形で定式化したという側面が大きい。しかしながら、従来のマクロ経済モデルが名目的な賃金契約の存在を無前提に仮定してきたことに、多くの批判が向けられてきたのも事実である。この点で、著者の分析が名目的な賃金契約を仮定するのではなく、その存在を不完備契約の理論枠組みを用いて導いた意義は大きく、高い評価に値するものである。 本論文で展開されたモデルは、いくつかの意味で過度に単純化されたマクロ経済モデルである。たとえば、短期的な経済変動の問題と中期的な賃金契約の問題を同じタイム・スパンで考察している点には不自然さが残る。また、実際の金融政策の問題を考える上では、分析結果に対してさまざまな留保条件も必要になると思われる。また、モデルを現実化させるためには、外生的なショックや観察できる変数に関してより一般的な定式化も必要となろう。したがって、将来的には、本稿の分析で捨象された現実の重要な側面を拾い上げ、実際の金融政策の問題により強いインプリケーションを持つように図ることが望まれる。本論文のモデルは、そのような分析の出発点を提供したオリジナルな研究成果というべきであろう。 4. 第三論文"Expertise and Finance:Mergers Motivated by Technological Change"は、企業情報や技術に関して優位な情報を有する投資家(これを著者は「エキスパート」と呼ぶ)が存在する場合の、企業の資金調達および合併行動について、理論的・実証的検討を行った研究である。この論文では、投資家は企業の収益構造に関して企業側より劣った情報しか持っていないという形で、情報の非対称性が仮定される。そして、企業に出資する投資家として、「エキスパート」と「銀行」の二種類の存在が想定される。本稿では、この「エキスパート」と「銀行」の区別が重要な役割を果たすが、その区別は以下の通りである。 「銀行」は「エキスパート」ほどには豊富な技術的知識を持たず、たとえ企業側から情報開示が行われても、投資案件の事業性について不十分な評価しか行えない存在と仮定される。これに対して、「エキスパート」は十分な技術的知識を有するため、企業側から情報開示が行われれば投資案件について的確な評価が可能で、企業側との情報の非対称性は存在しなくなる。一方、市場構造に関しては、「銀行」は多数存在していると仮定され、それとは対照的に、「エキスパート」は一人(あるいは一社)しか存在しないために、独占力を有すると仮定される。 上記の特徴を持つ「エキスパート」と「銀行」は、出資を求める企業側から見れば一長一短である。「エキスパート」に企業の持つ技術を開示すれば、正当な評価と理解を得るのは容易である。これに対して、「銀行」に情報を開示しても、正しく企業の技術を理解してもらえない。そのため、企業は自分の技術の優秀さを契約やシグナリングによって示さなければならないが、それにはコストがかかる。一方、出資者としての「エキスパート」の難点は、情報を「エキスパート」に開示して放置すると、真似をされて事業のライバルになってしまう恐れがあることである。銀行の場合には、この恐れは皆無に等しい。「エキスパート」のこのマイナス面が大きければ、たとえ情報コストの節約というプラスがあっても、「エキスパート」からの資金調達はなされない。 このトレード・オフ関係の理論分析から著者が得た主要な結論はつぎの二つである。第一に、企業の側から見た「銀行」の「エキスパート」に対する優位性は、企業が潤沢な担保資産を有するほど強くなる。逆に言えば、企業が「エキスパート」を資金源として選ぶ可能性は、企業の担保資産が少ないほど増大する。第二に、「銀行」の知識水準が「エキスパート」にくらべて劣るほど、企業はエキスパート・ファイナンスに向かう。 「エキスパート」がライバルとして登場するというマイナス面は、「エキスパート」と企業が合併することによって小さくすることができる。なぜならば、競争による合計利潤の減少が生じなくなり、独占利潤を「エキスパート」と企業とで分けることができるからである。このような視点から、著者は、「エキスパート」による資金調達が合併という形をとるケースが増えるという予見を提出している。 ベンチャー企業の資金調達における銀行の情報収集・評価能力の限界が指摘され、同一産業の大企業や専門的知識の豊富な個人投資家が資金提供者としてしばしば重要な役割を果たす現実に鑑みれば、本論文における著者の関心は経済学者として極めて健全であり、理論モデルも現実に即した展開がなされている。とくに、担保資産の少ない企業や大きな技術革新の渦中にあるハイテク企業ほど、エキスパート・ファイナンスに傾斜するという理論的帰結も、説得的である。また、著者はこのような理論的帰結を、データを用いて検証することによって補強することも忘れていない。 このようなエキスパート・ファイナンシングについて、これまで理論的な分析は希有であり、本論文はこの分野の研究の嚆矢となる可能性を秘めていると思われる。問題意識の新鮮さと理論モデルのオリジナリティの点で、高く評価できる論文である。 ただし、モデルの構成から結論に至る道筋がほぼ自明であり、理論としては未だ平板すぎるとの印象を拭い得ない。一例を挙げると、「エキスパート」と企業とが独占利潤を確保する方法が、必ずしも合併である必要はない。株式による資金調達でも同様の結果をもたらす可能性はある。この点は、著者も簡単に言及しているが、理論的に踏み込んだ検討が望まれる。また、「エキスパート」と対比して「銀行」を登場させているが、本論文では「銀行」と企業との契約は負債契約にはなっておらず、そのため銀行機能に関する伝統的な分析と整合的ではない。この点を改善すれば、「負債か、株主資本か」といういわゆる「資本構成パズル」をめぐる過去の文献との繋がりもでき、論文の意義についてより強い自己主張が可能となろう。 5. 以上、三本の論文それぞれについて、本審査委員会の評価を述べた。あえて比喩的な表現を使えば、第一の論文は若い研究者がゲーム理論の特定の抽象的、概念的なテーマに対する自らの理解力と分析の展開力を示した習作、第二の論文は、プリンシパル・エージェントの問題領域における最近の理論的蓄積をうまく賃金契約とマクロ経済分析に援用したヒット作、第三の論文は、金融システムと企業行動の関わりに関する最近の著者の強い関心が産み出した絵コンテ、といったところであろうか。ただし、いずれの論文も、分析の確かさ、理論モデルのオリジナリティの点では十分に高い評価を下せるものであり、第一、第二論文に共著者が存在することを割り引いても、当委員会は、本論文が博士(経済学)の学位にふさわしい水準に達していると認めるものである。 最後に、第一論文はドイツのJournal of Economics誌に、第二論文はJournal of Political Economy誌に公刊済みであることを付言する。 |